三章第32話 勝負の切り札
氷剣の先端に片手で逆立ちした少女。
しかし、氷剣を握るアズラクの手に、氷剣以外の重量は無い。
少女――モノの分の重さの消失。
なんとも不思議な現象をアズラクは目の当たりにして。それは眼前の少女がまるで、世界に存在していないような、そんな錯覚だった。
「曲芸師か……確かに、この能力使えば、天職になるんじゃ……? なんか失敗した時のセカンドライフだな、こりゃ」
「……全く不気味な力だ。その『雲』そうでしたが、貴女が本当に存在しているのかどうかすら怪しくなる」
「そりゃこんなレベルの美少女、本当に存在しているのか怪しくなるわな」
「もうツッコミませんよ」
「ちぇっ」
アズラクのつれない態度に、舌打ちしたモノは、逆さまの身体を支えていた片手に力を入れる。
そのままバネ運動で跳ねるように空中へ。
足場を作り出し、そこへと、相変わらず、重力を無視した角度で着地。
一進一退、つまり、何か勝負のきっかけを作った方が勝ちで、油断した方が負けだ。それに、出力を上げている分、長くは持ちそうに無い。
ならば、ここら辺で決めなければ。
「もうそろそろ、仕舞いにしようぜ」
「同じ気持ちです。長引かせてもお互い、いい事が有りませんしね。システム・アンロック――『氷争』」
「システム・アンロック――『拒絶』!」
先に仕掛けたのはアズラク。
『雲』に立ったモノへと凍風の斬撃が飛び、一方のモノは『拒絶』の障壁を展開、それを迎え撃つ。
衝突の瞬間、障壁を支える右腕がブルブルと振動するが、踏ん張って、
「おま、その冷気操る能力、名前あったのかよ」
「割と常時発動してるので、言う必要は特にありませんが……気合い入れです、よ!」
初耳の『氷争』という単語。ウェポンと付いている辺り、エリュテイアの『血争』を思い出すが――。
語尾を強めて、再びアズラクが氷剣を振るう。冷気の斬撃、と言うよりはもはや氷の刃そのものが飛来するような形。
「二連続はもたねぇな……となれば回避!」
先程、一撃目を塞いだモノは、ダメージの蓄積した障壁を解除。足場を蹴り、『白』色の残光を散らせながら、他の足場へ。
氷刃を回避して、それからその着地した『雲』を間髪入れずに蹴り飛ばし、地上のアズラクへと白雷の如く、迸る。
ドンッ――――ギュイッ。
青の空間へとモノの突き出した拳が、突入するその瞬間。外と内における、時間の進みの差異からか、軋んだ身体に、奇妙な摩擦のような音。
「そおおいっ!」
「はあっ!」
それらをお構い無しにして、短く叫び、『白』の出力を上げ、唸らせたモノの拳。
アズラクは氷剣を下から掬い上げるような軌道を描きながら、振り上げ、その拳を打ち返す。
激突。パァンッ、と気持ちのいい豪快な音。勢いよく舞うのは火花ではなく、『白』と『青』の靄。
混ざり合い、上下左右へ風に運ばれながら散り散りになって消える。
「まだまだっ!!」
ボールがバットに当たって、跳ね返されるようにして宙へと戻ったモノ。少女は足場を雪兎の如く跳ね回り、アズラクの視界の外へ。
バウンド、更に追撃を。
「そこだ!!」
何処から突然、飛来するか分からないモノの攻撃に、反応しきるアズラクもアズラクでかなり可笑しな次元だ。
またもや、振り返って少女の拳の中心を、青年は氷剣で叩く。
実際に、アズラクが必死にモノの姿を目で追おうと、首と瞳を空へ向けてキョロキョロと忙しなく動かしているが、それは追い付けてはいない。
詰まるところ、ただの勘。
直感でモノの拳の位置を探り、ズレを許さず、正確に氷剣をぶつけている。
「そおいっ! そおいっ! そおおおおいっ!!!」
「そこ! 今度はそこだ! そこ、そこ、そこ!」
絶え間ない、モノの豪雨のような攻撃の全てを捌き続けるアズラク。それに加えて、『雲』に着地しようとするモノの隙を狙って、氷の刃を投げつけてくる始末だ。
何度もモノが突撃を繰り出しては、何度もそれをアズラクが打ち返す。
そう、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も――――。
その永い繰り返しの攻防の果て。
――青年に身体に異変が起きる。
「――――ッ!?」
突にして、ぐらり、とバランスを崩したのだ。
崩れたのは、右の膝からだ。
モノの突進を受け止め続けていた故の疲労からか、力が抜け、膝が折れ曲がる。
それは、アズラクにとって絶体絶命のピンチであり、モノにとって一世一代のビッグチャンスで――、
「……!」
――ここしかない。
そう己を奮い立たせ、今までで一番の出力を呼び起こす。確実に勝負をつける為の、渾身の一撃を今、ここに。
これを逃せば、体力も限界だ、次は無い。
『ピー……ピー……警告。コード:ffffffの出力、基準値を大幅に超えています。負荷軽減の為、直ちに出力を抑えてくださ――』
「るっせぇ……!!」
不快な脳内アナウンスをモノは完全に意識からシャットアウト。
ギチギチッ、といった下半身の奇妙な音も、周りの景色も、血を流した拳の痛みも、全部消し去って。
全ての神経を集中。真っ直ぐに、よろけた青年だけを見据えて――、
「もらったあぁぁぁああああ!!」
現状の最大出力、最高速度で。
大気すらを裂き、白き閃光となって、駆ける。
救いを求める、青年へ。救いの正拳を――。
――しかし、
「なんて、まさかこう簡単に引っ掛かってくれるとは、驚きですよ」
「ぁ……?」
――その拳が、全身全霊の一撃が、青年の胴体へと届くことは無かった。
バランスを崩したように見えたアズラク。
だが、今、アズラクは正常な体勢で氷剣を構え、拳を迎え撃っている。
しかも、跳ね返す訳ではなく、受け止めるようなそんな絶妙な力加減で。
トドメの一撃を放ったはずのモノは、予想外の展開に、驚愕に目を見開き――、
「まさか……! お前、わざと……!?」
「ええ、そうでなければ、あんな無様な事にはなりませんよ? それに……切り札は最後まで取っておくべきだ、モノ・エリアス」
「な――――」
何処までも冷たい表情で、そう言い放ったアズラクは、氷剣をゆっくりと押し返し始める。
全力の一撃は簡単には勢いが消えず、逆にそれがモノを無防備な状態にしてしまう。
そんな中、無意識の内に、身の危機を感じたモノは、アズラクの空いている左手へと視線を動かして、
「――二本目……!?」
そこに生成されるのは今モノと均衡している氷剣と全く同じ物。
「誰が一本だけだと言ったんです? ……今度こそ、終わりだ」
「……ッ!!」
がら空きなモノの身体へ、振り下ろされる氷剣。
慈悲もなく、対象の命を刈り取る為だけの、無駄のない動作。
迫り来る氷剣を前にして、モノは心の中で悟る。
――ああ、そうだ。こうやって、油断した奴が負ける。
――そう、こんな風に。
「……なあ、お前」
「――――」
「切り札を残してるのが、お前だけだと思うなよな……!!」
「!?」
ニィッ、と笑みを浮かべたモノ。
同時に、轟くのは『白』の色素。
まだだ、まだいける。『正義』を世界へ繋げて。
ありったけの力を、絞り出せ。
変化する『白』の性質。
硬く、速く、敵を拒むだけの力だったそれは、モノの意志に従って、瞬く間に身体を包み込む。
白く光輝いて、氷剣を祝福しながら受け入れて――、
「システム・アンロック――『反射』ッ!!」
咆哮と共に、その力は顕現する。
受け入れた威力が、白によって変換され、放った青年へ。そうそれは、鏡が光を還すのと遠からず。
凄まじく吹き荒れた冷気が、真正面、アズラクの身体を容赦なく宙へと投げて。
再び地面を蹴り、投げ飛ばされた空中のアズラクへと追い付いたモノ。
今度こそこの隙を逃さまい。
元に戻った『白』の色素を拳に纏わせ、降りしきる青い雪を掻き分けて――。
「そぉぉおおおいッ!!!」
胴体を捉えた一撃。
その勢いたるや、アズラクの意識を攫うには十分過ぎる程だ。
「戻ってこい、アズラク!!」
刹那、純白のオーラは青年の体内へと潜り込む。
否、それは体内すらも通り過ぎ、もっと深くへ。
やがて辿り着くのは、『最終兵器』に宿りし一つの魂。
こびり付き、魂そのものを蝕み続けた『それ』に終止符を。
――『白』は『青』を薄めていく。
『凍てついた忠誠心』を優しく溶かして。
薄めて、薄めて、薄めて、いく――――。