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第7話

 あの出来事以降、彼女が学校に来ることはなかった。


 あの日からずっと来ておらず、空席となった彼女の席を眺める日々が続いた。それが物悲しく、寂寥感とでも言うのか、ふと泣きそうになる。


 それはあの日、見た記憶の中で感じた切なさに似ていた。


「どうした?思いつめた顔して?ドラマか?ドラマの主人公か?」


 漆原が俺を揶揄ってくる。


 俺はそれが煩わしく感じ、怒鳴って追い払うことも考えたが、意外にも頭は冷静なようで、彼に話を振る。


「いや。………宮藤さん。急に不登校になったなって」


 俺の言葉に漆原は一瞬、焦った顔を見せた。俺が不振に思い、彼の顔を見ると、彼はまたお道化た表情に戻り、問うてくる。


「なんでお前が宮藤のことを気にしてんだよ?なんだ?好きなのか?」


「いや。ただ気になっただけだ。明日から夏休みなのにずっと学校来てないだろ?」


「あ、そう。そういうことな。知らね。学校来るのが怠いだけだろ?」


 彼はそう残すと、教室を後にした。


 彼の表情の変化は気になったが、少し時間を置けば、それも忘れてしまった。


 いつもお道化ている漆原が見せた表情もその時の俺にとっては取るに足らない出来事だったのだ。


 


 


 


 彼女は夏休みまで一度も学校に来なかった。


 教師の岩井に聞くも体調不良だと聞かされた。何も知らないならそれを鵜呑みにもできたが、俺はあの出来事が原因であるとしか思えられない。


 俺と出会ったことで彼女に何かが起こったのは確かだ。


 あの泣き顔を見れば、そう思わざるを得ない。


 しかし、何故それが不登校に繋がるのかが分からない。あの時、彼女は正気に戻り、そのまま別れたはずだ。


 それから彼女に何かあったというのだろうか?


 そんなフウに後ろ向きな考えに陥ってしまう。俺がそんな暗い感情を引きづったままいるものだから、小西と橘が心配そうにしていた。


 本田も俺を心配していた。どうでもいいことだが。


 そんな中、俺たちは夏休みに突入する。


 


 


 


 真っ赤な太陽が額を照り付け、潮風は頬を撫でていく。


 群青色の濁った海の前に男四人で何をするのかと思えば、俺を尻目に漆原、小西、橘は海へと駆け出していった。


 彼らは楽しそうに海と戯れていた。俺もそれに続いて、生暖かい潮水に浸かって泳いでいたが、どうにも気持ちが悪い。


 俺はキリの良いところでカバン置き場に戻り、一人で遊んでいる彼らを眺めていることにした。


 他の人たちはテント、パラソルを持ってきていたが、俺たちにそんなものはなく、必然的にこうしてカバンを見張る役が必要になる。


 俺は頭が沸騰しそうな暑さの中、はしゃいでいる男三人を砂浜から見ている。そんな夏の午後。


 確か、橘が本田たちも誘ったと言っていたが、「肌が焼けるじゃん?」と断られたそうだ。


 俺たちは夏だからという安直な気持ちで海に来ている。


 しかし、俺の記憶にある海とは少し違う。


 俺の記憶にある海とは寂しい冬の日本海。

 人気もなく、闇夜の中、ただ波の音だけが追いかけてくる。そんな黒い海だ。


 眼前の海はそれとは全く異なるものだ。


 いや、紛れもなく海であるのは確かだが。


 ドンッドンッとクラブミュージックが大音量で流れ、店の前には焼けて小麦色になった肌を露わにした女性が多い。


 アルコールを飲み、女性を口説くことに躍起になっている男性も多く、表と裏の判別のつかぬ水着を着用している男性もいる。


 昼になって、そんな彼らを眺めていると、漆原の姿が見えない。


 橘に聞けば、どうやら彼も狩りに出かけたようだ。橘も誘われたらしい。一人より二人の方が成功率が高いのだそうだ。


 そんなもんかねと遠くの砂浜で、飲み屋街のキャッチのごとく、女性に話しかける漆原を見つける。


 彼は黄身色の太陽の下、カンカン照りの日差しの正午に女を求めて彷徨っていた。


 にしても俺が彼を発見して10人ほどアタックしているが、誰も彼を相手にしない。流石のモテ男も学外に出れば、人の子かと観察していると、20人目あたりでやっと捕まえたみたいだ。


 なるほど。ナンパとは根気の世界なんだなぁと橘と感心していると、小西が日焼けした真っ赤な顔でもう一度泳ぎに行こうとせかす。


 常日ごろから部活で体を動かしているというのに元気な奴だ。


 俺と橘は重い腰を上げ、小西とまた海で泳ぎに出た。


 そうこうしているうちに日は暮れていき、夕焼けの空に変わった。


 海の向こうに太陽が沈んでいく様はやはり幻想的で、それに四人の男が見惚れていた。

 少し距離を置いたところにはカップルがいて、キスをしながら夕日を見る。


 それを目にした漆原がぽつりと「やっぱ女と来ればよかった」と漏らし、橘とそれを笑った。


 日が完全に落ちて、あたりが暗くなり始めたとき、もう帰るかと誰かが言う。


 俺は不意に尿意に苛まれ、一人、砂浜の近くにあるトイレに戻った。


 彼らを待たせては悪いと早急に事を済ませて、外に出た。


 その時、目に入ってきたのは黒い海だった。


 海水浴場の周りを通る道路沿いには街灯が立ち並んでいるが、この砂浜にあるトイレには小さな電球一つだけであり、明かりは少ない。


 黒い海は波の音だけを立たせて、俺はそれに飲み込まれるような気がして、静かに目を閉じた。


 


 


 


 何も聞こえなくなる。


 先ほどまで帰り支度をしていた人々の声も、車の音も遠くなる。


 全ての音が消えていく。


 聞こえてくるのは波の音。


 酷く悲しく切なくなる波の音。


 俺は何を想って海に来たのだろう。


 遠く遠く。自分の住んでいる町が見えなくなって、縁もゆかりもない土地まで来た気がする。知らない海の知らない店でコーヒーを一杯飲んでいた。


 店主は老人であり、俺が店に入ってしばらくすると、こちらの素性を尋ねてきた。


 当たり前だ。スーツでこんな時季のこんな明るい時間にバイクで来る客もそういるまい。


 俺は適当に誤魔化して、タバコに火を付ける。数年吸っていなかったためか、久しく吸うタバコは酷く苦く、不味く感じ、何故か死にたくなった。


 煙草を吸い終え、名も知らぬ海の近くに建っている名も知らぬホテルに入って、またもタバコに火を付けた。


 特別やることもなく、暇つぶしにテレビを見ながら、日が沈んでいくのを横目に無駄に時間を浪費する。


 そうして、ホテルの客室の窓から見える海を見ながら、そろそろいいかと重い腰を上げた。


 一人、誰もいない真冬の海へと近づいていく。


 誰もおらず、ただ波の音だけが追いかけて来る。


 誰もいない。いや、誰かがいても一緒だ。もう誰もいないのと変わらない。俺にとって世界はもういらなくなってしまった。


 仕事も趣味もなにもかもいらない。


 ただ毎日を無駄に浪費していた。寝て、起きて、働いて、寝て。の繰り返しだ。もう意味がない。


 働く意味がない。いや、生きている意味がない。


 波が少し高く上がって、俺の靴まで届いた。そうして、泡立って消えていく。水面に映る月は波のまにまに漂うとふっと消えた。俺はまた月を探していたが、二度と現れることはなかった。


 そうして、ボーッと時間を潰していると、もう日を跨ぎそうだ。静かになった砂浜を歩いて、バイクに乗った。


 高く高く上っていく。坂道を上って、目的地に着くと、バイクを降りて、これもまた久しく呑んでいなかったビールを飲んだ。


 止められていたのだ。


 俺は調子に乗ると飲み過ぎてしまう癖があるから。


 それも、もう誰も言ってはくれないが。


 俺はビールの苦みが舌に蘇ってくる前に、煙草をくわえて、深く肺に入れた。そうして、濾した空気を吐く。


 白く吐かれた空気は、冬の夜に深く溶け込むようで、それを見ながら頭の中がボーッとしてきたところで、ゆっくり歩いて行き、一度も下を見ずに、空へとジャンプした。


 最後に目にした空には、先ほど探した月が仄かに光を放っていた。


 


 


 


「おい!おい!上原!?上原!?………美月!?」


 その声に我に返る。


 これは橘の声だ。俺は意識が戻ると、砂浜に寝ていた。そうして、寝ている俺の隣には心配そうに俺の肩を揺らす橘がいた。


「あ………えっと。だ………大丈夫だ」


 回らない口を自覚しながらも、なんとか言葉を吐きだす。


「いやいや。大丈夫じゃねぇだろ?熱中症か?」


「いや………えっと」


 俺は意識は戻ったものの、頭はぼやけており、なんと言葉を発したらいいのか分からない。そんな俺を見て、橘は焦りだす。


「待て待て待て。本当にどうしたんだよ?お前おかしいだろ?」


「何がだよ?」


 俺は何とか返事をする。


「いやいや。なんで泣いてんだ?」


「は?」


 俺の頬を伝う熱を感じ、手の甲で触れると涙が付いた。


 前に宮藤といたときにも同じように、変な記憶を見て泣いてしまった。この間から泣いてばかりだ。しかし、あの時とは違って、今度は何故泣いているのか分からなかった。


 そうか。


 なるほど。


 確かにな。変だとは思っていた。意味の分からない記憶。現代社会との齟齬。自分の欠けた記憶。


 確かに変だ。


 でもようやく分かった。


「ああ。なるほど。分かった。なるほど」


「おい?急にどうした?大丈夫か?」


 笑いながら、一人納得している俺に橘が不振に思い、声をかける。


「いや。分かった。やっと腑に落ちた。それは変に感じるわけだ。記憶も朧げにもなる。本当に昔のことなんだから」


「は?」


「いや、悪い。一人言だ」


「お、おう。それより早く戻るぞ。正もウルシも待ってる」


「おう」


 俺は橘と共に駅まで戻っていく。先ほどまで寝ていたにしては記憶は冴えている。


 なんだ。本当に昔のことだ。


 高校に通っていたのも、大学に行っていたのも、仕事をしていたのも。


 ならばおかしな点はいくらでも出てくるってもんだ。


 俺は一度死んでいるのだから。


 


 俺は冬の夜の海にその身を投げて、自殺したのだから。


 


 

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