三章第27話 『凍てついた忠誠心』
章タイトル回収回。
「――人の気配無し……さて、と。んじゃま、探索と行きますか」
四隅に滝の流れる部屋。
涼しい水飛沫の上がる円形のステージの上、モノは『突発的テレポーテーション』により、その場所へとやってきた。
見渡すが、以前、クリスタが座っていた椅子が、ポツンと置かれているだけで、そのクリスタはともかく、アズラクと例の『箱』も姿を発見できない。
「そもそも、この『浄水場』、広い割には人が居なさ過ぎだろ。あの二人以外、ここで人を見かけたことがないぞ、おい。というか――」
部屋の扉に手をかけ、廊下へと半身を出しながら、伽藍堂の景色をキョロキョロと見回し、そう呟くモノ。
やはり『浄水場』というよりは、『神殿』と名乗った方が良さそうな構造だ。
明るい色の滑らかな石材で造られた無数の柱には、何やら幾何学模様が描かれている。
しかし、この時、モノの関心が向くのはそういった形あるものでは無く、肌を刺激する、ハッキリとした形の無い、感覚の方で、
「……寒すぎる」
ひんやりと冬のような、いやその季節よりも冷たい空気。
吐く息も白く、ケープを羽織っているとはいえ、下半身の露出の多い、薄着寄りの服装を身にまとったモノにとっては、正直結構キツめの気温だ。
だが、異変は気温だけに収まらなかった。
「冷たっ……! な、んだこれ。雪……!? ここ室内だぞ……!?」
モノを待っていたかのようなタイミングで、降り始めた、ふわふわとした雪。
けれども、そんなことは有り得ない。何故ならここは室内だ。天井が空いている訳でもない。
見れば、それには分かりやすく鮮やかな『色』が付いている。
「『青』い雪、か……。そういや、ヴィオレも『紫』の雨を室内に降らしてたな。となると……そのうち部屋の中に雷とか降ってくるんじゃね? はっはっは、笑えねえ」
いや、笑っとるやろがい。などと心の中で自分にツッコミを入れながら、逸れ始めた思考を一旦リセット。
兎にも角にも、
「とにかく、『あいつ』が言ってた通り、何かが起こりそうなのは間違いねえな。ああいや、もう起こってるのか」
まだ事は起こっていないと言う考えを抱くが、モノはそれを脳内から一瞬で投げ捨てる。
――『青』の雪が降った。
ということは、ピークでは無いだけで、もう現在進行形で、事は起こされているという考えの方が正しい。
「何をしでかそうとしてるのかはイマイチ見えてこないけど……超絶嫌な予感がする。ヤバさは、オリバーの時以上だ」
身体の芯が凍え、本能が危険を直接、頭痛という手段を用いて訴えてくる。
これは、オリバーの時にも感じていたものだったが、今回のはその強さが違う。警鐘を鳴らす、鼓動の一つ一つがやけに五月蝿い。
モノはドクドクと脈打つ胸の辺りを、片手で抑え、警戒を強めながら、霜を纏い始めた廊下を進む、進む、進む。
「この部屋も人の気配無し。でも、嫌な空気は濃くなってきてる……近づいてる証拠――」
部屋を覗き込んでは、誰も居ないことを確認して、また隣の部屋へ、というのを何回か繰り返すと同時に、また勢いを増していく警鐘。
どんどん、どんどんと近づいているのが分かる。
低下する気温と、纏わり付く瘴気。
やがて、モノの心臓の鼓動が限界まで早まり、痛みさえ生み始めた――その時だった。
「~~~~~~」
(……!! 話し声……? というより、こんな扉、前にもあったか?)
何やら柱と同じ紋様の描かれた他とは雰囲気の違う扉の向こう側、人の話し声のような音が微かに、モノの鼓膜を震わした。
モノは、直ぐに導かれるようにして、その扉に耳を当て、音を拾おうとするが、この扉自体が防音機能を果たしているのかあまりに小さく、内容が分からない。
(……クソ、聞こえない。どうすれば――)
ここまで来て、さすがに扉を考え無しに開けて、状況を悪化させるなどといった事はしたくない。
ので、ここで耳を澄ます他にモノには選択肢は無いのだが、このままでは――、
『――ザザザ。聴覚機能の拡張プロトコル、実行。……成功。聴覚レベルの一時的な上昇を確認しました』
(ッ!? また、頭の中で……! おい、ビックリして声上げるところだったろうが!!)
突如、脳内に響く、無機質な音に、モノは誤って声を漏らさないよう、心の中だけで悪態をつく。
そうして、怪訝な表情をしたモノだったが、次の瞬間、自分の身体、否、耳の異常に気づき、息を呑んだ。
(なんでだ……!? さっきまで何言ってるのか分からなかったのに……)
聞こえてくるのは、三人が会話する声。
二つは聞き覚えのある少女と青年の声、もう一つは中性的な男か女か区別の付かない質の声で。
「――そうかい、なら、確かに満たせるかもしれないね」
「うふふ。ええ、必ず。私はこの身に『神』を卸してみせるわ。ね、アズラク?」
「はい、クリスタ様なら大丈夫です」
(神を、卸す……?)
『最終兵器』のこの身体の構造は謎が深まるばかりだが、今はそうじゃない、とモノは頭を横に振る。
それから、聞こえた『神を卸す』という言葉に、シワを寄せる眉間。
どう考えても、いい予感はしない言葉だ。
「ふふふ、その為ならどんな犠牲を払っても構わない。……アズラク、私が『孵化』するまでの間、ありったけの『色素』を使って……わかってるよね?」
「準備は……出来ています。ですが……」
「ですが、何? まさか今になって、怖気付いたの? ……あなたは私に従っていればいいの。というより、そもそもあなたは私には逆らえない、そうでしょう?」
「それ……でも、俺は……」
口篭る、弱々しい声。
モノにとって、青年のそんな声を聞くことになるとは思ってもみなかったことで。
こういう声を出すのはどういう時か、モノは知っている。かくいうモノも、アゼルダでこの声を漏らしたことがあった。
誰にも実験施設のことを信じて貰えなくて、全てを諦めかけたあの時だ。
この声は、あの時のモノのような、本心とは違う行動をしようとした結果、内側から漏れ出る。
そう、心の擦り減る音だった。
「――アズラク」
「……ッ!!」
「やりなさい。失敗は許さないわ」
「仰せの、ままに……」
従者の微かな抵抗は、主人の力強い命令によって掻き消される。
代わるようにして聞こえてくるのは、何処か馬鹿にしたような、嘲笑うかのような、陰湿な声で。
「あはは! ああ、『色』の力というのも不便だね。残念ながら、君は呑まれてしまったんだよ、『色』に、いや、世界にね」
「…………」
「凍てついた忠誠心、とでも言うべきかな」
「…………!」
「『色』の力――『色彩』が強力過ぎるが故の、弱点だ。くく、実に滑稽だ。大馬鹿野郎だよ、設計図を描いたやつは。使用者の魂の方の『デメリット』に、まるで目がいっていない」
扉越しに、聞き捨てならない、しかし、上手く本質の躱された皮肉めいた言の葉の数々。
どうやら、『色』――『最終兵器』に、詳しい奴が居る。
設計図を描いた奴、と言っている辺り、ある程度予想していたことではあったが、この『最終兵器』の身体が人工的に造られたものである可能性が強まった。
誰が、何の為に、という問いの答えは、やはり出てこないのだろうが。
部屋に飛び込んで、質問攻めにしたい気持ちをグッと抑え込んだモノ。
そんな中、部屋の中の会話には区切りが着いたようで。
「それじゃあ、よろしく頼むよ、忠犬さん」
「分かったのなら今すぐに取り掛かりなさい、アズラク」
「………………はい」
部屋の奥へと消えていく二つの足音。
一瞬、二人が部屋を出てきて、ばったり遭遇してしまうことを、警戒したのだが、そうはならずに済みそうである。
「――くそぉッ!!!」
――ダンッ!
部屋に一人取り残されたと思われる、アズラクの怒りに満ちた声と、同時に響く壁か何かを叩きつける音。
「俺はどうして……!!」
――何故だろうか。
モノにこの声が、助けを求めているように聞こえたのは。縋るように聞こえたのは。
顔も見えない、どういう仕草なのかも見えない。
それなのに、どうして。
だが、意味を理解する時間は自らが捨てた。
疑問が浮かぶよりも早く、反射的に動いたモノの身体。
居ても立ってもいられなくなって、モノは無意識の内に扉を勢いよく押し開けていた。
そして次の瞬間。モノの視界に入るのは――、
「な……!! お前は……!?」
凄まじい量の『青』の『色素』を纏った青年の、驚愕に染まり、唖然とした姿だった。