一章第6話 その少女、白を放つ
――何が起きたのか分からなかった。
ケイの首に刃が触れる瞬間、モノは感情のままに叫び、それからは勝手に身体が動いていたといっても過言ではない。
何か、謎の力のようなものに背中を押され、気づけば、一瞬の内にモノは入れ墨の男――ヴァガラの顔面を殴り飛ばしていた。
自分の身に起きた事態が理解出来ず、ヴァガラを殴った自分の右の拳をただ見つめているとそこに響く、謎の声。
『特定感情の増幅に伴う、《色彩》係数の上昇を確認。――コード:ffffff、最終兵器……起動』
「な、なんだ!? 誰だ!」
口ではそう言いつつも、この声には若干の聞き覚えがあった。そう、森の中、遺跡のような建物で美少女として目覚めた時だ。
その時にも、同じ抑揚の無い声で『コード』とかそういう単語を聞いた。
だからといって何者なのかは、まるっきり分からないのだが。
「……モノ、ちゃん? 君は、一体……」
「……それは俺が聞きたいくらいなんだが?」
「俺……?」
「あああっ! くそ、全然わからん! そもそも俺が毒殺されて、生きてて美少女になってる所から訳わかんねえことばっかだし、んでもって気づいたら変態野郎に美少女パンチしてるしで、俺、どうなってんだよ!?」
こんがらがった頭を両手で搔いて、叫ぶモノ。その手に触れるのも白い色素の消え失せた、しかし、元の自分のものではない美しい髪で。
この世に神が存在するなら、そいつをとっ捕まえてこの境遇に物申したいところだ。
「俺の人生、設定したやつどこだよ出てこい! 頭ぶっ飛んでんぞお前!」
もはや、色々な感情を越えて、怒りが込み上げてきたモノは、誰に叫んでいるのか分からないまま喚く。
「モ、モノちゃん一旦落ち着い――」
「……おい、痛ェじゃねェか。クソガキ、お前、この俺に何したかわかってんのかァ? あァ!?」
その喚き始めたモノを宥めるべく、ケイが落ち着くように提言しようとしたところで、入れ墨の男が先程吹き飛んだ方角から、首を鳴らして現れる。
眉間にシワを寄せ、額に青筋を浮かべ、鬼の形相でこちらにゆっくりと近づいてくるその男の様子を見る限り、間違いない――ブチ切れである。
しかも限りなく、怒りの上限値に近い感じの。
「そんな! 今のでまだ動けるのか!?」
殴られた顔の左半分が大いに腫れているが、ふらつくことなく足取りはしっかりしていて、意識もハッキリしていそうなヴァガラに、ケイが信じられない、といった表情を浮かべる。周りのギャラリーもケイと同じような反応だ。
殴り飛ばした当の本人であるモノも、さすがにくたばっているだろうなどと甘く考えていたが、やはり集落を力で支配しただけはある。タフだ。
「なァ、俺はお前に『大人しく』見とけっつったよなァ? 言ってみろよォ、それがなんで、勝手に動いて挙句の果てにこの俺の顔面殴り散らしてんだァッ!!」
『目標の健在を確認。コード:ffffff、出力上昇』
「――――っ!?」
耳を劈く程の声量で怒鳴る男。それにまたもや、モノの脳裏で感情の無い声が混じる。
と同時に、モノは身体の奥底から何かが湧き出てくるような感覚を抱いた。
何かは分からない、しかし、それはどんどん、どんどんとモノの内側に拡がり続け、遂には、外側まで――、
「なんだ、これ……?」
気づけば、モノの周りには何か、オーラのような物が漂っていた。
「『白い』……」
絵の具のような靄のような、淡く光って空気中を漂う綺麗な『純白』。
「……色彩」
それは間違いなく、モノの身体から出たものだった。モノの内側から溢れ出た『色』そのもの。
「おい、無視すんなよォ!! お前、どれだけ俺を苛つかせれば気が済むんだァ、あァ!? 決めた、殺す……お前から先に殺すッ!! 『見せしめ』だァッ!!」
「――危ない! モノちゃん!」
自身から湧く、感じたことの無い力の胎動に意識が向いていると、無視されたと怒りを爆発させた男が何やら、詠唱を開始する。
すると、そこに現出するのは、数十個のグツグツと煮えたぎったような火の玉。
「『爆炎』! この火の玉は爆発するぜェ? おら、粉々に弾け飛べェッ!!」
ヴァガラが叫ぶと、浮かんだ数十発全ての火の弾丸は、一斉にモノへと向かって、盛大に爆ぜるべく射出される。
モノが元々住んでいた村でも、『魔力無し』のモノにわざと見せびらかすように放たれた『魔法』を見たことはあったが、確かに、これ程の規模のものは無かった。せいぜい、この魔法なら三つくらい出していたぐらいだ。
この男、聞いていた通り、やはり相当の実力者らしい。
だが、
「モノちゃん!?」
「……システム・アンロック――『拒絶』」
モノが呆然と、右手を前に出し、脳裏に思い浮かんだ単語を呟くと、モノの身体を中心に包み込むような透明な障壁が現れ――、
発射された火の弾丸、その全てを呆気なく、正面から防ぎきり受け流した。一切の熱も光もモノの白い柔肌には届かず、爆音を無駄に散らすだけ。
「――――ァ?」
あまりにも簡単に、手加減無しの殺すつもりで放ったであろう渾身の一撃を無傷で凌いだ、白く美しい少女を見て、男はうつけな表情で情けない声を漏らす。
「あっっっぶねえぇぇ……せっかく貰った服が焦げるところだっただろうが! あと、俺の可愛くて綺麗な肌が顕に……きゃん、この腐れ変態野郎、さてはそれが狙いか!?」
わざとらしく自分の身体を両手で抱きながら、頬を赤らめるモノ。
こんな公衆の面前で衣服を焼き払われ丸裸にされた日には、羞恥で自ら命を絶ってしまいそうだ。
そうしてふざけた態度をとっていると、モノはヴァガラの身体が小刻みに震えていることに気づく。
「な、なんなんだよォ……」
「あ? どうした? そんな幽霊でも見たかのような顔して」
「お前、一体なんなんだよォッ!? なんでこの俺のォ、このヴァガラ様の必殺技を喰らって、む、無傷ゥ!?」
「だから言ってるだろうが、俺が何なのかは俺が知りたいくらいだって。……ただ、まあ、これならお前の悪行は止められそうだ」
「ヒィッ!」
少し笑みを浮かべたモノを見て、ヴァガラは短く悲鳴を上げる。さっきまでの態度とは打って変わってその表情には恐怖が滲んでいた。
それほどまでにその必殺技とやらを、無傷で防いだ事が大きかったのだろうか。正直、必殺技とか自分で言っちゃうところに、センスのなさを感じるのだが。
「この力……はやっぱりよくわかんねえけど……何故か身体が覚えてる」
何故、障壁を創り出すことが出来たのか脳では未だに理解出来てはいないが、本能には刻み込まれていた。この身体、この『色の力』、いや『最終兵器』の力はモノの意思に従順だ。思うように動いてくれる。
「さてと、んじゃま、もう一発ぶち込んでやるから覚悟しろよ」
そう言って、ついに地面に尻もちを着いてへたり込んでしまったヴァガラにモノはゆっくりと距離を縮めていく。
すると、ヴァガラは目尻に薄らと涙を滲ませながら、白く輝く靄と共に迫るモノに懇願し始め、
「わ、悪かった、俺が悪かったよォ! だから――」
「……あ、そう? 反省したのか?」
「した、したァ! この通りだ、だから許してくれェ」
「うーん、だったら……」
「いや、モノちゃん、それはいくらなんでも純粋すぎるよ!?」
少し謝っただけで許してしまいそうになるモノに思わずツッコミを入れるケイ。なんだか、変な空気感になってきたところだったが、そんなとこに突如一人の男が小さな女の子を抱えてやってくる。
「――お頭! 例の妹、連れてきました! ってあれ、何この状況」
やってきた男は、ヴァガラの部下の一人。モノがこの場にやってくる直前に、ケイの妹のエルを連れてくるように命令された奴だった。
しかし、命令を受け、飛び出していったその時とはまるで違う状況なので、その男も驚いた様子だ。
「お兄ぢゃん!」
「エル!!」
拘束された泣き顔のエルが、ケイを見るなり声を上げると、ケイもその声を聞き姿を見て、叫ぶ。
そんな中、部下が来るなり、強烈な手のひら返しで、凶悪な笑みを浮かべるヴァガラ。
「でかしたァ! おい、お前、絶対そいつを離すな――」
「……システム・アンロック――『無重力』! そおいっ!」
「ぬべろんちょっ!!」
予想していなかったタイミングで、人質と成りうる人物を連れてきた部下に、歓喜したヴァガラがその人質を離さないように指示を出す。
――と、それよりも前に、モノが何やら呟いた。
その次の瞬間、目にも止まらぬ速度でエルを拘束する部下の前に、移動したモノはそのまま、その勢いを殺すことなく、部下の胴体に飛び蹴りをかます。
奇妙な悲鳴を上げながら、盛大に吹っ飛ぶ姿にその場の全員が唖然とする中、モノはエルの拘束を解き、優しく笑いかける。
「おう、大丈夫か幼女」
「う、うんっ! お姉ちゃんすごい!! かっこいい!!」
「だろ? それに可愛いよな、わかる。……んでもって、お前らついに幼女にまで手を出したな、この野郎!」
こいつら反省してるみたいだったから一瞬、見逃してやろうとも思ったが、幼女にまで手を出しやがった。もう絶対に許さん。
「あ、あ……ば、化け物、この化け物がァ!!」
「化け物……? お前それ本気で言ってんのか? こんなプリティーな少女を目の前にして? お前一回自分の姿鏡で見てみろよ、お前の方がよっぽど化け物だろうが! なんだその体格に凶悪な面に入れ墨とか、今どき流行んねえぞ!」
「くそ、来るな、来るなァッ!!」
こいつ、これ程までに可愛らしい顔をしたこの少女の身体のどこを見て、化け物などと言えるのか。本当に、一度自分のとんでもない身体を省みて欲しいところだ。
などと考えながら、再度、ヴァガラに近づいていくモノ。
今度こそ容赦はしない。
再び『色』がモノの身体に満ちる。純白。何者にも染まることの無い、何者にも侵されることの無い、ただただまっさらな白色。
色の力はモノの感情を具現化したかのように、溢れ出し、世界に影響を与え、空間を染め上げていく。
「幼女を泣かせた罰だ、歯ァ食いしばりやがれェ!」
「ひ、ひぃぃぃ!?」
「モノちゃん、口調移ってるよ!? あと、凶悪な笑み? 出来てない、全然出来てないよ!」
これじゃあどっちが悪者か分からなくなってくるし、何やら男が喚いているが、本人は気にも留めていない様子で。
それから足をバネのように踏ん張ったモノは、空気を震わし、硬い地面を抉り、男を目掛けて白の弾丸となって駆け、
「――ぶっ飛べ! そおいっ!!!」
独特な掛け声と共に、正義という名の鉄槌を驚愕する男の顔へと一切の容赦なく打ち出し――、
「ごぶぼげぇッ!!!」
直後、素っ頓狂な悲鳴が、真夜中の集落に響き渡った――。
モノちゃん可愛い! かっこいい!!
てなわけで、グレただけの男、無事成敗。次回、一章終わりです。