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三章第29話 アウトサイド




 ――アズラクは少年期の大半を、貧困街で過ごした。


 とはいえ、元々は貧しい家に生まれた訳でもない。

 父親はそこそこに知名度のある傭兵で、常に家族のことを第一に考え、どんな時でも気さくで明るく、素晴らしい人だった。

 母親の方も、慈愛に溢れており、それこそ愛人である父親と、息子であるアズラクのことを深く愛していたし、こちらも常に笑顔の絶やさない人だったと記憶している。

 アズラクも、そんな大きな背に憧れていたし、これからもこの背中を追いかけていくんだと、そう思っていた。


 しかし、そんな微笑ましく暖かな日々は、突然の父の死の知らせをもって、終わりを迎える。

 いつものように、アズラクの頭をクシャクシャと乱暴に撫で、いつものように、「いってらっしゃい」と「いってきます」の見ているこっちが恥ずかしくなる程の、熱いキスを交わして、出かけて行った父。

 

 午後には泥まみれの姿で、汗臭い鎧を鳴らしながら帰ってきて、それを母とアズラクの二人で、笑いながら「お疲れ様」と迎え入れるのだ。

 何も、何も変わらないルーティン。

 ただ、その日は、



 ――雪がよく降っていた。


 午後、いつも通り、玄関の扉がノックされる。

 が、そのノックの普段とは違った弱々しさに、アズラクと母は同じ違和感を覚えた。

 扉を開けると、そこにはアズラクもよく知った、父の傭兵仲間が暗い顔をしていて。

 

「非常に言い辛いんですが……」


 その時の泣き崩れた母の慟哭が、今でも耳の奥に痼となって残っている。

 その時の芯が震える寒さが、今でも心の奥を冷やしている。


 それからというもの、優しかった母は変わっていった。

 アズラクが愛されていたのは確かだ。しかし、それでは、母が失った全てを埋めることは出来なかったのだろう。

 どんどんと、日々を重ねる毎に比例して、暗く、黒い沼へと引き摺り込まれる母の様子は、それはもう酷いものだった。


 それを遠巻きに眺め続けて半年もしない内に、アズラクは母の異変に気づいた。

 きっと、人の生活からかけ離れていく身体に、本能が勝手に、精神的なダメージを和らげる為、鍵をかけたのだろう。

 ――母親はアズラクを無視し始めたのだ。

 あちらから何か話しかけてくることは勿論無く、こちらから話しかけても返事はなく、代わりに生き生きとした表情が戻った母が用意する料理は一人分だけ。

 その頃にはもう、周りは死んだように生きていた母に愛想を尽かしており、異変に気付く者は居ない。


 アズラクという存在は母の記憶の中から消えた。

 

 そうして直ぐに、母は別の男と出会い、結び付き、勿論、全ての財産を持って、家から出ていった。

 まだ幼く、宛のないアズラクが、貧困街へと流れ着くのには、そう時間はかからなかったと記憶している。


 アズラクが何をした訳でも無い。

 ただただ世界が、アズラクから理不尽に何もかもを奪っていくのだ。

 あの雪の日のように、凍えた心。あの母のように、死に生きて。

 ほんの出来心だった。

 次々に奪われ、抜けていく大事な物の、埋め合わせをするように、その日、アズラクは初めて他人を襲い、その所有物を奪い去った。


 荒んだ街を逃走する中、飢えきったアズラクの冷たい心が熱を帯び、言い難い充足感と、高揚感で満たされたのは言うまでもない。

 しかしながら、人間という種は、とても業が深く、とても単純な作りをしていて。

 一度、潤いを覚えれば、次は、より強い渇きに支配される。そしてそれを、再度満たすと、更に強烈な渇きに襲われ、またそれを満たして――。


 生きる事に必死だったとか、そういうのでは無い。

 己の内なる欲求に従っただけ。幼い故に歯止めが利かず、繰り返し、繰り返し、襲って、奪って、襲って奪って。


 『貧困街の悪ガキ』という通り名が広まり始めた頃。

 アズラクの人生にとって、父の死の次に大きなターニングポイントがやってくるのは、


 またもや、よく雪の降る日だった。


 貧困街の冬は寒く、辛いものだった。

 実際に、季節を乗り越えられず、凍死していく奴らをアズラクは自分の目で、何人も見た。

 命に関わるのはアズラクも例外ではなく、たまたま偶然、通りかかった、フードを被った少女が手に持っていたランタンを、奪おうと襲いかかった。


 直ぐに終わるはずだったのだ。

 不意打ちで後頭部を鈍器で殴り、気を失った所で、身ぐるみを剥ぐ。

 手馴れたパターンだ。


 だが――、


「……気配が殺せていないし、お粗末だね」


「な……!!」


 逆さまになる視界に、地面に叩きつけられる衝撃。

 気が付いたら、アズラクの方が気を失っていて。



 ――目が覚めると、そこは何かの建物の中だった。


 アズラクが恐る恐る、建物の中を探索していると、何かに導かれるようにして行き着くのは、四隅に滝が流れる変わった部屋で。

 部屋の中心、水に浮かぶ円形ステージの上、豪華な椅子に座った水色の髪の少女が、何を考えているのか分からない顔で、アズラクを見つめていた。

 

 しばしの沈黙の後、口を開くのは少女の方。


「――君、私の従者になって」


「は……?」


 程無くして、アズラクは目覚めた場所が、レイリアという王国の、王都にある『浄水場』と呼ばれる建物の中であった事を知る。

 『色』の力に目覚めたのも、同じ時期だ。

 これ以降、アズラクは徹底的な教育を為され、ねじ曲がった性根は幾らか矯正され、従者としての務めを問題なくこなせる様になっていって、現在に至る。


 ()()()()()()()主人だったが、自分を地獄から救ってくれた事にアズラクは心から感謝している。

 それに、これからもずっと忠誠を尽くすことになる、と、思っていたのだが――。



※※※※※




「どうして、こうなってしまったんでしょうか……」


 アズラクは、氷の塔の展望デッキの内部、モノも一度訪れた、化け物の繭が脈動するあの空間へと、足を踏み入れていた。

 見上げれば、その繭と、天井にびっしりと轟く、気味の悪い黒い触手と、無数の目玉。

 目玉から堕ちた涙が浸す足下を見れば、人一人が入れそうな大きさの蒼白い箱がぽつんと一つ。

 

「『()()()』……」


 虚ろな目で箱を見つめて、アズラクはその正体を小さく呟く。

 そう、この箱は『浄化』の『聖遺物』。

 こんな物はそもそも、『浄水場』には無かった代物だ。『聖遺物』が無くとも、クリスタは『浄化』の『加護』の力を問題なく行使できていたし、必要のないものだったのだ。


 あれは一年ほど前の出来事だ。

 見知らぬ男が、この『聖遺物』の箱と共に、クリスタの元へとやって来て、何かを唆した。

 以来、無表情がデフォルトだったクリスタは、表情を獲得し、楽しげに笑うようになった。

 アズラクも当時は、主人が幸せそうにしている様子を見ては、頬を綻ばせていて。


 が、その笑みは瞞しだった。

 クリスタはその時点で何かに取り憑かれていた。

 徐々に、徐々に、『神』を卸す事に固執していく様子は、昔、母が沼に堕ちていくのと同じ様で。


 その狂気が発覚した時にはもう、何もかも遅かったのだ。


「こんな物があるから……!!」

 

 アズラクは氷剣を生成し、正面に構え、振りかぶる。

 主人が狂い始めた原因である、この箱を破壊すれば、全てを終わらせることが出来る。


「上から下に、振り降ろすだけ……簡単、簡単だ……!!」


 そうやって、アズラクは息を荒らげ、氷剣を握る手と腕に、ありったけの力を込めて、

 

「うああああああァァァァッ!!」


 気が触れた様に、雄叫びを上げて。

 喉が鋭く痛みやがて血を吐き出すが、構うものか、と声を絞りきって――、


「――なんで」

 

 なんで。


「なんで、動かないんだッ……! 動け、動けよおッ!! お願いだから動いてくれぇッ!!」


 振りかぶった腕は、頭上で固定されたまま、ピクリとも動くことは無い。

 まるで、凍ってしまったように、どれだけ叫ぼうとも、どれだけ激情を流し込もうとも、動かない。


「これを壊せば終わるんだ! 俺の身体だ、『色』如きが邪魔をするなッ!! 何奴も此奴も俺を無視するなァッ!!!」


 尊敬した父も、優しかった母も、平和だった日々も、忠誠を誓った主人も、果てには自分の身体さえも。

 何もかもが、アズラクという存在を無視して身勝手に、孤独だけを残して、消えて無くなる。


「ふ、くっ……」


 手から落ちた氷剣がカランカランと地面を鳴らし、アズラク自身も力無く、膝から涙の床へと崩れ落ちる。

 ――『最終兵器』は『色』の力を使うが、『色』もまた『最終兵器』に宿った魂に、影響を与える。

 アズラクの魂には『青』がこびり付いた。

 もう、自分の意思では身体は動かず、ただ、主人の命令を守ろうとする、名ばかりの忠誠に突き動かされるだけの、操り人形だった。


 


『――止めてやるよ』


 フラッシュバックするのは、言葉遣いは乱暴だが、何処か抜けていて放っておけない、そんな不思議な雰囲気を纏った、美しい少女の声。

 

『――ああ、約束だ!! 私がお前を救ってやる!!!』


「モノ・エリアス…………」


 半ば無意識に、アズラクはその『白』の少女の名を呟いていた。


「俺は……貴女が生きていたと知った時、心の中では嬉しかったんだ……」


 本当だ。

 真っ向からぶつかってくれて、誓いまで立ててくれたあの少女の無事な姿を見て安心した。

 けど、喜びを絶望へと突き落とすのもその少女で――、


「けど……どうして。どうして、忘れてしまったんだよお……」


 胸が痛い。心が息苦しい。

 アズラクの瞳から頬にかけて、何か暖かな液体が伝う。


「助けてくれるって言ったじゃないか……! 救ってくれるって、言ったじゃないかっ……!!」


 あんなにも真っ向から馬鹿みたいに正直に、アズラクを受け止めてくれる人物は初めてで。

 でも、結局、あの少女も忘れてしまった。

 今までと同じ、理不尽で横暴で、一方的な喪失。


 だからといって、本気で彼女を責めようとはアズラクも思っていない。少し気が立って、キツく当たってしまった部分もあったが。

 彼女は悪くない、記憶を失ったことは仕方ないのだ。元はと言えば、悪いのは『青』に支配されてしまっているアズラクの方で。


「……そうだ、彼女は悪くない、だけど――」


 目頭が熱い。手遅れになった、と、諦めと後悔が心を突く度に、大粒の涙が零れて、零れて、止まらない。


 ――少しだけ、ただ、あと少しだけ。

 

「もう少し早く、貴女と出逢っていればよかった……」


 彼女はもう来ないだろう。

 氷塔のあの高さから落ちたのだから、死んだに違いない。

 だとしたら、最早、アズラクを止める者は居ない。

 

「くっ、ぅ、ふ、ううっ……ひっく」


 終わりだ。いや、始まってすらいなかったのかもしれない。

 それでも、確かに何かが終わる。

 

「う、くぅ、うぁ、あぁぁ、ぁああぁぁっ」


 もういい。もういいんだ。


 もういいから――。


「誰か助けてくれ……」


 お願いだ。


「誰でもいいんだ……」


 お願いだから。


「クリスタ様を……!! いや、俺を、止めてくれよぉ……」




「――ああ、任された」


 その声は周囲の静寂もあってか、やけに透き通った音色で、鮮烈に響いた。

 反射的にアズラクが振り向けば、そこには、堂々とした笑みを携えた一人の少女が、胸の前で拳を構えている。


「約束、果たしに来たぜ」


「……っ!! う、うう、うあぁっ」


 その少女の姿を見た瞬間、アズラクの視界は、涙で更に酷く歪んで、歪んで。


「てことで、お前! 表に出やがれ!!」


 そんなオーソドックスな売り言葉に似合わず、少女――モノ・エリアスは随分と可愛げにウインクをして魅せた。


 

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