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三章第21話 【二日目】



「ぁ…………」


 頬を濡らした涙はとても温かくて。

 その頬をなぞる澄んだ一粒を、モノは凝視。

 次の瞬間、モノの頭部に、何か脳みそを直接ぶっ叩かれたような、重く激しい衝撃が迸った。

 そしてその衝撃は、モノから、あれだけ斬られ、あれだけ殴られても失わなかった意識を、意図も簡単に身体から剥がしていく。


 落下しないよう、デッキの端を掴んでいた右手から、あらゆる力が、ふっ、と消える体感を覚えた。

 ただでさえ滑る氷の素材。力を失った右手が、モノの身体が幾ら軽い少女のものだとはいえ、支えきることは叶わない。

 ずるりと右手が氷から離れ、モノの身体はそのまま落下を開始する。


 ――もう既に、アズラクの表情は見えないほど小さくなった。

 先までふわりふわりと降ってきていた青の雪が、モノの落下スピードよりも遅い故に、モノの視界では下から上に舞い上がっているように映る。

 

「――――ッ!!」

 

 次にやってくるであろう、落下の衝撃に備える為、モノは『白』の力、とりわけ、『無重力』の発動を試みる。

 が、例の頭の痛みが意識を乱すせいで、それも成らない。それどころか、落下の衝撃が来る前に意識を失いかねない。

 

 下へ、下へ、下へ。吸い込まれる。

 氷塔の展望デッキは雲の向こうへと隠された。

 それは、この落下時間、否、猶予時間の終わりが近づいていることを意味する。

 

 だが、この時のモノにとってそんなことはどうでもいい事象だった。

 そんなことよりも、頭蓋を粉砕する勢いの、内から発せられる鈍痛の原因を。

 失われた、二日間の記憶を。

 ――思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ。


「なん、で、わすれた。なんで……!!」


『どうして忘れてしまったんですか……貴女は『約束』、してくれたじゃないですか……!!』


 フラッシュバックするのは、敵だと認識していた青年の泣き顔。

 それがどうしても、モノには、


「あいつ、に……! あんな、かお、させない……!!」


 何故なのか。

 答えは全部、忘れてしまった時間の中に。

 だから――、


「おもい、だせ……思い出せッ……!!」

 

 打ち付ける痛みを全部、真っ向から受け止めて、鍵のかけられた扉をこじ開けて、こじ開けて。


 ――思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、おも――――。



 積もった雪、というのは思っている以上に硬く、優しくは受け止めてくれない。

 しかしながら、モノがそこへ衝突する痛みを感じきることは無かった。


 モノが意識を完全に失うのは、そう、地面の雪に身体が触れるその瞬間と、ほぼ同じタイミングのことだったのだ。




※※※※※




「うーん、どうも疲れが取れてない。やっぱり落ち着かないよなあ、この部屋」


 その日、モノは正常に、やたらと物の多い、九番隊隊長の為に用意された部屋のベッドで目覚めた。

 特段、変わった様子もなく、若干、身体に疲労が残っているくらい。

 

 昨日モノを引っ張って、強引に兵士の訓練を受けさせたあの狂った銀髪の少女を思い浮かべながら伸びをすると、小気味よくコンコンと鳴る扉。

 否――、

 

「起きたか!? モノ・エリアス!!」


 目覚めたばかりの脳に直撃する、大きい声。

 その声と共に、決して安物では無さそうだった扉が、盛大に粉砕され、尖った破片が上半身だけ起こしたモノの顔の隣を横切る。


「危うく別の意味で眠りにつくところだわ!! 見ろ! 壁に思いっきし破片刺さってるぞ!?」


「知らん! 見えん!!」


「理不尽だ……」


 昨日、王の間のどう見ても高価な扉もぶっ壊していたが、もしかして『扉破壊癖』でもあるのだろうか。

 なんだその癖、迷惑すぎる。

 止めろと言うが全く聞く耳を持つ様子の無い少女――ライラに諦めて肩を落とすモノ。


「……で、こんな朝っぱらから人の借りた部屋の扉を破壊するということは、だ。まさか、とは思うけど」


「まさかも何もないだろう。モノ・エリアス! 今日も一緒に鍛錬するぞ!!」


「しねえよ! ああいや…………ちょっと待っててくれ、着替えるから」


「あ、ああ…………うん? 何故、黙って窓を開ける?」


「…………」


 目を輝かせて地獄へと誘うライラに、モノは寝間着から着替えて、何も言わずにそそくさと窓を開ける。

 その行動の意味が察せず、腕組みをしながら首を傾けたライラ。

 モノはというと、そのまま窓の縁へと足をかけて、


「……あばよぉ!!」


「――な、おい! 逃げるんじゃない! 待て!」


「それで待つ奴はいねぇ、ってなぁぁああああ!? 思ったより高い、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬぅ!!」


 飛び出した――のだが、ここが九つ聳え立つ塔の上の方の階であることを忘れていたモノは、地面の遠さに空中で慌てる。

 

「『無重力(グラビティゼロ)』!!」


 反射的に叫んだ『コマンド』。

 瞬く間に、ふわりと綿のように軽くなる身体、やがて、モノの足の裏は硬い地面の感触を確かめる。


 そんなこんなで、結構衝撃的な脱出を果たし、優しく着地したのは城下町の大通りの一つで、突如天から降ってきた美少女に注目し、困惑する人々。


「案外、何とかなるもんだな。ま、ともかく、ライラの目が届かないように、今のうちに移動して撒かなきゃな」


 「なんだなんだ?」「今、空から?」「美しい、天の使いじゃ!」などと、何やら神々しいものを見るような視線を受けながら、気持ちのいい着地に達成感を覚え、一人で得意げにするモノ。

 にしても、ライラが追いかけてくるのは目に見えているため、今のうちに、城下町の人混みの中へと姿を眩ますことを決定したモノは、直ぐに移動を始める。


「お腹も空いたし、適当になんか買って、観光とでもいきますか……っと、ティアとももう一回ちゃんと顔合わせなきゃだけどな。まあそれは今じゃなくて、後でいいだろ」

 

 今戻ったところで、ライラに捕まって一日中、鍛錬とか言って扱かれるのがオチだ。

 ということで、今日はティアは置いといて、ゆっくりと食べ歩きとでも行こうじゃないか。

 

 王都の至る所に設置された水を上手く使った彫刻。

 それを思う存分楽しめるとなると、胸が弾む。



「――はい、毎度あり!! 可愛い嬢ちゃん、また来てな!」


「おう」


 移動を始めて十数分。

 おおよそライラを振り切っただろう、といったところで、モノは露店にてパンと赤い果実を購入。

 市場、というだけあって、店も密集していれば、人も密集している。

 モノは露店のおっちゃんとの挨拶もそこそこに、パンと果実の入った紙袋を片手に抱えて、観光の準備を整える。


「うん、紙袋に入った物をツマミながら、歩く。我ながら完璧な観光スタイルだ。風情がある」


 陽射しも良く、暖かで澄んだ空気だ。

 

「あー、たまにはこういうのんびりしたのもいいな! エリュテイアも誘えば良かった……いや、今は戻れねえけど」


 何を難しい事を考えることも無い。

 ただぼんやりと、王都を歩いて回る。

 なんて、無意味で、尚且つ充実していて、贅沢な時間の使い方だろうか。

 はっきりいって、最高だ。

 この身体で目覚めてからというもの、こうやってゆっくりと過ごす時間はなかなか――、



「…………とか、思ってたんだけどな」


 突然、活き活きしたものから、ため息混じりへと変わるモノの声色。


 最早、一日に一回、『それ』をしないといけない決まりでもあるのだろうか。

 そんな決まりがあるのだったら、直ぐにでも破ってそこら辺に捨て散らかしてやりたいところだ。

 しかしまあ、そんなことはどう頑張っても出来ないわけで。


 世界が歪み、遠のく。

 どうやら世界は、モノに観光とか、そういうほのぼのとした時間を過ごして欲しく無いらしい。


「どんだけ私の事嫌いなんだよ、世界」


 突き放され、拒絶され、繊毛運動のように、排出される。

 『突発的テレポーテーション』。あらゆる抵抗を許さずに、世界のチャンネルが切り替わり、モノは別の場所へ。


 市場の喧騒は消え、新しくモノの視界に映るのは、()()()()()()()()()()()と、()()()()()()()()()

 場所は、何かの建物の中だ。

 割かし広めな部屋。

 少女の方は椅子に座り、青年はその少女の前に跪いている。

 

「――誰だ、貴様は」

 

 驚いた表情の主に代わって、警戒心を剥き出しにして問うのは青年の方だ。

 放たれるのは冷たく、凍りつくような殺気。

 

 ありとあらゆる生命が恐怖して逃げ出してしまいそうな、濃厚なそれに、対するモノはというと――、



「……これうまっ」

 

 場違い過ぎる能天気さで。

 お腹も空いたので、紙袋の中の果実の一つを取り出して、心地好い音と共に齧り付き、甘味の感想を呟いた。




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