糠壁市奇譚:悲恋ゆり姫伝説
今日も暇を持て余した糠壁大学生のご乱交が続く。
アルバイトが全員、糠大生で構成されるため糠大駅前別館と呼ばれている居酒屋「大名一揆」の厨房で今日も悪だくみが始まる。
ここ糠壁市の中心街は蘇芳家1万500石の陣屋があった宿場町を基に発展した。東は戦国領主から旗本になった名瀬田家1500石の領地、西は蘇芳家が支配する前は戦国領主である梶蝋家の居館があった。
戦国時代は3家の豪族が鎬を削り合従連衡に明け暮れていた歴史がある。
当然、戦国時代には居館には姫が住んでいたわけで、悲劇の伝説も残る。
有名な伝説では糠壁湖にいけにえとして身を投げた梶蝋家のあき姫伝説。蘇芳家に嫁入りする前日に攻め込まれ居館と共に滅びた名瀬田のかじ姫伝説。
今回のネタは江戸時代に生き残り大名家となった蘇芳家のゆり姫の悲恋伝説をテーマにしたようだ。
『ゆり姫は家臣の、植杉謙信と恋仲であったが関東公方の重臣であった石原大介が一目ぼれし、妾として差し出すよう要求してきた。愛する謙信と結ばれず、醜い石原に身を任すぐらいならと、ゆり姫は白面金毛六尾の狸に身を捧げ天に上った。石原は足を滑らせ豆腐に頭を打ち付けこの世を去った。』
白面金毛九尾の狐なら有名だが、狸なんて初耳だと興味がわいたらしい。
糠壁宿から北に2里、かつて仇地ヶ原と呼ばれた糠壁市北部市街地。
糠壁3大仇討の舞台の一つで、「この原を仇の血で染め上げん!」と決意を込め仇討に当たった蘇芳家家臣、東雲厳斎の息子である安達厳之丞(本名は東雲であるが仇の血から、あだちと呼ばれ本人も仇討の戦果を誇り改名した。)仇の血原と呼びならわされるも、血が不吉であると地と呼び変えられ仇地ヶ原と呼ばれるようになった。仇討は明暦ごろであるが、それ以前の名は伝わっていない。
ゆり姫伝説の時代は仇地ヶ原と呼ばれていないが、伝説が出来上がったのが明和になってからなので仇地ヶ原としか伝わっていない。
この悲劇の舞台である太刀原地区には、立原権現社、糠壁明神社、宗派不明で現在、市の重要文化財として一般公開されている「旧太宗寺」の3つの宗教施設が残されている。
太宗寺文書は現在、市立文書館に保存され一般公開はされていない。
石碑などに掘られた文を探し、突き合わせていくしか伝説をたどる方法が無いので手分けして石碑や石灯篭、石鳥居などに刻まれた碑文を探す。
高性能カメラで撮影し、画像解析ソフトで掘られた碑文を解析し判読可能なレベルに修復する手法が取られた。
3か月の調査の結果、石原大介、植杉謙信、ゆり姫が実在していないことが判明し‥‥次の暇つぶしを探しに、それぞれ散っていった。




