第4話
カラオケについた時、店のドアのガラスに夕日が映っていることに気がついた。
夕日が自身の背中を指していることに、幸せが込み上げてくる。
夕日が落ちる瞬間、黄昏の時に自分が遊んでいることが妙に新鮮に思え、いつもなら何かに束縛されていたと思い出したのだ。
しかしながら、何に縛られて生きていたかは分からない。いい加減な記憶に振り回された一日であった。
そうして、名も聞いたことのないカラオケ店に入る。
皆、さっそく好きな曲を入れていき、楽し気に歌いだす。
しかし俺はふと曲のレパートリーに疑問を覚えた。
アイドルはもっと多くいたよなぁとか、流行りの曲はもっと洋楽に寄っていたよなぁとか。
歌謡曲に近いJPOPソングヒットチャートのトップの曲を歌い上げる橘に首をかしげていた。
また何故か、小西が歌うアニソンに懐かしさからか泣きそうになった。昔のアニメのオープニングとかエンディングを聞いて、懐かしさから胸が締め付けられる感じだ。
郷愁が胸を衝くとでも言うのか。
アニソンを入れると、アニメ映像が流れる。
その時、恥ずかしそうに俺の顔を気にする小西に、気にするな、俺も楽しい、このアニメ良かったよなと話を振ると、彼は幸せそうに微笑んだ。
橘にお前、アニメなんて見てたっけと?聞かれ、そこになんの違和感も覚えず、は?こんな良作アニメを見てないわけないだろ?と返すと、彼は「おかしい。やっぱりおかしい」と俺の顔をしげしげと眺めていた。
周りの女子にも「美月。オタクみたいキモッ」と罵られたが、無視した。
そんな些細な事柄から、俺の性格、また物の観方や感じ方、所謂、感性そのものが変わっていることに気が付いた。
まだ終わっていないアニメの最終回を知っていることもやはりおかしなことである。
まだ発売されていない歌手の曲を知っていることもおかしい。
ミュージックビデオに出てくる歌手の顔がやけに若く見えるのもおかしい。
試しに本田に「この歌手なんか若くないか?」と聞くと、「は?もう25だよ?おばさんじゃん?」と言われ、何故か傷ついた。
そうして、カラオケを終える頃にはもう綺麗な夕焼けの空はなく、黒一色の空に三日月が寂しく浮かんでいた。
俺は久しぶりに歌ったからか、喉がイガイガするなと喉元をと押さえていると、小西に「美月もアニメ好きなの?」と笑顔で聞かれ、適当に相槌を打っていた。
そこに橘も加わって、雑談をしている中、なにやら女子グループはもうこの後の話を始めている。
「この後、どうするの?」
本田の声に坂口 馨が答える。
「なんか今日、お母さんが煩くて、早く帰らないといけないんだ」
「え?マジ?今日はこの後、プリクラ撮りにいく予定でしょ?」
それに本田が不機嫌そうに答えた。しかし、佐竹 恵に「まあ、また今度でいいっしょ?」
と窘められ、彼女の機嫌も収まったところでその日はお開きとなった。
皆が散り散りに帰っていく中、俺と本田は二人で残っていた。
いつものパターンだ。俺と彼女の両親は共働きで帰りが遅いので、自然と俺たちが残る。
それは彼女との記憶の中でいの1番に思い出したものだった。
お互いに暇だったからという安易な気持ちだ。
そして、俺と本田は家が近く、ここから二人で帰ることは目に見えている。
しかし、俺は予定があると、彼女とは別れて帰ることにした。
彼女には俺と一緒に帰らなくてはならない理由があり、俺には彼女と一緒に帰れない理由があった。
俺にはそれが何故か分かっており、わざと彼女を遠ざけた。
本田が「こんな夜になんの予定よ?」と訝しんでいたが、「大人の男の嗜みさ」とアホなことを宣い、その場を離れた。
何故か、頭に鮮明に蘇ってきた記憶。
俺はこの後、本田 真美と帰路を共にし、家の近くの公園に寄り道する。そして、彼女に初めてキスされ、告白されるのだ。
その後、キス以上の事も行い、確か2、3ヶ月で別れた筈だ。
彼女と今日、出会った時、その映像がやけに鮮明に頭に蘇ったのだ。
その時の空気感、初めて女子とキスをした喜び。本田 真美を彼女に出来たという優越感にも似た青臭い感情が未だ頭に残っている。
俺はその記憶を見て、彼女を注意深く観察していたが、それは意味のない行動であった。
それはそうだ。俺は彼女を恋愛対象として見ていないのだから。
今朝までの俺なら分からないが、今の俺なら告白されても断るだろう。
今はもう好きな人が出来たのだから。
そうして、彼女がなにやら感情の見えない表情で俺を見送る姿に少しばかりの良心を痛めながら帰路に就いた。
カラオケ屋から電車を乗りつなぎ、帰っていく。
俺は夜の街を横目に、何やら自分の記憶というものが怖くなり、ふと道を逸れる。
行った覚えのない記憶に占拠されるというのも恐怖であるが、なによりもその記憶に反発するというのも先が見えない恐怖がある。
先に知ってしまった今となっては、彼女と付き合うことが運命に感じ、何か大きな流れを阻害している気になり、それが果たして正しいことなのか確証を持てない。
そして、その事が自分の気分を害している現状にも腹が立ってくる。
いや、その時の俺は多分、安易な気持ちで付き合い、キスをしたのだろう。そうしてその後も。
一時の気の迷いに押し流され、生き急いでいたのだろう。
若気の至りだな。
そんなことをわざわざ思い出し、客観視しているとはなんと恥ずかしい。
顔から火が出るほど恥ずかしい。
そうして、夜風に当たりながら、町を抜けた先の公園に辿りついた。本来なら、俺は家の近くの公園で本田に告白されている頃だろう。
俺はその公園のベンチに腰かけ、自動販売機で買った缶コーヒーを飲み、一息ついた。
それが客観的に見て、高校生の生態とは酷く乖離した行動であると自覚しながら。