四章第9話 戦火と魔法と奇跡
――世界は驚きで満ちている。
それは鮮烈で、熱狂的で、甘美な刺激だ。
人はいつの時代も、驚きと発見、応用を繰り返し、文明を発達させてきた。
種が進化するには、次の段階へと至るには、驚きという理不尽な力が必要だ。
酸素が増え、やがて生命が爆発的に増えたように、氷河期が訪れ、やがて順応したように。
故に、彼女は人々に驚きを、刺激を与え続ける。
故に、彼女は驚きという進化の種を欲する。
人々はそんな彼女を恐れた。
何処からともなくやって来ては、苦難を引き連れ、視線を奪う彼女を。
まるで、自分の存在意義を探すように、自らの価値を試すように、自分の姿を示すように闊歩する彼女を。
『支配者』シルマ。
彼女は誰よりも、驚く喜びを知っている。
故に、彼女は今日も、笑い、世界に試練を振り撒く。
※※※※※※
「――まさか、姐さんか?」
「………………え? ……………………………誰?」
有り得ない物を見た、といった表情をした男の予想だにしなかった呟きにぽかんとするモノ。
モノもモノで男の口から有り得ない言葉を聞いたのだ。
「その滑らかで美しい純白の髪! アメジストのように煌めく瞳! その可憐でこの世の何よりも尊い顔立ち! この俺が見間違う筈がねェ、姐さんだろォ!?」
筋肉質なタトゥーの入った身体で息を荒らげ、にじり寄ってくる男の姿はなかなかに変態みたく恐ろしい。
ましてや、モノは男だった時とは違い、今は見た目純粋無垢な少女の姿をしている故に、傍から見れば犯罪の臭いしかしない光景である。
「いやいや、だからお前誰だよ!? まじまじと見詰めたかと思いきや、急になんだ気色悪いな!?」
「貴様! 頭領になんて口の聞き方――」
モノの中の何か本能的な部分が、そうやって警鐘を鳴らすと同時につい口をついて出てしまった言葉に、リオラが怒気を放った。
しかし――、
「――よせ! 姉さんに手を出すなァ!」
「ッ!?」
それを飲み込む気迫を声に乗せ、男は叫んだ。
「リオラ、いくらお前でも、姐さんに無礼を働くことは許さねえ! それと、姐さん、さっきのもう一回言ってもらっていいですかァッ!?」
「気色悪いな、お前!?」
「ありがとうございますッ!!!」
「声でっかいし、怖ぇな!! けど、おかしい……なんかこのやり取り覚えがあるな……?」
見た目年下の少女に罵され感謝を述べるなど、これはそろそろ末期であるとモノは引き攣った笑みを浮かべる。
ふと、周りを見れば、リオラと騒ぎを聞きつけゾロゾロと入ってきた黒ローブの者達が、この様相を見て青冷めドン引きしていた。
「姐さん、ほんとに忘れちまったんですかァッ!? 俺です! ヴァガラですぜェッ!!」
が、男はそんな周りが見えていないのか、モノに夢中で、躾のされた犬がご主人様を見るような目を向け、自分が何者なのかを訴えかけていて――、
「ゔぁがら……? どっかで聞いたような……」
「ほら、『ストランド』の端にある小さな集落でグレちまってた俺を更生してくれたじゃないですか! 俺、あの御恩、一時も忘れたことありませんッ!!」
「『ストランド大陸』の端にある小さな集落……グレてた……更生……」
男によって情報が追加されていくにつれて、モノも徐々に過去の記憶の引き出しを開けていき――そして――。
モノが『モノ』として目覚めて、初めて訪れた小さな集落。ケイという青年とエルという幼女、その二人を巻き込んだ事件を起こした男――ヴァガラのことを思い出した。
「あぁ!! って、えぇ!? お前、あのヴァガラか!?」
「さっきからそう言ってます!」
「なんでお前、こんな所にいるんだ!?」
「そりゃ、こっちのセリフですぜェッ!」
ようやく思い出したモノだったが、思い出したら思い出したで、様々な謎が浮かんでは止まらなくなる。
同じくヴァガラもモノに対して謎が尽きない様子だったが、「いやいや」と首を横に振り、すぐさま先までの忠犬の顔ではなく、頭領の顔に切り替え、
「とにかくだァ! 姐さんに失礼な真似をしてしまって申し訳ありませんッ!! 今すぐに拘束を解きます! ほら、お前達も姐さんに誠心誠意、謝れ!!」
「と、頭領……この少女は一体……?」
「前にお前らにも話したことがあっただろォ? 俺には二人の大恩人がいるってなァ? この目の前におわす方こそが、その一人、モノ・エリアス姐さんだァッ!! いいか、呉々もこれ以上の失礼がないようにしろよォッ!!」
「こいつが……頭領の恩人……!?」
驚きと戸惑いと疑念が渦巻くテント内。
どうやら、モノは思いがけず呼び込まれた嵐になってしまったらしかった。
※※※※※※※※
「――なるほど、それで姐さんはこのルートヴィヒに……」
「ああ……って、ヴァガラお前、そんな落ち着いた喋り方出来たのな」
『聖遺物』の調査と超越者の一人『栄光』との接触。この特に前者が、今回モノに与えられた任務だ。
ちなみに、レイリア王国の国王であるティアが『聖遺物』の調査はともかく、何故『栄光』とやらとの接触を命じたのかは分かっていない。そもそも超越者関連はモノの担当外なのだ。
詳しいことは『栄光』への抑止力であるナックが知っている。彼が知っていれば、別に知る必要も無いというのがモノの考えだった。
ともかく、この任務の内容は伏せながら、大まかにここにやってきた流れをヴァガラに伝えたモノ。
うんうんと頷く、落ち着きを取り戻した(?)彼の様子に驚きが隠せない。先までとはまるで別人のテンションだ。
「当たり前ですぜ、俺も昔と比べて成長してるんです」
「お前、ただでさえデカいのにこれ以上成長してどうすんだよ。あと敬語じゃなくていいぞ、全然」
「外見じゃなくて、中身だぜェ!! あと、分かったぜェ」
そんな軽口も交わしながら、モノは改めてヴァガラに問いを投げかける。
「んで、そっちはなんでこんな所にいるんだ? 見た感じ駐屯地みたいな構え方だけど」
「流石姐さん、その通り。駐屯地みたいなものだぜ、ここは。俺がここにいる理由は……まあ、あの集落で暮らしてたら、『とある人』に拾われたからなんだが……」
「なんか歯切れ悪いな?」
「あー、その『とある人』に名前出すなって言われててなァ……姐さんの事は勿論、宇宙一信頼してるんだけど……言いふらすと俺が無事じゃすまねェし悪いな」
「なるほどな、いや、全く構わないぞ、私だって色々隠して話したしな」
「かたじけねェ」
任務の内容も隠し、『目的があってイルファに向おうと船に乗ったら事故で流された』としか話していないモノに、同じく隠し事をしたヴァガラを責める権利は全く無いし、微塵もそう思ってもいない。
互いに話せないことはある、その確認が出来ただけで成果だ。前提条件がハッキリした故に、これからの問答がスムーズになることは明白だ。
そうやって期待すると、それが顔に出ていたのか、ヴァガラは何故か、やり切れない表情をして、
「こうして折角再会できたんだから、俺も姐さんとゆっくりと話し込みたいのはやまやまなんだけどなァ……残念ながら、状況がそうもいかねェ」
「というと?」
「あァ、姐さん、悪いことは言わねェ、ここからは早いとこ去っちまった方がいいぜェ――――ここはもうすぐ戦場になるからなァ」
「おいおいおい、聞くからに物騒なワードが飛び出てきたんだが……」
戦場。その単語が意味することは一つしかない。
そもそも、ここが駐屯地であることが肯定された上に、リオラを始め兵達に、ピリピリとした空気が張り詰めている時点で、充分に可能性はあった。
この付近で、現在進行、または未来に武力を行使した争いが起こることの可能性が。
突然の宣言に驚くモノだが、心の何処かで納得がいったのも事実であった。
そうであれば、森でさまよっていたモノにあれ程警戒するのも理解出来る。
突拍子の無いようで、予感があったからかモノは意外に冷静で。
「まあ、何となくそんな感じはしてた、か。ここに居る奴らの表情に変な緊張感があったし、私が連行されてきた時、私を見る目の鋭さ凄かったもんな……」
モノがこの駐屯地に拘束され連れてこられた時、様々な視線を感じたが、あれは敵か敵でないのか推し量る視線であったようだ。
事を構える前の軍事基地の周りをウロウロとしていたら、それは不審人物だと捕まえられる訳である。
「これは俺らの問題だからなァ、姐さんを巻き込むつもりはねェし、詳しいことは言わねェ。とにかく、ここから離れてくれ、『イルファ』に向かうってんなら、ここからもう少し北に行ったところに街がある。そっからなら、イルファ行きの移動手段があったはずだぜェ」
「少し気になるけど……わかった。私が干渉するのは良くなさそうだしな」
ヴァガラはモノを絶対にその戦いに関わらせたく無い様子で、モノもモノで任務がある為、理由も相手も分からない戦いに巻き込まれたくは無い。
方針が一致し、『イルファ』へ向かう為の移動手段確保の為、ここより北にあるという街へと向かうことを決めたモノ。
ナビの位置情報を頼りに我武者羅にルートヴィヒの北にある『イルファ』を目指すつもりだったが、思わぬ経緯でこうした細かな情報を手に入れられたのは喜ばしい。
そうとなれば、その戦いとやらに巻き込まれないよう、早く行動した方がいいだろう。
「じゃ、すぐ出ていくよ。色々と教えてくれてありがとな」
「さすが姐さん、話が早くて助か――――」
そうして、短めの話し合いが着地点に差し掛かった、その時だった。
ころん、と可愛げのある何かが転がる音が、どこからか。
「お前ら、伏せろォッ!!」
「ぇ――――」
※※※
光が。眩しい、白い光が熱と共に視界で爆ぜ、空間を焼いた。
耳の奥、鼓膜が何か猛烈な痛みに襲われたかと思えば、キーンという針のような耳鳴りで、何も聞こえない。焼けるような熱が、耳に入ってしまったのだろうか、ドロドロと何か暖かな液体が、耳の穴から流れ出ていくのを感じた。
同時に謎の大きな力に身体が吹き飛ばされ、宙に舞って、感覚がそこで置き去りになる。
もはや、立っているのか倒れているのか、浮いているのかさえも定かでは無い。
「――――!」
五月蝿い雑音が、脳内を掻き回して掻き回して、気持ちが悪い。
歪んだ視界が、三半規管を揺すって揺すって、気持ちが悪い。
気持ちが悪い。気持ちが悪い。気持ちが悪い。きもちが、わる、い――――。
「ぅぷ、おぇ」
胃が内側から裏返しにされたかのように、全部が口から出てきてしまう。
ガンガンと響く痛みに頭を抱えて、全身を焦がす熱から逃げるように、痙攣し、のたうち回り、何が何なのか分からないまま身体を擦り付けた。
※※※
――そうした退避の遅れたモノを除く一部の者達。その耐え難い悲鳴が、一瞬で焼け焦げたテント跡地に響き渡っていた。
「おい! お前達、大丈夫か!? しっかりしろ!」
そう言ってビクビクと震え、地面にのたうつ黒ローブの一人に駆け寄るリオラ。
彼女が黒ローブのフードを捲れば、モノも覚えがある、あの金髪と緑の瞳が――。
否、フードに隠れていて、こうして顔の全体を見るのは初めてだった。
拘束されたモノにも、ずっと優しかった、安心させようとしてくれていた、あの少年の初めて見る顔は、
――黒く焦げ、焼けた血がべったりとこびり付いている。
「ジオ!!」
駆け寄ったリオラが彼を抱き上げ、名を叫んだ。やはり間違いなかった。あの少年で間違いなかった。
そんな中、リオラの声よりも大きな声が彼女の背中に投げつけられる。
「リオラ!!!」
「……っ! 頭領……いや、わかってるさ」
彼女の名を叫んだのはヴァガラだ。
呼ばれた彼女は振り向き、顔を上げた。
その表情は、一瞬、悲痛の色を浮かべたが、ヴァガラの視線を受け、首を横に振り、振り切った時にはいつもの凛々しい顔に戻っている。
彼女も分かっているからだ。
「――始まった」
戦いが、始まった。始まってしまった。
詰まるところ、ここは瞬く間に戦場と化した。誰もがそれをすぐ理解した。
そして、初戦の敗北も理解した。奇襲を許し、少なくない犠牲を出した。
ならば挽回せねば。だから、仲間の死を悲しんでいる暇など、無い。そうではなく、怒りで、闘志を燃やせ。
「ミエム! 『あの方』への報告は任せたァ! それと姐さんをここから逃がせェ! それと、釘刺すぞォ、絶対に姐さんはこの戦いに手を出すなよォ!」
「御意! ほらいくよ!」
ヴァガラが指示を出し、ミエムが直ぐにモノを引っ張り始めて、呆然としていたモノはそこでようやく我に返る。
人がああも簡単に、目の前で死んだ。この身体になってから何回か、人の死は見てきたが、それは全部、一度も話したことが無いような、言わば赤の他人だった。
しかし、今回は違う、ついさっきまで話していた人物の死だった。勿論、人の死の重さは誰であろうと変わらない。
だが、受ける衝撃がここまで大きいことは無かった。
それにこうやって嘆けども、現実は残酷で、時とともに状況は流れるだけだ。後戻りは出来ない。
何もかもが突然で、理解が追いつかなくとも、流れには逆らえない。
「くそ……! ヴァガラ! リオラも! 無事でいろよ!!」
今のモノが、レイリア王国軍隊長の地位にいるモノが、他国の戦に手を出すことが駄目なことは分かっていた。
だから、どれだけ悔しくとも、相手をぶっ飛ばしてやりたくても、モノはこの場から逃げることしか出来ない。奥歯を噛んでグッと堪え、その『流れ』に、身を任せるのだ。
「勿論だァッ!」
遠目でヴァガラが吼える。
その更に遠くで、多くの人影が揺れた。
先の爆発の犯人であろう、そいつらは、どこか聖職者のような格好をしていて――。
「残りの奴らは武器を取れェッ! これ以上、あいつら――『メリア教会』の蛮行を許すなァッ!!」
『オオオオオッ!!』
――ここは『ルートヴィヒ大陸』。
大陸を支配するメリア教会とそれに抵抗する反乱軍との内戦で、各地で血の流れる大陸。
ここは『ルートヴィヒ大陸』。
戦火と、魔法と、奇跡の、大陸だ。
ルートヴィヒ編、チュートリアル終了です。
よく分からない部分もこれからのちゃんと書いていくつもりなので、ご安心を!