9 従うべき相手
夕方、屋敷へ戻った俺は今後の行動について考えるつもりで、自分の部屋へ戻るつもりだったのだが、今朝と同じように焔と出会ってしまった。だが今朝の空気感とはまた違っていた、焔は俺の部屋の前で三角座りをして膝に顔を埋めていた。
何があったのかだなんて、考えなくともわかる。クラスでの一件について椿から色々言われたのだろう、俺に優しくしたのがダメだったのか、椿が考えていた俺への攻撃の邪魔をしたからか。どちらにせよ椿は失敗した、その報復が今の焔を表現している、昔の俺もそうだった。
失敗すれば殴られ、怒鳴られ、部屋に閉じこめられ。満足にご飯も中々与えられなかった、そんな時の俺に彼女は似ている。少しだけ同情してやりたいが、そんな焔もあの両親と同じ空閑の血を身体に宿している。だからコイツも復讐対象だ…………と、少し前の俺ならこのまま放置にするが今は絶好のチャンスだ。
コイツが味方に付けばさらに行動しやすくなる、だから俺は嘘でも下手な演技でもして、焔を手に入れることにした。
「焔、どうかしたのか?」
「ひ……日向くん」
「その頬、赤くなってる」
「え、あ、これは……」
彼女は赤くなった頬を手の平で優しく撫でる、見た感じまだ手加減された色合いだ。本気ならアザができたり蚯蚓脹れ(みみずばれ)したりする、俺の背中や太もも二の腕には跡が残ったままだ。本当の妹に本気は出せなかったようだが、これが血を引いていない奴だとしたら、もっと酷い仕打ちを喰らったはずだ。
「ルリに氷袋を持ってこさせよう」
「そんな、大丈夫ですから……」
「馬鹿を言うな、他でもない『妹』のこんな姿は見たくないんだ」
「日向くん…………今……」
我ながら演技が下手だなと思ったが、精神的苦痛を味わっている奴は割と鈍感になりやすい。だが優しい言葉や自分を慰めてくれる行動は受け入れやすい、今の状態は俺にとってかなり好都合という訳。
どんな酷いことを言われたかわからないが、今なら、今の焔の精神状態なら言う事を聞くかもしれん。だが慌てる必要は無い、今はコイツの中に"俺と言う存在"を植え付ける事が重要だ。俺はスマホを取り出し、ルリをすぐ呼び出せるボタンを押す、しばらくして俺達の元にルリがやってきた。
「ルリ氷袋を持って俺の部屋に来てくれ」
「承知致しました」
「焔、立てるか?」
「は、はい」
焔は自力で立ち上がる、俺は彼女の手を握り誘導しながら、部屋へ連れていく。最初は『あの、氷袋さえ頂ければ』とか言っていたが俺がなだめ、部屋の中に入らせる事に成功した。
部屋に戻ると機材は綺麗に無くなっていて、元の部屋の状態に戻っていた。機材は無いがルリ以外のメイド達は部屋の隅に立って待っていた、氷袋を取りに行きながら連絡をしていたのだろう。
適当な椅子に焔を座らせて、心を落ち着かせていく。彼女の口から何があったのかを吐かせないと、協力者にする事は難しい。椿から受けた苦痛を共有してやることで、焔は俺に信用ができる。そしてそれが信頼に繋がり最後は『この人に付いて行く』に結びつく、そうなれば俺のモノだ。
体質的に病みやすい人間は扱う事が難しい、誰も信用せず外面だけで対応され、正しい言葉でも自分にとって悪い言葉に聞こえたり、心には常に壁を作ったりとマイナスな感情を無限に増やし続けてしまう。だが、焔のように普段は冷静で物事に対して真剣に向き合う奴は、自分に危害を受けた時どうしたらいいのか分からなくなる。
真剣に悩めば悩むほど答えが分からなくなり、誰かを頼りたくなってくる。焔は俺と会う前に起きた出来事を思い出しているだろう、興奮から冷静な状態になると色々と頭の中に蘇って来るものだ。
事故をした直後は、痛みより先に何が起きたかを脳に伝える為に感覚がかなり鈍くなる。その次に色々と自覚し痛みを感知する、本当は最初から痛いはずなのに頭は先に状況を整理しようと動くからだ。冷静になったら激しい痛みに襲われるのがそれで、精神状態も冷静になれば数分前の出来事を思い出してしまう訳だ。
「椿お姉様に打たれたんだな?」
「はい……日向君を助けたからって」
「なんて酷いことを……」
「お姉様は悪くありません、私が言う事を聞かなかったから」
やはり姉の言葉を何年も聞いてきた影響か、姉の悪い所は妹が悪いからと悲観的になっている。これでは俺の言葉は上手く心に届かない、それにまだ『どうして打たれたのか』を聞いていない。本音を聞き出さないと意味が無い、もちろん何故打たれたのかくらい、俺は理解しているが本人の口から聞かないといくら言葉を並べても、効果なんて一切でない。
部屋が静まり返る、誰も口を開くことは無く、しばらく沈黙が続く。すると氷袋を持ったルリが部屋へ戻ってきた、それを焔に渡さず俺に手渡してきた。もう既に俺達の作戦は始まっている、俺は席を立ち焔に近づいていく。そして、
「お前は何も悪くない」
「え?」
冷たい氷袋を焔の頬に優しく当てる、少しビクッとしたが安心したような目になる。焔は無意識なのか、氷袋を持つ俺の手に自分の手を重ねる。チラッと片隅にいるメイド達を見る、ルリは真顔で様子を見てくれている、残り3人は親指を突き立てていた。
ここからが勝負だ、焔の心の壁は次第に脆く、ゆっくりと隙間を作っていく。
「何があったんだ? 何を言われた?」
「それは…………その……」
「俺はお前の"兄"だ、隠さずに話してごらん」
優しく頭を撫でてやると、焔は少しずつ固い表情を緩くしていく。撫でられるのが嬉しいのか、または兄と言われたのがよかったのか、俺は出来る限り偽りの性格を演じていく。
そして、
「お姉様は、私を『無能』だと言っていました」
「そうか…………焔もなんだな」
「日向君……も」
「あぁ、俺達は似たもの同士かもしれないな」
「似たもの同士……私と、ひな……お兄様が」
ふ、ふふ。あははははははっっっっ!!!!
俺をお兄様と呼ぶかっ! あははははははっ!! そうかそうか、これは良い収穫だ、まさか椿から無能呼ばわりされていたとはな。
尚更やりやすくなった、同じような境遇の人間なら扱いやすい、それに今のこいつは俺の言葉なら何でも優しく聞こえるのだろう。そうか、そうかそうか!
俺はそのまま頭を撫でながら、
―――俺達がお前を助けよう、焔
渾身の笑顔で焔に言葉を投げた、焔は部屋に居る全員の顔を見る。そうだ、ここに居るのはお前の味方であり、後に空閑を滅ぼす"復讐者"なんだから。




