三章第30話 【雲すらも突き抜けて】
「あ、俺の華やかな自由落下の軌跡が……恥ずかしい」
「華やか……? 無様の間違いでしょう」
「うるせぇ、お前のさっき迄の泣き顔の方が余っ程だったろ。その歳で赤ちゃんみたいにピーチクパーチク泣きやがって……そんなの、放っておけねえだろうが、ずりぃ」
「いや、泣いてませんよ。目が落下の衝撃で取れちゃったんじゃないですか? そこら辺探しましょうか? まだ間に合いますよ、既に踏ん付けていたら知りませんけど」
アズラクを引き連れ、氷の塔から降りてきたモノは、白い雪の絨毯の一部に形成された血溜まりを見て、謎の羞恥にわざとらしく頬を染める。
対するアズラクはまるで、先の大泣きが、さも無かったかのような振る舞いだ。
「いや、視力大丈夫かよ、この美しい宝石のような瞳が見えねえの? それとも、三っつ歩いたら忘れちゃう鳥頭なの? どちらにせよ、お前の泣き顔は傑作だったぜ」
「なら、貴女の無様さは後世に名の残る、芸術的な遺産ですね。良かったじゃないか、売れるぞ。ああいや、形が残せないのが残念か」
「はは、はははははっ」
「くく、くくくくくっ」
売り言葉に買い言葉とはこの事だ。
来たる決戦、その為にお互いの戦意を高め合う。
モノはアズラクを止める為に、アズラクは主の計画の邪魔をさせない為に。
――否、アズラクの本心は、モノに止められることを望んでいる。
『青』に支配され、意思を無視して、主の命令を遂行しようとする身体を、モノが止めてくれることを。
ならば、モノはアズラクを真っ向から打ち倒し、その本心とやらを救ってやらなければならない。
随分と回り道をした。ようやく約束を果たす時だ。
言い合って、それを互いにひとしきりに笑い捨てた後、モノとアズラクは一定の距離を取り、見詰め合う。
「――覚悟は出来てるんだろうな? アズラク」
「……そちらこそ、まさかあれ程大口を叩いておいて、速攻でくたばったりしないで下さいよ」
両者の身体から、正義の『白』と、忠誠の『青』が滲み出て、徐々に、空間を染め上げていく。
二人の感情が、世界の奥底へと繋がり、そこから莫大なエネルギーが抽出され、身体というフィルターを通して『色』は具現化される。
世界に溢れる何もかもよりも、遥かに高い優位性、まさに、この世における最終兵器の力。この力を超える物は、無い、と断言出来る。
『色』は世界の有り様すらも、変えてしまう。
そんな強力な『色』だが、それ故に、アズラクの魂には、副作用とも呼べる物がこびり付いてしまった。
それを剥せるのは、モノだけ。
エリュテイアは勿論、他のどの存在でも無理だ。何となくだが、そんな気がする。
気がしているのはきっと、モノだけではない。
だから、アズラクもモノに期待してくれているのだろう。
モノはゆっくりと息を吸い込み、少し止めて、それからまたゆっくりと吐き出した。
心を整える。
モノの中で脈打つ、激情だけに集中するのだ。
今までの、何となく思い浮かべるだけではない、本物の底からの感情に。
『――警告。空間における特定《色彩》係数の上昇を確認。コードスキャン中……完了。コード:007bbb、《青》系統の色彩と推測されます』
脳内に響く無感情のアナウンス。
しかし、それも満足に聞こえない程に、モノの意識は『白』く、『白』く、塗れていって――。
「いくぞ、アズラク。歯、食いしばりやがれ!!」
『目標機体名:《アズラク》。対《最終兵器アルマフィネイル》戦闘――――開始』
「システム・アンロック――『無重力』!!」
ぐん、と流れる視界。
モノは『無重力』を発動して、アズラク目掛けて一直線に加速。
蹴り飛ばした地面が白い雪を吹雪くように舞わせ、重さを失った身体は空気を切る。
弾丸の勢いで迫ってくるモノに、対するアズラクは軽く呆れの入った、ため息をついて。
「はあ……結構、思考時間は与えた筈ですがね。その結果が真正面からの突撃だなんて……どうやらもう一度、切り刻まれなければ分からないようだ」
言い切ると同時に、膨れ上がる『青』の凍える気配。
例のあのフィールド能力。
冷たい『青』の半透明な力場が、アズラクの身体を球状に包み込み、その内部だけ、世界のルールが書き換えられる。
「システム・アンロック――『冷却』」
傍から見れば、時が止まってしまったかの様にも感じる、強力な減速空間が生成され、真正面から突っ込むモノを飲み込むべく、待ち受けて。
勿論、モノも何回も見てきたし、味わってきた能力だ。
だから、その効果範囲も理解しているし、効果自体の恐ろしさも知っている。
実際に、前には手も足も出なかった。
だが、それでも、モノは一直線の突撃を止めたりしない。
他に何か小細工を考えることも出来たかもしれない。でもそれは、彼の感情を無視したやり方だ。
彼の全てを受け止め、その上で真っ向から間違っていると言ってやらないといけない、今のモノは、そんな狡い手段ではなく、馬鹿みたいに正直に――、
「そおおおおお――――」
そのまま踏み入れた、範囲内。
モノの全てに纏わりつく、重く淀んだ、それでいて身の芯が凍りつくような冷気が襲う。
時間感覚ごと減速し、相対的に速くなったと錯覚するのはアズラクと外の世界。
生まれるのは停滞。
「極度の冷気は、時間の進みすら凍り付かせる」
アズラクは目の前で貼り付けられたみたいに停止した少女を見て、呟いた。
その呟きはモノの耳には届いていない。モノはただただ、人形のように動かないだけで。
このままなら、氷剣で今までの如く、一方的に斬りつけられて、戦闘不能になってしまうのがオチだ。
――が、そうさせるつもりはモノには毛頭ない。
モノが思うに、『最終兵器』同士の戦闘には、その人の戦闘技量などの目に見える要素以外に、目に見えない要素が大きく絡んでくる。
その内容は至ってシンプル。
抱いた感情の強度だ。つまりは、臭い表現をすれば、想いの強さ、という奴だ。
数値化出来ない、この要素こそが、『対最終兵器』に於いて、最も重要で、勝敗を大きく分ける。
ならば、『約束』を思い出し、自分なりの『正義』を抱くモノと、本心と表層がすれ違ったアズラクでは――――、
「…………ぉぉぉおおおおおいっ!!」
「な……!?」
刹那、爆ぜるのは『白』の光。
直後、停滞していた筈のモノの身体が、動作を開始する。
――そうだ、加速、もっと加速を。
ありったけの感情を、『色』をアズラクへとぶつけるのだ。
行く手を阻む『青』よりも、濃く、鮮やかに。
やがて、モノの身体は人並みの速度を取り戻し、光で弧を描いた拳は、青年の頬へと吸い込まれ――、
「ぐぅぁッ!?」
確かな手応えと共に、驚愕の悲鳴。
モノが振り落とした畝りのある一撃で、ぐるりぐるりと回転しながら、雪の地面へと勢いよく叩きつけられるアズラク。
それから、アズラクは信じられない、と殴られた頬を片手で押え、唖然とする。
「はぁ……はぁ……今の俺は……速いぜ……!!」
「まさか、こんな、馬鹿なやり方で……!?」
そんな彼を見下ろしながら、息切れを起こし大きく肩を揺らして、してやったりの笑みを浮かべたモノ。
そう、アズラクの『青』が減速という、モノの加速の真逆の能力を持っているのなら、モノは、
――その力に真っ向から。
遅くされるのなら、それよりも速く。
染め上げようとするのなら、それよりもずっと濃く。
全部、臆すること無く、穀然と。
そうやって、アズラクを止めてやると決めた。
己が正しいと思うのなら、精一杯に堂々と。
胸を張れ、モノ・エリアス。誰がなんと言おうと、お前こそが『正義』だと、己を奮い立たせろ。
そもそも、この場合の正しいかどうかは、他人が決めることではないし、そんな言葉では捻じ曲げることは出来ない。
「俺は難しいことはわかんねえ。だから、考えるのは止めた! だから……」
「これ、は――――」
故に、貫け、自らの信念を。
お前には、そうするだけの力がある筈だ。
『雨』、『太陽』、『雪』――と、今までの記憶を辿り、遂に至った力が――。
「……己が『正義』をここに。第一色装・アンロック――『白雲』!」