一章第3話 小さな集落
少々お見苦しい場面もあったが、エルと名乗った幼女に森を案内してもらいながら、歩くこと数分。
空は少々、赤く染まり始めた頃。
少しの迷いもなく歩を進めるエルに続いていたアインは、視界の先の光に、森の終わりを予感する。
「お姉ちゃん、もうすぐ森を抜けるよー!」
「……見たいだな。信じてなかった訳では無いが、改めて凄いな。お前がいなかったら今頃、熊さんに咥えられて森の中をマラソンしてたところだ」
「えっへへ、そうでしょー。でもエル、熊さんに咥えられたことあるけど無事だったからもしそうなっても安心してー!」
「は? え?」
この薄暗い、何処に行っても同じ景色の森をずんずんと進んできたエルの方向感覚に素直に驚くアイン。
目印があるとは言っていたが、流石は慣れたものだ。なんだかさらっと、今とんでもないエピソードを聞いた気がしたが、とにかく森の中で出会ったのが熊さんじゃなくて気の狂った幼女さんで本当に良かった。
「あ! お兄ちゃんだ!!」
「ん? 『お兄ちゃん』……? いや待て、この幼女め腕を引っ張るな! 流石にこの格好で男と会うのは抵抗が……!」
「お兄ちゃーん!!」
「いや話聞けよ! てか、力強いなお前!? ……まてよ、俺の力が弱くなったのか? いや、どっちでもいいから手を離してくれ!」
ふと、森を抜ける直前で大声を上げたエル。その大声の内容に、アインは少し抵抗を覚える。正確には、自分の格好についてだが。
ボロ布一つを纏っただけである格好で、しかも加えて、今は少女だ。かなり際どい感じに仕上がっている故に、幼女は別にいいが一般の人の目は流石に気になる。
まあ、今何を言ったところで何かが変わる訳でもないが。
「エル! 少し帰りが遅いから心配したよ」
「お兄ちゃん、見て! キノコいっぱい! あと、迷子の変なお姉ちゃんも!!」
「ああ、はは……うん、いつもありがとう。それで、変なお姉ちゃん……?」
どうやらこの幼女、話を聞かないのはアインに対してだけでは無さそうだ。
兄の心配もよそに、森の中で採ってきたキノコの数を自慢げに、ショルダーバッグの蓋を開けて見せつけるエル。そんなエルの様子に、苦笑いしながらも感謝を述べる兄は、『変なお姉ちゃん』と聞いて、アインの方を見やった。
その視線を受けて、遂に観念しアインは名乗り始める。
「え、えっと……そうだな……私はモノ・エリアス。そこのエルちゃんに道に迷ってたところを助けられた。あと別に怪しい者ではないから安心してくれ」
「モノ、ちゃん……?」
「そ、そうだけど……なんか変だったか?」
怪しい者では無い、などという不審者の定型文みたいな余計な言葉を加えて自己紹介をするアイン。
『アイン』という男性名では今後名乗るときに支障が出ると思い、『モノ』という咄嗟に思い付いた名前で名乗ったが、それに対して不思議そうにされると少し心配になる。少なくともおかしい名前ではないはずだが。
そんなアイン――改め『モノ』の不安を知ってか知らずか、少しの間じっとこちらを見つめた後、エルの兄らしい人物は優しく微笑みかける。
「いいや、いい名前だね。この広い森で迷うなんて大変だっただろう? 僕たちの家がある小さい集落が近くにあるんだ、寄ってくといいよ」
「いいのか? 自分で言うのもあれだけど、相当不審者レベル高いぞ私」
ボロ布を纏った変態スタイルで、薄暗い森の中、幼女を誑かし、道案内といってこき使い、果てには腕を絡ませるという過度なコミュニケーション。うん、完全に不審者だ。
いや別に誑かした訳でもないし、腕を引っ張ったのも幼女の方から無理やりなのだが。
「はははっ、こんな可愛らしい不審者なんて初めて見たよ!」
「わあい! お姉ちゃんといっしょー!」
モノの心配を、全く本気だと受け取ってくれないエルとその兄。
まあ、実際のところエルの兄の提案はモノにとっては願ったり叶ったりな訳だが。
もう一人にこのボロボロの姿を見られてしまった以上、あと何人に見られようが一緒だし、もうそろそろ今の自分の置かれている状況について落ち着いて考えたいところだ。如何せん、この状況訳の分からないことが多すぎる。
理解ができなさ過ぎて一周してしまったのか、自分自身でも驚くほどに冷静であるのが救いか。物事を判断する機能は衰えていない。
ともかく、今はエルの兄なる人物についていくのが正解だ。
「じゃあ、改めて。僕はケイ、聞いての通りエルの兄だ。よろしく」
「ああ、よろしく」
「それじゃあいこうか」
そう言いながらケイと名乗った妹と同じ茶色の髪をした優男は、黄緑色の瞳を細めこちらに微笑みかけてから歩き始めるので、モノと妹のエルもそれに続く。
「それにしても、集落の人間じゃないのにこんな森の中で何をしてたんだい? こんな田舎に集落以外の人がやってくるのでさえ珍しいのに」
「うっ……」
今後の目処がついて、ひとまず安心したのも束の間、いきなり大ピンチだ。現在のモノはそのケイの問いに対する答えを持ち合わせていない。そんなもの逆にこっちが知りたいぐらいである。
しかし、適当に答えて怪しまれては嫌なので、ここは正直に。
「それが……気づいたらここにいた、みたいな?」
「気づいたら……? それってどうやってきたのかわからないってことかい?」
「あー、うん。私自身、自分の状況がうまくわかってないんだ。むしろ誰か教えてくれよ、何が悲しくて一旦死んだ後に森の中でまた死にかけるんだよ」
「お、落ち着いてモノちゃん。途中から何言ってるか分からなくなってるから」
毒を盛られて死んだと思ったら美少女になってて森の中で熊さんとダンシング、なんて信じるはずもないので、モノの口からこれ以上言えることはない。そういえば遺跡っぽい建物で目覚める前に、何か感情が込もっていない声のようなものを聴いた気がするがあれは何だったのか。
『コード』とかなんとか言っていた気がしたが。
「何はともあれ、色々と大変そうだね……っと、着いたよ。ここが僕たちの住む集落さ」
「本当に近いのな、まだあれから全然歩いてないぞ。というかなんなら、森を抜けた辺りから見えてたし」
「はは、僕達が食材を採りに来るくらいだからね」
と、歩き始めてからまだそんなに立っていないが、どうやらもう例の集落についたらしい。
モノの視界には、木の柵で囲まれた、木造の小ぶりの家が無造作な位置に数十軒建ち並んでいる。
「まあ、今日はもう暗くなってきているし、このまま僕の家に案内するよ。夕飯も食べていくといいさ」
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「はいこれ。いつまでもそのボロボロの格好だと辛いだろうから、タンスの中から引っ張ってきたよ、種類が少なかったからモノちゃんの好みに合うかはわからないけど……」
「何から何まで悪いな……って、なんで私のサイズに合う服があるんだ? もしかしてそういう少女サイズの服を集めるとかいう特殊な趣味が……」
「違う違う! この服は僕の母の子供の頃の物でね、サイズはさっき感覚で調整してみたんだよ」
「採寸とかもしてないのにか……凄いな」
自慢しようとするわけでもなく、さらっととんでもないスキルを発揮していたケイに驚くモノ。
あの後、ケイとエルの暮らす家に案内してもらい、今はその中だ。なにか変わったところがあるわけでもなく、少し小物の多い普通の民家といった感じ。
家具は優しい色の木製のものに統一されている。
家に入ってすぐに、ケイに「ちょっと待ってて」と言われ、今のこの状況に至っていた。
「でもよかったのか? 母親の物を勝手に改造して」
「……ああ、いいんだよ。今はもう、両親とも生きていないから」
「……ごめん、もしかしなくても嫌な事言わせたな……って、いや、それって余計によくないだろ!? 思いっきり遺品じゃねえか!!」
「はは。もう改造しちゃったから、関係ないよ。大丈夫さ、母さんは優しかったから、これくらい許してくれるさ。むしろ褒めてくれると思うよ。ほら、着て着て」
「お、おう? なんか圧が凄いな……!? まあ、そういうなら私も有り難く着させてもらうけどさ……」
亡くなった親の遺品というか形見的なものを勝手にいじって着させてもらうというのは、かなり抵抗があるが、ケイの謎の猛プッシュと既に改造してしまっている事実もあり、大人しく着ることにするモノ。
実際のところこのボロ布から、しっかりとした服に早く着替えたいと思っていたので、そういうことでは有難いことこの上ない。
なので、言葉に甘えてボロ布を脱ごうとすると、ケイが急に飛び跳ねる。
「うわあっ!! な、ななな、なんでここで着替えようとするんだい!? そっ! そっちの部屋空いてるから、そっち使って!!」
「どうした……? ………………ああ!」
突然、赤面して物凄く狼狽えた様子で、手で自分の眼を塞ぐケイ。そんなケイの様子を不思議に思い、半分ボロ布を脱ぎかけたところで動作を止め、疑問を浮かべるモノ。
その後、暫く思考したのちに、やっとそのケイの反応の意味を理解する。
「……そういえば俺、いま女だったな。危うく知らん男の前でいきなり脱ぐ痴女になるところだった。うん、半分だからセーフ。……ん? 半分だから半分痴女か? 半痴女か?」
「何を訳の分からないことを言ってるんだい!? ほら、はやく!! 隣の部屋!!」
「ああ、すまんすまん!」
ケイに必死に言われ、そそくさと着替えを持って、隣の部屋に慌てて移動するモノ。そのまま隣の部屋に入るなり、モノは扉を閉めて「ふう」と一息をつく。
「危ない危ない。油断すると自分が少女だってこと忘れるな……気を付けないと」
森の中で散々歩き回ったお陰で、いつもより小さくなった歩幅には多少は慣れたが、まだどうも気を抜くと自分の身体が美少女になってしまったことを忘れてしまう。
「やばい。変に意識し始めたからか、着替えっていう行為にドキドキしてきた……」
よくよく考えれば全く知らない身体、しかも超がつくほどの美少女っぷりを発揮しているこの身体で着替えるというのは、客観的か主観的かの差は置いといて、ある意味「覗き」と同義ではないのか。
少し状況が落ち着いてきたからか、変な方向にどうしても思考が向いてしまい、鼓動も早まってしまう。
ただこのままずっと着替えないわけにはいかないので、ついに、脱ぐことを決意したモノはボロ布に手をかける。
「ええい、ままよ!」
そして、声を上げると同時にモノは見に纏っていたボロ布を、一思いに脱ぎ捨てる。それから自分の視線を部屋に置いてあった姿見に向け――――、
「きゃー! …………ってなんか、別に普通だな。あくまでも自分の身体だからか……? なんとも思わん」
見る前は謎に緊張していたが、いざ見てしまえばどうということはなかった。結局は今現在、この身体の持ち主である故か、心のどこかで期待していた性的な何かは得られない。
確かに、肌は陶器のように白く滑らかで美しいが、それだけである。
「ま、そんなもんか。緊張して損したな…………っと、着替え終了」
とまあ、それ以上特に何か思うこともなく、呆気なく着替え終えたモノは姿見で自分の姿を確認する。
そこには相も変わらず紫色の宝石のような瞳に白銀の長い髪をした、まだ顔立ちに若干幼さの残る可愛らしい少女の姿。その少女は、白色の肘の辺りまで袖のある服に黒いケープを羽織り、クリーム色のショートパンツから白く細い足をのぞかせていて、靴は同じくクリーム色のミドルブーツを履いていた。
「おお、自分で言うのもあれだがなかなかいい感じだな。ちょっと太ももから下が素足なのが落ち着かないけど」
実際、今のモノは、元の美少女具合も相まって、普通の男性なら軽く一目惚れしてしまってもおかしくないレベルに仕上がっているのだが、本人はそこまでは思っていない様子である。
「おーい着替えたぞ。さて、お待ちかねの美少女の登場――ってあれ、ケイはいないのか」
そんなこんなで着替えを終え、モノが部屋から出ると、そこにケイの姿はない。エルが一人、夢中になってキッチンで焼いている何かを、覗き込んでいるくらいだ。
リズミカルなパチパチという焼ける音が響く、先程よりも一段階静かになった空間に何か落ち着かない感覚を持ち始めたモノ。
やがて、モノが耳を澄ますとそのリズムに、何やら複数の男性の話し声が混じっていることに気づく。
「……なんかあったのかな」
気になったモノは外の様子を確かめるべく家の扉を開けようと、玄関に近づく、すると、会話の内容が聞き取れるようになり――、
「――……ギャハッ、じゃあなァ! 今日の夜が楽しみだなァ! 逃げても無駄だぜェ?」
乱暴な話し方の声に、ますます気になったモノが扉を少しだけ開け、中からちらりと覗き込む。
するとそこでは、ガラの悪い数人の男がニタニタと笑い、ケイを囲んでいた。
何か嫌な予感がしますね(他人事)