二章第14話 色、鮮烈
「――最悪だ」
見た事のある、しかし慣れない景色を前にモノは呟く。
「しかも、前と比べて冷静なのが嫌なところだよな」
生臭い臭いと、埃っぽい空気。四方八方、至る所に張り巡らされた管。
分厚い扉の前に立ち、散乱した資料を手に取って、やはり読めない、と床に戻すモノ。
初回の『突発的テレポーテーション』の時よりも、いくらか落ち着いている心に、人間という種の悪い部分を感じる。
「見た感じ、この前怪物に襲われた場所だな」
最初に飛ばされた、あの沢山の水槽があって、悲鳴で満ちた空間ではない。
前にモノが逃げ込んだ部屋。五つ目の化け物と遭遇した場所に、前回から引き継ぐような形で、飛ばされている。
「その五つ目野郎が居ないみたいだけど、どこいったんだ?」
前回と違うのは、五つ目の怪物が何処を見渡しても確認できず、伽藍堂としているところだろうか。
飛ばされて、いきなり鉢合わせ。なんて事になったらショッキング過ぎて気を失ってしまいそうだったので、そこは安心。
不安な点もある。
単純な話だ、あいつの位置が分からないのが怖い。
あとは――、
「……【最終兵器】、起動」
『色彩係数の上昇、確認出来ませんでした』
「あー、だよな」
『最終兵器』――『白色』の力を使えないことを確認。
やはり場所が発動条件なのだろうか、決めつけるには早い気がするが。
そんなこんなで素早く状況整理を済ましたモノは、自分の正面、部屋の奥へと視線を移す。
「もう一個扉……進むしかない、か」
相変わらず不明な点ばかりだ。
そもそも次の『突発的テレポーテーション』が起こるのかどうかもはっきりしない。
その上、仮に次『突発的テレポーテーション』が起きたとしても、元の『アゼルダ』へと戻されるとは限らない。
となると、ここでじっとしている訳にもいかず、モノは部屋の奥の扉に手をかける。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……確か蛇がいいんだっけ?」
あまり意味を理解していない表現を呟いたところで、モノは一瞬迷いながらも扉を押して開ける。
開けて、暗闇に慣れた目を淡い光に細め、「うお」と短く声を漏らすモノ。
通路、だろうか。濃い鼠色の石材の壁に立て付けられた水晶が光り、空間を薄らと照らしていた。
「この謎の施設、私が思ってた数倍は広そうだな」
少しだけ扉を開けたら出口、みたいなのを期待したが、そんなことはなく。
まだまだ続きそうな雰囲気に、モノは深くため息をつく。
「まあ、このまま通路を辿って行ったら出れるかもしんねえし…………ぁ」
通路の奥へ、この施設の出口を求めて歩を進めようと、片足を前に出すモノ。
その出した足の下で、ぴちゃ、という何か液体が跳ねる音が鳴る。
その音に俯く顔、視線を下へ。
そこには――、
「な、ぁ……!?」
かなりの広範囲に渡る、赤い水溜まり。
絵の具をばら撒いたように、透明感の無い、ドロっとした赤と黒。漂う錆びた鉄の匂い。
そう、
「血……か……?」
――血液だ。
踏んだ時に音を立てて跳ねる位には、ぶちまけられた、濁った大量の血潮。
小さな波紋を浮かび上がらせ揺れる、赤の絨毯に、モノは息を詰まらせる。
何の血かは分からない。
どうしてここに血が垂れているのかも分からない。
よく見れば、通路の壁にも所々に赤い水滴が飛び散っていた。加えて、何かを引き摺ったような痕も残っていて――、
「壁の血……向こうに続いてる……?」
その引き摺った痕跡はモノが向かおうとしていた通路の奥の方まで、ずうっと伸びていた。
モノは誘われるように、足場が悪いため転ばないようゆっくりと、それを辿っていく。どうせ一本道だ、進む方向は変わらない。
そうして辿り着くのはまたもや、ぶ厚い金属の重々しい扉。
「ここで途切れてるな……」
その扉の前で途切れた血のペインティングに、不安を覚えながらも、他に選択肢のないモノは体重をかける。
見た目通りの重量感のある低い音を立てながら開く扉。
再び、暗い空間がモノを待ち受ける。
「この暗さ……資料あるけど読むには光源足りてなくね? ここの主は梟かなんかかよ」
先の部屋同じく無造作に散乱する資料を見て、モノは薄く笑う。
明らかにこの部屋も先の部屋も、文字を読み書きするには光が足りてない。さては利用しているのは夜行性の何かなのか、などと、己の不安を紛らわす為に、心の中で叩いた軽口。
「……と、なんだ?」
ふと、モノは暗闇の一点に意識を集中させた。
というのも、その部分が他の暗闇に比べて、影が濃いように感じたから。
それに何やら動いている。
さてはあの五つ目の怪物か、と目を凝らし――、
「――あらあら、随分と探したわ」
「誰だ……?」
理解出来る言葉。この空間に飛ばされて、前回と合わせてこんなのは始めてなので、モノは目を見開く。
頭の中は、期待と不信が半々。
全てが分からないこの場所での、意思疎通の出来る相手は、様々な情報を入手するチャンスだ。
並んで、逆にここに居るということ自体が、相当に怪しい。
――考え得るのは三つ。
この実験施設の責任者、これは最悪の『パターン』だ。こんな悪趣味な実験をする奴だ、人格破綻者に決まってる。
もしくは、実験体、或いは怪物の仲間。これも嫌な『パターン』。あんな恐怖はもう味わいたくない。
もう一つは――モノと同じく、『突発的テレポーテーション』か何かで外部から侵入した『パターン』。
これは良いか悪いかは分からない。
「ここで気配がしたから追ってきたのに。全然見つからないんだもの」
その人物は、室内だというのに傘を差していた。
淡い紫の縦ロールの髪に、濃い紫の瞳。
同じく優しい紫の、花のアクセサリーの付いたロングドレス。上品な佇まいで、妖艶さを秘めた笑みを浮かべる少女。
モノの容姿が『可愛い』だとすると、その少女は『麗しい』という言葉がピッタリだった。
「でも良かったわ、やっぱりここに居たのね。何故、こんな所を徘徊しているかは分からないけれど」
少女のそんな物言いに、首を傾げるモノ。
「あの、申し訳ないんだけど。私達、今までに会ったことあったか? もしそうだったらごめん、私、そっちのこと覚えてないや」
「謝る必要は無いわ。私達が顔を合わせたのは今日が初めてよ」
「うん? そうか? ……ならいいんだけど、だとしたら随分とフレンドリーだな?」
初対面だとしたら、その初対面の相手に『随分探した』とか、『やっぱりここに居た』なんて、もはやフレンドリーとかそういうレベルじゃない。
正直結構、頭がきちゃってる人のそれなんだが。
「んで、結局のところ何者だよ。ちなみに、私は誰もが認める絶世の美少女こと、モノ・エリアスだ」
「ふふ、随分と可愛らしい自己紹介だこと。私はヴィオレよ」
自分でも謎のポーズを取りながら名乗るモノ。
それにヴィオレと名乗った少女は、傘を持っている手とは逆の手で、ドレスの端を摘み上げ、エレガントなお辞儀をしてみせる。
そうやって互いの自己紹介が終わった所で、モノはヴィオレに何気なく問う。
「んで、ヴィオレさん……でいいか? ここで一体何をしてるんだ?」
「呼び捨てで構わないわ。それに『一体何をしている』、その問いの答えは先に提示したつもりよ」
「ああ、私を探してたとかいう、あれか?」
「そう。私は『モノ』を探しにここまでやってきた」
何だかただの繰り返しになってしまった問答に、モノはますます首を傾ける。
疑いようのない矛盾。
初対面だと言っているのに、この少女はモノのことを知っている口振りだ。さらには探していたとも。
「よく……わかんねえな。私と初めて会ったってのに、探してた……?」
「ええ、気配を追ってここまでやってきたのよ」
「やってきたってことは、此処が何処なのか知ってるのか?」
「ふふ、質問ばかりね。……でも、なるほど、だいたい貴女の置かれている状況は把握したわ」
「……? いや、私は全く把握出来てないんだが。一人で納得しないで欲しい」
上手く噛み合わない会話。
何か、絶妙なむず痒さ、というか苛立ちを感じる質だ。
無意識に眉を潜めたモノに、ヴィオレは尚も、妖しい笑みを浮かべ、
「――私が貴女とあまり対話しようとは思っていないから、当然ね」
「な……」
「貴女の置かれている状況は把握した、けれど、だからこそ――モノ・エリアス、貴女を試さなければいけない」
「試す……?」
フッと、ヴィオレの顔から艶かしい笑みが消える。
その途端、なんというか空気が濃くなったような、重くなったような感覚がモノを襲った。
不吉な予感。
あの妖艶な笑みは消えたのに、彼女から放たれる妖しげな雰囲気はどんどんと膨れ上がる。
「無知な貴女にヒントよ……この子、何だと思う?」
「――――」
そう言って物陰からヴィオレが取り出すのは、見知らぬ一人の女の子。
気を失っているように見えるその女の子を、ヴィオレは抱き寄せる。
相変わらず、ヴィオレの言っている意味が分からない。何だと思うも何も、見たことの無い子供だ。
「……知らない子でしょう?」
ヴィオレは目を細める。
対するモノはオーラに呑まれ、呼吸を忘れる。
鼓動がやけに煩い。頬と背中につたう、大量の冷や汗。
モノの生物としての本能が、目の前の少女の危険度をガンガンと頭痛を生んで訴えかけてくる。
――ああ、ここまでくると流石に分かる。こいつは絶対に味方じゃない。
「この子、貴女を探し回ってた時に捕まえたのよ。多分、実験体ね。まだ手を加えられてないみたいだけど」
肌を刺す、溢れんばかりの殺気に背筋を凍らせながら、モノは鋭い視線でヴィオレの行動に注視する。
一挙手一投足を見逃さまいと、モノの無意識が全神経の矛先を集めた。
それからモノの視線を受けたヴィオレは、見知らぬ子供の首に片手をゆっくりと持っていき――、
「ふふ……ねえ」
「?」
「――この子の喉、潰しちゃおうかしら」
「……ッ!?」
何を?
こいつは何を言っている?
脈絡がない。理解出来ない。
だが、確実に『子供を殺す』そう言った。
刹那、モノの中で何かが溢れ出す。溢れ出した何かは、直後、世界と繋がり、『それ』を抽出し、モノの身体を満たしていく。
やがて、モノを『フィルター』にして空間に異常を齎す『それ』は――、
『――特定感情の増幅に伴う、《色彩》係数の上昇を確認。コード:ffffff、《最終兵器》……起動』
「ぁ…………?」
現れたのは、暗闇を淡く照らす、『白』の絵の具のような靄。
己の内で湧き上がる力に、モノは喉に突っかかったような腑抜けた声を出す。
「なんで、『最終兵器』が……!?」
一回目の『突発的テレポーテーション』の際と、今回で、この場所では『最終兵器』を解放できないことは確認済み。
だった、はず、なのだが。
紛れもなく、今、モノを取り巻いたそれは、『色彩』の力で――、
「あらあら、やっぱり綺麗な『色』ね。……純白、無垢、繊細、真実、空虚、沈黙、拒絶、自己否定。そして――」
モノの周りに漂う靄と覇気にも、顔色一つ変えないヴィオレは、何やら単語を並べる。
その途中で、一旦少し間を空けてから、
「……全ての色の中で一番軽い色」
「……っ! お前は、この力が何なのか知ってるのか……!?」
「さあ、試しましょう。さあ、踊りましょう。上品に、高潔に、魅惑的に、慈愛を込めて」
「おい! 少しは話を――――」
相も変わらず、対話の姿勢を見せないヴィオレにモノが吠える。
けれども、『それ』は、その咆哮が響き切るよりも早いタイミングで――、
『――警告。空間における特定《色彩》係数の上昇を確認』
「!?」
『コードスキャン中……完了。コード:c030c0、《紫》系統の色彩と推測されます』
「な、んだ、これ……」
『目標機体名:《ヴィオレ》。対《最終兵器》戦闘――――開始』
感情の無い声が鳴り、少女が笑い、
――瞬刻、『紫』が空気を蝕んだ。
物語は加速する――。