10 偽物
赤く染まる部屋の中で、俺はこれまで焔が受けてきた仕打ちについて話を聞いていた。養子としてここに訪れる前から、焔は椿から色々指示されて生きてきた。本来2人の成績は互角か焔の方が少し上くらいで、小中校の時はトップの奪い合いになっていた。
しかし、ある日を境に椿は焔に対して『手を抜きなさい』と指示された。もちろんそんな事はしたくなかった焔だが、ある言葉を口にされてから、命令に従うしか無くなってしまった。椿が口にした言葉とは『姉が妹に負けるのは有り得ない』さらに『私が焔より下でいると、空閑の屋敷から家族全員追い出される』と脅されているようだ。
在り来りな理由ではあるが、心が繊細な焔はその言葉が本当なのか嘘なのかわからない。だがもし両親や姉に何かあれば自分も困る、そう考えた結果ずっと椿より下の成績を維持し、両親からは冷たくされ、椿には『無能』と言われ、本当の自分がわからなくなっていた。
しかし、椿が罵倒するのは2人で居る時だけで、両親の前では良いお姉ちゃんを演じている。両親はこの事を全く知らないらしい、総帥の前だけは必ず良い子でいなければならないと、椿は毎度焔に言い続けているのだとか。焔は『私不必要な子でしょうか』と俺に問い掛けてきたが、それに対して俺は慎重に言葉を選ぶ。
ここで適当な事を言えば、味方に付ける前に焔の心が壊れてしまい、全てが嫌になって自暴自棄になってしまう。それだけは避けなければ計画が全て水の泡だ、さて、どう答えるべきか。
「焔お嬢様」
「メルリさん……なんでしょうか」
俺が何かを答える前にルリが焔に話しかけた、その時見たルリの目はあの時見た『悲しい目』をしていた。蔑んだり、馬鹿にしたような目じゃない。今すぐにでも抱きしめてあげたい、その立場を変わってあげたい、そんな想いがルリの目から伝わってくる。
他のメイド達も静かに2人の会話を聞く姿勢になる、本当にルリの事を尊敬し、この人に付いて行くと決めただけある。そう、ルリもまた『才能』のあるメイド。俺を一から育てた直したと言っても過言では無い、だからこそ俺は成し遂げなければならない。その為に、
「焔お嬢様は、無能ではありません。そして、必要です」
「でも私はお姉様達に必要とされて……」
「日向様が貴女を必要としています」
「お兄様が……」
俺の名前が挙がり、焔は俺を見てくる。だから俺は出来る限りの笑顔を作り微笑む、焔を利用し空閑を滅ぼす為に『偽物』の笑顔で落ち着かせる。純粋だからこそ焔の心は弱い、強くなる為には邪魔な奴を消すしかない。
焔にその覚悟があるのか、姉や両親を敵に回しても強く生きていけるのか、全てを改め直す力があるのか。後ろに控えていたメイドが、一枚のペラ紙を俺に差し出して来た。内容は焔に関する事が書かれているプロフィール、その中に印を付けられた項目があった。
「焔、お前は『演技』が得意だそうじゃないか。俺には真似出来ないし、俺には無い才能じゃないか」
「私はモデルより演技が好きで、昔から舞台に憧れていたんです」
「オファーもあったのに全て断っている……何故だ?」
「お姉様が『貴女には勿体ない、才能のある私こそがやるお仕事』と言われて、取られちゃいました……」
ただ断っただけじゃなく、姉を紹介するように言われたそうだ。自分に舞い込んでくる仕事は全て姉に譲る形になっていた、あの椿は妹の才能に嫉妬しそれすら奪ってまで、総帥に気に入られようとしている。底辺が考えそうな事だ、どんな事をしてでも手に入れて目立ちたい、反吐が出そうだ。
俺も手段は選ばないつもりだが、他人の才能を横取りしてまで叶える野望なんざ無い。そいつ自身がその才能を発揮して俺に協力してくれればそれでいい、それだけでいい。
「焔」
「はい……」
「姉が、両親が好きか?」
「え?」
思わず変な事を聞いてしまった、俺が物心ついた時から既に厳しい教育が始まっていた、両親の優しさや愛情なんか無く、本気で笑ったり遊んだりした事がない。そして母とは血が繋がっていない、赤ん坊だった頃に俺は死んだ母親の元に来たらしく、偽物の母親だった。
例え偽物の愛情でもいいから、嘘でもいいから大切にして欲しかった。だから悔しい、他の家族が家の外を歩いて楽しそうに会話してるのを見ると、とてつもなく心が張り裂けそうになった。
でも涙は出なかった、ただただ、胸をきつく締め付けられる感覚が強かった。焔はどうだろうか、どんな気持ちでずっと世界を見てきたんだろうか、不思議と興味が湧いてきた。だから聞いてしまったんだ、それだけなんだ。
「嫌いではありません、でも……」
「でも?」
「今のまま変わらないなら、壊してしまいたいです」
「それでいいのか?」
「もうお姉様もお母様もお父様も、お金とか権力にしか興味無いみたいで……あは、はは」
語りながら静かに涙を流す、まるで自分を見ているようで胸が締め付けられる。もう助けてくれる人間が居ない、言いなりのまま一生を終えるくらいなら、いっそそんなもの壊してしまいたい。焔はきっとそう思っている、ならば言う事はただ一つだ。
「俺についてこい」
「え?」
「お前を救える人間は、今ここに居る全員だ。本物のお前を知っているのはここに居る人間だけだ」
「ここに居る……皆」
「だから協力して欲しい」
―――焔、お前が必要だ
その場に居る皆が頷く、焔はまた一人一人の顔を見る。ニコッとするメイド達は『お助け致しますよ!』と言葉を投げる、ルリも『変わりましょう、焔お嬢様』と優しく告げる。
ここに居るのは空閑に嫌気がさした人間、そして恨みを持ち復讐者となった人間。形は違えど向かう先は一緒、少人数だが中身はバケモノレベルで天才集団。焔はゆっくりと椅子から立ち上がり、ポニーテールにしていた髪留めを外して床に捨てる。
「協力致します、お兄様。出来る限りお兄様に従います」
「そうか、わかった。歓迎するよ焔」
「はい!」
焔は床に捨てた髪留めを踏みつけて壊す、これは空閑家との決別を意味した行動。焔なりの意思表明なのだろう、俺が脱ぎ捨てて踏みつけたジャケットと同じように、焔の目もまた、
―――復讐者の目




