二章第13話 三度目の呼び声
「――そういや、勢いで騎士団って奴ら殴っちゃったけど大丈夫なのか?」
雲一つない晴天、まだ登りきっていない陽の光。
森から離れ、アゼルダの賑わう街中を歩き、依頼達成の報告へと向かう途中、ふとモノは呟く。
「……いや、どう考えてもやべえな!? 指名手配とかなったらどうしよう……!!」
今更気づいたところで、全部あとのフェスティバル。モノは頭を抱える。
「感情に任せて突っ走る性格が仇になった……! 冷静に考えたら馬鹿かよ俺! もうちょっと穏便に済ます方法は……うん、それは無かったか」
あいつらはエリュテイアの事を殺しに来てるんだった。結局、そんな奴らからモノがエリュテイアを守るには、やはりぶつかり合うしかない。
しか無いのだが――、
「それにしてももう少しやり方があっただろ……あんなに派手にぶっ飛ばしておいて、絶対恨み買ったぞこれ……」
もしかしたら、今から悲劇の逃亡劇が始まってしまうかもしれない。そんな最悪の想像に身を震わせ、ビクビクと歩を進めるモノ。
その背中に、突然、聞き覚えのある声がかけられる。
「――あ! その後ろ姿はモノさんではないでしょうか!?」
「うわぁっ! すみませんすみません! 殴ったことは謝ります!」
タイミングがタイミングなので、モノはその声に冷や汗をダラダラと垂らしながら、速攻で土下座。
スライディング&フライング気味のそれに、相手の方は逆に驚いた様子で、
「へ!? モノさん、一体どうしたのですか……? 私です、ドロシーですよ!」
「お願いします、命だけは……って、どろしー……?」
地面に額を擦りつけながらの誠心誠意の謝罪。
それから、頭上から聞こえた声に、額の痛みに半泣きになりながらモノは顔を上げる。
するとそこには綺麗なドレスを身にまとった、長い金髪に夕焼けの瞳の少女の姿。
ともう一人、爽やかな顔をした白に近い緑の髪をした男。
「おお、ドロシーじゃねえか! また会ったな」
「ふふ、こんにちは。いい天気ですね」
「いっそ清々しい位の快晴だな。……ってか、人多くね?」
話しかけてきたのが『騎士団』の追っ手では無かったことに、ほっとしたのも束の間、モノは周りを見回す。
先程まで人が多いとはいえ、商店街などでは無い為、『パーソナルスペース』がある程度守られていたはずだった。
のだが、いつの間にやらモノを、いや、ドロシーと傍の男性を中心に囲む大勢の人。
ギャラリーの表情はから読み取れる感情ら至ってシンプル。
憧れと羨望。その二つが大半を占めている。
まあ、つまりはドロシーともう一人の謎のイケメンに、向けられたものだった。
「すみません、こう街中を歩くといつもこうでして。嫌でしたか?」
「嫌というよりは、びっくりの方が強いな。確か、有名な貴族って言ってたのは覚えてるけど……まさかここまで人気だとは」
苦笑しながら、髪を手でかきあげるドロシー。
そのちょっとした動作にすら、悲鳴に近い嬌声がギャラリーの一部からあがる。
モノのドロシーに対するイメージは、家を抜け出し温泉に行くお転婆な少女といった感じだったので、この途轍もない人気ぶりには驚きを隠せない。
「嬉しいことですけど、今回のはどうやら私達だけの物では無いようですよ?」
「うん?」
「モノさんもとてもお美しいですから」
片目を瞑るドロシーにそう言われ、周囲の声に耳を澄ますモノ。
相変わらず「ドロシー様素敵!」やら「二人ともお綺麗です!」という二人の男女を褒める言葉。
そこに混じって聞こえるのは「あの白い子誰?」「お人形さんみたいで可愛い〜」という興味の色が濃い声。
「あ〜。……ナルシズムを発動させたいところだけど、正直ここまで注目されるのはちょいと恥ずいな……」
何だかこそばゆくて、頬を掻くモノ。
挙句の果てには、「あ! 昨日商店街のおじさんが言ってた、白い子じゃない?」等という噂話まで聞こえてくる。
普段の自己陶酔も、こんな場面では鳴りを潜めるというものだ。
「――いやはや、本当に可愛らしい。君は何処の貴族の子かな?」
まあでも、可愛いとか言われるのは勿論嬉しいことなので、恥ずかしさ半分、喜び半分で、にへらっと笑うモノ。
そんなモノに問うのは、半歩前に出てきた例のイケメンだ。
「君程の美しい少女を見逃していたなんて、自分の視野の狭さが情けないよ」
眉をひそめて首を振り、真面目に悔しがる黄色い瞳の優男。なんとも紳士的な立ち振る舞いだ。
田舎育ちのモノにも分かる、気品の高さ。
その圧倒的な風格に、モノは緊張を感じながら、
「あ、あの! 私、貴族とかじゃなくて、全くの余所者なんだ……なんですけどっ!」
「はっは! そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。……でもそうか、これは失礼した。あまりにも綺麗な顔立ちだから、名家の娘だとばかり思ってしまったよ」
「え、えっと……か、可愛くてごめんなさいっ!?」
「ふふふ! モノさん、それじゃただの自慢ですよ。やっぱり面白いお方……ふふっ」
身体を強張らせ、上擦った声で答える。
ぎこちないやり取りを見て、くすくすと笑うドロシー。
「ちなみに、街の者じゃないのなら君はドロシーとどういう関係なんだい?」
「そっそれはだな、昨日の夜、温――」
「あああっ! 友達、友達です! ほら、モノさん目立ちますから! 私が見かけて声をかけたんです!! ね!?」
モノがドロシーとの出会いを語ろうとすると、それを慌てた様子のドロシーが遮る。
完全に捏造だ。相当、家を抜け出して温泉に行っている事がバレたくないらしい。
懇願するような視線を送ってくるドロシーに、モノは苦笑。それから頷く。
「……ああ、ドロシーの言う通り、はい、話しかけられました、友人です」
片言で同意するモノに表情だけで感謝を伝えてくるドロシー。
だいぶ怪しげな会話だったが、イケメンはその爽やかな笑みを一切崩すことなく、
「はっは! なるほど確かに、こんな目立つ少女には話しかけたくもなる」
「まじか、今ので誤魔化せるのか……」
大して気にした様子もなく、こちらを見つめる男。
こんなツギハギなヤケクソ半分の嘘で誤魔化せてしまって大丈夫なのだろうか。
まあそれはさて置き、やはり凄まじいイケメン力だ。なんか笑顔が光ってるように見えて、目を合わせると、目が焼ける。
なんて錯覚に、モノが目を細めていると、男は徐に金の装飾の付いた黒い服の胸に手を当て、
「申し遅れた、僕はオリバー・バイシェルト。自分で言うのも気が引けるが、この街では一応そこそこの有名人だ」
「オリバー・バイシェルト…………オリバー・バイシェルト!?」
男の口から飛び出したのは、アゼルダ図書館にてフィロから聞いたビッグネーム。
モノにとっては縁もゆかりも無い存在だと、半ば聞き流していた筈の名前だった。
その記憶が正しければ――、
「この街一番の貴族で、『加護者』っていう!? 通りで眩しいっ……!」
名前とそれに紐付く称号というのは、その人の存在を知らしめるためには、とても強力なもので。
名乗りを聞いた瞬間、彼から放たれる光が強まった気がして、モノは顔を背ける。
太陽より眩い。このままだと焼け死ぬ。
「おや、僕の名前を知っているみたいだね? 街の住民以外にもこんな反応をして貰えるなんて、なんだか僕も大きくなったみたいで嬉しいよ。……ところで君の名前は?」
「も、モノ・エリアスっす! そこら辺の雑草と同じっす!!」
「雑草……? はっはっは! モノちゃんか。ドロッセルの言う通り面白い子だね」
「ですよね! 出会った時も、もう面白くて面白くて」
モノの謎のへりくだり方に笑うドロッセルとオリバー。
そもそもドロッセルとの出会いの時点で、どんな偶然かと驚いていたのに、加えて街一番の貴族だというオリバーなんて、もう数奇過ぎて笑えてしまう。
モノが人の縁の不思議さに苦笑いしていると、ふと、考え込むような仕草を見せるのはオリバー。
「……ふむ」
「どうしたんだ?」
何か失礼な態度を取ってしまっただろうか。
いや、失礼な態度というのは今更すぎる話だが、何か突然に琴線に触れてしまったのか。
眉を寄せるオリバーにモノは不安になる。
オリバーはじっとモノに値踏みをするような視線を向け、暫く黙り込んだ後、頷き、
「――君、今日の夜に開かれるパーティに来るつもりは無いかい?」
「……は?」
にこやかに笑うオリバーに、「名案ですね」と両手を合わせて目を輝かせるドロシー。
現実味も突拍子も無さすぎる話だ。
昨日今日で出会ったばかりの貴族に、パーティへと招待されるなんて誰が予想できようか。
もし誘いに乗ったとしても、どんなものかも知らなければ、きちんとした礼儀も知らない。
「いやいやいや! 無理無理無理!!」
故に、モノは速攻で全力拒否の姿勢を取る。
街一番の貴族からの誘いは、この街の住民にとっては憧れの的なのであろう。ギャラリーからはブーイングが起こっているが、モノからしたら、安易に誘いに乗って恥をかく方がよっぽど辛い。
手と首を大きく横に振るモノに、オリバーは笑みを崩さぬまま、
「どうしてだい? 君の容姿ならとっても会場が華やかになると思うのだけれど」
「ほら、服もこれしか持ってないし!」
「服なら直ぐに手配させよう」
「ほら、マナーとかも」
「私と一緒に居れば大丈夫ですよ。私の真似をすれば良いだけですから」
二人して、いや、周りも巻き込んでモノの逃げ道を絶っていく流れ。
この流れは不味いが、モノはどんなに条件を整えられようとパーティに行くつもりは無い。
元々引きこもりの奴がどうして、あんな眩しい世界に嬉嬉として足を踏み入れようか、否、そんなこと出来る訳が無い。
しかし、どんどんと追い詰められていくモノ。
そこに突如としてやってくるのは、十数人の武装した男たちで――。
「――な!? おい、見つけたぞ! さっきのガキだ!!!」
「うぇ!?」
そいつらは先程、森で殴り飛ばした奴らに間違いなかった。同じ甲冑を身につけているし、中には薄らと見覚えのある顔。
男達――『アゼルダ騎士団』はモノを見つけるなり、ギャラリーを押し避けてこちらへと向かってくる。
――思わぬ助け舟だった。
これを果たして『助け』と言ってしまっていいのかはかなり微妙なところだが、この場面では救いだ。
モノは直ぐに、『騎士団』に追われているのを口実にこの場からの逃走を試みる。
「ラッキー、お前らタイミングがいいな! ……おほん。きゃああ! 変態よ!! 逃げなきゃ乱暴されちゃうっ! どいてどいてえっ!」
我ながらレベルの低すぎる演技だ。
心の中で自分の大根役者加減に呆れながら、モノは騎士団が割り込んで来た反対側のギャラリーを押し退け、掻き分けていく。
突然の『騎士団』の登場に戸惑った様子のギャラリーの合間を縫って行くのは、非常に簡単だった。
モノは難なく、人の壁を越え、抜けることに成功する。
「よし! こういう時に低い身長が役立つよな!」
結局、逃走劇が始まってしまったが、過去は変えられないのでどうしようもない。
全力で走りながら後ろを振り向くと、『騎士団』の奴らはモノとは違い分厚い鎧のせいで、上手くギャラリーの壁から抜けられないでいるようだった。
「おい、待て! くそ、退けお前たち!」
最早、パニック状態で人が入り乱れていた。
モノがこのチャンスに乗じて、追跡をまく為に、飛び込んだのは、道の脇の薄暗い路地裏。
冷たい石材の壁に凭れ、息を潜める。
「……あのガキ、どこいった!? あっちか!?」
やがて、モノが隠れた路地裏を通り過ぎていく、男達の姿。
その姿を確認して、モノは「ふう」と息を吐く。
「……ドロシーとオリバーには悪いことをしたけど、陰の者は陽の者にはついていけねえ」
元来、モノみたいな引きこもりの『陰』と、ドロシー達のようなパーティ大好きっ子の『陽』は、相容れぬ存在なのだ。
無理やり『陽』が『陰』に近づけば、『陰』は逆にその濃さを増す。
光ある所に影ありとはよく言ったものだ。
「んで結局、逃走劇の始まりだな。これさっさとこの街出た方がいいか? もうちょっと観光とかしたかったんだけど……」
もう一度『温泉』にも入りたいなどと考えていたのだが。
こう追われながらだと、おちおちゆっくりと入ることも出来そうにない。
大きく溜め息をつきながら、項垂れるモノ。
「……おっとやべえ。依頼達成の報告忘れるところだった、てか忘れてた! つっても、こんな状況じゃそもそも無理か」
モノは下にやった視界で、自分の腕にぶら下がった籠を見て、ハッとするが時すでに遅し。
何故、森に食材を取りに行っただけで、ここまでの訳の分からない展開になるのか。
もしかしたら悪霊か何かに取り憑かれてるんじゃないかと疑う位だ。
「まあ、ここにずっといる訳にも行かねえし、どっか匿って貰えそうなところでも探すか? ……となるとあの森だな」
最有力候補はやっぱりエリュテイアか。
今からでも森に戻って、身支度が整うまでの間、隠れさせて貰えるよう頼み込んでみよう。
一先ずの行動目標が決まったところで、モノは路地裏から再び移動を開始。
そうして一歩踏み出した、その時だった。
「――――ッ!?」
世界が、一つ脈を打つ。
もう三度目となれば、流石に分かってくる。
毎回毎回、本当に突拍子がない。
階段で足を踏み外した瞬間に似ている。次に転げ落ちるんだと分かった時の、あの感覚に。
普通なら、またモノの独り言タイムが始まる筈だった。
しかしながら、それはモノの意思を無視、時間帯を無視、場所を無視、世界を無視してやってくる。
「嘘だろ……またかよ……!!」
呟き。それと同時に予感は現実となり、階段から転げ落ち――否、世界から転げ落ちる。
全ての感覚は希薄になり、グラデーションを帯びながら、また強い感覚が遠くからやってくる。
徐々に徐々に離れていき――、
徐々に徐々に近づいてくる。
「くそ……! 唐突すぎるだろ……! ハラハラする間もない急展開過ぎてついていけねえよ!!」
どれだけ悪態をつこうとも、その現象を振り払うことは叶わない。
モノの抵抗虚しく、あの生臭さと、埃っぽさと、寒さと、恐怖はやって来て――。
――三回目の『突発的テレポーテーション』。
世界はモノを飲み込んだ。
さあ三回目です、モノ、頑張って。