三章第26話 【三日目】
その日の記憶は、二日目と比べて、ノイズも酷く、途切れ途切れで、短い映像だった。
最初に映るビジョンは、前日と同じようにライラの目を掻い潜りながら、城下町へと降り立った後。
昨日の出来事がどうしても気になって、再び『浄水場』へと向かっている途中から始まる――。
「……突発的テレポーテーションに囲われた浄水場。正気じゃなくなったクリスタを見た直後に、脱出できたけど……結局、あれは私に何を伝えたかったんだ?」
回帰現象によってモノが実に半日の間、閉じ込められてしまった『浄水場』。
『青』の『最終兵器』であるアズラクと、『浄化の女神』ことクリスタ・チューンと出会った場所であるそこでのやり取りは、不思議な事が多かった。
「まるで、おかしくなったクリスタが現れるまで待たされた感じだ。だからまあ、間違いなくあのクリスタの様子を見せたかったっていうのは分かるけど……」
顎に手を当て、大通りを進むモノの脳裏に浮かぶのは、クリスタが慌てて隠した大きな箱だ。
あれが、重大な何かを握っていることは、勘だが、理解出来ている。
しかし、こうやっていくら思考した所で答えが出てくるわけでもなく、ましてや頑張って絞り出した解答が、本当に正しいとも限らない。
故に、色々な要素を確かめるべく、わざわざこうやって、自分から危険へと向かっているのだ。
あの時は、『突発的テレポーテーション』が任意で発動できる、特殊な条件下であった為、アズラクから上手く逃げ回ることが出来たが、今回もそうであるとは断言できない。
もし、アズラクと真正面から戦う事態になりでもしたら、少なくとも今のモノでは太刀打ち出来るかは微妙なところだ。
「浄水場を調べに行くにしても、アズラクには見つからないようにしたいな……さすがに無理だろうけど。あーなんだろ、この自分から死ににいってる感じ」
単独で行くことがいけないのだろうか、などと考えたりもしたのだが、そもそも不確定要素が多すぎて、そんな場所には友人は連れていけないし、
「エリュテイアに助けを求めたいところでもあるけど、今戻ったらライラに捕まって、一日行動不能になる可能性が高いからな……話を信じてくれるかも分かんないし……」
「――ちょい、そこの白いお嬢さン」
独り言をブツブツと繰り返すモノ。
その背中に突如投げかけられるのは、聞き覚えの無い、ヤケに明瞭な女性の声で。
モノは一瞬、大通りを行き交う人々の会話の一つだろうと、聞き流そうともした。
のだが、その声の『白いお嬢さん』という単語が、自分以外に当てはまりにくいものであったので、気になってモノは声のした方向へと吸い寄せされるように振り返る。
「……うん? 私か?」
「そう、君、君だヨ。『白』なんて言葉が似合うのはこの場には君以外に居ないじゃないカ」
人が忙しなく移動する中、じっと佇んでこちらを見詰める女性の影。
「あんたは……?」
珍しくは無いブロンドのウェーブのかかった長めの髪に、薄い緑の瞳で、服装もその辺の町娘と変わらない、地味なエプロン付きのワンピースを身に纏っているその少女。
整ってはいるが、人混みの中に、今にも紛れてしまいそうな顔立ちのその人物だというのに、どうしてか、モノは一切、彼女から目が離せなくなっていて。
少女だけが浮いているような、そんな風に錯覚させる程の、独特な存在感。
この有象無象の生命を、真っ向から否定するオーラを肌で直接感じるのは何も、モノにとって初めてではない。
王都に来てからというもの、例のあの傍若無人な銀髪の少女によって、何回も与えられたことのある刺激だ。
それと同等か、それ以上のプレッシャーが、少し離れた距離にいる彼女からは放たれていた。
「……君には名乗らなくても、アタシが何者か位は分かるんじゃないかナ? 君は『破壊』とも接点があることだしネ」
「――――ッ!?」
視界の奥で異彩を放っていた筈の少女。
その姿が瞬きの僅かな間で、消え去り、消え去ったかと思いきや、次の瞬きの後には、息がかかる程に、距離が詰められていて。
モノはその軽くホラーな瞬間移動に、仰け反り、目を見開く。
得体の知れない物を前にした時の、あのじっとりと全身に汗が滲む現象。
そんな恐怖、とは少し違った鳥肌に、モノが息を音を立てて呑み込むと、少女は何処か満足気に笑って――、
「いひひひ、そんなにいい反応をしてくれると、わざわざ驚かした甲斐があるっていうものだよネ。人が驚かせた時って、その瞬間は、その人の全ての反応を自分が支配しているんだよネ。それってさ、気分、最高じゃなイ?」
「人をびっくりさせて興奮する性癖の持ち主かよ。控えめに言っても、趣味悪いな、お前。さては私、また変態に遭遇しちまったな……?」
「悪趣味なのは自覚してるヨ。でも止められないし、止めようとも思わないから、余計にタチが悪いよネ」
「タチが悪いって、それ自分で言うのかよ……」
「いひひひひっ!」
これは、ヴァガラ、オリバー、ナナリン、フィリルに次ぐ、変態の予感だ。ああいや、もっと他にもそういう類の人物は居たような気もするが、相変わらず物凄い変態との遭遇率だ。
人を驚かせて、口角を上げて、ニヤニヤと笑みを浮かべる少女を前に、モノは溜息をつく。
すると、少女は笑みを止めないまま、「そうそう!」とわざとらしく手を鳴らして、
「さて、モノ・エリアス。『白』の『最終兵器』である君に、耳寄りな情報だヨ!」
「!? おま、なんで――」
「君が気になっている『浄水場』。『浄化の女神』様と、『青』の青年は、今日、ことを起こすつもりだから、急いだ方が良いと思うヨ!!」
「――――」
「な・ん・で・も、君が嫌いな『加護』関連で、事件が起きちゃうかモ! なーんて、ネ? 驚いタ? 驚いたよネ!?」
人差し指を突き刺し、ぱちくりとウインクまで決める少女。
しかし、対するモノにはそんな若干ムカつく態度に構っている余裕はない。
モノの脳は、たった今、少女の口から放たれた怒涛の勢いの言葉を整理しようとしていて――、
「いやいやいや、待て待て待て! なんで私が『最終兵器』だってことを知ってる!? しかも、今日『浄水場』で『加護』がなんだって!? そもそも、お前何者だよ! 話には順番ってもんがあるだろうが!」
「いひひひひっ! すごい、すごいネ! こんなに気持ちいい驚き方をしてくれるのはそうそう居ないヨ! あーあ、君にこの情報を持ってきてよかっタ!」
受けた勢いをそっくりそのまま返すかのように、モノの口から途切れることなく飛び出た、問いの数々。
しかし、少女は、そんなモノの問いに答えようとする素振りを見せず、それどころか、モノに背を向け始める。
「おいおい! なんでそこで満足した感じで、帰ろうとするんだよ! まだ、全然聞きたいことが聞けて――」
「だって、その通りアタシ、君を驚かせられて、支配できて満足したシ。だから、さよならだヨ? それに、ここで台無しにしたくないしネ。それじゃ、バイバーイ!」
「ちょ、ま――――」
言いたいだけ言って、驚かせるだけ驚かせて、ここから去ろうとする少女を必死に呼び止めようとするモノ。
だが、現状把握が出来ないまま発せられた叫びも虚しく、少女はあっという間に、姿を消してしまう。
人混みに紛れただけならまだ、追いかけようがあるのだが、そういうのでは無い。
忽然と、蜃気楼が霧散するように揺らりと揺らめいて、掻き消えたのだ。これでは、止めるもクソもない。
去る直前に、何かに気づいた様子で、何処かをちらと見つめたの気にかかったが、それを聞くことももう叶わない。
「消えた……なんなんだよ一体……」
嵐のようだった不可思議な出会いに、モノは呆然と、掠れた声でそう呟く。
まだ『浄水場』に着いてもいないのに、どっと疲れた気だるさだ。
「……でも、気になることばっかり言ってたなあいつ」
何故かモノが『最終兵器』であることも知っている様子だった少女が言うには、『浄水場』、クリスタとアズラクが今日何かことを起こすらしく、急いだ方が良い、と。
それも、『神』や『加護』の関連で問題が起こるらしい。
モノも別に、素性の知れない怪しさ満点の少女の言うことをそのまま鵜呑みにはしないが、確かめる要素が増えたことには違いない。
急ぐ理由も出来てしまった故に、結局は少女の助言に従うような形になってしまうため、手の上で踊らされている感じが半端ではないが、モノが向かうべき場所は同じだ。
そんなこんなで、モノの中での『浄水場』という目的地への意識が固く、強まったところで、
「……でもって、お前はどうして、都合良ーくやってくるのな。最近のタイミングの良さはどうしたんだよ、『突発的テレポーテーション』。……まあ、意地が悪いのは変わってないけどさ」
大きく脈を打った世界。
全ての感覚が、モノから奪われていき、
再び、勝手に与えられる。
これは、誰の意志か。
世界か、それともまた別の何かか。
『突発的テレポーテーション』。
モノは、また、『浄水場』のあの場所へ――。