二章第27話 『こわくないよ』
「システム・アンロック――『血争』」
「――――!?」
「私、今とっても気分が悪いの。だから……死になさい!」
突如、脳天を目掛けて振り落ちる『赤』の槍。
直前まで軽薄な態度のモノに注意を集めていたオリバーは、背後の声に慌てて振り向く。
しかし、その振り向きの動作が隙を生じさせた。
反応の遅れたオリバーは、咄嗟に地面を蹴り、身を引くが、血で出来たその槍は左肩を掠め、肉を抉り取る。
「うぐぁッ…………!!」
不意打ちの攻撃。肩に走った鋭い痛みに悲鳴を上げ、衝撃で地面を転がるオリバー。
モノはそれを横目に、期待通りにやって来てくれた仏頂面の少女――エリュテイアへと言葉を投げかける。
「いやあ、待ってたぜエリュテイア! 俺、もう少しでゲームオーバーになる所だったぞ?」
「何言ってるの、相当早い方でしょう。……第一、あなたまだ全然ノーダメージじゃない。そういうのはちゃんと満身創痍になった状態で言って欲しいわ」
「ああ、確かにさっき、満身創痍の友人に『やっと来たか』みたいなこと言われたな」
「…………その友人ってもしかして、あそこで転がってる見るからに息も絶え絶えな、血だるまのことかしら……? だとしたら、最高に不憫ね」
そうやってモノとエリュテイアが見つめた先には、治癒魔法の使える住民に一生懸命に応急処置を施されている黒髪の少年の姿。
一応、生きてはいるようなので、そこは安心。
「ヤバくなったらすぐ逃げろって言ったんだけどな。あいつには本当に感謝してもしきれねえ……で、一つめっちゃ気になることがあるんだけど」
心の中で合掌しつつ、モノはエリュテイアに向き直って、一つ問う。
「何かしら?」
「お前、『最終兵器』だったのかよ?」
エリュテイアの周囲には、モノと『白』と同じ様に、『赤』に光る絵の具の様な靄が漂っていて。
脳内に響く声も、
『対象の《色彩》係数、大幅に上昇。コード:d20a13、《赤》系統の色彩と断定。対象機体名:エリュテイア。敵対の意思は確認されませんでした』
などと五月蝿い。内容もヴィオレと遭遇した時と似ている。
あの時と違うとすれば、モノとエリュテイアはお互いに協力関係にあるということくらいだ。
「それはこっちのセリフよ。森であなたが『色』の力を使った時は本気でビックリしたし、色々とその辺に関しても話したい事があるのだけれど……どうやら、それは全部片付いてからね」
エリュテイアが見やった方向、左肩を右手で押さえながら起き上がり、顔を顰める、此度の騒動、その全ての元凶――オリバー・バイシェルト。
その肩を押さえる右手の周りは微かに光っており、治癒魔法を行使しているのがわかる。
「『吸血鬼』……君は人間に不干渉という立場を取ると思っていたのだが。これは一体、どういう風の吹き回しかな?」
「私も最初はそのつもりだったわよ。私がここに来たのは、まあずるいずるい誰かさんのせいね」
「えへぺろ」
「…………はあ」
ジトっとした視線に、モノは悪びれずにウインクで返す。対するエリュテイアは、そんなモノの態度に呆れた様子で息を吐いた。
だが、そのエリュテイアの表情には嫌がっている色は無くて、むしろ――。
そんな仲睦まじいやり取りを目にしたオリバーは、今までよりも一層、不快感を露わにして、
「ああ、そうかい! まあ僕としては生贄が増えて嬉しい限りだよ、本当に、どいつもこいつも愚かな奴らばっかりだッ!」
「愚か者なんて、神なんて大それた存在に近づこうと必死なあなたに言われたくはないわね」
「まったくだ。……おっと、二対一だけど人数差が不利とか、まさか、『神』になる男がそんなちっせえこと言うわけないよなあ?」
「それ以上、この僕を侮辱するなぁッ!!!」
エリュテイアとモノのそれぞれの皮肉った言葉を聞き、怒りに吠えたオリバー。
『犠牲』。今まで潰した命の数の力で、モノへと一気に迫る。
「『犠牲』の力は、生贄となる命が強ければ強い程、跳ね上がる! 君達を殺した時に、どうなるのか楽しみだよ!」
「――させないわ」
しかし、その間に投げ込まれるのは『赤』の槍。
エリュテイアが自分の血で作った、鋭利な切っ先だ。
オリバーは危険を察知し、急激に速度を落として止まる。
「くそ、邪魔をするな!」
「システム・アンロック――『無重力』!」
オリバーが足を止めたその隙に、モノは再び『無重力』を発動。逆に今度はモノの方からオリバーへと詰め寄る。
震える大気、『白』の弾丸となり、恐ろしい速度で駆けたモノは拳を突き出す。
「そおいっ!」
「喰らうかッ!」
通常、目に見えない速度であるのだが、常人離れした反射速度で、男はモノの一撃を横にズレて回避。
加えて、回避しただけでは飽き足らず、すれ違いざまに手刀を、モノの背中へと打ち込む。
「あがぁっ……!」
背骨が軋み、生じる激しい痛み。自身の勢いも相まって、前方の建物へと頭から激突し、その壁を物の見事に粉砕。遠くで「モノ!」と何やら声が聞こえた気がするが、
「げほっ、げほっ」
視界を覆う砂埃に噎せて、それどころじゃない。
やがて、舞う細かい粒子を手で払って、開けた視界の先では、オリバーがエリュテイアへと走り、
「次はお前だ、『吸血鬼』!」
『犠牲』の『恩寵』により本物の剣以上の鋭さを得た、両腕で斬り掛かっていた。
それにエリュテイアは自分の手首を爪で切り、溢れ出した血で作った剣で応戦する。
目にも留まらぬ撃ち合い。
両者とも扱っているのは金属では無いが、まるで金属をぶつけあった時のような甲高い音が、衝突の度に鳴り響く。
しかし、その撃ち合いに負けるのはエリュテイアの方で。
「うあっ……!」
エリュテイアの剣を片腕で、弾き、もう片方の腕で、その腹部をゴシックドレスごと切り裂く。
飛び散る鮮血。短い悲鳴。
このままでは危ない。そう感じたモノはすぐさま地面を蹴って、二人へと急ぐ。
「はは、一人目ェ!」
腹を裂かれた痛みに、怯んだエリュテイアへとその一瞬を逃さずに首を落とさんと、地面と水平に繰り出される手刀。
その指先がエリュテイアの白い首へと触れる寸前、稲妻を迸らせたモノは、男の横腹へと足の裏で飛び蹴りをかます。
「させねえ、ぶっ飛べ!」
「――――!」
その勢いに押されたオリバーは、体勢を崩すまでは至らなかったが、再びモノとエリュテイアとの距離が離れる。
仕切り直しだ。
最初の不意打ちを除いて、記念すべき共闘一回目の攻防。
エリュテイアは腹を裂かれ、モノは口から血を垂らす。一方、オリバーは今回の攻防ではほぼダメージ無しだ。
形勢は、依然あちら側にあると思われる。
「エリュテイア、大丈夫か!?」
「ええ、大丈夫よ……! それより、思った以上に厄介じゃない、あいつ」
「ちげえねえ。あいつ変態サイコパスロリコン野郎のくせに『タフ』過ぎなんだよ……ちなみに、お前の血を操る力って、あいつの血を抜き取ったりとか出来ないの? ……って、出来たらもうとっくにやってるか」
エリュテイアの『赤』の能力であろう、自分の血を様々な形状へと変化させる力。
それが、他人の血にも影響があるのならオリバーの傷から、一気に血を抜き取ってそれでジ・エンドだ。
だがしかし、まあそうしないということは少なくとも今の状況では出来ないということで。
「私の血の操る能力は、私と眷属にしか効果がないわ。しかも、私の中の血も無限って訳じゃないのに 今、結構な量流れ出てしまったし……地面に落ちた血は使い物にならないのよ。ちなみに、自傷以外で流れた血にも効果は無いわ」
「わあお、始まって早々、大ピンチじゃん。その眷属とやらって、なんなんだ? もし俺でもなれるんだったら……」
「――その人が眷属になりたいって願って、私が了承したらなれるけど……あなたから血をとったらあなたが戦闘不能になっちゃうじゃない。流石にあれを相手に一人は私も無理よ」
「それもそうか」
二人がかりで掛かっても今の状況なのだ。
モノから血を採って、使おう物なら確かに大変なことになりそうではある。
しかしエリュテイアは結構な量の血を流してしまった。地面に落ちた血は使い物にならないそうなので、確実にエリュテイアの戦闘力が時間経過と傷を負うごとに削がれていっている。
どうしたものか、と首を捻るモノにエリュテイアは、顰めっ面のまま、尋ねてくる。
彼女がずっと苛立っているというのも、多分『赤』の起動条件によるものだとモノは予想している。
恐らく、モノの『正義』とは違い、彼女の場合は『怒り』かなんかなのだろう。
「逆にあなたの方の能力も把握しておきたいから、そっちのも教えなさいな」
「オーケー。といっても正直まだ把握しきれてないから、今わかっている程度だけどな」
「構わないわ」
「まずは、『無重力』ってやつ。これは、俺にかかってる重力を減らす能力。何処まで軽くなるのかは、俺の『感情』の量によると思うから、わかんねえ」
これは、モノの身体に発現した初めての能力でもある。
この能力の限界は分からない。きっと、最大限までモノの感情が育った場合、名前の如く、重力の全く無い状態になるのであろうが、そこまではまだ出来そうにない。
「二つ目が、『拒絶』だな。これは簡単に言うと、自分を守るバリアを張る能力。今のところ割られた事無いけど、多分、耐久力無限って訳じゃない。それに、どうも『クールタイム』があるみたいで、続け様には張れねえ」
しかも、この力はモノの反射速度が追いついて居ないと意味が無い。
故に、
「あと、不意打ちだったり、早すぎる攻撃とかには対応出来ないから、そこんとこカバーよろしく……あと、これは最近になって気づいたことなんだけど」
「?」
「俺の身体、やたらと頑丈なだけじゃなくて――――毒とかに耐性があるっぽい」
ヴィオレ――『紫』の最終兵器の力である、『妖毒』で溶けなかったこともそうだが。
『突発的テレポーテーション』に飲み込まれたあの時に、室内だというのに降っていた『紫』色の雨。
変な刺激臭がしていたあれは、間違いなく毒だ。
それを全身に浴びたにも関わらず、モノは何ともなかった。
故に、モノは毒物に耐性があると睨んでいた。
何ともまあ、前世の少年アインである頃に欲しかっ耐性である。
「――ブツブツと、内緒話は楽しいかい? 君達がどれ程悩んだところで、僕には勝てないというのに。分からないかい? 今の状況を冷静に考えれば、君達が圧倒的に不利なのは明確だろう」
「いいや、負けるのはお前の方だぜ。……っと、そうだ、変態サイコパスロリコン野郎、お前にも一つ聞きたいことがある」
「いいだろう、冥土の土産だ。一つくらいなら答えてやってもいい。僕は慈悲深い神だからね」
「あっそ…………今日の夜パーティ開くって言ってたよな。なあ、ドロッセル達、他の貴族はどうした?」
そうなのだ。こいつ――オリバー・バイシェルトと初めて出会った際。
一度夜に開かれるというパーティに誘われていたモノ。
モノは誘いを断ったのだが、そこにはドロシーを含め、貴族達が参加している筈だ。
本来そのパーティが開催されている時間の今、こうして主催者であろうオリバーが、殺戮の限りを尽くしているのなら、そのドロシー達はどうしたのか。
そんなふと浮かんだ問いに、モノの中に不安がよぎる。
冷や汗を垂らしたモノに、答えるオリバーは心の底から楽しそうに、嗜虐的な笑みを浮かべて、
「はは、何かと思えばそんなことか! ……あのね、この街を閉じ込めた結界は知ってるよね? 空を見ての通りだ。でも、流石の僕にも街全体の結界を維持するとか、そんな魔力は無いわけ。『加護』と『魔力』は別個の物だからね」
「……? 質問の答えになってねえ、ぞ…………? ……は、お前、まさか……!?」
真面目に答える気が無いのか、と責めようとした途中でモノは、オリバーが言わんとしている事に気づき、目を見開き、奥歯を目いっぱいに噛み砕く。
込み上げてくるのは、目の前の男への途轍もない怒りの感情。
ああ、分かっていたことだが。こいつ、やっぱり最低で最悪だ。人間性の欠けらも無い。
一体どれ程の命を弄べば気が済むのか。
一体どれ程の命を踏み躙れば気が済むのか。
「察しが遅いなあ。でも、その通りだ。もうとっくに死んでると思うよ? 命が尽きるまで魔力を吸い出すように仕組んだから」
「オリバァァァアアアッ!!」
「はは、いいねその表情ッ! さいっこうだよッ!!」
飄々とさも死んで当然の様に振る舞うオリバー。
モノは怒りに咆哮を上げ、『白』の力を爆発させ、オリバーへと飛びかかる。
「これが神の力だァ!」
「くぅっ……!!」
が、放った拳は見事にオリバーに手首を掴まれ無効化。
そのまま理解を越えた力で、投げ飛ばされ、地面に叩きつけられるモノ。
「なら、これはどうかしら!」
そこに、虚を突くようにエリュテイアは赤の槍を射出。
「それも、無力だァ!」
が、血の槍も、男の頭を貫く寸前で、その男の手により捕まえられ、ピタッと動きを止める。
そして、オリバーはその槍をエリュテイアの方へと投げ返す。
「ふっ! …………!?」
エリュテイアはその足元を狙った投擲を空中にジャンプして回避。しかし、その隙を逃す相手じゃない。
空中で身動きが取れなくなったエリュテイアとの間合いを、一秒足らずで詰め、手刀を繰り出した。
辛うじて直撃を、不格好な血の盾で塞いだエリュテイアだったが、その勢いを殺せしきることは出来ず、こっちも地面へと叩きつけられ、転がる。
「はは、ははは! ははははっはっは!! 無様、無力、弱者、生贄ェッ!! 君達は、弱い、弱すぎるッ!! 違う! 僕が強すぎるんだッ!! あはははは!!!」
攻めては返り討ち、攻めては返り討ちの繰り返し。
ここにきてようやく、モノは消耗戦に持ち込んだら駄目だという判断を下す。
もし、攻撃が通ったとしても、ちょこまかとした物では、オリバーの『加護』によって強化された身体にダメージを与えられない。
――何か、一撃、強力な物をぶち込めれば。
隣で起き上がるエリュテイアに目配せをすると、彼女も同じ考えらしく、深く頷いた。
しかし、
「駄目、強力な一撃を出そうとするなら、せめて数人眷属の血を借りないと……でも、ここには……」
「……ぁ」
悲しげな表情で目を伏せるエリュテイア。
その表情は何度も見たことがある。そう、人間への想いを浮かべた時の表情だ。
彼女の表情と言葉に、オリバーに集中していた意識を周りに向ける。
――すると、背後で、震える声が聞こえた。
「ああ、オリバー様の暴走に加えて『吸血鬼』まで……もう、俺達は終わりだ……!」
「…………は?」
信じられない内容の声だった。
あまりに理解したくない言葉だったので、モノは間抜けな声を漏らす。
――――何を、言ってるんだ?
この期に及んで、今までの一連の戦闘を見て、こいつらは何を。
「『吸血鬼』に殺されるか、オリバー様に殺されるか……もう選ぶしか……」「恐ろしい……もしかしてオリバー様の暴走も『吸血鬼』が絡んでるんじゃ……」「そうに違いない! 全部、吸血鬼が悪いんだ!」「吸血鬼怖い、吸血鬼怖い」「吸血鬼怖い、吸血鬼怖い!」「吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖いでも吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い違う吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖いような吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い本当に吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い?吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い吸血鬼怖い――――」
――異質で不可解な光景だった。
一人の口から『吸血鬼怖い』という単語が出たのを皮切りに伝染したそれ。
全員が、焦点の合わない眼で、唾液すら垂らしながら、同じ言葉をブツブツブツブツブツブツブツブツと、まるで呪文の様に、何かに取り憑かれたように宣う。
「……っ!」
エリュテイアが声にならない悲鳴を漏らす。
その眦には涙が浮かんでいて。
モノはもう怒るとかそういうのではなく、黙り込み、言葉を失った。
顔を地面や民家の壁に打ち付けたり、自分の首を締め付ける人々。
明らかな異常行動だった。
ただ、モノの目には、それは全員が何か大きな力に必死に抗っている様にも見えて。
「いや……いやぁ……!」
呪詛の大合唱に、頭を抱え膝から崩れ落ちるエリュテイア。
何か、言葉をかけてやらないと。
エリュテイアを救ってやれる何か、強い言葉を。
けど、言葉が喉で詰まって出てこない。
だって、モノが何を言っても今の状況の解決にはならないような気がして。
だから、それはモノじゃない、一人の子供によって齎される。
「――こわくないよ!!」
この街に蔓延る呪い、『盲信』。
それがピキピキとひび割れ、崩れていく音がした――。