二章第21話 似た者同士
――異様な光景ではあった。
外には気を失った騎士団の男達が、くたばり転がっているというのに、その茶会は始まった。
小洒落たティーカップに注がれた紅茶の香りに、漂う血の臭いが混ざっている。
モノとエリュテイアは、焼き菓子の置かれた丸い木製のテーブルを挟んで椅子に座り、あの時の続きを。
外の景色と時刻を無視すれば、前回と全く同じだ。
「それで、こんな時間にやって来てなんの用かしら?」
「あー、えっと……本題に入る前に、一つ聞きたいんだけど……」
「構わないわ」
「外の奴らって、エリスがやったのか?」
まさか森に戻ってきて、まず目に入るのが、死屍累々の騎士団の姿だとは思いもしなかった。
時間が無い、それは分かってるのだが、どう切り出していいのか分からず、逸れた質問をしてしまうモノ。
そんなモノの問いに、ずっと不機嫌そうに眉を寄せているエリュテイアは、
「……そうよ。懲りずにやって来たから、思い知らせてやったの」
冷たく、そう言い放つ。
その眼光には、全てを怯ませる程の怒りが含まれていて。
モノは、彼女の尋常じゃない怒気を前にたじろぐ。
「そ……そうか。ああうん、ムカつく奴らだし……な?」
「なに? 幻滅した? 何と言おうと、これが人々に恐れられる『化け物』の力よ。怖くなったのならここからさっさと去るといいわ」
「いやいや! 幻滅なんてしてないしてない! ……ただ、エリスがすっげえ怒ってるように見えるからさ……」
危うく、始まったばかりの茶会から追い出されそうになり、首をぶんぶんと横に振り、必死に弁明するモノ。
今の状態のエリュテイアへの発言は、細心の注意を払わなければ、何がきっかけで彼女を爆発させてしまうか分からない、とモノは気持ちを改める。
モノの弁明を聞いたエリュテイアはというと、一つため息をつき、
「はぁ…………その、ごめんなさい、今のは違うの。私、特に今、色々と歯止めが効かなくて。あなたはそんな事、思わないって分かってるのに……」
「大丈夫、気にすんな。騎士団に腹が立つのも分かるしな」
「それだけでは……無いのだけれど。ううん……ありがと」
「おう」
何か含む様な言い方に、ちょっと引っかからなくもないが、取り敢えずは少し落ち着きを取り戻してもらうことに成功する。
苛立った様子はそのままだが、これで今のところは追い出されずに済みそうだ。
「で、本題っていうのは何かしら。私、あんまり回りくどいのは好きじゃないわ」
モノが、ほっ、と安堵したのも束の間、エリュテイアは紅茶を啜りながら、催促。
片目を瞑って見詰める、黒い瞳にモノはドキリとして、身体を僅かに跳ねさせた。
「……! あ、ああ、そう、だよな……よし」
はて、どう話したものか。
もう少し考えたかったところだが、時間もエリュテイアの機嫌も待ってくれそうにない。
ので、素早い思考の後、モノはぎこちないながらに、言葉を絞り出して――、
「……エリュテイア」
「何かしら?」
「その……お前の力が借りたい。俺を……いや、この街を助けてくれ……!」
「――――」
真っ直ぐなお願い。
単独ではオリバー・バイシェルトを止められないと感じたモノは、他に戦える人物が必要だと考えた。
そこで、アルファに約束したように、強力な助っ人を連れて来ようとしていたのだが、その強力な助っ人というのは他でもない、エリュテイアの事だ。
エリュテイアは『吸血鬼』で、人間を遥かに超えた力を使える、らしい。
なら、間違いなく、『加護者』であるオリバーを止める為のキーパーソンとなるのはエリュテイアだと、そうモノは確信していて。
尚且つ、モノはこの頼みに対するエリュテイアの回答も、ある程度、予測している。
そう――、
「………………嫌よ」
答えはノーだ。
思った通り。人間嫌いを自称していて、街の住民達から酷い扱いを受けているのをモノは聞いたし、見た。
したがって、彼女はきっとまず拒絶するに違いないと、そう思っていた。
だからこそ、モノは落ち着いて、言葉を重ねる。
「……だろうな。そう言うと思ってたぜ、お前は」
「だったらなんで聞いたのよ……」
呆れたように目を伏せ、肩を落とすエリュテイア。
そんな彼女の態度を無視するように、モノは淡々と続ける。
「もうすぐ、この街の住民をオリバー・バイシェルトっていう貴族が、皆殺しにする」
「…………!」
「自分の『犠牲』とか何とかっていう『加護』の力を高める為だ。なんでも、人を殺す度に強さを増すんだとか」
「ちょっと待っ――」
「でもって、この街の奴らは全然、俺らの言葉に耳を貸しちゃくれない。避難しろとか、そういうのはまず無理だ」
危険だと伝えようにも、逃げるように叫ぼうとも、この街の病――『盲信』が邪魔をする。
ましてや、街の往来で見たオリバー・バイシェルトのあの人気ぶり。モノが何を言ったところで、その信頼を覆すことは困難を極める。
「話を聞きな――」
「だから、この街を救うんだったら、街の奴らが殺される前に、オリバー自体をどうにかしなくちゃいけねえ。被害が出れば出るほど、あいつは強くなるから、それも出来るだけ早いうちに。しかも、俺じゃあいつには――」
「――嫌って言ってるでしょうッ!!」
「…………」
鼓膜を劈く怒声。
エリュテイアは勢いよく立ち上がる。
「私は人間が嫌いなのよ! この街の人間なんて特にそうよ、考えただけでも虫唾が走るわ!」
「――――」
「あんな奴らどうなっても構わない! そんな話をしに来たのなら、早く出ていって頂戴!! 聞きたくないわ!!」
「エリュテイア……後悔すると思うぜ、俺は」
でも、怒鳴る彼女は、何かとても辛そうで。
そして、その理由がモノには分かるから、モノは出て行ったりなんかしない。
モノはあくまで冷静に、言葉を放つ。
「私が何を後悔するっていうの!? 憎ったらしい存在が死ぬってわかっていっそ、清々しいわ! 嬉しくて嬉しくて仕方がない位よ!!」
このままだとエリュテイアは、とても後悔することになるから。
そんなのはモノにとっても嫌だった。彼女にはそんな気持ちを味わって欲しくない。
だって、
「でも……だってお前」
「これ以上、なんだって言うの!?」
「――――人間、大好きじゃねえか」
「……ッ!」
モノは見た、この目で。
彼女が、『騎士団』に襲われるのを。
彼女が、街の人々に拒まれるのを。
そして――。
「俺、実は見たんだよ。お前が、用水路で……溺れそうになった子供を助けたところ」
「な……っ!?」
「あんな必死に手を伸ばして……人間が嫌いだったらあそこまで一心不乱に、子供を助けようと足掻いたりなんてしない、そうだろ?」
子供を救おうとしたあの姿に、モノの諦めかけていた心は再び立ち上がった。
嫌いな相手を救うためにあれ程までに一生懸命になれるはずがない。
「それは――」
「俺の時だってそうだ。毒キノコを採りそうだった俺に、それはダメだって教えてくれた。それに――」
「…………」
「お前、『人間が嫌い』って言う時――」
「…………」
「決まって、泣きそうな顔、するじゃねえか」
「……!!」
自分で気づいていなかったのか、目を見開き、驚愕するエリュテイア。
唖然として黙り込む彼女に、モノは尚も言葉を続ける。
「……俺、この力を手に入れる前、村じゃあ『魔力無し』って言われて、ずっと疎まれて、嫌われ続けてきたんだ」
「ぇ……」
「そりゃもう、酷かったぜ? 目が合うだけで暴言吐かれて、暴力振るわれて、皆の笑い者にされて、全員に馬鹿にされて」
突然語り出したモノに、エリュテイアは更にポカンとして息を飲んだ。
「――――」
「でも」
「でも……?」
「それが悔しかったのは、多分、まだ俺がそいつらの事を嫌いになりきれて無かったからなんだよ」
「ぁ……」
どれほど侮蔑の視線を受けようと、どれほど殴られようと。
それでモノが悔しいと、感じたのは、まだ微かな希望を捨てられなかったからに違いない。
「憎んだし、呪ってやろうかとも思った。けど、それと同時に、羨ましかったんだ」
「…………」
「俺はあいつらと話がしたかった。そう感じたのは、やっぱり、心のどこかでこいつらと普通に話せたら、受け入れて貰えたら、楽しいんだろうなって、そんな一粒の希望を拭いきれなかったからだ」
その後、少年アインとしての生を終えた。
それから、『モノ』としての生を受けた。
モノが村に向かおうとしていたのは、本当はそれが理由だった。
今の自分なら受け入れて貰えるのではないか、『魔力』は無くても、『最終兵器』の力を手に入れた自分なら、と。
勿論、妹の真意を確かめるのも目的のひとつだったが、本筋はこれだった。
しかし――、
「ひょんな事で力を手に入れて……俺は、今度こそ受け入れて貰えるんじゃないかって、そう思ってた。でも……もう俺がうだうだしてるうちに、その村は滅んでたんだよ」
「…………!」
「何もかも手遅れだった。俺だって、あんな村なんて、って思う時もあったけど。滅んだって聞いた時は、死ぬほど悲しかったし、後悔した。いや、今だってそうだ。ずっと後悔してる」
「後悔……」
「そう、俺とお前は似てる。だけど、お前にはまだ『チャンス』があるんだ。俺は、お前に、同じこんな気持ちを味わって欲しくない!」
モノも、椅子から立ち上がる。
ああ、そっくりだ。
モノとエリュテイアの境遇は、似すぎている。
だから、モノはエリュテイアに感情移入するし、同じ結末を辿って欲しくない。
「だから、頼む! 俺と一緒に戦ってくれ! 死んじまったら、もう二度と、認めて貰うとか、そういうのが出来なくなっちまうんだ! 俺は、お前を、俺を! 救ってやりたい!!」
どうしようもなくなってしまう前に、何もかもが置き去りになってしまう前に、モノはエリュテイアと自分を助けてやりたい。
その為には、エリュテイアの協力が不可欠で。
モノの切実な訴えに、エリュテイアが何を感じ取ったかは分からない。
けど、エリュテイアはポツリポツリと言葉を漏らす。
「もし、助けたとして、それでも何も変わらなかったら……?」
「俺も何回も言ってやるよ、エリスは良い奴なんだって」
不安げに揺らめく瞳。
モノは力強く、答える。
あの時、『突発的テレポーテーション』に飲み込まれて言えなかった言葉を。
「それでも、受け入れてくれるとは……」
「安心してくれ、俺だけはお前の味方だから。何があってもだ」
「……っ!」
エリュテイアの瞳から一粒、涙が零れる。
「人間達は、みんな口を揃えて……『お前が悪いんだ』って……」
「お前は何も悪くない。悪いのは理不尽な世界の方だ」
何時だって世界は理不尽だ。
それもモノはよく知っている。
「…………」
「エリスが、迷うのもわかる。俺が言ってるのは全部、希望的観測で縋るような言葉ばっかりだからな」
「…………」
「でも、だから、一回だけ俺を――友人を信じてくれ」
ああ、この言い方はなんて――、
「……その言い方は、ずるい」
「うん、ずるいな。反吐が出る『レベル』に」
ごもっともな指摘に、モノは苦笑いする。
けど、苛むような言葉ではあったが、エリュテイアは意外と晴れやかな表情を浮かべていて、
「――――わかったわ。でも……もうちょっとだけ考えさせて。気持ちの整理もしたいから」
「おーけー、但し、なるべく早く頼む。俺はもう行くぜ。俺の数少ない友人の一人がこうしてる間にも死んじまうかもしんねえからな」
「……あなた、他の友達にもこんな無理なお願いしているの?」
「ああ、しかも、超無理難題を押し付けてある。全部片付いたら、お前にも紹介してやるぜ、多分、お前のこと嫌ったりしない奴だし。まあ、あいつが生きてたらの話だけど」
「はあ、なんかその友人、不憫ね。それと確かに気が合いそうだわ」
「わかる、実際、俺がめっちゃ気が合うからな。主に、苦労人的な意味合いで――んじゃま」
友人と言えば、可愛い子好きなナナリンも紹介してやりたい。
と、話が脱線し始めた所で、その不憫な友人の姿を脳裏に浮かべながら、モノは切り上げる。
切り上げたモノに、エリュテイアは頷いた。
「伝えたいことは伝えたし、信じてるぜ、エリュテイア」
「それもずるいわね」
「ちげえねえ」
エリュテイアはきっと来てくれる。
モノはそう確信めいたものを感じていて――、
彼女の微笑みを背に、半透明の結界が囲んだ、アゼルダの決戦の地へと、『白』の弾丸となって飛び出していった。