三章第33話 けじめ
――心が、魂が、ひび割れる感触を覚えた。
きっと『アラート』を振り切って、無理させたのが悪かったのだろう。
何かを手に入れるのと同時に、奥深くに眠った大切な何かが、零れ落ち、失われていく。
拾うことは叶わず、とても分かりやすく壊れていく。
しかし、そんなことはこの際どうだっていい事象だ。
張り裂けそうな胸の痛みも、内側からつついてくる喪失感も、強制された変革による不快感と吐き気も、何もかも。
全部が全部、こっちが我慢すればそれで終わり。以上でも以下でもなく、何の発展性も無い、そこで打ち止めだ。
故に、まだ止まらないし、止められない。
まだまだ、モノにはやるべき事が残っている。
どれだけ身体が悲鳴を上げようと、どれだけ魂が破壊されようと、ここでは膝をつく事は許されない。
そう、始まりから終わりまで、全ては自らが課した『正義』の為に――――。
※※※※※※※※※
「――どうだよ、お望み通り、思いっきりぶっ飛ばされた気分は」
白雪の絨毯に仰向けに、大の字になって倒れた青年を見下ろし、少女は呟く。
「悪くは、ありません……憑き物が取れて、清々しい気持ちです」
「そうかよ。良かったじゃん」
「…………」
会話は続かない。
簡単な話、死闘の直後だから。
互いに疲れきっていて、気力が無いに等しいのだ。
だがまあ、敗北した方の当事者は、力無くではあるが、笑みを零している。
「……あの」
「うん?」
暫しの沈黙の後、徐ろに、モノへと声をかけるアズラク。
モノは気だるげに、寝そべる青年の隣に腰を下ろしながら、顔も向けずに言葉を促した。
「一つ、お願いが」
「お前、ここまで私に頑張らせておいて、まだ何かやらせるつもりかよ」
「うっ……そう言われると何も言えないのが辛いところなんですが……」
「ん。ま、いいよ。で、そのお願いってのは……」
「俺を、一発殴ってくれませんか? それと、暫し我が主になって頂きたい」
「………………えっ。なに、お前もそっちに目覚めちゃったの? 美少女に殴られて気持ち良くなっちゃった的な? さすがにドン引きだぞ、おい。しかも、お願い二つになっちゃってるぞ、おい」
一つ、とは一体なんだったのか。どうやら殴られて頭がバグってしまったようである。
まあそんな冗談はさておき。
そもそも、一発殴ってくれなどと言われなくても、もう既に大きいのをぶちかました後なのだが。
加えて、クリスタの代わりに暫く、主になってくれとはどういうつもりの発言なのだろうか。
「お前も……とは、もしかして、そんな変人奇人達が知り合いにいらっしゃるのですか? ちなみに訂正しておきますが、別に俺は特殊性癖に目覚めた訳ではないです」
「ああうん、割とディープな奴らがチラホラ……悪い悪い、だからてっきりアズラクも同類になったのかと」
「ディープな……はあ、出来れば会いたくはないですね、その方々には」
「はは……。で、となると、お願いの意図が分からないんだが。主になってくれっていう話もそうだし、殴りに関しても、さっきキツめの一発お見舞いしたばっかだぜ?」
反応が面白そうだから、モノは事が解決したら絶対にナナリンやルーク達ワル三人衆改め、変態三人衆にアズラクを会わせてやろうと決意。
そんなことを思いながら、ほくそ笑んだモノだったが、やがて、未だに分からない『お願い』の理由をアズラクへと問う。
発せられたその問いにアズラクは、上半身だけゆっくりと起き上がらせてから、答える。
「どっちも単純な話ですよ。主になって欲しいっていうのは、俺の『青』に対応する感情が、知っての通り『忠誠』なので。……今から、クリスタ様を止めに行くんですよね? なら、使える物は使うべきです」
「あー、なるほど」
「さすがに、貴女のお陰で魂から『青』の副作用が剥がれた今、あの状態のクリスタ様に『忠誠』を抱くのは厳しいので」
「それで、私が一時的にアズラクの主になることによって、紛いなりにも『忠誠』を生み出すって訳か」
合点がいって頷くモノ。だが、どうしてかモノの反応を見て、アズラクは目を伏せる。
「……紛いなり、という訳では無いのですが…………」
「うん? なんかいったか?」
「いえ、独り言です。気にしないで下さい」
聞き取れない位のボソボソ声が、白銀の世界に吸い込まれて消える。
アズラクが一瞬だけ見せたどこか寂しそうな表情が気にかかって、モノは言及するが、その答えは得られない。
しかし、モノは、余り悠長にしている時間も無いので、それ以上は聞かないことに。
「……? まあいいや、で、主になれっていうのは理解したけど、もう一つは? どっちも単純っていってたけど」
「ああ、それは――」
真剣な藍色の瞳が、モノのアメジスト色の瞳を覗き込む。
じっと、モノがそれを見詰め返すと、アズラクは「ふっ」と軽く笑って――、
「単に、俺の踏ん切りの問題です。だから、もう一回だけ盛大にやって下さい」
「……! …………わかった。それでお前の中で決着が付くんだったら、やってやるよ。とはいえ、もうヘトヘトだからあんまし力は入らないかもしれないけど。……あ、ビンタでいい?」
「はい、それで構いません、お願いします」
「おーけー。んじゃま、舌は噛まないように気をつけろよ」
「それは……今更では?」
「違えねぇな」と返したモノは、開いた右手の平に、寒さで白くなった息を吹きかける。
悴んだ指がほんのりと暖かい。
「――――よし」
両者とも準備は万端だ。
なら――、
「気合い入れるぞ! 俺も、お前も! ――ケジメのつけ時だ!!!」
――バチィンッ。
二人だけの雪原に、小気味良い音が鳴り響いた――。
※※※※※
「……今度こそ、気分はいいかよ?」
「ええ、最高ですよ、姫」
赤くなった片頬を押さえて、すっきりとした笑みを浮かべるアズラク。
「そりゃよかった……って、お前今、なんて……?」
「細かいことを気にしている場合では無いでしょう、姫」
「聞き間違いじゃなかったな!? 恥ずかしいからその呼び方は止めてくれよ……と、まあ、そうだな時間が惜しい。何かしでかす前にクリスタの奴を止めねえと……」
アズラクはかなりのイケメンの部類であり、実力もある。そんな人物に『姫』と呼ばれることは普通の少女であればトキメクようなケースもあるだろうが。
残念ながら、モノは元男だ。トキメクことも無ければ、ただただ恥ずかしいので出来れば止めて頂きたいところだ。
ところ、なのだが、アズラクの言う通り、ゆっくりしている場合でもない為、モノはここだけは見逃すことにしておく。
「しっかしまあ……」
呟いたモノは、自分の身体と、アズラクの身体を交互に見やり、そのボロボロ加減に、肩を下ろして、
「これ、戦力足りてるのか……? どっちとも、結構現状崖っぷちなコンディションなんだけど……」
「そう、ですね……ですが、安心してください姫の命だけは、何を使っても守りきってみせましょう」
「……それは有難いんだけど、私だけ助かっても意味がねえんだ、私は全員でこの場面を乗り越えたい」
パッと見ただけでも、そこかしこが破けた衣服に、そこから覗く痛々しい怪我。
最早、笑えてしまう程の満身創痍具合に、不安が募る。否、普通に笑えない。
助けを呼ぼうにも、そんな時間もどうやら無さそうだ。妙な気配が、先程から大きく広がり続けている。
それに、今移動の為に『白』を使いでもすれば、それこそ、いざ戦闘の際、ガス欠になりかねない。
一体、どうすれば――。
「――じゃあ、私が戦力に加わるのはどうかしら」
「え……?」
悩んだ挙句、何の策も浮かばぬまま、捨て身の勢いで、氷塔の怪物との戦いへと向かおうとしていたモノ。
突如、その背後から凛とした鈴の音のような声が響く。
思わず、アズラクと共に振り返ったモノの視界には、黒のゴシックドレスを身に纏った『赤』いサイドテールの少女の姿。
「エリュテイア……!?」
王城に居たはずの心強過ぎる戦力の合流。
ここに、『白』『青』『赤』、三つの色が集まった。