三章第39話 『待ち望んだ痛み』
「……しかし、そろそろ幕切れか。早いな、もう少し保つと思っていたのだが……いや、これでも長い方か」
落ち着いた顔で、なんてことない素振りで、抑揚の無い声で、そう呟いた水色の髪の少女には、もう右腕全部が残っていない。
同じく腕を失ったモノとは対照的な立ち振る舞い。
少女はそれから、モノとエリュテイア、アズラクを順に見て、
「『白』は腕を欠損。『赤』は横腹を抉られ、『青』は『色素』の限界。やれやれ……」
誰が見ても満身創痍なモノ達の状態をつらつらと並べ、肩を竦めて首を横に振る。
それは、少女が初めて見せた、人間に近い動作で――。
「――笑わせてくれるなよ」
「……!!」
「これが、我々に対する脅威だと? この程度の手段が、世界の答えだと? なにが最終兵器だ、抑止力だ? むしろ弱点以外の何物でもないではないか。ただただ『色』を、世界を、貪り浪費するだけの我楽多共め」
棒の声色も変わらない、無の表情も変わらない。だが、その言葉には怒りとも受け取れる、鋭利が混じっていて。
「お前達は、お前達が宿すその力の価値を知っているのか? 我々、神ですら底から願って止まない力だ、だと言うのに、これは何だ? 無様で、滑稽で、汚くて、本来の美しさの欠片も無い。我々がやっとの思いで築き、辿り着いた先が、これだというのならば、どれだけ我々を馬鹿にするつもりだ? あの時見た、感動は? あの時抱いた激情は? あの時から続く、執念は? 我々の永年の努力は?」
「ぉ……おまえ、ら、神は、一体……なん、なんだよ……」
解らない。目の前の存在、その何もかもが理解出来ない。
知っている言語で、知っている少女の身体で、未知の言葉の弾丸を放っている彼女が。
そんな情を抱いたのはモノだけではなかったようで。隣を見れば、エリュテイアが、更に視線を横にずらせば、アズラクが。
眉間に皺を寄せ、唖然と息を飲んでいる。
『神』とは何なのか。どうして、人を選び、それに加護を与え、その先に一体何があるというのか。
モノの口から自然に漏れた、掠れた問い。
が、『浄化の女神』には、問いに答えるつもりが無いらしい。
問いを無視して、『神』は言葉を続けた。
「……やはり、ニンゲンにこの世界は、『キャンバス』は、あまりにも勿体無い。我々ならば、このように腐らせたりはしない。甘い、甘い、魅惑の果実にくっついた害虫を排除し、必ずや、もう一度あの焦がれた輝きを取り戻してみせよう」
「――――」
「何にせよ、こうして『神』は降りた。成功だ。覚悟しろ、我楽多達よ。これから先、いや、もう既に始まっているか。我等、『神々』は次々にこの世界へと降臨する」
何故こうも、気味悪く在れるのか。
気圧されて、モノ達にはもう、言葉を絞り出すことすら叶わなかった。
代わりに、ここに来て初めて、声のトーンを張り上げるのは、髪と同じ明るい水色の瞳の奥に、不気味な光を揺らした少女で。
「侵攻――『ラグナロク』は始まった! これより世界の支配者は、お前達ニンゲンではなく、我々だ!!」
「ら、ぐなろく……?」
『キャンバス』に続き、聞き覚えの無い単語だ。
なのだが、モノはその単語が、何処か恐ろしい響きを持っているように思えてならなかった。
次々に神が降臨すると、目の前の存在はそう言った。つまりは、侵略。地獄の未来を想像させるのに、これ以上に効果的な言葉は無い。
これから大きく世界の様相が、変貌を遂げる。
確かなざわめきが、モノ達の胸の奥をつついて、つついて――、
「――そうだ」
「……?」
少女から発せられた声は、別にモノの言葉に返答するとか、そういうイントネーションではない。
どちらかというと、それは、何かを思い出したときに上げる方の質。
――次は、何をするつもりなのだろうか。
全員が、更に警戒の色を強める。
今度は一直線の光か、球状の光か、それともまた別の物か――。
「――『痛み』というのを一度、感じてみたかったんだ」
「…………は?」
――グチャッ!!
果実が潰れるような音。
赤い飛沫がびちゃびちゃと飛び散って、一つの影が宙をくるくるくるくるくるくるり――、
――ボトッ。
左足だ。
彼女の、左足。
左足が、根元から、千切れて、それでも尚、彼女は笑みを、
「貴様ァァァァアアアア!!」
あまりの衝撃にモノが呆ける中、主の身体の大切な部位の一つ、否、右腕と併せて二つを失わされた従者、アズラクが激昴し、咆哮をあげる。
「アハ、アハハハハ! アハハハハハハ!! これが『痛み』!! 確かに、いたい! アハハハ!! いたい、いたい、いたい、いたい、いたい、いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいぃぃいいっ!!!」
自らの左手で砕いた骨を露見させ、神経の線を垂らして、激痛に涙を流しながら、彼女は盛大に笑う。
笑って、笑って、笑って、笑って、笑って、笑う。
酔いしれるように、恍惚と、甘い吐息も混じえて、これが至上の喜びだと言わんばかりに、笑って、笑って、笑って、笑って――、
「返せ! 返せぇッ!! クリスタ様の身体から、出ていけ、今すぐに!!」
駆け寄り、クリスタの肩を掴んで、必死に揺さぶるアズラク。危険だと分かっていても、彼の立場を知っていれば、その行為を誰も止めれまいし、責めれまい。
「アハハ、言われなくとも、出ていくさ。言ったろう? 『タイムリミット』だ。最後にこんな激しい感覚を有難う!! また、会おうじゃないか、『最終兵器』! アハハ、アハハハハ、アハハハハハハハハハハ――――」
木霊する不気味な笑い声が小さくなっていくと同じくして、急速に解けていくのは、モノ達の身体に纏わり付いていた、異様なプレッシャー。
やがて、プツリと糸が切れた操り人形の如く、崩れ落ちるクリスタを受け止め、抱き寄せるアズラク。
気づけば、モノの左腕と、エリュテイアの横腹、更には、抉れた地面にまで、皮肉な程に暖かな光が集まっていって――。
誰もが、王都を巻き込んだ事件の終わりを、感じ取っていた。
それでも、一行の顔はどうしても、空模様と同じく晴れてくれなくて。
――降りしきる冷たい青の雪は、全員の胸に残った感情を、よく、現していた。