一章第5話 最終兵器『モノ』始動
あんなにも笑顔が似合っていたその顔は、最早、見る影もなかった。目を充血させ、大粒の涙を零し、嗚咽を漏らすエルの姿はモノの知るそれとはまったく違っていて――、
「おいおい、一体どうしたんだ? あーもう、せっかくもらった服が鼻水やら涎やら幼女の液でびしょびしょだよ……」
当然だがいくら服に幼女のありとあらゆる液を塗りたくられたところで、そんなので興奮するような特殊性癖をモノは持ち合わせていない。
このまま泣きじゃくってもらっても、どんどん貰い物の服がただただ汚れていくだけである。
なので、取り敢えずモノはエルに落ち着いてもらうべく、なるべく優しい声色で聞く。
「お、兄ちゃんっ、がっ……うわあああああああん」
「おう、落ち着け。やべえ、真夜中に幼女に泣かせてなんか勘違いされないよな……? よし、こういうときはまずは深呼吸だ。ほら吸ってー、吐いてー」
「んんっ、すーっ、はーっ!」
言いかけて、何かを思い出したのか、途中で泣き喚き始めてしまったエル。そんなエルにモノはできる限り冷静な態度で、一旦、深呼吸を促した。
するとモノの催促を受けて、素直に大きめの深呼吸をするエル。その姿にモノは手ごたえを感じ、
「どうだ、話せそうか?」
「う、うんっ……」
「よしよし、いい子だ。じゃあ何があったか教えてくれ」
どうにか、話せるくらいには落ち着いてくれたらしいので、モノは改めてエルに何があったのかを問う。しかし、次の瞬間に、幼女の口から出たのは信じられない一言で――、
「男の、人、達がっお兄ちゃんを連れていって……っ! ひぐっ見せしめだって……お前のお兄ちゃんは殺されるんだって……えぐっ」
「な…………!!」
※※※※※※
「ぐぁっ……!!」
顔面に走る鈍い痛み。その衝撃で倒れ込み、砂が口の中に入ったせいか、じゃりじゃりとした不快な感覚が口に広がる。
周りには入れ墨の入ったゴツゴツとした上半身を見せびらかす、体格の大きい男と、その部下が数人と、集まるよう指示された集落の民衆達。
縄で縛り上げられ、手足の自由を奪われたケイは、なすがままに男たちによって殴る蹴るの暴行を受けていた。
「なァおい、聞いてんのかァ? 最後のチャンスだぜェ。お前の死んだ親の財産、全部俺に寄越せ。お前使わねえんだろ? じゃあ俺が有効活用してやるって言ってんだよォ」
「………………」
最後のチャンスと言って、無茶な要望を一方的に押し付ける入れ墨の男。
無論、ケイはこの男の要望に一切答える気はないし、答えなかったところで、こいつらはケイを殺してからでも、財産を勝手に奪っていくことだろう。
「無視かよ、無視は寂しいなァ、ケイくんよォ。おい、お前らもう一発いいぞ」
「おら、さっさとお頭の言う事を聞きやがれ!」
「がぁっ! ……はは。そうやって、暴力で弱者から色んな物を巻き上げて……そういうことしか出来ないんだろうね君達みたいなやつ――――」
「……おい、そんなこと俺は聞いてねェよ。俺が聞きてェのは、財産を譲る気があるのかどうかだけだ」
入れ墨の男が指示すると、周りの部下達が一斉にケイの身体を痛めつける。そんなことを繰り返してどれだけ経っただろうか。
まあどれだけ経ったところで意味もない。ケイには尊敬する親の財産を譲る気など全く無いし、それを折る気など毛頭ない。
こいつらは少し前からこの集落で頭角を現し、現したと同時にこの集落を力と恐怖で支配した。
あの時のことはよく覚えている。見たことも無い威力の魔法を使って、見たことも無い力で抵抗する者達を捩じ伏せていったのだ。
こいつに逆らった者は無事では済まない。
そうわかっているのだが、これだけは譲れない。
抵抗は諦めたし、見せしめに殺されるのも受け入れるが、その要求だけはずっと拒否してやる。
だから、
「譲る気は無い。どうぞ殺してくれ」
せめてもの悪足掻きだ、命乞いもせず、さも何も感じていないように振舞って、こいつらにとってつまらなく死んでみせる。
それが、『見せしめ』が決まってから今日の今に至るまでにケイが考えた結論だった。
そういえば、森の中でエルに迷っていたところを助けられたというモノという、非常に容姿の整った少女に出会い、家でもてなしたことが記憶に新しい。
最初は不審に思ったりもしたが、話してみるとちょっと変な子だけど、純粋で、優しいいい子で、どこか母と重なったりもして。
最後に出会ったのが彼女で良かったと本気で思う。
どうか、これからも元気に生きていって欲しい。
「澄ました顔しやがってよォ、お前、つまんねェなァ……そうだ、お前、妹いたよなァ?」
「…………!」
昨日の暖かな出来事を思い出していると、突然、入れ墨の男がケイの家、正しくは両親の家がある方向を見つめながら、呟く。
「やっぱ、あいつも殺しとくかァ? お前、そうしたら『見せしめ』が面白くなりそうじゃねェか!」
「や、やめろ! あの子は関係ない! それに、僕が殺されれば、エルは助けてくれるって言ったじゃないか!」
「ギャハハッ! お前、さては馬鹿だろ。そんな口約束、誰が信じるんだよォ!」
「そんな! 頼むあの子だけは……だめだ、やめてくれ!」
予定になかったエルの命が危なくなり、激しく狼狽えるケイ。そんなケイの様子を見て、入れ墨の男はニタニタと笑みを浮かべ、
「あァ、それだよ。その必死さ! やっと『見せしめ』っぽくなってきたじゃねェか、おい! こいつの妹連れてこい!」
「頭、了解っス!」
ケイの反応を見て、楽しくなったのか部下の一人にエルを連れてくるように指示を飛ばす頭の男。そんな一連のやり取りを見て、ますますエルの身の危機を感じたケイは、さっきまでの澄ました態度から一変して、必死に妹だけは手を出さないようにと懇願する。
しかし、男達が聞く耳を持つ訳もなく――、
「やめろ、やめてくれぇ! あの子にだけは……」
その時だった。
「――悪い! 通してくれ!」
一度聞いたら忘れるはずもない。それまでの男達の嘲笑や愚弄、自分自身の呻き、その全てを打ち消す、あの綺麗な鈴の音のような声が響いたのは。
※※※※※※※※※※
「――はっ……はっ……!」
エルの話を聞き、飛び出したモノ。冷たい夜の風を切り、熱い吐息が澄んだ空気に混ざる。
聞くところによるとケイは集落の広場に連れていかれたらしい。
「くそ、さっきのあれは、そういうことだったのかよ!」
夕飯前、数人の男に『逃げるな』と言われているケイの姿を見た。よくよく考えれば、思い当たる点が、今までのケイとの会話の中でたくさんあった。
なぜ気づかなかった。
それは勿論、モノを巻き込まないように、わざとケイが隠していたからだ。
多分、エルにもケイはモノを巻き込まないようにと言っていたはずで。それでも、まだ非力な小さな子供のエルは、他に頼る当てを知らず、外に出てきたモノに助けを求めたのだ。
エルだって、モノがたまたま外に出なければ、助けなんか求めなかったに違いない。兄との約束を必死に守ろうとしていた。小さな体に、兄を連れていかれたことによる、計り知れないほどの恐怖と不安を抑え込んで。
「ケイの奴、もうすぐ死ぬってわかってて、あんなに…………あんなに俺のことを……!」
なんて奴だ、と、モノは思う。
あと少ししたら殺されると分かっていて、あんなにも見ず知らずの赤の他人に親切にできるものなのだろうか。
否、モノにはそんな生き方、できるわけもない。
非力で、『魔力なし』を言い訳にして、他人の顔色をうかがうことしかできない臆病者にはそんなこと――、
「なんでお前は、そんなにかっこいいんだよ……!」
詳しくは知らないし、理由はともあれ、そんな男が殺されるほどの大罪を犯すわけがない。思い込みだと言われても、それでも、ケイがそんな奴だとは思えないのだ。
「! あの人だかり……あそこか!!」
がむしゃらに走り、酸素が足りなくなったからか頭がクラクラとし始めたその時、モノの視界には明かりと、人だかりが飛び込んできた。
直感的に、そこで『見せしめ』なるものが行われていると考えたモノは、急いでその人の集まりへと駆け寄る。
「悪い! 通してくれ!」
驚く声やら「あぶないだろ」などという言葉が聞こえてきたが、小さくなった背も最大限に利用しながら、それらをすべて押しのけてモノは、その人混みを抜ける。
するとそこには――、
縄で拘束されたケイと、入れ墨が描かれた上半身を露出させた体格の大きい男と、それを囲む数人の男の姿。
「――ケイ!」
「モ、モノちゃん……!? どうしてここに!?」
「エルの奴に助けてって言われたよ! けど、あいつを責めるのは無しな! あいつもお前のことを想って――」
「……おい、なんだァ? お前。こんな可愛い娘この村に居たかァ?」
どうか、あの優しい幼女をケイが責めないようにとモノが説得しようとしていると、その様子を見ていた入れ墨の男が品のない喋り方でニタニタと笑う。
元男のモノでもわかる。このねっとりとした視線と、生理的な悪寒、間違いない、とんでもない変態野郎だ。
「んでもって、なんつーか、お前は絵に書いたような悪者だな。割と鏡見ると悲しくなるレベルの……私のこの可愛さ見習えよ。あ、やっぱあんま見ないでくれ、鳥肌が……」
こんな入れ墨上半身露出ニタニタ男にずっと見られてる姿を想像をすると、それはそれはもう鳥肌が。
「おい、なんだこの糞ガキ。もしかして、この俺を馬鹿にしてんのかァ? あァ? ……まあ、今回だけは、その可愛さって奴に免じて許してやるからそこで大人しく見てろよォ……ギャハハッ! すぐに理解するぜェ、この俺に逆らったらダメだってことがよォ!」
「ぐっ……!」
そう言って、縄で拘束したケイの髪を引っ張り持ち上げる入れ墨の男。髪を引っ張られたことによる痛みで呻くケイの姿をよく見ると、顔と身体の至る所に痣や、傷がついている。
「なあ、参考程度に聞かせてくれ。ケイがお前に殺される理由を教えて欲しいんだが……どちらかというとお前の方が犯罪やっちゃう感じの見かけだと思うんだけど」
人を見かけで判断するな、とはよく言ったもので。もしかしたらこの入れ墨の男にも正当な理由があるかもしれない。まあ、この状況と、周りのギャラリーの反応を見れば、どっちが悪かなんて分かりきっていることだが、一応。
「あァ? 理由? それはなァ、こいつが死んだ親の財産を俺に寄越さねェからだ。俺に逆らうこと自体が罪なんだよォ、分かるかァ?」
「うわあお……何言ってんのこいつ、本気で頭イッちゃってるじゃん。全く理由になってねえし、ガキ大将かよ……」
想像以上のとんでも理論が飛んできて聞いたこと自体が馬鹿だったと後悔するモノ。
そんな理由で今にも殺されそうになっているケイの心中お察しする、といったところだ。
「さっきから黙って聞いてりゃァ、ちょっと可愛いからって調子に乗んなよォ、小娘。あァくそ、イライラしてきた、妹連れてくるのもおっせえしよォ。もういいや、さっさとこいつ、殺すわ」
「おいおいおいおい、ちょっと待――」
イライラしてきたからさっさと殺すなどという、八つ当たりもいいところの理由で、今すぐに『見せしめ』を開始すべく、ケイの喉元に男は持っていたナイフを突きつけた。
今にも、そのまま首を斬り捨ててしまいそうな男の勢いを見たモノは、男を慌てて制止しようとする。
だがしかし、それと同時に、突如モノの腹部に走る謎の衝撃。
「かはぁっ……!!」
「なァ、さっきまでは見逃してやったけどよォ。もう俺に命令すんな。次はお前も殺すぞ」
「モノちゃん!!」
男の蹴りが、モノの鳩尾を直撃していた。あまりに軽い少女の身体は、その男にとっての弱めの蹴りだけで浮き、吹き飛び、地面を転がる。
「ぐ……うっ……」
砂埃を上げ、転がった先の地面でピクピクと痙攣し、その抉られたような痛みに、自分の腹部を押さえて丸まり、悶えるモノ。
息ができない。必死に酸素を肺へと送り込もうと、口から息を吸い込もうとするが上手くいかない。
鳩尾への衝撃による横隔膜の一時的な機能停止だ。
「ひゅっ……ひゅ……!」
未だ継続的に腹部に走る鈍い痛みに、意識が持っていかれそうになるが、モノはそれだけは、と踏ん張る。
意識の端を掴み、ぶら下がるような感覚だが、それでも今、それを離す訳にはいかない。
だが、そんなモノの必死の抵抗も虚しく、入れ墨の男は、『見せしめ』――ケイの公開処刑をそそくさと再開し、高らかに笑う。
「ギャハハッ! さァ! お前らよォく見とけよォ!! んでもって、よォく本能に刻み込めよ、俺に……このヴァガラ様に逆らったらどうなるかっていうことをよォっ!!」
「や…………め…………!」
凶悪な笑みで顔を歪ませ、『見せしめ』らしくわざと見せびらかすようにナイフを振りかぶる入れ墨の男――ヴァガラ。
モノは、蹲り思うように動けない身体に鞭を打ち、必死に男を止めようと足掻くが、せいぜい掠れた声を漏らし、伸ばした手が虚無を掴むだけ。
この惨状を見ている、否、見せられているギャラリーの反応もまちまちだ。
諦め呆然とする者然り、次に訪れる目の前の死の恐怖に瞼をぎゅっと瞑る者然り、「いやあ!」と悲鳴を上げる者然り。
しかし、当然、その処刑を、その殺人を止められるものはその場に居なくて――、
「――終わりだなァ!!!」
「や………………!!」
男が振りかぶったナイフの切っ先が、ケイの首筋に吸い込まれ、その肌に触れる。
そのまま赤い鮮血が飛び、首がぼたりと地面に転げ、一つの生命が終わりを迎える――――それよりも早く、
「――やめろぉッ!!」
先程まで呼吸困難に陥っていた筈のモノが叫び、同時に、信じられないことが起きる。
「ぐぼふゅぁッ!?!?」
ナイフを握り、次の瞬間にはケイに死を与えていただろう男の身体が突然、白い閃光と強烈な風圧に呑まれ、間抜けな絶叫と共に消え去ったのだ。
否、消えた訳では無い。一瞬の内に、遠くへ吹き飛ばされていたのだ。そう、他でもない、
――――モノの手によって。
「…………ぇ?」
その場にいた全員が全く今目の前で起きた状況を理解出来ていなかった。勿論、モノもそうだった。
突然現れた少女が男に蹴り飛ばされ行動不能になったのを全員が見ていたし、地面にみっともなくのたうち回るのも見ていた。
動けるはずもなかった。しかし――、
少女はこの場の誰もが捉えられない速さで起き上がり、移動して、男を殴り飛ばしたのだ。
有り得ない速度。有り得ない力。有り得ない光景。
「なん、だこれ……!?」
皆が皆、たった今起きた現象に困惑、驚愕し、目を見開いて唖然とする中――、
『――特定感情の増幅に伴う、《色彩》係数の上昇を確認。コード:ffffff、最終兵器《モノ》……起動』
――モノの脳裏には抑揚の無い声が響いていた。
全ロリコン紳士達から殺されそうな、ヴァガラとかいうこの男。
こいつ実はこの集落出身で、ちょっとグレちゃっただけっす。
んじゃまあ、モノちゃんやっちまえ!!!!