三章第12話 『部分的記憶喪失』
白雪の絨毯を踏みしめ、降りしきる青雪を掻き分け、モノは白の光となって駆けていた。
出来る限り、あの常識外れもいいところの脅威から距離を取るために。
『――目が覚めたらすぐに、君はとある少女と対峙することになるだろう。でも、その少女とは、呉々もまともにやり合わないように』
とは、夢の中で『神』と名乗ったフォルの言葉だ。
「なんだ、意外と神とやらの啓示も役に立つじゃねえか。にしても、なんつう化け物だ、あいつ……!」
さすがは『超越者』――神を超えた者、と呼ばれるだけはある。
当たり前と言えば当たり前だが、『アゼルダ』でやり合ったオリバーなんて比べ物にならない理不尽さだ。
モノには幸い、『最終兵器』の力が有ったから良かったものの、そこら辺の実力者が束になってかかっても適いはしないだろう。文字通り、一瞬で、塵一つ残らない。
「『破壊』の恩寵……見た感じ兎に角全部壊す! って感じの能力だったけど……詳しいこともわかんねえしな。底が見えねえし、出来ればもう対面するのは避けたいところだ」
底が見えない、と言えばモノの身体に宿った『白』の力もそうなのだが、今は周りを取り囲んだ異常事態に比べればそんなことはどうでもいい。
「……無数の空飛ぶトカゲに、昨日までは無かった『塔』、それから、暴れるライラに、急な気温低下と――『青』の雪、ねぇ……これに関してはどう考えてもこっち側の話だろ」
目が覚めてから目にした異常を羅列して、改めて、その理解不能さに、モノは走る速度はそのままに頭を抱える。
特にこの『青』の雪。こんな鮮やかな『色』を付けておいて、今更その原因が分からないなどとは言わまい。
――十中八九、『最終兵器』が原因だ。
「ちくしょう、なんだってんだよ……! 王都に来て一回眠っただけだぞ!? どう転んだらこんな事態になるんだよ、寝ても醒めても悪夢ってまさにこの事だろ……いや、まだあの神との会話の方がマシだったか」
昨日の夜、モノが寝ている間に一体何が起こったというのだろうか。
視線を横にずらせば、そこにはあんなにも美しく輝いていた水の芸術が、まるで時間が静止してしまったかの如く、凍りついていて。
至る所に設置された噴水も、綺麗なアーチを保ったまま透明な氷の彫刻へと変貌を遂げていた。
「氷の芸術、綺麗だな、これはこれでありか……なんて言ってる場合かよ! 巫山戯てんのか!!」
様変わりした皮肉にもまた美しい景観を見て、場違い過ぎる感想を浮かべたモノは、ブンブンと頭を振り、自分自身にツッコミを入れる。
それから、モノは徐ろに顔を上げ、王都の中心に聳え立つ、九つの塔に囲まれた独特なシルエットの建造物を見上げる。
「……別に、異常現象に巻き込まれるのも初めてじゃないし、ともかく、思考を切り替えるんだ私」
『――塔を目指すんだよ、そこに全てがあるから』
「塔……ってのは、多分レイリア城じゃなくて、あっちの新しく出来た方のことだよな……?」
思い出すのは『白』の世界でフォルがモノに与えた二つの啓示の『ライラと戦うな』とは別のもう片方。
『塔』に全てがある、ということは多分、今の状況の原因があるということを意味しているのだろう。
しかし、問題なのは、この自称『神』のフォルの言葉の信用度だ。
加護を与えたとも言っていたが、今のところモノはそれらしきものを感じていない。
加えて、ライラが『神』を超えているとはいえ、『神』も大きな存在だと考えれば、あそこまでライラのような威圧感が、無い様子は変で。
正直言って、『聖遺物』という証拠は提示されたものの、モノはフォルが神であるとは鵜呑みにしていない。
だが、
「どこまであいつの言葉を信じていいのかわかんないけど、片方は合ってたからな……それに、あの塔を心がザワつく、早く向かわなきゃいけないような……」
先からあの細長い塔が、視界をチラつく度に、モノは言い様のない焦燥のような、喪失のような、そんな心のザワつきを覚えていて。
「……いいや、塔も気になるけど、今優先するべきなのは、皆の安否確認だ。エリュテイア達が無事だといいけど……となると、合流できる可能性が一番高いのはレイリア城か」
何故か、モノは別の場所に寝かされていたが、アルファは勿論、エリュテイアとナナリンも王城の部屋を借りていた。
更に、この王都で一番目印になるのは間違いなくレイリア城。
こうやってはぐれた時は、皆、同じことを思うはずだ。
などと考え、それ程遠くない位置に見えるレイリア城へとこのまま通りを突っ切ることを決めたモノは、ふと、静かすぎる辺りに疑問を浮かべて、
「いや待てよ。さっきから突っ走ってるけど、流石に人の気配が無さすぎないか……? ……くっそ! 嫌な予感がビンビンだぜこりゃ……!」
ライラから逃げ出し、通りを駆けて。
今の今まで人の影をまだ一度も目にしていない。
昨日、一度『突発的テレポーテーション』で城下町へと飛ばされた時は絶えず通行人がいたのに、今は一人も。
嫌な予感がする。言葉にしにくい類の感覚だ。
それに、昨日、といっても――、
「あの声。《部分的記憶喪失》だとかなんとか……確かめなきゃいけないことが多い。だああ! とにかく、皆、無事でいてくれ!!」
※※※※※※※※※※※
城下町同様、凍った水のアートが弧を描き、飾り付けられたレイリア城の姿。
そんな城の手前の長く広い階段を、二段飛ばしで跳ねるようにして登り、入口の扉へとやってきたモノは不安を紛らわすように深呼吸をする。
「結局、ここに着くまで誰にも会わなかったな……」
やはり、通ってきた道に人の姿は一つも無く、辛うじて見かけたのは翼を上げた状態でピクリとも動かなくなった鳥の一羽だけだった。
今、モノに出来ることは全員の無事を祈ることだけ。
モノは心の中でそう祈りながら、ゆっくりと王城の扉を押して開き、静寂が満ちた場所から静寂が満ちた場所へと足を踏み入れていく。
「…………」
玄関のここだけでパーティが開けてしまいそうな大きい広間。パッと見た感じ、ここにも人の姿は一つも無い。
その事実が、どうもモノの心を急き立てるようで。
「――エリュテイア! ナナリン! アルファ! 誰か! 誰か居ないのか!!」
モノの上げた声が、広い空間に反響しながら、静寂に吸い込まれて消える。
返事は無い。
王城にすら誰もいないなんてことはない、はずだ。
モノの鼓動が早まる。
「誰か! 返事をしてくれ! 誰か――」
まるで世界にたった一人取り残されたような孤独感。
『突発的テレポーテーション』の初回に味わったような最悪の感情がモノを押さえつける。
――その時だった。
「――モノ!? 今までどこに行っていたの!?」
「……ッ!! エリュテイア!!」
広場から繋がった廊下の奥から聞こえた声にモノが振り向くと、そこには駆け寄ってくる『赤』の少女――エリュテイアの姿。
今一番、無事であることを望んだ人物の一人の、元気そうな様子に、モノは一先ずの安堵。
ほっ、とため息をついたのも束の間、駆け寄るエリュテイアはそのまま、モノへと勢いよく抱きついて――、
「うおっと! ど、どうしたんだ、エリュテイア!?」
「良かった……無事だったのね……ほんとに、ほんとに良かった……!!」
「……! ……あぁ、大丈夫。大丈夫だ。ほらピンピンしてるぞ。ライラに襲われた時は死ぬかと思ったけど」
抱きついて、モノの身体を確かめるように優しく触るエリュテイア。その取り乱しようだけで、彼女がどれだけモノのことを心配していたのかが伝わってくる。
そんな彼女に、モノは落ち着かせる為に、健康状態をアピールする。
が、エリュテイアはモノの言葉によって更に、狼狽えた表情で、
「!! ライラに会ったの……!? ほんとに何処も怪我してないわよね!?」
「んにゃ、どっこも痛くない」
「そう……!! お、おほん……なら良かったわ」
ひとしきりモノの全身を撫でた後、ようやくモノの無事を認め嬉々とした顔をするエリュテイア。
エリュテイアはそれから、一つ咳払いと間を挟んで、いつもの態度へと戻っていく。
モノは彼女の様子を微笑ましく思いながらも、少し落ち着くのを待ってから、話を切り出す。
「エリュテイアも無事でよかったよ。……ところで、他には誰も居ないのか?」
「あ……それは……」
「…………?」
「ほら、わかるでしょう?」
モノの問いに対して、明らかに口篭るエリュテイア。
彼女は挙句の果てに「わかるだろ」とモノに理解を求めてくる。
そのエリュテイアの言動に、まず何よりも優先して聞かなければならない事があったことを思い返したモノ。
そうだ、聞かなければいけない。
ここからの状況整理をスムーズにする為にも。
大丈夫、彼女なら分かってくれるはずだ。
心の中で意気込んだモノは、改めて今度は別口から話を切り出して、
「わかんねえ、けど……そうだ、エリュテイア!」
「何、どうしたのかしら?」
「――今日って、私達が王都に来て何日目だ?」
モノの突拍子の無い、さっきの問いとは方向性が違いすぎる質問。
勿論だが、エリュテイアは質問を聞くなり、深刻そうな顔をして――、
「……遂に頭バグっちゃったのね…………?」
「いや、そういうのじゃなくて! ……って、こんな感じのやり取り前にもしなかった!? デジャヴ感がすげえ!!」
「ええ、デジャヴね。大丈夫、あなたがバグっても私達はずっと友達よ」
「そんなのも聞いたことあるなあ!? ……ああ、もう、だから違くて! ――エリュテイア、茶化さないでくれ、私は本気だ」
モノが巫山戯ているとでも思ったのか、まともに取り合おうとしないエリュテイア。
どうやったら本気だということが伝わるだろうか。
考えたモノは思いつかなかったので、取り敢えず真剣な眼差しを向けることにする。
正直、効果は期待していなかったのだが、エリュテイアはその視線から、モノが思っているもの以上の何かを汲み取ったらしい。
「はあ……その表情。こんな問いで何を求めてるのかは分からないけれど、真剣なのはわかったわ。えっと……」
指折り数え始めたエリュテイア。
その時間も一瞬。数え終えた彼女は、その指をモノの顔の前へと近づけて――、
「私達が王都に来て、今日は…………」
「…………」
「――――四日目よ」
――時間にして、丸二日分の記憶の消滅。
モノにとって信じられない事実を突きつけるのだった。