二章第6話 温泉での一幕
――『知』というのは、時に人の欲求を満たし、時にいとも容易く人の希望を打ち砕く。
その破壊力に打ちのめされ、思い詰めた表情でぽつりぽつりと歩く、白い髪を夕日で煌めかせた少女。
そんなはずがない。と自分に言い聞かせようと根拠の無いものに縋る度に、根拠のある事実が投げつけられる。
こんな思考のやり取りをして十数分。
街の子供たちが、その憂いを知らぬまま、笑い合い、駆けていく通りをモノは進んでいた。
「あの村が、滅んだ……? それも、二年前に……」
自分が殺され、直ぐに蘇ったなどという浅はかな考え、何故今までそう思い込んでいたのか。
フィロという司書に、事実を言い渡された後も、モノは暫く抗議していた。
何かの間違いだ、この本は嘘をついている、そう信じて、他の文献を開いてみるが、そうやって得られたのは、さらにその事実を裏付ける証拠ばかりで。
挙句の果てに、自分を追い詰めるだけの、『知』の塊に全身が粟立つような恐怖を覚え、図書館から逃げ出す始末だ。
「くそ、もうわけわかんねえよ……」
「――あ〜っ! きゃはっ★ モノたんやっと来た来た!」
打ちひしがれ、途方に暮れた光無い瞳で、フラフラとするモノ。
そこに、突如、聞き覚えのある、可愛こぶった声が響いた。
その声の主の方を見やると、蜜柑色の髪をツインテールにした猫のように可愛らしい薄い青の瞳の少女――ナナリンが、顎の下でピースを作っている。
「……って、あっれれ、なんかあった? モノたん表情暗いよ? 夕日をバックに憂い気な表情を浮かべる絶世の美少女……映える〜っ★」
片目を瞑り、両手の親指と人差し指で作ったし角形。
その中にモノの姿を入れ、覗き込むナナリン。
しかし残念ながら今のモノは、そうしたナナリンのテンションについていける精神状態ではなく、
「…………そうだな」
「うぇえ? やっぱり何かあったよね? だって今のは普通のモノたんなら『わかる、やっぱ私可愛いよな、私に比べたらそこら辺の奴らの容姿なんて、ゴミよりもお粗末だぜ……!』って言うところでしょ?」
「いやお前の中の私のイメージ一体なんなんだよ……」
「モノたんのイメージ……うーん、純粋で、ちょっとお馬鹿な超絶可愛い子?」
何故、そのイメージから先の発言が生まれたのか甚だ疑問である。
そんなピンと人差し指を立て、それを頬に当てながら首を傾けるナナリン。
モノは腕を組んでやれやれと、一度上げた肩を下ろす。
割とウザさを感じそうなノリではあるが、不思議とナナリンのそれらには嫌悪感は無い。どちらかというと、沈んでいた心が無理矢理引き上げられるようで。
「――はあ。お前と話してると、なんか色々とどうでも良くなるよな」
「あれ、もしかしなくてもナナリン褒められてる?」
「いいや逆。心の底から最っ大限に馬鹿にしてる」
「ええ〜っ★」
口ではそういうがこの短いやり取りの中で、モノの中の何かが楽になったように感じるのは事実だ。
勿論、村のことも滅茶苦茶に心配、というか、もう滅んでしまっているらしいので、心配もクソも無いのだが、気にかかる。
が、それでも、ナナリンと会話しているうちに、モノの心は一先ずの落ち着きを取り戻していた。
「……で、こうやって取り敢えず合流出来たわけだけど、そういえばナナリンお前、一旦別れる前に『連れていきたい場所がある』みたいなこと言ってなかったか?」
そんなこんなで、衝撃の事実を知りながらも、ナナリンとの再びの合流を果たしたモノは、そこで図書館に行く前のナナリンとの会話を思い出し、尋ねる。
すると、ナナリンは突然笑いだし、
「ふっふっふ……! よくぞ聞いてくれたね、モノたん! ナナリンがモノたんを連れていきたい場所! それはズバリ……」
「ズバリ?」
ゴクリ。と、ナナリンの勿体ぶった態度にモノは唾を飲み込む。
それから、ナナリンは真剣な瞳でモノを見つめながら、息がかかるくらいに顔の距離を前かがみになって詰め――、
「――――温泉ですっ★」
「近い近い……って、お、温泉……!?」
そう言いながら、あざとくウィンクをした。
※※※※※※※※※※
それは商店街や図書館よりももっとこの円形の街の中心に近い方。
この街『アゼルダ』の中心には、街一番の貴族であるオリバー・バイシェルトなる人物の豪邸がある。
のだが、それに割と近い方に、ナナリンのいう『温泉』はあった。
横に広い平らな茶色の屋根の付いた、一階建ての物件。その屋根の所々に備え付けられた煙突からは、湯気が休むことなく立ち昇っている。
そんな建物の前で、ナナリンに引っ張られるようにして来たモノは疲れ果てた表情を見せていた。
「結構、距離あったな……それになんかどうも、この身体になってから他人に引っ張られながら移動することが多いような……幼女然り、ナナリン然り」
特に、ナナリンに至っては商店街の時に引き続き、二回目である。しかも今回は、かなり距離があったように見える。
引っ張られながら、バランスを保ち続けるのは割と体力を使う。
ので出来ればやめて頂きたいところだが、当のナナリンはそんなこと気にもしていない様子で、
「この街、無駄に広いからね〜、きゃはっ★ ということで、ここがナナリンのお気に入り、『アゼルダ温泉』です!!」
「そりゃあ見れば分かるんだけどさ。なんでこんな街の中に、温泉が湧いてるんだ? 周りに山とか別に無いよな?」
そう言って、キョロキョロと辺りの空の奥の方を見渡すモノ。しかし、近くに山があるとかそういうシルエット的なものは、やはり存在しない。
となると、なぜこんな所に温泉があるのか不思議でしょうがない。
そのモノの疑問に、直ぐに答えてくれるのはナナリンである。
「きゃはっ★ ほんとにモノたんってば田舎っ子だよね〜っ、これは遠くの山から、なんか特別な魔法で、なんか温度とか質を保ったまま地下を通らせて、なんか引っ張ってきてるんだよ!」
「随分と説明が曖昧だな! ……でもマジか、つくづく、魔法ってやつ便利すぎだろ……」
そういうことまで出来てしまうのか、と驚くが、そういうことまで出来てしまうのが、魔法というやつなのである。
もうここまで来ると、なんでもありな気もするが、実際、なんでもありなのだろう。
そうやって、モノが思考の中で苦笑からの納得を繰り返していると、ナナリンがモノの肩を優しく叩いて声を上げる。
「じゃ、中に入ろっ★」
「え、ちょっと待って、一緒に風呂ってなると色々と心の準備が……!」
「モノたんとナナリンの仲じゃんっ! 心の準備とか関係ない関係ない!」
そうなのだ。温泉ということは、ナナリンも一緒に入るわけで。ナナリンはそりゃあ確かに高レベルの美少女なわけで。ナナリンに限らず、元男の自分が入るというのは、その、あれで――――、
「しかも、お前と俺の仲とか、せいぜい今日の昼くらいからの物だろうが!!」
「レッツゴー!」
「いやだから話を聞け! くそ、お願いだからこれ以上、腕を引っ張るなー!!!!!」
モノのテンパリ具合も全く気にした様子のないナナリンに、モノは必死の抵抗も虚しく、またもや腕を引っ張られ、引き摺られていくのだった。
※※※※※※※※※※
「――――どったのモノたん、そんなに固まって」
「…………」
「ね〜えっ★ いつまで隠してるの〜? もういいよね、それえっ!」
「きゃああっ! ちょ、お前、勝手に脱がすなよ!!」
――女湯。それは男達の永遠の憧れ。
その更衣室で、ドキドキとしながら、視線も立ち振る舞いもどうしたらいいのか分からず。
その場で自分の身体にタオルを巻き、じっと下ばかりを向いて縮こまっていたモノ。
そんなモノに、焦れったくなったのか、こともあろうに、そのタオルを勢いよく剥ぎ取ったナナリン。
いきなり自分を守る最後の防具を、無理矢理脱がされたモノは、腕や手を使って身体を隠しつつ、取り上げられたタオルを取り返そうと跳ねる。
「きゃあ」とかなんか恥ずかしい、まるで少女のような悲鳴まで上げてしまったし、勘弁して欲しい。
もしかしたら魂の方が身体に影響され始めてるのではなかろうか。
ゾッとする想像をしながら、モノはそれでも目の前をヒラヒラと舞うタオルに立ち向かう。
「おいっ、返せっ、このやろう!」
「きゃはっ★ ほらほら〜っ、届いてないよ〜?」
が、元々の身長差もあり、そのタオルに全く手が届かないモノ。そんな様子に、ナナリンは心底楽しそうに――――否、心底興奮した様子で、涎を垂らしながら笑う。
「うぇへ、うぇへへ、うぇへへへへへへへ。はぁっ……はぁっ……モノたん、きゃっっわうぃい〜……」
「ひぃっ! 目が怖い! キモい!」
ナナリンが漂わせる、どう考えてもやばい雰囲気に、モノは本能的な部分で恐怖を感じ取り、背筋を凍らせる。
そして、この一連のやり取りを見て仲のいい美姉妹とでも思ったのか、「くすくす」とか「あら〜」とか声を上げる周囲の人々。
「〜〜〜〜〜〜っ!! も、もういい! 早く入って早く出るぞ!」
「あ、待ってよ〜っ★」
周囲の生暖かい視線を受けて、どんな羞恥プレイだよ、とついに耐えきれなくなったモノは、そそくさと浴場の方へと向かう。
全く、このままでは風呂に入る前にのぼせてしまいそうだ。
と、モノはすっかり熱くなってしまった頬をパタパタと片手で扇ぎながら、浴場と更衣室を仕切る木製の扉に手をかけ、そのままガラガラという音を立て、開ける。
「…………おお!」
開けると視界に飛び込んでくるのは、様々な色の湯船。
半透明な物もあれば、白く濁ったものや、なにやら泡の出ているものまでずらりと並んでいた。
むわっと広がる、心地の良い熱気と湯気が、モノを待ち構えている。
「……ぐへへ、じゃあモノたん。まずは身体を流しあっこしよっかぁ★」
「なあにが、『流しあっこしよっかぁ★』だ。自分の身体は自分で流すわ!」
「え〜」
誰か早くこいつの変態不審者ムーブを止めてくれ。
そしてその変態に襲われそうになっている、自分を助けてくれ。
浴場に足を踏み入れるなりすぐに、両手をどう考えても流す行為とは程遠い手つきで、ワキワキしながら気持ちの悪い笑みを浮かべるナナリン。
というか、こいつもしかして、最初から私の身体目当てで、この温泉に誘ったのではあるまいか。
言葉巧みに、所々強引に少女を誘い込み、自らの欲求を満たすとかまるで犯罪者である。
「ほら、さっさと身体流すぞ」
「はいは〜い……」
モノの拒絶を受け取って、しょぼんとしながらも、木の桶でお湯を掬い取り、そのお湯を被るナナリン。
正直な話、モノからするとこの状況かなりやばい。
ナナリンの外見の良さは、自分であざとく振舞っているだけあって、中々に光るものがある。
特に今はまあモノもそうだが、先程までのツインテールとは違い、上に蜜柑色の髪の毛を纏めあげていてギャップもある。
特出して大きいまでとはいかないが、小ぶりなモノのそれよりも、一回り膨らんだ胸。
細いウエスト、すらっとした脚ととてもスタイルも良く、モノよりは外見年齢が上だとはいえ少女らしいちょっとした幼さを残す美少女。
その美少女が今、モノの目の前で裸な訳で。
「ん〜? きゃはっ★ モノたんそんなつぶらな瞳で見つめてどうしたのん?」
「!? い、いいいいやいや! なんでもないなんでもない!!」
知らず知らずのうちに、じっと見蕩れてしまってたモノにナナリンが不思議そうに声をかけ、そこでモノは、ハッと我に返る。
危ない。このままだと、変態とか人のことを言えなくなるところだ。
「もしかして〜…………やっぱりナナリンと流しあっこしたくなったのかな? きゃはっ★ それならそうと正直に言ってよ〜っ!!」
「違うわ! って、待て待て抱きつくな!! 今ちょうど色々とやばいんだから!!」
「えいっ★」
「うわああああああ!!」
ガバッと、堪らん、といった様子で抱きついてくるナナリン。柔らかな肌の感触と、回してきた腕の骨の硬い感触が、モノの全身に襲いかかる。
――――やばいやばいやばいやばい。
これはホントにマズい。自分の中の何か大事なものが壊れていってる感じがする。
モノは必死にその抱擁から逃れようと藻掻くが、その度に肌と肌が擦れるせいで、ドギマギしてしまい、思うように抜け出せない。
「ナナリン! ちょっと、お前本気でこれはダメだって!!」
「そんなこと言って! この照れ屋さんめ、きゃはっ★ ……ふへ、ふへへモノたんスッベスベ……あ、やば興奮しすぎて鼻血が」
「確かに私が抱きつきたくなるくらい愛くるしい見た目なのは認めるけどな!? 取り敢えずいい加減に離、せっ! てかなんか、暖かいものが……うわ赤っ!」
もう完全に定着しつつあるナルシズムも発動させながら、モノはナナリンの抱擁をやっとの思いで振りほどく。
振りほどいてすぐに、ナナリンの鼻から盛大に溢れた鮮血に驚く。とんでもない血の量だ。
「お、おい、大丈夫か!? これ明らかに致死量超えちゃってる気がするんだが!?」
「大丈夫……★ ナナリンまだ生きてるから、死んでないってことは致死量じゃないよ……がふっ……!」
「ナナリン!? おい誰か――」
ご覧の通り、てんやわんやである。
何故、温泉に癒されに来たのにこいつは死にかけているのか。しかも挙句の果てには、気を失ってしまうので、モノが慌てて助けを呼ぼうとすると、
「……ふふっ」
「?」
――不意に投げかけられる笑い声。
その声に、反射的に振り向くと、そこには金色の綺麗な髪をした少女が一人、口に手を当て必死に笑いを堪えていた。
少し間を開けて少女は、振り向いたモノの視線に気づくが、その瞬間に見事に吹き出してしまい、
「……ふっ、ふふふ、ふふふふふっ! あ、あの、ご、ごめんなさい、ふふっ、余りにも、仲睦まじい様子で、ひっ、微笑ましかったものですから、ふふふっ!」
「…………」
「ふふふふっ、ふふっ、ふふふふふふふっ!」
これはまた見た目麗しい少女だった。そんな少女も、同じく裸な訳だが、今のモノにそれを気にしている余裕はなくて。
血塗れになって気を失ったかなり危ない状況のナナリンと、その頭を抱えるモノを目の前に、ただただ、その場でじっと笑い続け、身体を震わす少女。
その少女に、モノは思わず声を上げ――、
「――いや笑ってないで、助けてくれない!?」
きゃっきゃウフフです。そしてまたもや新キャラ登場。
でもって次回、遂に二章andこの物語の本編開幕。
ちなみに、モノのツインテールを見て、ほんとに一日髪型変えずに居てくれたんだぁ……! とほっこりするナナリンさんという出来事があったりなかったり。