四章第1話 レイリアの白雪姫
「――ッ!!」
ティア・ニータ・レイリアが王に座した強大な国、『レイリア王国』。その勢力が全土を支配する大陸、その名も、
――『ストレンド大陸』。
その地の西端、人里を離れ、こじんまりと建てられた小屋のような貧しい民家。
至る所に、木材による修復痕が見当たるような、見るからに人の寄り付かないオンボロ加減。
人に忘れられた生活。
その家の片隅で蹲る、一人の少女――シアは、自らの首から上が捻れ飛ぶ錯覚と、目の前の存在への恐怖で、声にならない悲鳴を上げた。
「……なあ嬢ちゃん、もういい加減いいだろ」
その右頬の重く、鈍い痛みと、身体の芯が凍る恐怖、それら二つともの原因である大男は、怯えきった少女の様子に、不機嫌な声で言う。
それから、少女の髪を乱暴に掴み、無理矢理、顔を上げさせた大男。
髪、といってもどんな色をしているのかは、男には見えておらず。加えて、少女の方も、男がどんな服装をしているのか、どんな顔をしているのか分かっていない。
――真夜中。窓も扉も締め切られた、灯りのついていない、そんな場所では互いに輪郭くらいしか把握出来ないのだ。
判断する材料は、両者とも声と体格である。
故にガタイのいい男は、弱々しく震える声で蹲る少女に強気で、細身の少女は、低く威圧的な声で迫る、自分の倍はある体格の男に弱気だ。
「黙ってねえでさっさと答えろォ!!」
「ひっ……!!」
すっかり口が開かなくなってしまった少女に、逆効果の脅す声色の要求。
そして、要求に望んだ返答がないことから、男は益々、苛立ちを募らせる。まさに、負の連鎖反応、無間地獄。
「ここに『聖遺物』があることはわかってんだ。さっさと出さねぇと、このまま殴り殺しちまうぜ?」
「い、いや……」
「こんなちんけな人里外れに助けはこねぇぞ? それに、見張りも付けてんだ、お前に逃げ場はねぇ、わかんだろ」
そう、男の目的は、何処からその情報が漏れたのかは不明だが、少女が親から託され、今まで大事に隠し持っていた『聖遺物』だ。
加護者でない者が『加護』の力を行使する為の、希少価値の高い道具。
きっと、少女には『聖遺物』をこの男に譲り渡すしか、この場で生き残る方法が無い。
『聖遺物』を譲ったところで、大人しく男が去り、命が助かる保証も無い。が、それでも今、男がさっさと自分を殺さないところを見ると、余地があるのではとも思うし、それ以外には可能性が無かった。
だがしかし、少女は渋った。
何故なら、少女が所有する『聖遺物』――緑に輝く宝石の嵌められた指輪、それは――、
「……ぉ」
「アァ?」
「あれ、は……親の、形見で……だから……!」
暗闇の中、さらには自分では確認のしようがないが、きっと、上手く開かない唇は、青く変色しているに違いない。
そう、少女の持つ『聖遺物』は数年前、『未曾有の大災害』に巻き込まれ命を落とした親から、託された物だったのだ。
故に、少女は指輪を、自分の命がかかっているとはいえ、簡単には手放せなかった。
何か辛いことがあった時には、夜、その指輪を抱いて、親の顔を思い出し、涙を流した。
何か楽しいことがあった時にも、夜、その指輪に語りかけ、今は亡き笑顔に報告をした。
少女は指輪に支えられてきた。
――大切にされた物には、力が宿る。
そんな言葉を度々、耳にする。
だから、少女は祈る。後ろに隠した、指輪に祈る。
「たすけて…………」
助けは来ない、と、そう知りながら――、
――祈る。
※※※※
「……そろそろ終わったかな」
「さあな、まあとにかく俺たちはお頭の指示があるまで見張るだけだ」
「へいへい、お前ほんと、この団に入ってるのが不思議なくらい勤勉だよなぁ」
無精髭の生えた男が、細身の痩けた男に、やれやれと首を振る。
大男が少女に迫るなか、片手剣を握り武装した二人組の男は、その小屋の外、気楽そうな会話を繰り広げていた。
それもそのはず、『見張り』を命じられたこの二人組は、大男、つまりは自分達のお頭が、失敗するなどとは微塵も思っていない。
むしろ、
「――それにしても、中の嬢ちゃんも可哀想だよなぁ。よりにもよって、お頭……『暴虐熊』に狙われちまったんだからよ」
「……そうだな。お頭は、狙った『聖遺物』を決して逃さない。あの嬢も、無事では済まない」
中の少女の方が心配だった。
悪名高い『蒐集家』である、通称『暴虐熊』と呼ばれる男に目をつけられ、逃れることの出来た者と物は、今までに一つも無かった。
「『暴虐熊』はまず、恐喝から入る。その後、相手が承諾しようがしまいが、殺す。頭はそれを楽しんでんだ、ぞっとするぜ」
「ああ……だが、お頭に拾われた俺達は幸運だ。お頭が『聖遺物』をこのまま集めていけば、俺達はこの世界の最高権力者の部下だ」
「ま、そうだな。俺もお前も、ずっとお頭についていくつもり……そうだろ、相棒」
『暴虐熊』率いる団に、同時期に入団した故に、この二人は仲が良かった。
二人共々、別に出自が悪い訳でもなく、良心も持っていて、能力もそこそこだ。普通に生活していれば、幸せな生活を今頃送っていたはずだったのだが。
――しかし、憧れる人物だけを間違えてしまった。
そして、その大きすぎた過ちが、この日、二人に牙を剥くことになる。
「ああ、相棒――――ん?」
最初に、異変に気付いたのは痩せこけた男の方。
相棒に視線をやっていたその男は、「いかんいかん」と、自らに与えられた『見張り』という使命を全うすべく、視線を前に戻した。
それから、自分の視界の下部、暗闇に揺れた影を見て、疑問の声を上げる。
「なんだ、子供、か……? 一体、どこから……さっきまで何も……」
続いて、無精髭の男もその存在に気付いた。
そこに居たのは、十二、十三歳位の平均身長かと思われる人影で。
「――あー、楽しそうに話してるところ、悪いんだけど」
「……! 女か」
発せられた声の質から、その子供の性別が判明。
美しい音色だった。繊細で、楽器が奏でるような整った音。
場違いにも、あまりの心地良さに惚けてしまいそうになっていると、他でもないその音が告げるのは、二人を一気に凍らせるような一言で――、
「――この中に『暴虐熊』が居るってことで、合ってるか?」
「……ッ!?」
※※※※※※※※※※
外での異変は、オンボロ民家の中にいる、今にも少女に手をかけようとしていた大男の耳にも、謎の騒めきとして届いていて。
「……なんだ? 外がうるせぇな、チッ」
大男――『暴虐熊』は一番の楽しみである『殺し』の出鼻を、その騒めきによって挫かれたことによる苛立ちで、大きく吐き捨てるように舌打ちを鳴らす。
こうやって、快楽の瞬間を邪魔されないようにと、態々、要らない見張りをつけたにも関わらずこれだ。
「アァくそがッ! おい、てめぇ少しでも動いたら殺すぞ」
「……!」
まあ、どうあれ殺すのには変わりが無いのだが、少女に下手に動かれては厄介な為、脅しておく。
そんな嘘の脅しも怯えきった少女には効果があったらしく、息を詰めて、動く気配は無かった。
それを確認するや否や、顔に怒りで血管を浮き上がらせながら、『暴虐熊』は民家の玄関へと移動を開始する。
そうやって、扉に近づく間にも、外の騒ぎはどんどん、どんどんと大きくなっていって――、
「――――…………」
「あぁ?」
やがて、プツリと音が消える。
騒々しさが消えた結果に対して、『暴虐熊』は文句は無い。
が、邪魔をした、見張りに付けておいたゴミ共を殺してやらないと気が済まかった。
故に、『暴虐熊』は足を止めず、玄関の扉に手を触れ、そして――、
「――そおおおいっ!!」
「ごべらぁっ!!?!?!?」
「!?」
突如吹き飛んだ扉と共に、宙に投げ出され、小屋の奥へと勢いよく戻されていった男の巨体。
何か硬いものが破裂するような衝撃音と、間抜けな絶叫、加えて目に映る映像に、蹲っていたシアは目をパチクリとさせる。
「……やべえ、勢い余って扉ぶっ壊しちゃった。これライラの事言えねえぞ、私」
暫くして、建付けが悪い小屋が揺れるギシギシという音と、木片が落ちるパラパラという音に混ざって、シアの鼓膜を揺らしたのは、場面に似合わない飄々とした、それでいて美しい声。
見れば、今日は曇っていた筈だが、月明かりに照らされて玄関に立つ、人物の姿があった。
「――オイ、てめぇ……この『暴虐熊』様に何しやがったァ!!!」
「おおう、くたばってなかったか。見た目に違わず、タフだなお前」
「死ねッ!!」
あれだけ激しく飛ばされて、まだ悪態をつく元気のある大男に、その人物は素直な感嘆を漏らす。
しかし、大男の方はそれを煽りの一種だと受け取ったのか、すぐさま、飛びかかって、
「何をしたのか知らねぇが、この体格差だ、直ぐに潰してやるッ!」
「いや、お前みたいな小汚い奴に潰されるのは勘弁な。三回ぐらい風呂入って出直してきてくれ……ごめ、想像したけどやっぱ無理だわ。生まれるところからやり直してきてくれ」
「このガキィッ!!」
「よっと……『拒絶』」
「ぐがぁっ!?!?」
怒りに任せた男の太い両腕を軽々とした動作で躱した美しい声の主は、何やら呟く。
呟いた、次の瞬間、先程の再現かと思うくらい、清々しく吹っ飛ぶのは、やはり巨体の方で。
またもや、小屋の奥へと戻った大男は、先までの威圧的な態度は何処へやら、それこそ少し前の蹲ったシアのように弱々しく、震えた声で、
「なん、だ。なんなんだ、お前はァ! くそ、『聖遺物』――『弾丸』ォ!」
「…………」
――ズパンッ。
大男が『聖遺物』と叫び、構えた銃から、破裂音を鳴らして射出された銃弾。
が、撃たれた側の人物が、動く様子は無い。
瞬く間の静寂。弾丸は、真っ直ぐとその柔肌を捉え、衝突――、
「――は?」
「やっぱ、『蒐集家』だし聖遺物は持ってるよな……」
何食わぬ声で言葉を発した少女に、ダメージは無い。その代わりに、甲高い音を響かせ、カランカランと床に転げ落ちるのは、紙のようにくしゃくしゃにひしゃげた弾丸で。
――柔肌が弾丸を弾いた。
その訳の分からない光景に、大男の方はさすがに戦意を喪失したらしい。
「ば、ばけもの……化け物ォ!」
悲鳴を上げる男に、その『白く美しい髪』を揺らした少女は、呆れた様子で、
「お前みたいな奴ら、皆して私の事、化け物、化け物って言うんだけど……こんな美少女を前にしてよくそんなこと言えるよな? ちゃんと目ついてるのか? 私レベルの美少女、そこら辺にはいないぞ?」
「あ、ああ、ああああ……! ぶくぶくぶくぶく」
「おい? おーい! あまりの私の可愛さに昇天したか、南無三…………で、そっちは大丈夫か?」
遂に、泡を吹いて白目を剥いてしまった大男に、少女は合掌、それからシアへと振り返り笑みを浮かべる。
あんなにも恐怖の対象だった大男を、いとも簡単に倒してしまった、その月明かりに照らされた少女の姿を見て、シアは確信する。
純白の髪に、紫の宝石のような瞳。
『レイリア王国軍』の制服の上に、黒いケープを羽織った上半身に、ショートパンツから美しい脚を惜しみなく見せた姿。
大男は頭に血が上っていたからか、それともこの大陸の者じゃないのか、気づかなかったようだが。
このストランド大陸に住む者ならば、気付かない訳が無い。
「……『レイリア王国軍九番隊隊長』……『レイリアの白雪姫』」
王国軍の隊長の座についてからここ半年で、数々の武勇伝を作り上げた人物。
「――モノ・エリアス」
「……その白雪姫っていう称号、私あまり好きじゃないんだけどな…………」
すっかり有名人となった少女は、頬を掻いて、照れ臭そうにボヤいた。
四章開幕!!!
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