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三章第18話 浄化の涙




 ――ぽつり、ぽつり、ぽつぽつぽつり。


 時に少量、時に激しくと断続的に滴る大粒の雫。


 ――ぴちゃん、ぴちゃん。


 地面に落ちる音と、水溜まりに落ちる音の二種類が混ざって、空間に足を踏み入れた『白』く美しき少女の鼓膜を震わす。


 ――びちゃびちゃ、どどどど、ぽつん。


 天井と壁を覆い尽くした黒く脈動する触手。

 その触手についた醜く生理的嫌悪と吐き気を催す、無数の開かれた大きな瞳。

 だが、皮肉なことに、気持ち悪い怪物の瞳から流れた涙は、穢れの一切無く、透明な純水だ。


 触手達の揺籃の中心部にぶら下がるのは、これまた人の入れそうな程の大きな繭。

 それは偶にガサゴソと揺れ動きながら、羽化の時を待ち望んでいる様に見える。

 モノは、この世の物とは思えない怪物の姿に、唖然と目と口を大きく開いて、立ち尽くす。


「な、んだ、これ……」


 狭いわけでもないが、一階に比べればそこまで広い空間ではない。特に飾りなども無く、床に一つだけ蒼白い箱が置いてあるだけ。

 踏み入れた時点では平和に見えたが、とにかく上が異様という他無い。

 見上げた瞬間に、氷で出来た神秘的な空間から、奇妙な生物の巣食う地獄の空間へ。

 

 だからといって、モノを無数の瞳で睨みつける怪物は、モノに危害を加えようとする素振りを見せようとはしなかった。

 ただただ、無感情な大小様々な瞳で、じっと。

 けれども――、


「――――」

 

 その視線がモノに与える『ストレス』は相当な『レベル』で。

 瞳を見つめ返そうとするが、その数が多すぎて、どれに向けていいのか分からず、注意力が散らされて『インポッシブル』。

 本能がエマージェンシーで、パニックなってて、リアリーでフラストレーションがリミットブレイク。

 あれ、なにかおかしい。

 思考パワーが、ダウンして、エモーショナルなセンセーションで、リベレーションなエボりゅーしょンなれぼりゅーしょ、え、えら、エエエエエエ、エラー、エラエラエラエラエラ、えらー――――。



 ――――プツン。


『ピー……ピー……特異体との接触による、当機体の思考回路の崩壊を確認。想定済みの問題(エラー)です。修復プロトコルを実行………………クリア。コード:ffffff、最終兵器(アルマフィネイル)【モノ】、再起動します』


 ――――カチッ。



「……ッ!! …………おかしいな、今、少し意識飛んでたか……?」


 一瞬だけの視界の暗転。

 それだけならただの瞬きだが、同時に他の感覚も消えたような気がした。

 何が何だか解らないが、モノは頭をぶんぶんと横に振って、「いやいや、しっかりしろ私」と気合いを入れ直す。


「……で、この繭の中身、絶対碌でもないやつだよな? どうしよう、今の内に潰しておくのが正解か……? まあ、まず、触手が邪魔するだろうけど」


 繭を潰す、そう口にした瞬間に、繭をモノから隠すように動いた触手。その知性があると思われる動作を見て、しまった、と頭を抱えるモノ。

 が、そこで、突如、モノは鼻の奥に違和感を覚えて。

 次に暖かい何かが流れてくる感覚が。


「鼻血か……? どうして急に……ナナリンじゃあるまいし、そもそも興奮する相手が……いや、さすがにこんな化け物はレベル高すぎて無理だからな!?」


 こんな怪物に興奮して鼻血が出るなんてことがあったら、今まで出会ってきた数々の変態共のそれを軽く越えてしまう。

 などと、モノは、鼻の下に手を当て、その白い甲についた赤い液体に、誰かいる訳でも無いのに謎に言い訳を繰り広げる。


 そうやって騒いでいる間にも止めどなく溢れてくる鮮やかな血液。

 やがてそれは、顎へと伝い、一粒の雫となって、足元の水溜まりへと――、


「おっとと……」


 ――ぴちゃん。


 堕ちて――溶けて――混ざった。



「…………!!」


 刹那。

 全ての漆黒の触手が激しく、脈動、脈動、脈動――。

 

『――け、がした』 


 グチュグチュと、潰れるような不快な音を立てながら、変形して、無数の瞳が付いた触手の中から、一つの大きな口が出現。

 どういう原理か声帯をも作り上げたその口は、警戒しながら鼻血を乱暴に拭うモノへと、途切れ途切れの低い声を放って――、


『けが、した。けがし、たけがし、た、けがした!!』


「うおうっ!?」


 一際強く叫んだと思えば、三本の触手がモノを目掛けて、さながら弾丸の如く伸びた。

 突然の事に、素っ頓狂な声を上げながらも、反応しきったモノは、左に軽く飛んで飛来する触手を回避。

 ダダダッという氷の床を抉る音。

 見れば、先までモノが立っていた位置、透明な氷でできた床へと、深々と三本の触手は突き刺さっていて。


「おいおい……! 一応、私の『無重力(グラビティゼロ)』の頭突きでも傷一つ付かないような氷だぞ……!?」


『じょうか、じょうかじょうかじょうか――』


「……! システム・アンロック――『拒絶(リジェクト)』!」


 リアクションの途中だというのに、次いで、今度は横からモノの身体を劈こうと飛来した二本の触手。

 モノは、間髪入れずにやってくるその二発の攻撃を、右手を突き出し、障壁を展開して迎え撃つ。

 ぶつかり合う両者、しかし、触手の威力は凄まじく、モノはその勢いに押され、滑る床も相俟って大きく後ろへと下がらされてしまう。


「くそ、氷の床、結構厄介だな……!」


 苦言を呈しながらも抵抗するモノに怪物も、その触手の本数を増やして、代わる代わるに障壁を豪雨の如く連打、連打。

 モノはそんな無数の触手の攻撃を受け止めながら、じっと集中。神経を研ぎ澄まして、一本一本の素早い触手の動きを見詰めて――、


「……ここだ! システム・アンロック――『無重力』!」

 

 そう言うと、モノは障壁を解除。『正義』の感情、その出力を上げ、『無重力』によって軽くなった身体で、触手の雨の合間をするりするりと、縫っていく。

 顔、肩、腕、胴体、足。

 必要最低限の動きで、器用に避けて、避けて、避けて。

 ギリギリ、スレスレを横切っていく黒の触手。

 障壁を解除した理由は身動きが上手く取れないから。

 つまり、今のモノの目的は、一度体勢を立て直す為にもこの部屋からの脱出だ。


「そいそいそいそい!!」


 顔に飛んでこようものなら、しゃがんだり、首を曲げたり。胴体に飛んでこようものなら、身を捻り。足に飛んでこようものなら、軽く飛んで。

 避ける度に、氷の壁へと突き刺さり、次々に穴を空けていく鋭利な触手。

 やがて、集中を切らすことなく、モノは扉の付近へと辿り着き、脱出の為に踏ん張って――、


「――ぁ」


 ――その踏ん張った足の裏があらぬ方向へと、盛大に摩擦を失い、滑り散った。

 重心が傾き、大きくバランスを崩す身体。

 なんとか、『無重力』によって、ふわりと身体を起こそうとするが、そんな一瞬の隙を、怪物の触手が見逃す筈もなく。


「だめだ、『拒絶』ッ!」


『――じょうか』


「ぐうぁっ!?」


 一斉に波のように押し寄せた触手。

 間一髪のところで、障壁を再び生成したモノは、しかし、その勢いを殺せる訳もなく、火の粉が舞うように、軽々と外へと放り投げられてしまう。

 外は、吹き抜けの展望デッキ、このままでは落ちてしまう。


「やばい、落ち……って、へぶっ! 『無重力』があるから落ちても大丈夫か。ぐはっ! いやでも、また登ってくるの面倒臭い!! おふっ!」


 広いデッキの上を転がり跳ねながら、喚くモノ。

 螺旋階段を登るのが面倒臭いのもあるが、『白』の力も無限では無いため、あまり無駄遣いしたくないところだ。

 落ちてしまえば、落下の衝撃を殺すための発動と、また登ってくる為にも発動しなければならなくなるので、それは是非とも回避したい。


「それなら……! そおおおおおおいっ!」


 故に、足を伸ばしてそれをハンドルとブレーキのようにして、氷の床に擦り付け、速度を落としながら、進行方向をチェンジ。

 幸い、部屋から追い出して満足したのか、触手の追撃は無いようなので、心を落ち着かせて、冷静に。


「おおおおぉぉぉ……いだぁっ!」


 ブレーキは上手くいかなかったものの、進行方向のチェンジには成功。

 モノはデッキに存在する四本の柱の一つに、背中を思いっきりぶつける。

 ぶつかって、結果的にそれがブレーキの役割を果たし、漸く勢いが死に、モノはなんとか、デッキに留まってみせた。


「せ、背中がぁ……! 勢いが死ぬんじゃなくて、これ普通に()が死ぬ……って、ん?」

 

 一難去って、安堵の表情を浮かべながらも、強打して痛んだ背中を摩るモノ。

 あまりの目まぐるしい状況に『私』という人称も忘れ、ボヤいていると、そこに近づくのは誰かの足音のようなもので。


 まあ、足音といっても、構造上、螺旋階段を登る音以外有り得ないのだが。

 暫くして、視界の先、予想通り螺旋階段の方から姿を現した人物を見詰める。

 すると、その人物もモノの姿に気付いたらしく、モノへと視線を向けるや否や、不愉快に顔を顰めて、


「――何故、あなたがここに居るんです?」


「えーっと、確か。アズラクだっけか? ……お邪魔してます」


「気安く名前を呼ぶな、クソガキ」

 

 どうやら本当に運命の神とやらは、今回、モノに休む暇を与えたくないらしい。

 

 怪物の攻撃を凌いだのも束の間。

 どういう訳かモノを目の敵にしている、海底よりも深い青髪の青年――アズラク。


 『青』の『最終兵器』である彼は、モノへと相も変わらずの殺気を放った――――。




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