四章第14話 塞翁が馬
またまたまたまた期間が空いてしまいました。
元気です。
「――――ゴホッゴホッ。あぁ煙い。うわ、服に砂入った……気持ちわりぃ」
ゆっくりと息を吸って、砂埃に噎せて、格好がつかないなと思いながらも、瓦礫から立ち上がるモノ。
尻もちをついていた状態から、身体の勢いだけで飛び上がって立つ動作は、翼が生えているのかと疑う身軽さだ。
「てかお前! 今回はたまたま大丈夫だったみたいだけど、家の中に人が居たらどうするんだよ!」
「あーいや。それ全然おじさんに関係ないぜー? なんてったって全員寝てっからなー。お嬢ちゃんさえ潰せば、目撃者とか存在しないからさ」
モノが怒りの視線を向ける先には、無精髭を生やした、気だるそうなヒョロっとした男。
髪と同じ赤茶色なその顎の髭を触り、面倒くさそうに吐いた言葉は、暗にこの集団催眠が自分の仕業だと仄めかしていた。
「でもさー。確かに、長引くと起きた時に感じる違和感が大きくなるじゃん? そうなると、おじさんちょっくら有名人だからさ、皆、おじさんが犯人だって分かっちゃうかもなんだよね。だから、ちゃっちゃと終わらせるつもりだったんだけどさー……そこで提案なんだけどね」
「……」
「お嬢ちゃん今すぐ死んでくれない?」
「誰が乗っかるかそんな提案!!」
出会い頭にいきなり殴り飛ばされるわ、今すぐ死ねと言われるわで、たまったもんじゃないとモノは憤慨。
そんなモノの態度を男もある程度予測していたらしく、
「まーだよなー、ならめんどーだけど、別のも試すか」
と、ポリポリと頬をかき、それからわざとらしく咳払いした男は言葉を続ける。
「おほん、あーなんだ。おじさん、『魔道四天王』なんだわ。『睡魔王のダリアン』っておじさんのことなんだわ。どうだー? 死ぬ気になったかー?」
「どうだー? 死ぬ気になったかー? ……じゃないわ! なるわけないだろ! どんな狂った脈絡してんだ!!」
「いやー、だってほら泣く子も黙る『魔道四天王』だぜー? この国の最強の四人のうちの一人だぜー? 諦めもつくってもんだろ、ふつー」
――『魔道四天王』。それなら、このストランド大陸で、誰も何も敵わない実力者であるとの説明を、今朝ミエムの口から聞いたばかりだが。
どうやら男は自分が『魔道四天王』の一人である事を明かせば、モノが震え上がって何もかもを諦めると思ったらしい。
が、ストランドに来たばかりのモノは『魔道四天王』という存在にあまりピンと来ていない。
しかも、そもそも目の前のこの男がほんとにその『魔道四天王』の一人であるかも怪しい。
故に、男の言葉は何もモノに効果を与えなかったのだが、
「あー。もしかしなくても、おじさんが『魔道四天王』かどーか疑ってるなー? てゆーか、今更だけどお嬢ちゃんなんで生きてんだ? さっき思いっきり腹を殴り潰した筈なんだけどなー?」
「本当に今更だな! けどま、ほらこの通り割とピンピンしてるぞ、私。何故かって言われたら、うまく説明出来ないけど」
モノの身体の丈夫さは今に始まった事じゃないが、モノ自身、この身体の力の仕組みを説明しろと言われれば全く答えられる自信が無い。
『アルマフィネイル』とやらの身体で目覚めてからかなり時間が経ったが、これに関してはまだまだ未知だらけである。
「お嬢ちゃん、歳は十三かそこらだろー? ふつーは、おじさんを前にしたらすぐに、泣き叫んで逃げ出しても良いぐらいなんだけどなー? お嬢ちゃん、気持ち悪いくらい、顔色一つ変えないな」
「おい、こんな可憐なレディに向かって気持ち悪いとはなんだ気持ち悪いとは。どう頑張っても私の容姿は天使のそれだろうが!」
「――あー、わかった」
モノのナルシズムの入った抗議を遮るように呟いた男――自称『睡魔王のダリアン』。
何やら合点がいったような声色で、彼は少し、笑みを浮かべる。
そこで、空気が変わった。突然だ。
目の前の男が先程までと同じ人物か疑うほどに。
言うなれば、微風が瞬間、荒れ狂う嵐に変化したかのような不可解で――。
「――――おじさん、舐められてるな?」
そう言い終えると同時。地面が自称ダリアンの踏み込みで爆ぜた。
次の瞬間には、既に彼はモノの懐へと潜り込んでいる。
その全身に纏った渦巻く火花のような輝く粒子。それが、目に見える程に練られ、溢れ出る魔力であることに、魔力無しのモノでさえ気付いた。
神々しい加護の力とも、異質な色彩の力とも違う、純粋なエネルギー。
先の攻撃とは比べ物にならない、大気を震わす程の威力を持った拳が、モノの腹へと放たれる。
しかし――、
「……あんたも私を舐め過ぎだな。『最終兵器』、起動」
口にしたコマンド。
刹那。
世界がモノの呼び掛けに呼応する。
モノの感情が世界の奥深くへと繋がり、そこから圧倒的な権限を持って、『力』が『色』が確かな形で抽出される。
現れたるは、一切の穢れも許さぬ『純白』の色彩。
全てを拒む、無垢で、清廉で、清純で、はたまた冷淡な色素が、モノの身体に権能を与える。
「っ!?」
自称ダリアンが放ったそのエネルギーの全てを、モノは片手で掴み、受け止める。そこには何の拮抗も存在しなかった。
ただただ、モノは自称ダリアンの拳を力の差で抑え込んだ。
あまりに簡単に見えるその結果に、自称ダリアンは驚愕の表情を浮かべ叫ぶ。
「んな馬鹿な!?」
「ぶっ飛べ! そおいっ!」
「うおおっ!?」
そのままモノは自称ダリアンの腕を引っ張り上げる。
地面へと放り投げると、情けない声を出して、派手に砂を巻き上げながら横に転がる自称ダリアン。
その様子を見て、モノは先のやり返しを完了してやったと、満足気な表情を浮かべる。
「おいおい、お嬢ちゃん、いや冗談だろ……」
転がった先で起き上がる自称ダリアンは、尚も驚愕の表情を浮かべている。それはそうだろう。
自分が舐められていると思っていた立場が、実際は真逆だったのだから。殴り飛ばす、或いは殺すつもりだった少女に、今や逆になげとばされているのだから。
だから――だとモノは考えていたのだが。
「『最終兵器』だって……? おいおい、聞いてねーよ、こんな所に知らねー『最終兵器』がいるなんてよ」
自称ダリアンはモノの力に驚いている訳ではなかった。
彼が呟いたそれは、モノにとっては聞き捨てならない言葉で、
「……!! あんた、『最終兵器』を知ってるのか!?」
「いやー。お嬢ちゃん、おじさんの娘に似てるからさー、一瞬、ほんの一瞬だけ逃がしてやろうかとも考えたけどさ……やっば、それはやめだな。だってお嬢ちゃんその身体――――『自分のじゃない』だろ?」
「……」
モノ以外、誰も知らないはずの事実。
それを初対面の会って間もない人物に言い当てられ、押し黙るモノ。
「お嬢ちゃん、見た感じ『覚醒』はまだっぽいしさー。色々と自覚無いんだろー? 自分が馬鹿げた『兵器』だってこともさ」
「私が、馬鹿げた兵器……? 一体何の……」
「なら、おじさんは今のお嬢さんよりは詳しいぜー? それにさ、自覚する前に、ここで芽を摘んどくべきだよなー」
気になる単語が出たが、どうやら男はモノの質問に答える気は無いらしい。
再び自称ダリアンの身体に魔力が纏う。より膨大に、より暴力的に輝きを増して、モノに敵意を向ける。
奔流は、光の粒子を舞わせ、渦を巻き、そして――、
「『色』は勿論、『加護』にも負けるけどさー。『魔法』ってのは、その分、手数が多いし小回りがきくんだぜ? ――『炎爆』! 煙幕強化!」
自称ダリアンが練り上げた闘志が、魔力が『魔法』となって、モノへと射出される。
『炎爆』という魔法の名はモノにも馴染み深い。
だが、自称ダリアンが放った『炎爆』は、ミエムの追尾するものとも違っていた。
モノとまだかなり距離がある地点で爆散したのだ。
爆散して、忽ちの内に辺りには黒煙が充満し、モノの視界を奪う。
しかし、
『マスター、攻撃が来ます』
脳内に響くナビの声。
見えなくなった筈の視界が、光を取り戻す。
ナビのセンサーが視覚情報に変化を齎した結果だ。
「わかってる。私に目眩しは効かないぞ」
煙幕の中、向かってきていた三本の魔力のナイフ。
それをモノは難なく避ける。
「そうかい、ならこいつはどうだー? ――――眠れ」
自称ダリアンがそう呟くと、モノの視界はぐにゃりと、歪む。
ぼんやりと、心地よく、突如、脳が働きを放棄し、何も考えられなくなる。わけがわからなくなる。
ぐらぐら、ふらふら。次第に周りの音が遠のき、自分の鼓動の音すら小さくなっていく。
身体から力が抜け、ガクリと。
支えられなくなりそうになった時、突如、無機質な声が響いて。
『――「白」の権能により、自動的に無効化されました』
モノの体感時間ではかなりの時間ウトウトしていたように感じたが、それは眠気からきた錯覚だったらしい。
意識が戻ったモノは空気を斬り裂いてやってきた風の刃を、身体を逸らして回避する。
「私にそういう状態異常は効かないぞ」
「ならこういうのはどうだー? 炎刃、機能強化『瞬速』!!」
次は純粋な速さでの勝負に出たらしい。
男の手から赤い光が放たれたかと思えば、つぎの瞬間には、既にモノのすぐ側まで炎の刃がやって来ている。
が、それでも尚、モノの速さには到底追いついてはいない。
炎の刃の動きに合わせて、モノの身体がパッと消える。否、消えたのではない。
常人には見えない速度で左右にスライドしたのだ。
「私には当たらないぞ」
「くそ、ならこーゆーのはどうだ! 『打ち上がる風』!! 空中なら避けれないだろ?」
徐々に余裕が消えてきた自称ダリアンの声色。
彼が言い切ると、モノの足元の砂が、ふわりと少し浮いた。
それからワンテンポ遅れて、地面から真上に突風が吹き荒れ、モノの身体が宙へと投げられる。
地上戦では勝ち目がないと踏んだのか、空中戦へと持ち込むつもりのようだが。
「『炎爆』、機能強化『瞬速』!!」
「『無重力』。私、飛べるんだよな」
残念なことにそれも自分で飛べるモノには関係ない。再び、瞬きの間に射出される魔力の爆弾を、それを超える速度で地面へと戻り、回避する。
自称ダリアンの額に汗が滲み、表情にも焦りが浮かび、
「くっ、次は全力で行くぞ! 『風爆』、『範囲拡大』! 機能強化、『雷雨』!!」
先までの攻撃とは比べ物にならない程の魔力に、その発生源である自称ダリアンを中心に地面が抉られる。
風の巨大な爆弾。そこに、飛沫が混ざり、稲妻が迸った。まさに嵐の再現。
鼓膜を劈くような爆音が轟き、切り刻む巨大な竜巻が、魔力の爆発が、モノの身体を容赦なく飲み込んでいき――。
「――『拒絶』」
モノがそう唱え、片手を翳すと、それらは全て、触れたところから呆気なく霧散する。
形を、影響を、存在を拒絶され何もかもが保てなくなり、崩れ、千切れ、跡形もなく消え失せた。
そこには、抉れた地面を除けば、最初から何も無かったかのような清々しさで――、
「おい、おいおいおい、デタラメかよ!? お嬢ちゃん、何にも通用しねーじゃねーか。あー、ほんとーにめんどーだな!!」
自称ダリアンが攻撃を仕掛け、モノはその尽くを軽くいなした。
そんな余りにも圧倒的な状況に、彼は心底面倒臭そうに、声を荒らげる。その様子を見るに、一連の攻撃が終わり、クールダウンに入ったようだ。
ならば、
「終わりか? なら今度はこっちの番だな」
そう言って、モノは『最終兵器』の出力を上昇させる。
周囲を漂う純白の光の靄が増加し、それに伴って、モノの身体を巡る『それ』が震え、より強くなっていく。
「この『色彩』の量……お嬢ちゃん本当に『覚醒』前か!?」
自称ダリアンが『最終兵器』のことを何処まで知っているのかは定かではないが、何やらモノの『色彩』量を見て、驚愕の表情を浮かべる。
モノはそれに不敵に笑い、行動を、
「覚醒とかそういうのは分からないけど、そっちから攻撃してきたんだからやられても文句は言うなよ! 歯ぁ食いしばりやがれ!」
「もし『覚醒』したら一体どれほど……そうなる前に潰しておかなきゃならねーんだけど、これは――」
――開始する。
「そおいっ!!」
「いくらなんでも無理――ぐぅっ!?」
自称ダリアンの言い切るより早く。
モノの姿がぶれる。
刹那、自称ダリアンの腹へと潜り込み、鳩尾を殴り飛ばしている。残像が現れる速度。
反応できる訳が無い。鈍い音と共に、自称ダリアンは呻きを上げながら、後ろへと飛ぶ。そして、
「からの、そおいっ!!」
「ごぼべぁっ!?」
自分で殴り飛ばした自称ダリアンの身体が地面に着く前に、有り得ない速度で追いついたモノ。
躊躇することなく、横腹へと蹴りを放つ。
ミシミシッと軋む音が鳴り、自称ダリアンの飛ぶ方向が九十度直角に変わる。
しかし、浅い。
恐らく、モノの攻撃を食らう前に、防御魔法を展開しているのだろう。
だから、まだ、攻撃の手は緩めない。
「まだまだぁ! そおいっ!!」
「げぼぇあ!?」
再度追いついたモノは、今度は男の右脚を掴み、馬鹿力で空へと放り投げた。
容赦無く高くへと打ち上がる自称ダリアン。
しかし、またもそれに追いつき、いや、その高さを超えて跳躍するモノ。
ギリギリと奥歯を噛んで、拳に『色』を、『純白』の力を乗せる。
「もう一発だ!!!! そおおおいっ!! ――『反発』ッ!!」
それは純粋な何もかもを拒む力の一撃。
その拳を自称ダリアンへと振り下ろし、地面へと叩き落として――――、
「ほぐらべぁ!?!?」
白の閃光が煌めき、自称ダリアンが叫び声を上げたところで、モノは追撃を止め、服に付いた塵を手で払った。
一方的な攻防の果て。
満身創痍になり、ボロボロの様子の自称ダリアンは、砂埃の中、力無く立ち上がる。
「っづはぁ……! くそ、いてー」
「やるなおじさん。これだけぶっ飛ばしてもまだ気を失わないなんて」
正直、驚きだ。
あれだけ派手に殴り飛ばされた筈の自称ダリアンは、息を切らし、辛そうにはしているが、意識の方はハッキリしている様子だ。
外傷も衣服は破けており、擦り傷や打撲は見受けられるが、致命的なダメージには至っていないように見える。
「はァ、はァ、いやー、きちーわ。ははっ、はははっ」
モノがそうやって、与えられたダメージ量の予測を立てていると、突如、笑い出す自称ダリアン。
なのだが、その笑いには幾分か諦めの色が混じっていて、
「あーやめだ! やめやめ! 勝てっこねーよこんなんさー!」
「なんだ? もう諦めるのか?」
確かに、今の攻防の結果を見るに、モノの勝利は決まっている様なものだが。
こう、明確に殺意を向けてきていた相手が、途端にコロッと態度を変えるとなると、少々戸惑う。
そんな戸惑いからモノが発した言葉は、挑発に聞こえそうな内容だったが、聞いた本人は本当にスッパリと諦めてしまったようで。
「無理無理! 命が何個あっても足んねーわ、これ。状態異常無効化とか、おじさん、お嬢ちゃんとの相性最悪の最悪だしよー! まー、てことで――――イディア!」
「…………いでぃあ?」
「――――かしこまりました、既に準備は出来ております」
「誰だ!?」
ダリアンが『イディア』と発すると、突然、彼の後ろの空間が裂け、その中から響く少女の声。
「イディアはさすがだなー。例の少女も確保出来たかー?」
「はい、ダリアン様。ここに」
暫くして裂けた空間から姿を表すのは、水色と黄色のグラデーションを帯びた髪を短く揺らす少女。
何処かで見た事のある蝶の髪飾りをしたその少女――イディアが抱えるのは、若紫の色のこちらは見覚えしかない人物で。
「――――ミエム!? どうして!?」
呼び掛けに返事は無い。
周囲の人々同様、未だに眠っているようだ。
すやすやと寝息を立てるミエムは、抵抗無しに謎の少女に連れられており、
「よし、じゃーずらかるぞー」
「はい、ダリアン様。『扉』よ、『イルファの魔法塔』へ繋がれ」
ダリアンと共に、空間の裂け目へと、そそくさと入っていき――、
「え、は、ちょ!? ちょっと待て!!」
「いや、待つわけないでしょ、ふつー」
唐突すぎる展開に思考が追いつかず、動揺を隠せないモノは反応が遅れてしまっていた。
何故かは分からないが、ミエムが連れ去られようとしている事だけは理解し、阻止しようと動いた時には既に、
「行かせるか! 『無重力』!」
「――『扉』よ、閉まれ」
謎の空間の裂け目ごと、三人の姿は忽然と消えている。『無重力』を使い、弾丸のような速度で伸ばした手は、何も無い空気を掠めるだけ。
「…………マジか」
呟いたモノは未だ、上手く状況を呑み込めない。
が、次第に朝日が差し込み、次々と周囲の人々が目を覚ます様子を横目に、モノは茫然と。
「やられた。くそ、もう勘弁してくれよ……」
――――悔しさと、任務が始まってから、次々と休むこと無く舞い込む事件への疲労を、確かに感じ取っていた。