三章第14話 理不尽を抑え込む杭
薄い氷の幕にその身体を覆われ、生活の一部を切り取ったかのような、動かぬ彫像と化した無数の人々。
唯ならぬ冷気を帯びた広間に並べられたそれらを前にして、モノが唖然としていると、説明を始めるのはエリュテイアで。
「……昨日の昼辺りかしら。王都全体に突然、途轍もない冷気の波が吹き荒れたのよ。それが瞬く間に全部を凍らせて、生物は氷の彫像に、王都は白銀の世界に」
「……」
「私は血で壁を作って何とか凌いだのだけれど。自衛手段を持たなかった人達は全員、この状態ってわけね」
彫像の一つを軽く、扉をノックするように、コンコンと鳴らすエリュテイア。
エリュテイアの言葉にモノが思い出すのは、外のアーチ状に固まった噴水と、羽を広げた状態でピクリとも動かなくなった鳥。なるほど、これらはその冷気の波とやらで、『一瞬』で凍った証明だ。
あんな綺麗な形を保ったままなんて、時間をかけて徐々に凍ったのなら、確かにおかしな話だ。
あの噴水と鳥と同じ様に、王都に暮らす人々も瞬時に凍りついたらしく、その結果が目の前に並んだ彫像というわけだ。
ともなると、
「ま、まさか、この中にナナリンとアルファも!?」
「……いいえ、二人はまだ行方不明よ。この中には居ないけれど、今頃王都の何処かで二人も、多分……」
言い難そうに目を伏せるエリュテイアだが、彼女の言いたい事はモノにも理解出来る。
こうやって、王都の人々が氷漬けにされた彫像を前にすれば、アルファとナナリンも無事では無いだろうということは流石に分かる。
そう、今頃、王都の何処かで――、
「そうか……って、ちょっと待ってくれ。私がこの城まで走ってきた時は、氷漬けにされた人、一人も見かけなかったぞ?」
「それは、目の前のこれを見れば分かるわ。この人間達は、外から運んだ成果よ――空を飛んでいる火の玉を吐く竜から守る為にね。今のところ、王都を東西南北四つのエリアに分けて、東と南は回収が終わってるわ」
「竜……? あの空飛ぶトカゲか!? あれ火を吐くのかよ……」
「と、トカゲってあなたね……まあ、とにかく、モノが走ってきたのは既に回収された場所だったということよ。残りの西と北は、一部の凍らなかった一番隊の人間達が回収中よ」
「なるほどな……」
火を吐くという空を飛んでいた無数のトカゲ――否、竜。エリュテイアの口振りからするに、凍った人々を溶かしてくれるとか、そんな都合のいいものでは無さそうだ。
次々に視えてくる状況を整理すべく顎に手を添え、考え込むモノ。
その途中ふと、また新たに疑問が生まれた為に、モノは小さく呟く。
「……一番隊が回収中。じゃあ、他の隊の奴らはどうしたんだ? まさかこの一大事に、じっとしてるわけがないからな……」
この王都は現在、八つの軍隊を保有していたはずだ。ならば、その内の一つが凍った人々の回収を進めているのだとしたら、他の残りの七つの隊は何をしているのだろうか。
少なくとも、外で誰かが竜と戦っていたりとかは見ていないが――、
「――それは、この余から説明するのだ」
沼へと片足を突っ込んだところで、突如投げかけられるのは可愛らしい子どもの声。
モノとエリュテイアは同時に廊下へと振り返り、その視界に、一人の幼女を捉える。
淡い黄と緑のグラデーション髪を左頭頂部でお団子に纏めた、空色の瞳をもったその幼女。
「今、王都にはライラの奴が率いる一番隊しか居ないのだ」
レイリアの王――ティア・ニータ・レイリアは右頭頂部に付けた王冠をキラリと光らせた。
※※※※※※
「――は!? 一番隊以外、王都に居ない!?」
「なのだ」
先端に蝶の飾りの付いた杖を突き、なんでもないような顔で、衝撃の発言をするティアにモノは思わず声を上げる。
「そりゃまたなんで……」
「どこから説明したものか、なのだ……そもそも、王都の保有する軍隊の目的をお主は知ってるのだ?」
「……? いや、王都含めて国を守るためだろ? ライラもそう言ってた記憶があるし……」
「うむ、それも確かに目的の一つなのだ。だが、それはあくまで本筋じゃないのだ。余が、軍隊を結成した理由、それは――」
王都へと向かう馬車の中で、ライラから事前に聞かされていた軍隊の目的は確か、王都を守ること、だったはずだ。
しかし、それだけではなく、もっと大きな目的があると宣うティアは、一度、間を作ってから、再び口を開いて、
「――世界の理不尽、その権化たる【超越者】に対抗する為、なのだ」
「っ!?」
「……もし、現存する全ての【超越者】が同時に動き出したとしても、それぞれの隊が派遣できるように数も合わせてあるのだ」
「ああ……! それで八個も隊を分けてるのか……ってちょっと待て、その【超越者】の一人が味方になってねえか? しかもそうなってくるとまた数が……」
世界の理不尽とは、今までによく耳にした【超越者】の評価である。理不尽という言葉からして、強大な力を持って好き勝手にのさばっていることだけは理解できるが。
それはさて置き、ティアの言う様に、王都の軍隊の理由が、【超越者】に対抗する為だとして、この軍隊の中にその【超越者】の一人が混じっているのはどういうことだろうか。
しかも、そうなると対抗すべき【超越者】は一人引いて七人であり、それぞれの隊がそれぞれの【超越者】に対処すると自ずと一つ余ってしまうわけなのだが。
こんがらがってきた思考に、首を傾けるモノ。
ティアは更に説明を重ねる。
「――『破壊竜』ライラ・フィーナス。うむ、あれも間違いなく【超越者】なのだ。だが、あれは余と契りを交わした身」
「契り……」
「うむ、詳しく説明すると長くなる故に割愛するが、簡単に言えばこの王都を守る契りなのだ」
「つまり?」
「つまり、あれを除く七人の【超越者】の対処に当たるのが、二番から八番隊の七つの隊。あれの率いる一番隊の役目が、王都の防衛――というわけなのだ」
片目を瞑り、杖をモノに向けて突き出すティア。
要するに、【超越者】に対抗する軍隊である二番から八番隊と、王都の守りをする一番隊は区別されているという理解であっているのだろうか。
「……よくわっかんねえけど、実際に王都を守るのは極論、一番隊だけってことでオッケー?」
「おっけ……? その単語は知らんが、そういう理解で大まかには間違いないのだ。そこの『赤』の少女には、既に同じ説明をしたから、確認したかったら後で聞くといいのだ」
「ええ。といっても、私もモノと同じレベルの理解だけれど」
ティアの視線に肯定を示すエリュテイア。
モノは一生懸命に、今のティアの説明をモノなりに噛み砕き、『インストール』して、それから、ようやく今の状況に結びつけて――、
「……んで、この説明を踏まえた上で、今、一番隊しか居ないっていうのはまさか……」
「……そのまさかなのだ」
「ライラを除く七つの【超越者】の全員が、何か問題を起こしたって訳か」
「全部が全部、問題を起こしたという訳では無いのだ。目撃情報だけのものもあるのだ……【超越者】はどれも神出鬼没で世界の各地で問題を起こすから、監視が必要なのだ」
これで、一番隊以外が王都に居ない理由がはっきりした。
その原因である、世界各地で動き出した【超越者】の話も気になる、が、今はそれどころではないので、深く聞くことはモノもエリュテイアもしない。
「……そして、こうなると、一番隊以外の隊が全て拘束されてしまうのだ。だから、自由に動ける戦力である九番隊を結成することになったのだが……」
「なるほど、色々と分かってきた……いや、やっぱり難しいことは分かってねえかも」
「打倒【超越者】組織、なのだ!」
「あ、すっげえわかりやすい」
確かに簡単に言ってしまえばそれだった。
細かいところは大雑把な説明だからか見えてこないが、大体は把握出来た。
モノが納得の表情で一つ頷くと、ティアは満足した様子で頷き返し、それから話を一転させる。
「――して、モノ・エリアスと、エリュテイアよ。お主達、何やらこの『青』い雪の原因を知っておる素振りだったのだ?」
「げ、聞こえてたのか……!?」
「余を誰と心得るのだ! この城の中くらいの話し声、余の耳には難なく聞こえるのだ! お主が記憶を失った事も知っているのだ!」
「おいマジかよ、すげえ」
「そうだろうそうだろう、なのだ!! もっと余を褒めるのだ!!!」
小さな身体で小さな胸を張って、ふんぞり返るティア。
その様子を見るモノとエリュテイアの視線はとても生暖かいもので。
暫くして視線の質に気づいたのか、ティアは咳払いをして冷静さを装いながら、話を続きを始める。
「……冗談はさて置き、今、余はこの城の生命の維持の為に力を割いているせいで無力なのだ。そこで、青い雪の対処の方は、正体を知っていそうなお主達に任せたいのだが、いいのだ?」
「維持……? それは……まあいいか。ああ任せてくれ。正体を知ってるって訳じゃないけど、凍った人達も放って置けないしな。それに――」
「ええ、毒を以て毒を制す……『最終兵器』には『最終兵器』ね。モノなら放って置けない、そう言うと思っていたわ。となると、やっぱり一番『青』が居そうなのがあの塔なのだけれど……」
『塔』と言われモノが思い浮かべるのは、記憶を無くす前、一日目には無かった、聳え立つ細長いシルエット。
あんなもの、『私、ここにいます』と言っているようなものだったので、そこに『青』であろう人物がいるのにはモノも同意だった。
だが、次にモノがその同意を示す、それよりも早く、声は響いて。
「――――わざわざ『塔』に行く必要はありませんよ」
「……っ!」
「俺の方から、来てあげたので」
そこには一人の青年の姿。
――深い『青』の髪をもったその青年は、凍風を吹かせ、モノ達に、酷く冷たい殺気を放った。