三章第22話 荒ぶる座標
そこは部屋の四隅には、室内だというのに、滝のように清らかな水が流れ落ちていて。
床にも溜められた水。モノが立っているのは、水に浮かんでいるようにも見える円形のステージの上だ。
広めの部屋だと言うのに、水が張っているせいで、立っていられる場所は見た目より少ない。
「巫山戯ているのか! 何者だ、何処からここに入った!!」
「……むしゃむしゃ」
突如現れたモノ、言わば侵入者へと向かって、水色の髪の少女の前に立ち、怒鳴る青髪の青年。
だが尚も、モノは片手に抱えた紙袋に入った、果実やらパンやらを取り出して、目の前の敵意剥き出しの青年を何とも思わず、飄々とした表情で齧り付く。
――露店の店主曰く、特に果実の方は、ここいらの名産品だと聞いたが、確かに、これは癖になる甘さだ。
「……あくまで巫山戯た態度を貫くつもりか。少しでも変な真似をしてみろ、瞬間、首が飛ぶぞ」
睨みを利かして、更に鋭い殺気を飛ばす青年だが、それにもモノは取り合わない。
「むしゃむしゃ……ごくっ。うん、名前忘れたけどこの果物気に入った! また、今度はエリュテイア達にも買っていってやるかな」
「おい、聞いているのか! くそっ……なんだこのガキは……!!」
全力の威圧を放ったのにも関わらず、全く聞く耳を持たないモノに、流石に気味が悪くなったのか、顔を顰めて少し仰け反る青年。
その背後でくすくすと口に手を当て、可愛らしく笑うのは水色の短い髪の少女で。
「ふふふっ。アズラクの脅しが効かないなんて、珍しいね」
「うっ……クリスタ様、侵入者ですよ、そんな風に笑っている場合では……!」
様付けで呼んでいたり、守るように立ち塞がった様子を見る限り、青年――アズラクが少女――クリスタに仕えているといったところか。
二人の風貌も特徴的だ。
青年の方は、なんか妙な予感のする深い『青』の無造作な髪に、藍色の瞳を持っていて、その身を灰色のロングコートに包んでいる。パッと見、全体的に冷たい印象。
一方、少女の側は、ショートの透明感のある水色の髪に、同じく明るい水色の瞳。服装は白いピタッとした生地の上下の繋がっている、少々変わったものを身につけていて。何処か、儚げで優しい印象を受ける少女だ。
「あら、いいじゃない。だってこんなに純真そうで可愛い子が、悪者な訳がないわ」
「うんうん、そうだよな。私めっちゃくっちゃに可愛いよな」
「それは聞こえてるのか……さては、わざと無視してたな、クソガキが」
「当たり前だろ。こんな天使みたいな美少女に、初対面から殺気を飛ばしてくような奴、無視するのが正解……ってまあ、確かに突然現れたのは私だから仕方ないけどな」
「ふふっ、ふふふふっ。こんなにも手玉に取られているアズラクを見るのは初めて……名前はなんて言うの?」
モノの都合のいい事だけに返答する様子を見て、先程のやり取りの悪意を覚え、奥歯を噛むアズラク。
そんな怒りに打ち震える従者を見て、何を思ったか盛大に吹き出す主クリスタ。
クリスタはそれから、アズラクの肩をぽんと叩き、下がるように命じ、アズラクはそれに納得いかない様子ではあるが従って、半歩横にズレる。
どうやらモノは従者の方には嫌われてしまったようだが、主の方には好かれたらしい。
ともかく、これで一応この場では首を撥ねられなくて済みそうである。
「私はモノ・エリアス。そっちはクリスタとアズラク……でいいのか?」
「ええ、私はクリスタ・チューン。こっちは従者のアズラク。仲良くしてね」
優しく微笑むクリスタと、その隣でモノを、きっ、と睨みつけてくるアズラク。
取り敢えず、テレポーテーション先でモノが先ずやらなければならないことは、状況把握だ。ということで、自己紹介も終え、落ち着いたところで、モノは二人に質問を浴びせる。
「おう……んで、ここって何処なんだ?」
「何処も何も貴様の方から勝手に入ってきたんだろうが」
「――アズラク」
「ぐっ…………はぁぁ。クリスタ様、わかりました、わかりましたから、頬を抓るのをやめてくださいよ……」
相変わらずぞんざいな態度のアズラクを、その頬を細い指で摘んで、苛むクリスタ。
厳しい声色で名前を呼ばれ、深いため息をつきながら、態度を改めることを誓ったアズラクは、モノへと向き直って、
「ここは簡単に言えば、王都に於ける『浄水場』です。王都の至る所に、水を使った彫像があるのは知っているだろう? その清水を作っているのが、ここです」
「なるほど……取り敢えず王都の中みたいで、そこは安心かな……」
「……? そして、ここに在らせられるお方こそ、『浄化』の加護者……いや、『浄化の女神』ことクリスタ・チューン様だ……です」
「うん……何となく、お前が無理してるのは分かった。礼儀正しくなのかそうじゃないのか、ハッキリしろよな。……ああ、言っとくけど私は礼儀正しくなんて不可能だからよろしく」
敬語がブレブレなアズラクに苦言を呈するモノ。
とはいえ、モノ自体も礼儀正しくなんて出来ない人間なので、そこはご愛嬌。
それでいて、なるほど確かに、『浄化の女神』とやらが王都全体に流れる清水を作っているみたいな話はアルファから聞いていた気もする。そんなに覚えてはいないが。
その『浄化の女神』こそ、目の前の水色の髪の少女クリスタ・チューンだったわけだ。
「ふふ、『女神』だなんて。……まだ、今は違うけどね」
「――? まあいいや、王都の中だってんなら話は早い。私、今日は色んなところを見て回るって決めててな、もうここから出たいんだけど……いいか?」
何か優しいはずの少女から、ゾッと背筋が凍るような気配がしたような気がしたが、ほんの一瞬だったためモノは特に気にしない方向へ。
そもそも、モノは今日はゆっくりぶらぶらと気ままに観光することにしていた。『突発的テレポーテーション』に邪魔されたが、そんなに時間は経っていないし今からでも遅くない。
スケジュールの修正を――、
「あら、そうなのね。じゃあ、アズラク、モノちゃんを出口まで案内してあげなさい」
「はい、わかりました。……ほらいくぞ、クソガキ」
「ア・ズ・ラ・ク〜?」
「…………ご案内致しますので、迷わないよう、私めの手を握り、付いてきてください美しいレディ」
主人の命令と視線での訴えに折れ、モノに手を差し出すアズラク。
「まあ、素敵……! なーんてな。お前も苦労人だな、アズラク」
「誰のせいだと……いえ、なんでもありません」
モノが半ば面白がりながらその手を握ると、意外と優しく握り返してくるので、面白さが助長される。
色々とあったが、そんなこんなで、モノは吹き出すのを必死に堪えながら、アズラクに連れられ、『浄水場』の出口へと向かうのだった。
※※※
出迎えた眩しい陽射しに、目を細め、行き交う人々の姿を眺めながら、出入口に立ったモノはアズラクに感謝を述べる。
「――案内ありがとな、助かった」
「クリスタ様の言い付けが無かったら、今頃、貴女は生きてはいないでしょうから、感謝することだな」
「ふはっ。お前、クリスタの前じゃないのに敬語だし、本格的によくわかんねえ喋り方になってるぞ」
「くそ、変な癖がついた……」
本当に面白い奴だ、とモノは腹を抱えて笑う。
そんなモノの笑いに、アズラクは思った通り、苛立たしげで。
「はっはっは! ……っと、んじゃま、楽しかったぜ、またな」
「二度と来るな」
別れの挨拶も手短に、立ち去ろうとするモノ、だったが、数歩前に歩いたところで、はっと何かを思い出したように立ち止まり、振り返る。
そう、あれを確かめなければならない。
モノの予感が正しければ、アズラクは――、
「……あ! そういえば、お前『青』――――」
しかし、そこで異変は起こった。
「――は……ぇ……?」
――振り返った先、そこにはアズラクの姿が無かったのだ。
それどころじゃない。
景色もガラリと変わっていた。
今出てきたばかりの『浄水場』の出入口はおろか、そもそもその『浄水場』のシルエットすら無い。
行き交う人々の足音も、全て消え去って。
代わりにモノの聴覚を刺激するのは流れ落ちる水の音。
一瞬だった。
これまでのとは違い、予兆も、『それ』が起きた感覚も無かった。
だが、モノの目の前に存在するのは、深い青の髪の青年ではなく、
「うそ、だろ…………?」
椅子に座った水色の髪の少女で。
「……もどって、きちまった」
驚いたような、不思議がったような顔をする、少女を前に、モノは掠れた声で、そう呟いた。