三章第28話 『色褪せの最終兵器』
視界を覆う、深い『青』のなんと美しく、鮮やかなことか。
細切れに渦巻いて浮かんでいた、青い光の靄は次々と繋がり、隙間を埋めて、空間を満たしていく。
――安息、自制、理想、忠誠。
そういった色のイメージが一気にモノへと流れ込む。
こんな色素の量を、モノは今までに見たことが無かった。
その中心に、色に囲われるようにして、驚いた顔を覗かせるのは、その発生源である青年――アズラクだ。
モノは吹き荒れるエネルギーの嵐に、押し返されないように踏ん張る下半身へと力を込める。
「なんだこの濃さ……! 有り得ねえだろ……!!」
「モノ・エリアス、どうして、またお前がここにいるんだ……!」
「そりゃお前、昨日のがあって気にならない訳がねえだろ。……で、こんなに色を纏って、お前は一体何をするつもりだよ」
モノがどんなに『正義』の感情を表面だけ装っても、こんなことになった覚えは無い。
ましてや、本心から『正義』を宿したオリバーとの戦いの時ですら。
異常な濃度。異常な彩度。
言うなれば、『色彩』の暴走だ。『最終兵器』の制御が出来なくなっている状態。
そんな風に、モノは目の前の現象を漠然と捉えていた。
「……わかりませんよ。もう、俺自身にすら」
「…………」
限界を超え、更にどんどん、どんどんと膨れ上がっていく感情の具現。
にも関わらず、当の本人であるアズラクの口からは、またあの、心の擦り減る音が鳴って。
その整った顔を苦痛に歪ませて、自棄の表情を見せた彼の言葉はタガが外れたかのように、次々に漏れ出す。
「自分の主人が間違った道を進もうとしている、それは、分かっているのに……!」
後悔、諦め、それでも尚、渇望。
パキパキと目の前の青年から、何かが割れるような音が聞こえた。
それが錯覚だと分かっていても、モノは拒みはしない。モノは縋り付くその声に、音に耳を傾ける。
「俺はそれを止めたい筈、なのに! 身体が、勝手に動くんだ! 俺が何を思おうと、勝手に!!」
自分ではどうしようも出来ない所まで来てしまったのだろう。
だから、こんなにも彼の叫びが、無力な赤ん坊が誰かを呼ぶ為に泣き喚くのと、同じ様に感じてしまうのだ。
「もう止まらないし、止められない!! 神は降臨する。そして、罪の無い命もきっと……!!」
絶望に曲げられたその表情を、見た。
その瞬間、モノの口は勝手に、都合のいい言葉を呟いて――、
「――止めて、やるよ」
「……! 何を、言って……」
なんの事情も知らない。なんの根拠もない、ただの出任せの言葉だ。あまりに軽くて、あまりに重い。言うだけなら簡単な、それだけの。
でも、モノは彼に何故か、こう言ってやらないといけない気がしたのだ。
ここで黙れば、彼は永遠に救われないままだと。
故に、モノは、不意をつかれた顔の青年へと、出任せを重ねる。
「お前が、お前自身を止められないのなら……私が、止めてやるよ!」
「そんなこと出来るわけがないだろ……!」
「それでも、私は止める、絶対にだ!」
足掻き続けた後であろうアズラクにとって、これらは甘く、同時に耳障りな音だろう。
けれど、モノは止めない。
目の前の青年を助けてやりたい、とモノはモノなりの『正義』を宿して。
人が諦めた後の、都合のいい慰めの言葉は忌々しくて、煩わしいものだ。
だから、アズラクもモノの並べた、聞こえはいいが中身が無い言葉に、激昴する。
「お前に何が! お前に俺の何が分かるって言うんだあッ!!」
「わからねえよ!! 全然! これっぽっちもわかんねえ!! でも、お前、助けて欲しいんだろ!? じゃなかったら、そんな、今にも泣きそうな顔すんじゃねえよ!!」
「――ッ!」
「ここには私と、お前しかいねえ! だから、アズラク、私がお前を助けてやる!!」
『青』の色素に、飲み込まれていきながらも、堂々と、モノは胸を張って、自信に満ちた表情で、笑う。
――これは宣戦布告だ。
宣戦布告なら、その時点で既に戦意を喪失している訳にはいかない。
自分の勝利の未来を思い描いて。
「そんなの無理だ!! この俺の、凍てついた忠誠は誰にも! 誰にも、溶かせやしない!!」
「ああ、根拠もないし、出来るかどうかも微妙だな。けど、やってやる! 身体が勝手に動くってんなら、その身体に教えてやるよ! お前は、間違ってるんだって、真っ向から!!」
――もう終わりが近い。
アズラクの『色素』は限界まで、高められた。
もう既に、この部屋の温度は、命が生きられるようなものでは無くなっている。
未だ、モノが活動出来ているのは、恐らく、『最終兵器』だからという理由だろう。
「……!! 出来るものなら、やってみろ! お前が間違ってるんだって、取り返しがつかなくなるって! そうやって叩きつけて!! お願いだから、俺を止めてくれよぉ!!!」
白の少女が張り上げた声に、青の青年の救いを求める声がぶつけられた。
それに応えるべく、モノはここに誓いを。
「ああ、約束だ!! 私がお前を救ってやる!!!」
『……ピー、ピー、警告。空間に於ける、『青』の色彩係数の異常値を記録。直ちにこの場からの離脱を図ってください。カウントダウン、3……2……1……』
『【色褪せの最終兵器】――起動』
――絶対零度。
それは、全てを瞬く間に凍らせる波動だった。
膨張していた『青』の、この世界に於ける最高権限を孕んだ力。
モノが言い切ると同時に、ダムが崩落し、水が怒涛の如く流れ出すように、青年と少女の歪な誓いを、『浄水場』を、王都の全てを、瞬く間に満たすその力。
「離脱しろ」という脳内の声に逆らって、『色素』の根源たる青年へと手を伸ばし、駆けていったモノの身体が、ふわりと放たれた衝撃に浮かんで。
そのまま『青』によって荒んだ大気に、瞬時に展開した『拒絶』の障壁ごと、揉まれ、舞って、投げ飛ばされて。
まさに『最終兵器』という名の相応しい、氷結の暴風は、『光の都』の全生命を片っ端から急速冷凍、物言わぬ氷像を生み出していく。
幸か不幸か、苦しむ時間も、声を上げる時間も与えられず、ましてや、自身を巻き込んだ現象に気づくことも無い。
文字通り、瞬きの間に起きた異常。
日常の一コマを切り取った、氷像が浮かべる表情は、喜怒哀楽、様々だ。
変わり果てた王都の様相。白銀の世界。
しかし、降り注ぐ雪は青く、青く、青く――。
突如、王都の北に生成されるは、半透明な氷の塔。
やってくるのは、火竜の群れと、神を超えし者達。
これは偶然か、それとも必然か、現在の氷塔から落下したモノと同じ様に、この時のモノは意識を朦朧とさせ、雪の絨毯に仰向けで寝そべっていた。
障壁は粉々に砕け散り、モノは吹き飛ばされる過程で、身体の色んな部位を強打。
そこには頭を含まれており、意識は剥がれ落ちる寸前だ。
視界にノイズが走り、冷たく暗い闇が、奥底から『黒』が迫ってくる。
「……モノ。ふふ、これで貸しは二つ目ね。今回も影ながら応援しておくわ」
※※※
今にも死んでしまいそうなモノを見下ろして、笑ったそれが、誰だったのかは、もう思い出せそうにない。
記憶がここで途切れているからだ。
二日目のとは違って、三日目は午前の少しだけの時間で終わってしまっている。
この後、モノは自称神との対話を終え、記憶を失った状態で、どうしてか雪の上ではなく、しっかりとした寝具の上で目覚めるのだ。
だが、これでもう十分だ。
重要な事は思い出せたし、アズラクとの――、
「……約束、確かにしたな。なら、果たしに行かねえと」
ゆっくりと、すっかり赤く染った雪の絨毯から起き上がるモノは、その胸に、かつてない程の激情を宿していて。
呼応するように、モノの周囲で揺らめき、己を主張するのは、大量の白く光る靄――『色素』だ。
モノは息を整えて、氷塔の雲よりも高いその場所、アズラクが居るはずの展望デッキの方へと見上げる。
「システム・アンロック――『無重力』……!!」
モノの身体から重さが掻き消える。
経験したことの無い感覚だ。『最終兵器』の力は、目に見えない数値、その者の感情の強さに左右される部分が大きい。
故に、今、モノの『白』は今までで一番――、
「――俺は、止めるぜ、アズラク」
決意を声に出し、己を奮い立たせ、全神経を前世には無かった器官に集中。
モノなりの『正義』を力へ、地面を思いっきりに蹴り飛ばす。
「そおおおいっ!!」
独特な掛け声。
白の少女は、閃光を撒き散らし、一直線に、雲の向こうへと、跳ね上がった。