四章第12話 審判と胸騒ぎ
また随分と期間が空いてしまいましたが、ちゃんと生きてます。
ぼちぼち書いていきますよん!
「……あなたは、嘘つきですか?」
そう問うた少女の、黒く濁った瞳の下には、不健康そうな濃い隈。
先までは、ふらふらと左右に揺れていたが、今はそれも止まっていた。じっと、こちらを見詰めて、見定める視線を。審判の眼を向けている。
「――――」
異様な空気が、モノの額に汗を滴らせる。ピクリとも動けない。
少しでも動けば、そこ部位から引きちぎられて仕舞いそうな程の、暴力的で絶対的な、そんな何かの力が、少女の視線には有った。
その修道服のような服装のせいか。
彼女自体は、そういったものから掛け離れている筈なのに、どこか神々しさを感じてしまう。
神秘的な存在に、今、命運を、天秤にかけられている。そんな風に錯覚する。
「――――」
言葉も発せない。否、発さなくとも、少女には全てを見透かされているようにモノは感じた。
自分の今の在り様と、今までの過去の全てを、強制的にさらけ出されているような、謎の感覚。
この問い掛けと、この瞳の前では、隠すことは無駄だと、無意味だと、言われている気すらした。
だから、モノはただ静かに、少女が審判を告げる時を待つ。
「――――」
問いの答えは勿論、イエスだ。
自分はとにかく嘘つきな人間だと、モノは自覚している。
確かに、大きな事件を起こすほどの嘘を吐いた覚えは無いが、小さな嘘であれば数え切れないくらい。前世のアインの時も、今のモノになってからも、嘘を沢山、吐いてきた。
――『嘘』にも、種類がある。
人を傷付ける嘘と、逆に人を傷付けない為の嘘、自分を守る為につく嘘、ただただ出任せでつく嘘、他にも色々だ。
勿論、悪意のある嘘はついてこなかったと思うが。
もし今、嘘つきであることを罰せられるのであれば、モノは正しく罪人である。
だが――――、
「…………どうして?」
幾ら待てど、モノがその罪で裁かれることは無かった。
気付けば周りに、空間そのものに穴を空けたような、黒い影の円がいくつも浮かび上がっている。
だがしかし、それだけだ。
浮かび上がったそれは、モノを囲んで、ただただ何もせず、ゆっくりと空中を遊泳するだけ。
それを見てか、不思議そうに呟いた少女。
「――どうして、『棘』が出ないの?」
同時に、審判の時間はそこで終わる。
少女から感じていたプレッシャーは一気に解かれ、モノはいつの間にか止めていたらしい呼吸を再開。
相変わらず濁った瞳が向けられているが、そこには既に先までの、全てを見透かすような力は宿っていない。
強ばっていた身体も自由を取り戻したことを、手を開いたり閉じたりして確認し、モノはようやく口を開く。
「『棘』……? いや、そんなことより。お前は一体何者だ? 気配が微塵もしなかったんだが」
問いかけ、モノは少女の瞳の奥を覗き込み、今度は逆にその少女の正体を探る。
交差した視線。だが、それは直ぐに合わなくなる。
少女が頭を抱え、腰を曲げたからだ。蹲る少女は、ビクビクと気色悪く身体を震わせ、何かをブツブツと呟いていた。
不気味な少女の変わりように、モノは横目でミエムを見やる。すると、彼女もまた同様に気味悪がっているようで、表情をひくつかせている。
しかし、ミエムは先の『神力』とやらの凄まじいプレッシャーに当てられたのか、未だに動けないようで――、
「――――けた」
ふと、ブツブツと聞こえなかった少女の言葉が、突然はっきりとしたような気がして、モノは少女に即刻、視線を戻した。
そこでは、俯いた顔を上げた少女が、飛び出して仕舞いそうなほど見開いた目で、こちらを見ている。
何事かと、警戒を強めるモノ。
何処か恍惚とした表情を浮かべる少女に、モノは緊張を覚え、ごくりと唾を呑んだ。
唾液を垂らし、頬を赤らめ、顔を抱えて、笑みを浮かべた少女は、やがて、震える唇を開く。
「――やっと、見つけました……私の、リルアの、お姫様……!」
うっとりとした顔でそんなことを言った少女から、不気味なこの世の者では無いような気配が、綺麗さっぱり消え去る。
モノを囲んでいた、空間を割く黒い円も無くなった。
あるのは、恋する乙女の顔の少女と、何が何だか分からず戸惑うモノと、ようやく安心したように息を吐いたミエムと、パチパチと鳴る小さな焚き火。
「お姫様……お名前を、お聞きしても?」
「私のことか? まあ、その前に、こっちが、あんたが何者なのか聞きたいんだけど……」
「ああ、リルアとした事が……申し訳ございません。リルアはリルア・ハーティと申します。人に名前を名乗るのなんて、何年ぶりでしょうか。お姫様だから特別ですよぉ」
口の下に人差し指を置き、笑う、案外簡単に名乗ってくれるリルア・ハーティという少女。
その瞳には、やはり光がない。
何か大事な物が欠けている、そう思わせるような雰囲気が少女の周りには漂っていた。
「思ったより素直に名乗ってくれたな? ……じゃなくて、ええと、私はモノだ」
「モノ様……素敵な名前です……。けど、何処かで聞いたことがあるような気がしますね……?」
「それに関しては気の所為ってことで……ところで、リルア……さん? だっけ? 兎に角、一つ、これだけは確認しておきたい事があるんだけど」
「そんな、こんなリルアの事など、気軽に呼び捨てて下さい! それと確認、ですか? モノ様からの質問なら何でも答えますよぉ」
「近い近い!」
上目遣いで擦り寄ってくるリルアを両手で剥がすと、彼女は不満そうな顔で、頬を膨らます。
彼女の纏う不気味さを無視すれば、こういう仕草は子供っぽく、十七くらいの見た目年齢相応であるが。
それが逆に、不気味さとミスマッチを起こして、彼女の存在感をより『異質』に惹き立てていた。
だから、先ずは、敵であるかどうかを確かめなければならない。
「リルアは……メリア教団の関係者、じゃあ無いよな?」
今のモノにとって明確な敵であるのは、『メリア教団』と、密航船を襲撃した謎の存在だけだ。
しかし後者は、問答無用でモノを海底へと沈めるような奴なので、一応の話が出来ているリルアは当てはまらない。
故に、確認すべきは、リルアが前者に関わりがあるかどうか。
そんな考えに基づいたモノの質問。それに、何でも答えると言ったリルアはその言葉の通りに、躊躇いなく口を開いて。
「はい、それは勿論です! あんな神臭い集団、嫌ですよぉ。――というより、今すぐにでも、『棘』で八つ裂きにして、根絶やしにしたいくらいです」
と、どす黒く濃い殺気を何処かに向けて放つリルア。どうやら、彼女にもメリア教会と何か確執がある様子だ。
こちらを騙そうと演じている可能性も無くはないが、これまでに様々な殺気に触れてきたモノは、それが嘘ではなく、心からの物だと判断。
しかし、その可能性を拾い上げるのは、それまで黙してリルアを見張ったミエムで。
「……信用出来ない」
「あら?」
「うちは、信用出来ない。あれだけの神力を身体中に纏わせておいて、教団と関係無いなんて、嘘」
「…………嘘、ですか」
呟いて、瞬間、リルアに先程のプレッシャーが戻る――気がした。
モノは何故そう思ったのか分からないが、その予兆に身体を一度ビクつかせた。が、その予兆は外れ。
リルアの周りの空気が一秒にも満たない時間だけ、張り詰めたように感じたが、次にはもう解かれていた。
「ええ、私は嘘つきです。ですが、それは神の前だけ。神の気配を感じ無い者には正直で在りたいと、私は思っています。ましてや、モノ様とそのお供様の前で嘘は絶対につきません、約束致します」
「口で何を言われても、うちはお前を信用しない」
優しげな笑みを浮かべ、ミエムを安心させようとしたのか、穏やかな声色でリルアは言う。
だが、ミエムは眉間に皺を寄せたまま、警戒を解こうとはしない。
そんな様子を見て、濁った目を伏せ困った表情を浮かべたリルア。彼女は暫く考え込んだ後、何か思い付いた顔で、
「であれば、目に見える形で証拠を」
「……! それは……!」
そう言って、彼女は徐ろに漆黒に染められた修道服、その裾をたくし上げた。
たくし上げられた裾の中から見えてくるのは、病的なまでに白い、白い肌。しかし、その白い肌、右の太ももに、モノは、どこか見覚えがある薄らと発光する幾何学模様を発見する。
「加護の紋様……か?」
ただの刺青ではない。
加護の紋様――神からの恩恵を受ける、つまり加護者になると、身体の何処かに現れるという紋様。
その受ける加護によって紋様の形は微妙に異なるが、自ら発光するかどうかが、ただの刺青との違いだ。
リリアの太腿に浮かび上がったそれは、間違いなく淡い輝きを放っていた。
「ただ、それが何の証拠に……」
「――成程、分かった。うちは貴女を信用する」
「んぇ!?」
そんなあっさりとしたミエムの態度の変わりようにおかしな声を出してしまうモノ。
そんな疑問の文字を顔に貼っつけたかのような表情のモノを見て、ミエムが説明する。
「メリア教会に……加護者は居ない」
「その通りです。教会の面々に加護者は居ません。むしろ、教会は『加護者』を異端者として扱っていますから。教徒に捕まった『加護者』が辿る結末は結構惨いですよ」
「…………あれか? 自分達とは違う神を信じてる奴、みたいな扱いってことか?」
「厳密には頂点に座するメリア・アティは人間ですので、神ではありませんが……信徒にとっては神と同等でしょうから、そういうことですね」
「なるほど」
語られたミエムの簡単すぎる手の平返しの理由に納得し、モノは頷く。
まずはこれで、このリルアという謎の少女が教会との関係者である線は切れた訳である。
だからといって、リルアがこちらに危害を加えないとは断言出来ないが。
故に、当然辿り着く疑問は――、
「で、リルアは夜遅くこんな森に一人で何をしてたんだ? 見た目的には修道女だから、てっきり私達を追ってきた教徒だと疑ってたんだけどな」
「――――」
見たところ、荷物も持っていない。
荷物も持たず、足下もろくに見えない程の真夜中の暗闇に紛れて、少女が一人で森の中。
どう考えたところで、普通の行動ではないことは明らかだ。
これで衣服や少女自体がボロボロであれば、何かから逃げてきた可能性もあるが、焚き火の明かりに照らされた修道服に、綻びは見当たらない。
それに、物を持っていないのも、あれ程の『神力』を見てしまえば、彼女にとって必要のないものであるからだと納得出来る。
つまり、少なくとも彼女は自分の意思で、この森に来ている。
「――――波長を感じまして」
暫く押し黙ったリルアがそう呟いた。
一気に真剣味を帯びた彼女の表情。モノとミエムは再び空気が張り詰めたのを肌で感じとる。
「リルアは特殊な波長を感じ取れる身体なのです」
「特殊な波長……?」
「はい。聞いた事はありませんか? 神から恩寵を受け、やがてその神すらも食い殺した『加護者』――世界に八つ存在する『超越者』と呼ばれる者達が、特定条件下で放つ波長の話を」
「…………どっかで聞いたような、聞いてないような?」
「『超越者』ってほんとに存在するんだ……」
横でそう言ったミエムの驚いた表情に、モノはレイリアとイルファの加護と魔法の文化的違いを感じるが、それは一旦置いて。
「それで、その特定条件下って何なんだ?」
「……超越者が二人以上、一定の距離まで接近することです」
「その条件を満たすと波長とやらが出るってことか」
「はい。それで今、リルアは波長の発生主達に用がありまして、その場所へと向かっている途中でございます」
「へぇ…………って、ちょっと待てよ? ということはリルアお前――――『超越者』の場所が分かるってことか!?」
「……? はい、そうなりますね?」
「お、おお……おおおおお! リルア! お願いだ、私達と一緒に来てくれないか!?」
先までの警戒は何処へやら、珍しくあまりに上手くいく展開に、後先の事を忘れる程に興奮したモノは、思わずリルアの細い手を取って掴む。
「……モ、モノ様? どうされたのですか……?」
モノが向ける期待の眼差し、その視線を何と思ったか、熟れた林檎のように頬を真っ赤にし戸惑うリルア。
それも無視して、モノは一人、喜びに打ち震え、呟く。
「これは今回の任務の『MVP』は私で決まりだな!」
――――などと意気揚々と言い放った数分後。すぐにモノはまた頭を悩ませることになる。
そう、少し遅れて気付いたのだ。リルアの発言の意味に。
リルアが感じることの出来る特殊な波長。それが発生する条件は、
この大陸に、しかもその一箇所に、『超越者』が二人以上存在、
すなわち、目的の『栄光』以外の『超越者』が潜んでいることを示していた。