7 約束
放課後、俺は帰りの車を待っていた。春の風は少しだけ肌寒い、吹き付ける風は木々を揺らし、人間が作り出す雑音を消し去ってくれる。
昼間の屋上でイリーナと話をしたが、特に有益な会話じゃなかった、むしろルリを取り戻すと話していた。ルリを手に入れて何をするつもりなのか、イリーナの考えが読めない、やはり情報が少な過ぎる。いつどこでルリを連れ去るかわからない今、俺はどうやって動けばいいのか、どうすればルリを守れるのか。
相手はビルシェタイングループの令嬢、権力も金も全てを持っている、正直それらを駆使すれば、俺の手からいつでもルリを奪えるはずだ。本人はそんな事を口にしてはいないが、『そんな事口にしなくてもわかるでしょ?』と、目で俺に告げていた気がした。イリーナの目的はルリの奪還と空閑を潰す事、2つをいっぺんに実行するのなら時間はかなり掛かる、だが、どっちか1つだけならルリ奪還を先に選ぶだろう。
俺がイリーナなら、きっとそうする。何故なら、空閑グループを完全に潰すには、今ある空閑企業全てを撤退させるしかないからだ。そして現当主である総帥を、あの玉座から引きずり下ろさなければ、また復活してしまう。ならば一番早く済むであろう、ルリ奪還をイリーナは選択するはずだ、ルリの意思はおそらく通らない。
全く面倒だ、俺の復讐劇に水を差すとはな、倒すべき相手が先にイリーナへ変わってしまった。何とかしてイリーナの弱点を見つけないと、この先隣に居るはずのルリが居なくなってしまう。
「日向様」
「ルリか、すまない考え事をしていた」
「いえ……日向様」
「何だ」
心なしか、ルリの表情が暗い気がする。それもそうか、当人は日本から出るつもりなんて無い、それなのに無理矢理連れて行かれる可能性もあるんだ、怯えてると言うよりは、どうしたらいいのかわかってない感じ。どうするも何も、ルリはハッキリとあの時『私の主は日向様以外居ません』と言っていた、ならそんな暗い顔をする必要も、難しく考える表情も不要なはずなのに。
どうしてそんな顔をしているんだ、ルリ。
「少しだけ、昔話をしても宜しいでしょうか」
「あんなに話したがらなかったのに、珍しいじゃないか」
「いえ、話したくない訳ではありません。時期が来れば話すつもりでしたので、もちろん今から話す内容が全てではありません。申し訳ございません」
「構わない、話せ」
ルリは少し深呼吸をしてから、ゆっくりと口を開く。
「まだ私がイギリスの養成所に居た頃です。当時研修生だった私は、イリーナ様のメイドとして着任していました」
空閑がイギリスに参入して間もない頃、手始めにメイド養成所へ出資していた時代。ルリはその中でも優秀で、他の研修生より早く成長していた、人に対する接し方、気の使い方、行動力等のステータスは遥かに周りと差があった。
そこで養成所の所長は、『ビルシェタイン家に研修へ行きなさい』とルリへ告げた。ビルシェタイン家はイギリスでも大きな家柄で、ルリも知らない訳では無い。
「当時のビルシェタイン家のご当主様は、空閑グループ総帥と仲が良く、イギリスへの参入を許可したのもイリーナ様のお爺様でした」
「当時……って言うと今は変わっているのか?」
「はい。今はイリーナ様の父である、ダンカ·ビルシェタイン様です」
「待て、雨宮の性が無いじゃないか」
「詳しい事は私にもわかりませんが、今お屋敷で雨宮の性も名乗っているのは、イリーナ様のみです」
確か雨宮はイリーナの母親の性だったか、それも何か理由があるのなら、調べてみる価値はありそうだ。
「話を折ってすまない、続けてくれ」
「はい。私が着任したその日に、初めてイリーナ様と出会い、身の回りのお世話をしていました」
その頃のイリーナはまだ小さく、今のように活発に行動する子では無く、焔と似た性格だったようだ。大人しくてあまり部屋から出ず、外で遊ぶ事が無かった。そんな時にルリは屋敷にやって来た、最初こそ話をしても頷くだけだったイリーナだが、時が進む内に打ち解けて、心を通わせるようになった。
自分から話を振るまでに変わったイリーナ、その成長を見届ける度にルリは、『素敵ですイリーナ様、色々な事にチャレンジしましょう』と話していた。
「イリーナ様が小学生になった頃、私は諸事情で度々屋敷を空けてしまっていたのです」
「諸事情? 何だそれは」
「申し訳ございません、まだそれだけは話せません」
「……続けてくれ」
俺はその話せない空白の時間が気になる、だが今は目の前の事を片付けなければ、地についた足を蹴られてしまう。
そして、度々屋敷を空けていた事が原因で、祖父は怒りを表に出てきた。黙って屋敷を出る日もあれば、適当な理由を作って休暇を申請し出ていく、それらが全てイリーナの祖父の耳に入ってしまった。こうなってしまったら、結果なんか聞かなくてもわかる、普通ならクビになるし、研修生ならば退学扱いされる。
だがルリに対しての処遇は、厳しいものでは無かった、イリーナの祖父は『次は無い』と話していた、しかし、ルリは責任を取る事にし、半年程でビルシェタイン家を出る事にした。
「荷物をまとめて、最後にイリーナ様と話をしたのですが、その時に『必ずまた帰ってきて』と慈悲をくれたのです」
「お前は何と言ったんだ?」
「私は……」
「……何だ?」
―――わかりました、と言いました
なんて事ない約束を、イリーナはずっと覚えている。それが今回のルリ奪還に繋がってしまったのか、まだそこまではわからないが、少なからずはある。その口約束の後、ルリは屋敷を出るよりも前に、空閑の総帥に引き抜かれたらしいが、イリーナは椿が引き抜いたと話していた。
その辺は椿を追求すれば早いだろう、だが俺が気になっているのはそこじゃない。
「少しでいい、諸事情の部分を話してくれ」
「……しかし」
「お前を失う訳には行かないんだッ!」
「ひ……日向様……」
「頼む、少しでいい。話せる所だけでいいから、話してくれ」
つい感情的になってしまった、ルリが少しだけ強ばっている。今も少し葛藤しているが、何とか話せる部分だけを探して、ようやく口を開いて出てきた言葉は、
「休んでいた原因は―――」
―――日本へ、行っていたからです




