二章第5話 知というのは難儀なものだね
「――――」
太陽の紋章が刻まれた灰色の扉のその向こう――『アゼルダ図書館』の内部はモノの想像を遥かに超えて、見事なものだった。
広い円形のホールの中心にたったモノに、壁一面の本棚にぎっしりと隙間なく並べられた本達が、一斉にその様々なタイトルの書かれた背を向けている。
天を見上げても、辺りを見渡しても、この建物の全ての壁が本であり、知識の集合体だった。
この大きな図書館の中に、一体どれほどの情報という名の人類の至宝が、誰かの手に取られ、ページを捲られることを待ち望み、眠っていることだろうか。
そんな圧倒的な光景を前に、赤く柔らかな絨毯に何も言わず、ただ呆然と立ち尽くすモノ。
「……見事なものだろう? これでもまだ人類の叡智のほんの一部だというのだから、自分という存在の矮小さに笑えてしまう」
言葉が出ず、口をパクパクさせるモノの様子を見て、どうだ、と言わんばかりの表情で、笑う白衣の少女。
「ご覧の通りここは何の変哲もないただの図書館さ。世界にはここよりも素晴らしい図書館がいっぱいある。だが、こんな私でもこうやって小さな図書館を持てたことを誇りに思っているよ」
しかも、これ程までにモノを圧倒する図書館を、小さな図書館と言うのだから、とんでもない。
「申し遅れた、私はフィロ・ラーバス。ここ『アゼルダ図書館』の館長と司書を務めさせてもらっている」
「…………凄いな」
凄い。それが挙句の果てにモノが絞り出した言葉だった。
変に飾ってしまうのも、なんだかここに眠る宝たちに失礼な気がして――、
「君の名前は?」
「ああ……モノだ。モノ・エリアス。加えて、超絶美少女」
「モノ……ふふ、良い名だ。それも君にピッタリの。して、モノ・エリアスよ、君は休館日になんの用かな?」
「休館日……? 通りで人が居ないわけか……そうとは知らず、申し訳ねえ」
フィロ・ラーバスと名乗った少女に、今日が休館日であることを聞き、驚き、結果的に押しかけたみたいになってしまったことに即座に謝るモノ。
アルファめ、休館日があるならあると言っておいてくれれば良かったのに。
となるとさっき迄のモノは、休館日の図書館の壁を押したり、未遂だが『最終兵器』の力を使って壊そうとしたりと、完全に迷惑な奴のそれである。
「いいや、気にする事はないよ。丁度今は暇していたところさ。それに、人が居ないのはいつもの事でね」
「まじか、こんなにすげえのに?」
「ふふ、そう、『こんなにすげえのに』、だ。今の若者たちはこういう純粋な知識の本を読もうとしなくてね」
などと言って、顔を俯かせ、寂しそうにするフィロ。確かに、死ぬ前に暮らしていた村でも、老人達が同じようなことを言っていた気がする。
いや、あの老人達は口を開けば、今の若者は、今の若者はと何かつけて文句を垂れていたから、嫌味のレベルがかなり違うか。
「――それにしても、君は本当に変わった匂いがするね」
「匂い、か?」
「ああ、そうとも。これ程までに稀有な匂いを嗅いだのは……それこそあの子以来か」
「さっきも言ってたけど、そんなに私臭うのか?」
懐かしむように眉間に皺を寄せるフィロ。あの子、とはどの子のことだろうか。
何にせよ、この少女、人の匂いやらなんやらとよく分からない世界の話をしてくれる。モノの匂いを、稀有な匂いなどと言っているがそんなに臭うのだろうか。
そう思い、モノは自分の服の袖を鼻で嗅ぐが、うん大丈夫。美少女特有の甘い香りだ。
「はは、なに。君の身体が臭うとかそういう話じゃないさ。君の体臭に関して言えば、とてもいい匂いだとも、少女特有の甘い香りだ。ただまあ、君も平坦な道は歩けそうにない、と思ってね」
「おお、少女特有の甘い香りとか、私が思ってたことと一緒のこと言ってる。んでもって、縁起でもないこと言うなよ……まあ確かに、平坦っていう程平坦な道は歩いてないけど」
なにせ一度死んでいる。それから美少女として蘇っている。加えて『最終兵器』だ。それだけでもう歩んできた道は、ボッコボコだろう。
「だろうね。君のような特異な子はこの世界にも多くないから……まあ、色々とこの世界もこの世界で、理不尽な程の力が溢れているのだがね」
「なんか難しい話だな……簡潔に言うと?」
「簡潔に言うと……ふむ、そうだな――君も、『加護者』という存在を知っているだろう?」
「うん、全く知らないが?」
少女の口から飛び出た、聞きなれない単語に首を傾げるモノ。者、と言うくらいだから何かの人を指す言葉なんだろうが、全く聞き覚えが無い。
「なんだって? 誰もが知っているような常識のはずだが? ……お、おほん、まあ知らないものは仕方がない、説明しようか」
「お手柔らかにお願いします。私、一定レベル以上の難しい話だと、脳が拒否しちゃうタイプの人間なんで」
モノの予想していなかったであろう反応に、怪訝な表情を浮かべてから、一つ咳払いをして、説明しようかと提案してくるフィロ。
村での引きこもり生活のせいもあり、世界の常識に疎いモノとしては有難いので、是非に、とモノはその提案に頷く。
「うむ、ではなるべく簡単に。……『加護者』というのは、その名の通り『加護を与えられた者』という意味だ」
「うんうん」
「ならそこで疑問なのが、誰から与えられたのかという点なのだが……まあ一言で表現するならそれは、うん――『神』、だね」
「うんう……ん? おいおい、急にどうした、さては自分の属性に突然、痛い子属性付け足したくなったのか? 安心しろよ、私の中では割とキャラもう濃いめだから」
モノの中では、とは言ってみたものの、生前の村では引きこもり、美少女として生まれ変わってからも、関わった人間の数は一桁なので、どんなにキャラが薄くてもトップテン入りは確実だが。
それにしても、この少女は突然『神』やらなんやらと何を言い出しているのか。
世間では十二歳前後の若者を中心に発症するという、常日頃から痛々しい言動をして、周りを引かせてしまう病気があるらしいのだが、まさかこの少女、その患者なのではあるまいか。
そもそも『神』なんてものが存在するのならば、モノのこれまでの人生の訳の分からない展開に、物申したいところだ。
がしかし、目の前のフィロのその余りに真剣な黒い瞳を覗き、モノは「まさか」、と口を開き、
「……え、まさか、本当に居るのか?」
「ああ。厳密には違ったりするが、居るとも。『神』はこの世界に存在する。様々な文献を見れば、疑う余地もない。実際に、この街一の貴族であるオリバー・バイシェルトも『加護者』であるしね」
「この街の貴族がその『加護者』……?」
フィロの口から語られる、モノにとって寝耳に水な知識の畳み掛けるようなコンボ。畳み掛けられすぎて、正直もう半分、脳が拒絶し始めている。
にわかには信じ難い事だが、フィロが言うには、この世界には『神』が存在していて、その『神』が人間に加護を与えることにより『加護者』という存在が生み出されるらしい。
果てには、その『加護者』の一人がこの街の貴族にいるという。まあ、この街の貴族などと言われてもモノにとっては縁のない者達の話であるので、今後も会うことは無さそうだが。
「そうとも……これも常識だと思うのだが、君、本当に知らないのかい?」
「うん。ごめん、全く」
「ううむ。逆に君が今までどう生きてきたのかが疑問だが、話を続けよう。……様々な『神』から『加護』を受けた『加護者』は、それはもう、とんでもない力を行使するわけだ。理不尽の権化だとも」
つまりはあれか。
簡単にまとめれば、『神』から強力な力を貰いましたよ〜ってのが『加護者』なわけか。
そりゃあ確かに、『神』なんて超常的な存在から力を与えられるわけだから、その強力さは安易に想像出来る。
それこそ、フィロの言うように『とんでもない力』なのだろう。
「加えて、『加護者』は世界中で日に日に増えていっている。そういう意味で、この世界には理不尽な力が溢れている、と言ったのさ」
「なるほど、わからんけどわかった……ごめん、やっぱ全然わかんないわ。突然『神』やらなんやら言われてもさっぱり」
「ふふ。確かに何も知らない人に教えるには少々難しい内容の話だったね。まあ、半分独り言みたいなものだから聞き流してくれて構わないよ……っと」
と、『神』と『加護者』の一連の説明が終わったところで、博士帽を被った白衣の少女は、置いてあった背にあっていない大きさの椅子に深く腰掛け、モノを見つめて、
「――して、君は何かこの図書館に、用があって来たのではなかったのかね?」
「おお、そうだった! いかんいかん、このまま豆知識だけ身に付けて帰るところだった……わざわざ休館日に図書館押しかけて、司書と雑談だけして帰るとか、行動が意味不明過ぎる」
「ううむ、豆知識のつもりでは無いのだが……まあいいさ、で、結局のところ何をしに来たんだい?」
危うく『加護者』の話で頭をこんがらせて、そのままうんうんと唸りながらこの場を後にするところだった。
この図書館に来たのはそもそも、自分の生前住んでいた村が何処にあるのかを調べるためだったことを思い出し、手をぽんと叩くモノ。
折角だから、この物知りそうな司書の手も借りるとしよう。
「……実は、今日はウェルトっていう村が何処にあるのかを調べに来たんだけど……フィロ、なんか知らないか?」
「ウェルト……? ふむ、私個人としては聞いた事が無いが、こういう時は本に聞くことにしよう。確か、この世界の地名を網羅した本があったはずだ」
首を傾げ考え込んだ後、難しい顔をしたフィロに何やら不安が募る。
が、彼女はそれから徐に立ち上がり、壁に揃った本の中から一冊だけ取り出し、円形のテーブルの上に開けてみせた。
それから文字の羅列を指差し、眺めて、
「ウェルトだから、この行にあるはずだが……なるほど」
「……! あったのか!?」
「ああ、あったよ」
「本当か!? やった! やっと尻尾掴んだぞおい! で、一体何処に!?」
頷き、ウェルトという村の存在を肯定するフィロにモノは歓喜する。今まで何の手掛かり何ももなかった問いの答えに一気に近づいたのだから、当たり前だ、嬉しいに決まってる。
ガタッとテーブルに両腕を突いて、目を輝かせながらフィロの次の言葉を待つモノ。
しかし、対するフィロの方は顔を伏せたまま黙り込んでいて。
「……? どうしたんだよ。ウェルトはあったんだろ? 早く場所を教えてくれ!」
そんな彼女の態度に、待ちきれなくなったモノは早く、と催促する。
だが、その催促にも、フィロは何かを考えているように黙り込んだままで。
「フィロ……?」
一向に口を開こうとしない遂に違和感を覚え始めたモノは、そんな彼女の名前を呼ぶ。
その声に、ようやく、彼女は言いづらそうに、口を開き、
「――ううむ、君にとってこのウェルトという村がどういったものなのかが分からないから、非常に言い難いんだが……」
「……ぇ」
「確かにその村は存在したよ――――二年前までね。……二年前にこの村は原因不明の災害で滅んでいる。生存者もゼロだ」
「…………は?」
無知なる者に、残酷な知を与えた。
次回、きゃっきゃうふふ(死語)な温泉回。