1 喜劇
―――天涯孤独
小学生だった俺は、その言葉をよく理解していなかった。目の前に広がる世界は黒一色で、手で顔を隠したりして泣き声も聞こえてくる。
まだ実感なんて湧いても来ない、わかる事は父さんと母さんが死んだって事だけだ。身内が死んだ事に悲しくならないの? 泣かないの? 寂しくないの? と、実際に言われてる訳じゃないけど、聞こえてくるような気がした。
何故なら、ここに居る大人は父さんと母さんの本心を知らないからだ。長袖の下に隠された痣や切り傷、背中には打撲痕。そう、俺はこの死んだ両親に虐待を受けていた。毎日学校から帰宅する度に父さんに呼び出され、部屋に閉じ込めては『殴る』『蹴る』なんて当たり前で、夕飯になっても俺の分なんて用意すらされていない。
毎度部屋の向こうから聞こえてくるのは、
―――何であんな出来ない奴が産まれてきたんだ
一体何を期待して育てられてきたのか、言われた事は素直に従って来た、学校でも成績は悪くない筈だった。それでも成績表を見せる度に『こんな成績で』とか『恥ずかしくて表に出せないわ』とか酷い仕打ちだった。常に1番を取り続けるだなんて無理だ、でも言い返せば『殴る』『蹴る』の決まった罰が飛んでくる。
俺はずっと、いつか両親を見返すと心に決めた。一切褒めてもくれない、我が子として見てくれない、頑張って努力して体力を付けても、ゴミを見るような目でしか俺を見てこない。
しかし、ある日の事だった。『お前がしっかりしないと選ばれない、お前がちゃんとしないからウチは三流家庭扱いされ、お爺様から見放されたんだ』と、吐き捨てるように告げる。そんな事を言われてもこの時の俺にはわからないことだった、お爺様? 三流家庭? 普通の家とは違うの?
聞いたところで『黙れ』の一喝、それから以降は学校にすら行かせてもらえなくなり、暴力はエスカレートしていくばかりで俺は疲弊していく。耐えかねた俺は親戚の家に逃げ込んだがすぐに連れ戻される、傷跡や痣を見つけた親戚に『走っていたらこけた』等と嘘を話す母さん。
このままここに居たらいつか殺される、小学3年の俺でも初めて頭に思い浮かんだ言葉があった。
―――殺られる前に殺らなきゃ
俺は考えた、どうすればあの2人を消せるのか、どうすれば平和な日常を取り戻せるのか。色々作戦を練るが所詮子供の思いつき程度では何一つ完璧な案なんて出ない。
そんな事を考えながら日々の仕打ちに耐えていく、我慢していく。その日から一ヶ月が経った夜、両親がいつも戻る時間に帰って来なかった。今まで一度もそんな事は起きなかったのに、何時になっても帰って来なかった。
寝ずに息を潜めていたら朝を迎え、廊下に置いてある固定電話が鳴り響く。一瞬ビクっとしたが部屋から出ていき、受話器を上げて電話に出ると警察からだった。名前を聞かれ息子である事を話すと、警察は躊躇いなく―――
―――お父さんとお母さんが亡くなられました
警察は両親が死んだと話している、もちろん意味くらい分かる、でも思考がその言葉を理解するまでに時間が掛かったのと同時に、俺は心の中で、
(終わったんだ……やっと……終わったんだ)
悲しくて泣いているのか、寂しくて泣いているのか、身内が死んだから泣いているのか。目から涙が止まらなかった、俺は嬉しくて嬉しくて泣いていた、全てが終わりを告げているから、俺は泣き崩れた。
葬式には沢山の大人達で溢れかえっていた、そんな世界に泣きもせずただただ無表情で遺影を眺めている俺。周りの人は『天涯孤独になるのね』『誰か養子に引き取るのか?』とヒソヒソと話しているが、そんな事に興味なんて無かった。
あの憎い両親がこの世界から消えた事がたまらなく嬉しくて、早くこんなお祭り見たいなの終わっちまえ、とさえ思っていた。しかしある言葉が俺の聴覚を刺激した、よくよく考えてみればここに居る大人達は両親の親戚や仲間、ある程度の家庭の事情や俺の事は知っているはずなんだ。
だからそのヒソヒソ話す声に敏感になった。
『あの子出来損ないの……』
『あの二人、かなり教育していたのにな』
『家柄を理解していないのね』
『養子に引き取る人が居る訳が無いわ』
『こっち見てるな、腐った目だ』
好き勝手話し出すアイツらは、可哀想、残念な子、と嘲笑うかの様な表情や態度を最後まで崩さず、葬式は終わりを迎えた。俺はあの家に戻るつもりは全くない、だから一人で暗い街の中へ消えてしまうつもりだった。天気はパラパラと雨が降り出し、その音すら今では心地いい気分にしてくれる。
もう二度と両親に会わなくていいと思うと、自然と表情が柔らかくなり、
『あ、あは、あはは……アハハハハハハハハッッッッッ!!!』
雨音に負けないくらい笑いが止まらなくなる、もう身体は雨でビショビショで服が重く感じる。この服もあの両親が買ったやつだと思えば今すぐにでも脱ぎたくなった、ジャケットを雑に脱ぐとそれを地面に叩きつけ、踏みつける。
今までやられてきた様に、蹴る、蹴る、蹴る。そんな事をしていると不意に雨が止んだ、でも目の前を見れば雨は降り続いている。地面を叩きつける雨音とは別に、パタパタと別の音がする。横に誰かが立っている気配がして振り向くと、そこにはメイド服を着た女性。
『なんだよ……』
俺は威嚇した、誰も信じられない俺はその女すら敵に見えていた。だがそいつの視線はあの大人達とは違う目をしていた、馬鹿にするような目じゃない、凄く悲しい目をしていた。そして、その女は口を開きこう告げた。
―――行きましょう、新しい家に