三章第31話 最も軽い色
「第一色装・アンロック――『白雲』」
モノが指令を下すと、それに従って、みるみる内にその性質を変化させていくのは、周囲に浮かんだ『白』の色素。
白く光る靄であったそれらは、互いに引っ付き合って、もこもことした柔らかい印象を受ける形状へと変貌を遂げていく。
「……『雲』、ですか」
「おうよ、お前のは『雪』だろ? で、俺が知ってる限りは、紫が『雨』で、赤が『太陽』だな……相っ変わらず、『色』っていう力の得体は知れないけど」
――紫の雨、赤の太陽、青の雪。
モノは今までに、そういった類の異常現象を幾度も目にしてきた。
思い出すのはアゼルダにて、オリバーの悪行を止めるためにエリュテイアが、太陽――『血陽』を現出させた時のこと。
あの時、エリュテイアは、今のモノと同じ様に『第一色装』という詠唱をしていたのをモノは記憶している。
加えて、『天候』に連想される物が、『色』の力によって幾つも現出したこともキーになっていた。
モノはそういったパズルのピースを埋める作業の結果、自分にもこの『第一色装』なる力が宿っていると確信したのだ。
『白』に対応するは――『雲』。
使い方も、これまでの如く、何故か理解出来ている。
「まあ、とにかく『冷却』の減速は超えた。これで、まともにお前をぶっ飛ばせる」
「……あまり、侮らないことだな。幾ら減速フィールドの中で動ける程に加速したと言っても、精々、相殺レベルだ。やっと同じ土台に立ったに過ぎない。それに……」
「――単純な戦闘スキルならお前の方が上ってか? そんなのやってみなきゃ分かんねえだろ? それに、だとしても、その為の『雲』だろ?」
そう言って、モノは生成された『雲』の一つを掴んでみせる。
普通、雲というのは水蒸気の集まりであり、掴める筈も無いのだが、モノの右手にはしっかりと綿のようなふわっと軽い触感。
アズラクは目の前の少女が、確かに雲を掴んだのを見て、怪訝な表情で立ち上がって、
「『雲』がなんだって言うんです? パッと見、柔らかく攻撃性も無いように見えますが」
「……その前に、一つだけ。お前やっぱり、敬語なのかタメ口なのかブレッブレだよな? それって何、『青』に支配されて表面と中身がすれ違ってるのも影響してるのか?」
「……当たり前だ。本来の俺は、誰にでも礼儀正しく……」
「うわぁ、信じられねえ。お前そんな平然と嘘言うなよ、人間としてどうかと思うし、超怖え」
「おいクソガキ、お前が言ったんだろうが」
「そうだっけ?」
さらりと、まるで普通に呼吸するようなテンポで飛び出た嘘に、モノは露骨に嫌そうな顔をして、半歩引く。
モノには常に礼儀正しいアズラクとか、想像も出来そうにない。
自分で言っておいて、相手が肯定したら、それを拒絶するという理不尽すぎるモノの態度に、やはり汚い言葉で返すアズラク。
それはさておき。
アズラクの言いかけた、戦闘スキルの優劣において、モノの方が劣の立場に居るということは確かにそうかもしれない。
だが故に、モノは――、
地の利を活かす戦法を取る。
「――よっと。……おおっ、意外にバランスを取るのが難しいな」
「……!? 浮いた、だと……?」
「正直、子供の頃の夢が叶った気分だ。こうやって、空を飛ぶ日が来るなんてな……ちょっと待てよ、空飛ぶ美少女とかいう状況、割と凄くね? 俺、天使かよ。いや、天使だよ」
「そういえば、貴女結構ナルシズム入ってましたね……」
「だよな、俺、可愛いよな」
「いや、別に言ってませんが」
『無重力』――この能力は、感情の大きさ、つまりは『彩度』の高さに比例して、モノの重量を軽くするといったもので。
これまでモノはこの能力で軽くなった身体を活かして、およそ誰も追いつけないような速度を手に入れてきた。
そして、今、『無重力』は、その名に相応しい力になったと言えよう。
「まあ、浮いただけじゃ、身動きが取れないからあんまし意味無いけどな。格好の的ってやつだ。だから……」
「こうする」と呟くと同時に、モノを取り囲んでいた『雲』が胎動。
浮いていたモノの足の裏にピッタリと接するような面を作り――、
「よし、『固定』!」
モノの号令に、それまで風が吹けば彼方まで飛んでいってしまいそうだった『雲』達が、一斉にガチッ、という奇妙な音を立てて、固まる。
「なるほど、『雲』を足場に……ですが、上空に逃げただけでは決着は付きませんし、それに……俺の冷気からも逃れられません、よ!!」
「きゃあっ!?」
徐ろに氷剣を生成したアズラクが、空中で雲の上に仁王立ちをしたモノへと一振り。
すると、振られた氷剣から放たれた凄まじい冷風が、竜巻のようにモノを巻き込まんと、駆け上がって――。
突然の攻撃に、モノは驚きながらも、少し離れた位置にもう一つの『雲』の足場を現出させ、そこへと飛び移る。
モノが難を逃れた一方で、冷気に呑まれた、モノが先まで立っていた方の『雲』の足場は、散ってしまう――なんてことにはならない。
そこには先と何一つ変わらぬ形の『雲』の足場が存在している。
それはまるで、アズラクの攻撃など無かったかのような振る舞いだ。
「な……モノ・エリアスはともかく、『雲』の方まで無傷……!?」
「そこの雲は、もう空間に『固定』された。俺以外では、動かすことは勿論、触れることすら出来ないぜ」
そう、あの雲はモノの他に作用しない。
逆を言えば、他の全ての存在は、雲に影響を与えることは出来ない。
存在しているようで、存在していない。
まさに『純白』。何人たりとも汚すことの不可能な『色』。
「んじゃ、今度はこっちからいくぞ!」
新たな足場を作り、モノは声を張り上げる。
今度の足場は、面をアズラクの方へと向けていて。
モノは軽く跳ね、足を曲げてその新しい足場へと着地。
着地、といってもその角度は相当におかしく、逆さま、とまではいかないが似たようなもので、建物の天井の裏に立っているような姿。
これもまた彼女にだけ重力が作用しないからこその、芸当だ。
「そおいっ!」
次の瞬間には、モノは足場を蹴り、爆発的な速度でその身体をアズラクに向け発射する。
まず、人体では捉えられない素早さだ。が、相手は減速能力の使い手。そう簡単にはいかない。
アズラクの減速フィールドに突入した瞬間、モノの突撃は、ギリギリ目で追えるほどのスピードまで低下。
それでも常人から見れば、えげつない程の速力だが、戦闘慣れした様子のアズラクは、こちらも常人離れした反応速度で、剣を構える。
ぶつかり合う、拳と氷剣。
モノの拳は、これも『白』の能力だろうが、とても硬く、剣を撃ち合った所で斬られたり、割れたりなどといったことが起きる心配は無い。
かといって、氷剣が砕かれる事も起きそうにない。
甲高い衝突音と、吹き荒れる衝撃波。
二人を中心に地面の雪が抉れ、中の土が姿を現す。
「一旦、退避!」
「な――!?」
「からの、もういっちょ、そおいっ!!」
互角の競り合い。モノはこのままでは埒が明かないと判断し、地面を蹴って、再び上空へ。
予想していなかった少女の離脱に、体重の預け先を失ったアズラクが、その氷剣ごと、前へと大きくバランスを崩す。
生まれた隙を逃すまいと、瞬時にモノは空中に数個の足場を作り出し、ボールがバウンドするように、休むこと無くアズラクへと飛来。
がら空きになった背に、拳を――、
「ぐっ、やられるかッ!」
「うおうっ!?」
再度、『冷却』の力がモノの身体へと纏わり付くと同時に、アズラクは意地の半回転で、身を攀じる。
その身の回転力を利用した氷剣の横凪は、見事に視界外のモノの拳の中心へとヒット。弾き飛ばす。
形勢逆転。
弾かれた拳の勢いに連れていかれて、空中で体勢が砕けたモノ。
その腹部へと容赦なく、アズラクは氷剣の鋭い先端を突き出した。
「勝負あり、だ――」
「――――!!」
シュッ。
少女の腸を貫き、鮮血をばら撒かせる筈だった一撃。肉の破れる音の代わりに、短くなるのは空を斬る音。
――空振りだ。
避けれない、隙を突いた青年の攻撃。しかし、少女には当たらなかった。
一体、どうしてか。それは――、
「あっっっぶねぇ!? 何でもやってみるもんだなあ……!」
「――――は」
アズラクの喉の奥から、間の抜けた声が漏れる。
それもそのはず。
アズラクの視界、勢いよく支配する『青』の赴くままに、無慈悲に突き出された氷剣の先。
そこには――、
「曲芸師か、お前は……!?」
氷剣の先端を、片手の人差し指と親指で摘んで、それら二本の指だけで体重を支えながら、逆立ちする、有り得ない少女の姿があった――。
明日は更新出来るかどうか分かりません(執筆速度次第)。