01_彼氏の事情
一時期良く見かけた単語を並べてタイトルにしてみた。
よく見かけた様なタイトルになった。
「マルテッ! 危ない!」
そう叫びながら僕は魔物の前に立ち塞がる。
前線を抜かれ、一匹の魔物が僕達後衛の方へ、いや、【弓術士】であり幼馴染であるマルテの方へ一直線に駆け寄ってくる。
戦闘系のジョブ持ちとは言え、彼女は後衛職の【弓術士】だ。あんな魔物に接近されてしまえばただでは済まないだろう。
そう思ったら体が勝手に動いていた。
「ロイ! 危ないからどいて!」
マルテは優しい。戦闘系のジョブを持たない僕の事を心配してくれているんだろう。
「僕なら大丈夫だから!」
そう、例え戦闘系のジョブを持っていなくたって、僕は君を守る。ずっとそう決めていたから。
「そうじゃなくて――」
マルテが尚も何か叫んでいるけど、その時には魔物が僕の目の前に迫っていた。
少しで良い、魔物の意識が僕に向いて隙が出来れば、マルテの腕前なら仕留められるはずだ。
両足を踏ん張り、両腕を交差させて防御態勢を取って来るべき衝撃に備える。
「がはっ!」
肺の中の空気が全て吐き出されるかの様な衝撃。その衝撃に耐えきれず、僕は壁に叩きつけられる。
魔物によって受けたお腹と、叩きつけられた壁によって受けた背中。前後からの衝撃で呼吸もままならない。
でも、魔物の注意は僕に向けられた。
魔物は僕に襲い掛かろうと体勢を整えているけれど、それだけ隙を見せれば……。
―― タンッ ――
乾いた音を立てて、魔物の側頭部に矢が突き刺さる。
ほらね。
マルテは【弓術士】だ。僕と違って、戦闘職を授けられた彼女なら、この程度の魔物、一撃で仕留められるに決まってる。
「ロイッ! 無茶しないで下がって!」
彼女が僕を心配して声をかけてくれる。彼女は優しいから、僕みたいな奴の事まで心配してくれる。
だからさ、僕は僕に出来る事を一生懸命やるって決めてるし、どれだけ僕自身が傷付いても君を守る。
それが、『無能者』と言われた僕に残された、せめてもの誇りだから。
痛む体を立ち上がらせる。戦闘はまだ続いているんだ。
ここは、町の近くにある迷宮、通称『帝竜の墓所』と呼ばれる迷宮の第五層、通称『腐敗の回廊』。
昨日まで挑戦していた四層を抜け、新しい階層に挑戦しているところだ。
尤も、ライナーさんとユリアナさんは前に来たことがあるらしいけれど。
ライナーさんの先導で、今日は四層の奥、五層に下る階段までを最短距離で駆け抜ける事が出来た。
階段の手前にあった広場でポーションを使って小休止をし、そこで松明が燃え尽きたのか、いつもは魔力管理に五月蠅いユリアナさんが光源魔法を唱え、五層へと下りる。
初めて足を踏み入れた五層は、何かが腐ったような臭いで充満していて、あちこちにポコポコと何かが湧き出しているような水溜りがあり、正に『腐敗の回廊』という通称にふさわしい有様だった。
通路を歩き、悪臭に慣れた頃に入った広場で魔物と遭遇したので、足元の良い通路の奥に引き込んでから戦端を開き、今に至ると言う訳だ。
前線で魔物と対峙しているのは【双剣士】のライナーさん。
その名の通り、二本の剣を操って最前線で戦う近接戦闘職だ。盾を使わないので防御に難はあるけれど、それを補う程の戦闘力を持っている。
冒険者の中でも、【上級】の認定を受けている彼は、ただ腕を振るうだけで魔物を切り捨てる。一人で突出し、獅子奮迅と言って良いだろう活躍を見せる。僕には与えられる事の無かったその力で。
力任せに振り回す、両手に握った剣で魔物を切り捨て、牙を真っ向から受け止め、爪を振り払う。
僕にだってあの力があれば、剣を振るうだけの力が与えられていれば、【荷物持ち】だなんて揶揄される事も無く、胸を張って【冒険者】だと言えたのに。
何度そう思った事だろう、羨んだ事だろう。
いや、今でも羨んでいる。このパーティーに入って、彼の力を目の前で見せつけられる度に、繰り返し心に湧き上がる嫉妬、羨望、渇望、そして、絶望。
僕にあの力があれば、さっきだって力任せに剣を振るうだけでマルテを守れたんだ。
相変わらずライナーさんは一人で魔物を倒し続ける。いつもそうだ、ああやってころころと立ち位置を変えて手当たり次第に魔物を切り捨てる。そのせいで支援がが届き難かったり、魔物の動きが見えて居ない事も多々ある。僕が何度注意しても聞き入れてくれない。さっきだって魔物が横を抜けて来そうだから声をかけたのに、『余計な事を言うな』と怒鳴られた。
他のパーティーメンバーは彼が怖いのか何も言えないで居る。結果、前線を抜かれてマルテが危険な目に会い、彼自身は今も傷を負いながら回復もされずに戦い続けている。
「ちっ!」
彼の舌打ちが聞こえた。見れば彼の腕に一筋の傷が見える。魔物の爪を防ぎ損ねたのだろう。
僕は荷物の中からポーションを取り出すと、ライナーさんの元へ駆けつける。
「ロイッ! 下がりなさい!」
ユリアナさんの声が響く。【支援士】の彼女は、その職業の通りパーティーの支援を担う。 味方の攻撃力や防御力を上げたり、逆に敵のそれらを下げたり、若干ではあるが回復魔法も使える。
それがユリアナさんに与えられた【支援士】という職業だ。
本来ならユリアナさんがあの傷を癒さなければならないのだけれど、ライナーさんが考え無しに動き回るから魔法がかけられないんだ。
だから、僕がライナーさんにポーションを届ける。それが【荷物持ち】の僕に出来る数少ない事だから。
「ライナーさん! ポーションです!」
魔物を前に、大立ち回りを繰り広げているライナーさんに駆け寄り、ポーションを渡そうとする。
が、
「邪魔すんじゃねぇっ!」
怒号が浴びせられる。
「何度も言ってるだろうが! 【荷物持ち】が戦闘中に前に出て来んな! 後ろで大人しくしてる!」
「でもっ! その傷を治さないと!」
「うるせぇっって言ってんだよ!」
彼は自分の考えを否定されるのが大嫌いだから、一度『要らない』と言った手前受け取るような事はしないだろう。
仕方が無いので、僕はその場でポーションの蓋をあけると、彼の腕にポーションを振りかける。そして、
「くそがっ!」
剣を取り落としそうになっったライナーさんが毒づく。
やっぱり、あの腕じゃ剣を握る事も難しくなっていたんだ。
ポーションをかけられたライナーさんの腕の傷は、見る間に塞がって行く。これで一安心だ。
「ロイ! 早く戻りなさい!」
ユリアナさんの声に従い、隊形の後ろ、マルテの横に戻ろうと振り返ろうとした瞬間。
「ぐあっ!」
背中に衝撃を受けて転がり、そのまま壁に激突する。
痛む背中を擦り、頭を振りながら顔を上げてみれば、また前線を抜けた魔物が、僕の背中に突撃して来たのだとわかる。尤も、再度僕に襲い掛かろうとした瞬間、マルテの矢によって打ち取られていたが。
マルテに心の中でお礼を言いながら、荷物の中からポーションを取り出しそれを口にする。
「あっ……」
マルテの声が聞こえる。きっと、戦闘中でなければ僕の手当てが出来たのにと嘆いているのだろう。いつもそうだ。彼女は、そういう優しい子だから。
ポーションのお陰で傷もすっかり治った頃、ライナーさんは最後の一匹と対峙している所だった。
さっきまで戦っていた魔物とは少し毛色の違うように見える。ライナーさんも少しだけ戦い辛そうだ。
「ライナーさん! そいつの弱点は『火』です!」
そう言いながら、僕は新しい松明を鞄か取り出し火を着ける。そして、それを魔物に向かって投げようとして――
「何をしているの!」
ユリアナさんの鋭い声と共に、松明を持っていた手に痛みと衝撃を受ける。
見れば、ユリアナさんが持っていた杖で僕の手を打ち付けた所だった。
「早く消しなさい!」
その声と、マルテが僕の取り落した松明に、飲み水の入っていた革袋をひっくり返したのはほぼ同時だった。
「何をするんです!?」
痛む手を抑えながらユリアナさんを睨む。
「貴方こそ自分が何をしたのかわかっているの? 余計な事をして邪魔をしないで!」
そう言うと、僕の話を聞く気も無いという体でライナーさんへと視線を向けてしまう。
「僕はただ……」
皆の役に立ちたかっただけなのに……。
その言葉を最後まで口にする事は出来なかった。
皆の役に立てるように一生懸命勉強したのに、今日から新しい階層に挑戦するから、五層で出没する魔物の情報を集めて……。
戦闘では役に立てなくても、別の所で役に立てればって、そう思っていたのに……。
「ロイ……お願いだから余計な事しないで……」
マルテが沈んだ顔で言う。
(なんだよ、みんなライナーの御機嫌取りが大事なのかよ!)
そう叫びたくなる気持ちを飲み込む。
ここで叫んでも、何も解決しない。いつか立派な冒険者になると言う僕達の夢を叶える為、今は我慢しなくちゃいけないんだ。
そう自分に言い聞かせる。弓を構えてライナーさんの方へ視線を向けるマルテを見ながら、もしかしたら彼女も、その弓をライナーさんに向けたいと思っているのではないか、そんな事を考えながら。
「よし、さっさと核石を集めちまうぞ」
両手の剣を鞘に納め、腰のポーチから取り出したポーションを一気飲みしたライナーさんが言う。
この迷宮の魔物は、倒されると大体の場合『核石』という石を残して消え去ってしまう。
核石には魔力が宿っていて、魔道具の核になったり、魔道具を動かす為の燃料になる。その為、人々の生活には欠かせないものとなっていて、これを持ち帰ってギルドや提携している商会に売却するのが冒険者の主な収入源となる。
今回は無かったけれど、稀に魔物の部位が残される事があり、こちらは武器を始めとした装備品や、魔道具、時には建材など様々な用途に使われ、所謂臨時収入のような扱いとなる。
腰を屈めて核石を拾い始めるライナーさんに倣い、僕たちも核石を拾い集める。
「こんなもんか。ロイ、全部鞄の中に入れておけ」
「わかりました」
皆から受け取った核石を鞄に仕舞う。ここに来るまでに集めた核石を合わせると、もう鞄はパンパンだ。
これで今日も宿に泊まって食事にありつけるだろう。一日の稼ぎとしては十分だ。
「これで、今日も美味しいご飯が食べられますね」
マルテが笑顔でユリアナさんに話しかける。
「そうね」
そんなマルテの頭を撫でながらユリアナさんも微笑む。
だと言うのに、
「よし、あと少し奥まで行って、もう一稼ぎするか」
ライナーさんの空気を読まない声がする。
「あ、あの、ライナーさん」
二人共ライナーさんには逆らえない。だから、僕が言わなくちゃいけない。
「あの……そろそろ戻りませんか?」
「あぁ? 何言ってんだお前」
予想通り、一瞬で不機嫌になった彼が僕を睨みつける。
「えっと、マルテもユリアナさんも疲れてるみたいですし……」
「えっ?」
「わ、私は別に……」
僕の言葉に、二人が驚いた様な声を上げるが、それに構わず言葉を続ける。
「鞄ももういっぱいです。あと……ポーションがもうありません」
「はぁ?」
ライナーさんが目を丸くする。
「ポーションがもう無いってどういうことだ!? お前がポーションを買って来ると言ったから持たせた金は、それなりの量が買えるだけの額だった筈だぞ!」
肩を怒らせながら近寄って来たライナーさんに胸ぐらを掴まれる。
「それに、鞄がいっぱいってのもどういうことだ? 核石の量は昨日より少ない位だろうが!」
確かに、拾った核石の量は昨日とよりも少なくはあるけれど、今日から初めての五層だから、色々調べ物をして、いつもより念入りに準備していた。その為、持ち込む荷物が昨日よりも多く、結果として鞄の空きはいつもより少なくなっていたのだ。
「きょ、今日から五層に行くっていうから色々調べて……役に立つと思った物を色々持って来たんです。それに、渡されたお金で買えるだけのポーションは買ってきました! 本当です!」
「荷物持ちが余計な物を持ち込むんじゃねぇって毎回言ってんだろうが! それにお前……」
ライナーさんの顔がぐっと近くなる。
「まさか、またあの女の店で仕入れて来たんじゃねぇだろうな」
その相貌に射竦められ、僕は目を逸らす。
「ちっ」
乱暴に手を離され、僕は尻をついてしまう。
「仕方ねぇ、今日は引き上げるぞ」
そんな僕に一瞥もくれる事無く、彼はマルテとユリアナさんに声をかけ、来た道を引き返す。
二人がそれに続いて歩き出す。マルテだけは悲しそうな顔で僕の方を見るが、それも一瞬の事、すぐに踵を返すと、前を行く二人に追いつこうと小走りで行ってしまった。
マルテに心配をかけてしまった事を申し訳なく思いつつ、いっぱいになった鞄を背負う。
その重みに耐えながら、僕は迷宮の出口への道を、一歩々々踏みしめるのだった。
§
「今日の稼ぎはこんなもんだな」
受付で清算を済ませたライナーさんが、ギルドに併設された酒場で待つ僕たちの所に戻ってくると革袋から貨幣をテーブルに広げる。
鞄一杯だった核石はそれなりの金額になったようで、それをパーティーで分配する。迷宮から戻った冒険者パーティーの、いつもの風景だ。
そして、
「ロイ。お前への支払金だ」
今日の稼ぎは銀貨で六十枚位にはなっただろう。四人で割れば一人十五枚。
だが、僕の前に置かれたのは銀貨が五枚。わかってる、これもいつもの風景だ。
「あ、あの!」
勇気を振り絞る。僕だってこのパーティーの一員だ。確かに戦闘じゃ役に立たないかもしれないけど、その他の所では頑張ってパーティーを支えているつもりなんだ!
「僕の分……少なくないですか?!」
少し声が大きくなってしまったけれど、両手を握りしめ、正面に座っているライナーさんを見詰める。
「ロイ……あのね」
何事か言おうとしたマルテを、ライナーさんが手で制する。
「少ないってのはどういう了見だ。人聞きが悪い事言うなよ」
ライナーさんが身を乗り出してくる。
「で、でも……僕だって同じパーティーの仲間なのに……」
僕の言葉に、ライナーさんが溜息を吐く。
「ロイ、お前は俺達パーティーの何だ?」
「そ、それは……」
溜息を吐く為に下げられた視線が上がり、僕の目を見据える。
「お前は、俺達パーティーの、何なんだ?」
彼は僕の返答を待っている。僕にとって一番屈辱的な返答を。
「荷物持ち……です」
悔しい……僕にも彼の様な職業が与えられていれば、こんな事にはなっていなかったのに。
「だよな。【荷物持ち】には【荷物持ち】が受け取るべき額ってのがあるよな」
ただ冒険者向きの職業を与えられなかったと言うだけで、何でこんな扱いを受けなきゃいけないんだ。
何も言えずにそのお金を受け取ると、酒場を後にする。
マルテとユリアナさんは、ライナーさんとそのまま食事をとるつもりらしい。
僕は一人、僕だけが泊っている宿へと戻る事にする。
§
僕の泊っている宿屋は、マルテや皆の泊っているような宿屋と比べると一段も二段も落ちる安宿だ。
部屋の中には簡素なベッドと小さな机、それだけ。風呂もトイレも共同で食事は別料金。
本当はマルテの傍にいてあげたいけれど、僕に分配されるお金では彼女と同じ宿にはとても泊まれない。
背負っていた荷物を放り出すと、書き物をするには少々狭い机に向かう。
冒険者には、迷宮で得た情報をギルドに提出する義務があるが、ライナーさん達はそう言った事には無頓着で、今まで報告をしたのを見た事は数える位しかない。だから、毎回僕がこうやって報告書を作ってギルドに提出している。
「ふぅ」
今日あった事を出来るだけ詳細に書き記し、気付けば外は薄暗くなっていた。
「今から行けばまだ間に合うかな」
そう独り言を呟いて腰を上げる。ギルドの受付が閉まる前にこれを提出して、どこかで夕食を食べて来よう。今日も薄いスープと硬いパンの一人飯だけれど。
§
「あれ?」
ギルドへ向かう途中で見知った顔を見つける。
長物を包んだような荷物を持ったライナーさんが、女の人と口論している様だ。いや、どちらかと言えば、ライナーさんが一方的に捲し立て、それを女性が困ったような顔で聞いている様だった。
助けに入った方が良いだろうか……、そう思いながら暫く見ていると、ライナーさんは肩を怒らせて何処かへ去って行く。多分宿へ戻ったんだと思う。
ライナーさんが彼女にああやって言い寄る姿は何度も見て来た。
彼女の店でポーションを買うなと言うのも、自分が振られた腹いせも有るんだろう。
「テレジアさん!」
ライナーさんに絡まれていた女性を少し追いかけて声をかける。
「あら、ロイ君じゃない」
この女性はテレジアさん。この町で雑貨屋さんを営んでいる。
腰まである長い金髪を緩い三つ編みにしていて、ぱっちりとしているけれど少し垂れ目がちな瞳、口元の黒子と、その……大きな胸。
いかにも包容力に溢れた年上のお姉さんと言った感じで、彼女に会う為に僕みたいな若い冒険者が店に押しかけていると言う話だ。
街で見かける度に冒険者に言い寄られているみたいだけれど、最後はいつも、さっきのライナーさんみたいに相手にされる事無く不機嫌になって去って行く。
僕もテレジアさんのお店で良く買い物をするけれど、別に不純な動機で買い物をしている訳じゃない。
彼女のお店は、僕みたいな若い冒険者にも安く品物を売ってくれる。あと、ちょっとおまけをしてくれる事も有って、とてもお買い得なんだ。
僕みたいな『無能者』と呼ばれる様な冒険者にも分け隔てなく優しくて、僕の些細な冒険の話を聞いてくれて、僕の手を取って応援してくれる。
そんな時、僕はとても温かい気持ちになれるんだ。
「ライナーさんがいつもすいません……」
テレジアさんに頭を下げる。
「あら、ロイ君が謝る事なんてないじゃない」
口元に手を当ててくすくす笑うテレジアさん。本当に素敵なお姉さんと言った感じだ。
「でも、僕と同じパーティーの人が迷惑をかけましたから……」
僕にもっと力があれば、ライナーさんにも有無を言わせないだけの力があれば、自分なんかに良くしてくれる彼女にも、こんな迷惑をかける事も無いのに。
そう思うと自分が情けなくて、拳を握りしめ、ただ頭を下げる。
「ふふっ」
テレジアさんの小さな笑いが聞こえ、僕の頭にふわっと何かが乗せられる。
気が付けば、僕はテレジアさんの手に頭を撫でられていた。
「ねぇロイ君」
彼女の手が僕の頭をゆっくりと優しく撫でる。
「私は、ロイ君が頑張っている事を知っているわ。私だけじゃない、見ている人は皆、ロイ君の頑張りを知っているの。だから頑張って。ロイ君なら大丈夫よ」
彼女の手が離れる。
テレジアさんは、顔を上げた僕を真っ直ぐに見つめて優しく微笑む
「だから、ロイ君はロイ君にやれる事を一生懸命やれば良いの。でもそうね、もしロイ君が今の自分を不甲斐ないと思っているのなら」
そこで言葉を切ると、少しだけ悪戯っ子の様な微笑みを浮かべて、
「いつか立派な冒険者になったら、私のお店で沢山買い物をして、私のお店を儲けさせて欲しいな」
そう言って片目を瞑って見せる。そしてそのまま振り返ると、軽く手を振りながら自分のお店の方へと帰って行くのだった。
「やれる事を一生懸命、か。……よし!」
テレジアさんの言う通りだ。僕は僕に出来る事を一生懸命やるしかない。きっとそれが、僕が立派な冒険者になる為に出来る事だから。
「まずはこの報告書をギルドに提出に行こう」
僕は呟き、手の中の紙の束を両手で掲げる。
一歩一歩は小さいけれど、それでも前に進んでいるんだと、そう願いながら。
§
「あら、ロイさんじゃないですか。こんな時間にどうしたんですか?」
ギルドの建物に入り、受付カウンターへ歩いて行くと、カウンターの内側に座っていた女性が僕に気付き声をかけてくる。
「ロレーナさん、こんばんは。今日は遅番ですか?」
にこやかな笑顔を浮かべるロレーナさんにそんな声をかけながら、彼女の受け持つカウンターまで歩いて行く。
「ええ。と言っても、もう直ぐあがりの時間ですけど。ロイさんこそこんな時間にどうしました?」
ロレーナさんの声に応える様に、持っていた紙の束を差し出す。
「あの、本日分の報告書です」
「あっ……」
差し出した紙の束をみて、ロレーナさんが一瞬だけ顔を強張らせた気がした。が、それも一瞬の事。
「有難う御座います。いつもご苦労様です」
その笑顔に、少し照れ臭くなってしまう。もしかしたら、顔が赤くなってしまっているかもしれない。
「いえ、その……報告書の提出は冒険者の義務ですから」
そう言う僕の差し出した報告書を受け取ったロレーナさんは、少しだけ申し訳なさそうな顔をする。
「毎日報告書を提出してくれるのは有難いのですが、無理はしなくても良いのですよ? 必要であればライナーさんから提出して頂くようにして貰えれば……。それに、ロイさんも毎日疲れているのに報告書を書くのは大変でしょう?」
そう言って僕の事を気遣ってくれるロレーナさん。だけど、立派な冒険者になる為には、その優しさに甘えてしまう訳にはいかない。
「大丈夫です。僕は僕がやるべき事をやっているだけですから。それに、ライナーさんはこういう事には無頓着ですし、パーティーメンバーの僕がサポートしないと!」
そう言って笑う僕の顔を見て、ロレーナさんが小さく溜息を吐く。
「わかりました……。あ、そういえば幼馴染のマルテさんでしたっけ、今日の申告で『並級』に昇給しましたよ」
「えっ?」
思わぬ言葉に、『それ』を理解するのに一瞬間が空く。
そして、『それ』を理解した時、僕は思わず自分の首にぶら下げているギルドタグを握りしめていた。
「冒険者を始めて三ヶ月で『並級』ですからね、ギルドとしては将来有望と見ていますよ」
そんなロレーナさんの言葉が酷く遠くに聞こえる。
ギルド等級で『並級』と言えば、一人前の冒険者として見られてもおかしくない。僕が『初級』のまま足踏みしている間に、マルテは一歩も二歩も先を進んでしまっている。
僕は、故郷の村でいつも一緒だった幼馴染が、なんだか遠くへ行ってしまったような感覚に包まれていた。
「そうだ、ロイさん。先日のお話、考えて頂けました?」
何かを思い出したかのように手を一つ叩いてロレーナさんが話題を変える。
彼女の言う『先日の話』とは、僕にこの町の商会での働き口を紹介してくれると言う話だ。
確かに商会の荷物持ちになれば、賃金の他に住むところも提供されるし、危険な迷宮に行く事も無く、冒険者より余程安定した生活が送れるだろう。
でも、所詮は荷物持ちでしかない。冒険者が得る名誉と報酬に比べれば微々たるものだ。
それに……。
「ごめんなさい、ロレーナさん。僕はやっぱり冒険者を続けます」
そう言って彼女に頭を下げる。
ロレーナさんが僕の事を心配してくれるのは嬉しい。でも、僕は立派な冒険者になるって決めてるんだ。
冒険者として一人前の男になってマルテに追いついて、隣にいて恥ずかしくない男になって、マルテを守れるような男になるんだって。
だから、ロレーナさんの提案は受け入れられない。
「そう……ですか」
心なしか悲しそうな顔をしているロレーナさんにもう一度頭を下げると、僕はギルドカウンターを後にする。
その日いつもの安食堂で飲んだスープは、いつも通り薄味だったけれど、なんだかいつもよりしょっぱい気がした。
§
安食堂からの帰り道に、マルテをお祝いする事を思い立つ。
少し遅い時間だし明日も会うけれど、こういう事は早めにしておいた方が良いよね。
そう思い立ち、いつも一緒に飲んでいる酸味の強い果実水を酒場で買ってから、マルテの泊っている宿屋へとやって来た。
カウンターのおばさんに、パーティーの仲間に会いに来た事を伝え二階へ上がる。
マルテの部屋は何処だったろうかと廊下を見渡した時、見慣れた姿が視界の隅に映る。
「マル……」
声をかけようとしたところで、改めて見る彼女の姿に目を奪われる。
村に居た頃よりも伸びた髪。部屋着だろうか、迷宮で見るよりも薄着の衣から覗く手足は、日々迷宮で魔物と戦い鍛えられているからか、無札な肉も無くすらりと長い。
そして、いつもは胸当てを始めとする防具に押し込められているであろう、薄い生地を持ち上げる女性らしい膨らみ。
いつの間にあんなに綺麗になったのだろう。いつも傍に居たのに気付かなかった。
いや、余裕のない日々のせいで、彼女の変化に気付けなかったのだろうか。
見惚れる僕の視線先で、彼女はとある扉の前で立ち止まる。そこは2人部屋のある区画だった筈だ。
少し緊張しているような面持ちで扉をノックすると、部屋の主であろう人物が扉を開ける。
「……っ!」
その人物がユリアナさんであれば良かった。女性の冒険者同士が、同じ部屋に泊まると言うのは良くある話だから。
でも、扉を開けたその人物は……。
「なんでライナーさんなんだよ……」
ニヤニヤとした笑みを浮かべるライナーさんに部屋の中を指し示されたマルテは、緊張していた顔から一転して笑顔となり、なんの躊躇いも無く部屋の中へと入って行く。
その笑顔と、扉を閉める間際に見えたライナーさん。いや、ライナーのニヤけ面が、僕の脳裏にこびり付いていた。
一人で安宿へ戻る帰り道、右手に握っていた果実水の瓶の存在を思い出す。
僕がこれを差し出す度に、照れているのかおずおずと言った感じで受け取り、ゆっくり味わうように飲んでいた彼女を思い浮かべ、
「くそっ!」
その直後に、さっき部屋の中へ入って行くマルテの笑顔が浮かび、悲しい様な、遣る瀬無い様な、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまった様な感覚に襲われ、その瓶を投げ捨ててしまう。
そんな気持ちのまま安宿へと走り戻り、薄っぺらな布団を頭から被って寝付こうとするが、その度にさっきのマルテの顔が思い浮かび、なかなか寝付けないままに、僕は朝を迎えたのだった。
§
「ロイ、俺達はもうお前を雇わない」
翌日、いつもの様に集合場所であるギルドの酒場を訪れた僕を迎えたのは、そんな言葉だった。
「ど、どういう事ですか?」
突然の話に、席に着こうとしていた体が固まる。
「どうもこうも、今言ったとおりだ。元々俺達のパーティーは、常時荷物持ちを雇う程余裕がある訳じゃない。マルテの幼馴染だからと融通を利かせていたが、それもそろそろ限界だ」
そう言って、手に持っていたグラスの水を煽る。
「【荷物持ち】には【荷物持ち】にふさわしい仕事がある。冒険者の真似事なんてやめて、これからは真っ当に仕事をするんだな」
一方的な言葉を頭は理解するが、感情がそれを受け付けない。
「そんな……確かに僕は荷物持ちで、戦闘では頼りにならないかもしれませんが、それ以外のところでは皆の、パーティーの仲間として役に立てる様に頑張って来たじゃないですか!」
思わず声が大きくなる。だって仕方ないじゃないか、僕は僕なりに頑張って来たのに、ただ職業が【荷物持ち】というだけでこんな扱いを受けなきゃいけないなんて!
「ロイ!」
尚も言い縋ろうとする僕を、聞き慣れた声が遮る。
声の方を向くと、マルタが悲しそうな目をして、それでも僕を真っ直ぐ見詰めていた。
「ロイ、いい加減解って」
「マル……テ?」
いつになく強い口調で言葉を紡ぐマルテ。
「ライナーさんも言ったでしょう? 荷物持ちには荷物持ちに相応しい仕事があるって。もう冒険者の真似事をするのは止めて、自分に相応しい場所で働こうよ」
幼馴染の口から紡がれる言葉は、まるで、僕の心を切り付ける。例えライナーさんに抱かれていたとしても、彼女は僕の幼馴染で、それはずっと変わらないと思っていたのに……。
「私の幼馴染だからとライナーさんにもユリアナさんにも甘えて来たけど、これ以上迷惑はかけられないの」
失望のままに立ち尽くす僕の前で、マルテは話は終わったとばかりに大きく息を吐く。そんな彼女の背中を、ユリアナさんが気遣うかのように、優しく撫でていた。
「そう言う訳だ。突然の話になっちまったが、これは俺達パーティーの総意だ。少ないかもしれないが、こいつは餞別代りに取っといてくれ」
ライナーさんがテーブルの上に小さな袋を一つ置き立ち腰を上げる。それに続いて、ユリアナさんとマルテも立ち上がる。
「じゃあな、元気でやれよ」
そう言いながら、僕の肩を一つ叩いてライナーさん達はギルドを出て行く。
無言で僕の横を通り過ぎて行くマルテの背中を見送るが、彼女が出て行った扉が閉まり、その姿が見えなくなっても、彼女が振り返る事は無かった。
§
マルテ達が出て行った酒場で、僕は一人、何も考えられずにただ俯いて座っていた。
どれくらいそうして居ただろうか。ふと、ライナーさんの置いて行った袋が目に入った。
「これは……」
手切れ金とでも言うつもりだろうか、袋の中には、金貨が一枚と、何枚かの銀貨が入っていた。
「くそっ!」
咄嗟にそれを叩き付けそうになる。情けなさに涙が出そうになるが、なんとかそれを押さえつけ、懐へと仕舞い込む。
「離脱手続きしなきゃな……」
重い腰を上げてギルドカウンターへと向かう。さっきの出来事を信じたくない気持ちはあるけれど、受け入れなきゃいけないんだ。
「ロイさん? 顔色が優れないようですがどうかしましたか?」
カウンターの前に立った僕を見たロレーナさんが、気遣わし気に声をかけてくる。今の僕は、そんなに酷い顔をしているのだろうか。
「あ、いえ……大丈夫です。それで、ですね……」
これを言ったら、本当に最後になってしまう。その思いが言葉を詰まらせる。
でも、これは僕自身が言わなきゃいけない事だから、そうしてけじめをつけて、初めて僕は次の一歩を踏み出せるのだから。
「パーティーの、離脱申請をしに来ました」
なんとか言葉を絞り出す。
「えっと……」
僕の言葉を聞いたロレーナさんが、気まずそうな声を出す。
「ロイさんは、パーティーに加入されていませんけど……」
「えっ……?」
どういう事? パーティーに加入していない?
「だって、僕はマルテとパーティーで、ライナーさん達のパーティーで今日まで一緒に……」
混乱する僕に、ロレーナさんが追い打ちをかけるに言葉を続ける。
「ですから、ロイさんは元々パーティーに所属されていません。ライナーさんのパーティーは、ユリアナさんとマルテさんの三人パーティーです」
今日はどれだけ思いがけない事が起こるんだろう。混乱する頭の片隅で、酷く冷めた思考がそんな事を考えていた。
「そう……ですか」
足元が覚束無い。ふらふらとした足取りで建物の外へ向かう。
「あ、ちょっとロイさん!?」
ロレーナさんの声が聞こえるが、振り向く気も起きない。
そのままギルドの外へ出ると、日は既に中天に座し、遮るものの無いその日差しは、なんだか嫌がらせの様に感じた。
「ははっ……」
乾いた笑いが漏れる。
なんだよ、最初っから僕はパーティーとして認められてなかったって事か。
あれだけ一生懸命頑張ってたのに、都合の良いように利用されていただけだったって事なのか。
彼女は……、マルテはこの事を知っていたのだろうか。最後に見せた、マルテの悲しそうな顔を思い出す。
それでも、例えそうだったとしても、僕は彼女の傍に居てあげたかったんだ……。
§
安宿の粗末なベッドの上で目を覚ます。
あの後、なんとか宿へと戻った僕は、ベッドに身を投げ出し、泣く事も出来ずに天井を眺めていた。
そうしているうちに、いつのまにか眠ってしまったみたいだ。
体を起こし部屋を見渡す。外は既に暗く、差し込む月灯りが部屋の中を照らしていた。
狭い部屋に粗末なベッド。見慣れた部屋の小さな机の上に、一冊の本を見つける。
『ガバリア冒険譚』
そう表紙に書かれた本を手に取る。
「懐かしいな……」
そう呟きながらページを捲る。
子供の頃、家にあったこの本を夢中で読んだ。
ガバリアは、かつて活躍した冒険者で、名も無い農村出身の彼が職業を得て大成していく物語だ。
彼はその過程で、時に人を助け、時に強大な魔物と戦い、人々の畏怖と尊敬を集めるのだ。
そんな彼の生き様に、僕は目を輝かせ、マルテと語り合った。
この本を読んだ日は、マルテと手を繋いで村を走り回った。まるでそれが僕達の冒険とでもいう様に。
そうして冒険者に憧れた僕達は、【職業】を授かると、故郷の村を後にして、この町へとやって来た。
初めて受けた依頼はゴブリンの討伐。マルテは不安そうだったけれど、ゴブリンに困らされている人達を助けたかったし、何があっても僕がマルテを守るって決めていたから。
でも、討伐に赴いた森で、僕達は苦戦を強いられる。依頼票にあったよりも、ゴブリンの数が多かったんだ。
マルテが矢を放とうとする度に襲い掛かるゴブリン。それからマルテを庇っているうちに、僕もボロボロになって、マルテだけでも逃がそうと思った時に現れたのがライナーさんとユリアナさんだった。
町へと戻り、二人にお礼を言ったその場で、マルテは二人にパーティーに入れてくれないかとお願いをした。
【荷物持ち】の僕がパーティーに入る事をライナーさんは渋っていたけれど、マルテと幼馴染だからとユリアナさんが執成してくれて、そうして僕達はライナーさんのパーティーに入ったんだ。
「そう思っていたんだけどなぁ……」
実はパーティーに登録されていなかった。その事実が再び僕を苛む。
「これは……」
傷心に浸りながらページを捲っていた僕は、とあるページで指を止める。
「エルフ……」
そのページに書かれていたのは、ガバリアがとある国を訪れた時のお話。
ここから、はるか東にあった国。その国には『大樹海』と呼ばれる森があり、そこにはエルフと呼ばれる人々が住んでいたと言う。
エルフの村を訪れたガバリアは、エルフ達と親交を深め、エルフに伝わる『精霊術』を教わる。
精霊と心を通わす事に成功したガバリアは、精霊の力を借りて敵を倒し、人々を癒し、『万能の精霊使い』として増々活躍するようになっていくのだ。
さっきまで空しさだけがあった心に火が点る。
本を閉じ、月明かりを見上げる。
ライナーさんに渡された小さな袋の中身を確認する。
これだけあれば、東の国への路銀としては十分だろう。
一つの決意を胸に、僕は再びベッドに横になる。そして、朝日を待ちわびるのだった。
§
まだ日の明けきらぬ早朝。
町の内と外を繋ぐ門の前に、旅支度を済ませて僕は居る。
商隊が列を成して別の町へ向かう。
その列の後ろについて町を出ようとすると、見知った門番のおじさんが声をかけてくる。
「ロイじゃないか。今日は一人なのか?」
「ええ、ちょっと東の国の大樹海まで!」
見慣れた顔だけれど、暫く会う事も無いと思うと少し感慨深いかな。
「東の大樹海とは、また随分遠くまで行くんだな。【荷物持ち】の仕事かい?」
驚くおじさんに笑顔で答える。
「いえ、エルフに会いに行くんですよ」
「エルフだって? ありゃあ――」
おじさんが何か言いかけるけど、それに構わず、僕は町の外へと歩を進める。
守るだけじゃ駄目なんだ。
君と肩を並べて戦えるように。
君の隣に居て恥ずかしくないように。
かつてあった誓いは失われたけれど、新たに願いを掲げ僕は行くよ。
そして願いを叶えたら、再び君に誓う。
だからそれまで暫くお別れしよう。
―― 東へ向かい歩き始めた僕を、昇りかけの太陽が照らしていた ――
上手く書けてると良いのですが。
出すべき情報は出してある……はず。