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ショコラの街並み

作者: 蒼真まこ

パリの街並みを舞台にした短編です。

(物語上に出てくる事件は実在のものとは関連ありません)

 その街に立つと、背筋が伸びる思いがする。

セピア色に染まった街には暖かな落ち着きがあった。

茶色がベースになっているから、もっと暗くなりそうなものなのに

不思議と薄暗い街にはならない。

 赤やむらさき、青といった色も存在するが、それらは絶妙なバランスで

街に溶け込み、静かな暖かさを損なうことはない。

世界でもっとも美しいといわれる、パリの街並み。


 私はこの街が好きだ。


 パリの名物であるカフェに入ると、大好きなショコラ(ショコラ・ショー)

を注文した。パリのショコラは日本のものとは一味違う。   

熱々のホットチョコレートに暖かなミルクを注ぎ入れながら飲む。

チョコレート好きにはたまらないホットドリンクだ。

とろりと甘いのに、ちょっぴりビターな飲み物はパリの街並みによく似合う。

懐かしい甘さをかみしめながら、体がほどよく温まっていく。

ショコラを和也と一緒に楽しむのが、私にとって至福の時間だった。


 この街のアパルトマンに恋人の和也と暮らしていた。

和也が仕事でパリに赴任されており、その住まいに私が転がり込んだ

形だったけれど。

仕事を止めて(正確には派遣を切られた)パリまで追いかけてきた

私に驚きはしたけれど、拒みもしなかった。


「日本に戻ったときに、真奈の両親に挨拶しないとね」


 結婚の約束ともとれそうな和也の言葉に私は舞い上がった。

文字通り新婚気分だったのだ、私には。


 おままごとのように、フランスの豊富な食材で料理を作った。

いつか一緒に暮らすことを夢見て、フランス料理の本を買い込んで

勉強したり、フランス家庭料理の教室に通ったりしたことがここで役に立った。

 もっとも理想と現実は違うようで、現地の食材の扱いに困ったりして

とんでもない料理が出来上がったこともあった。

苦笑いを浮かべながらも、和也はなんとか食べてくれた。

 日本食が恋しいと和也が呟けば、日本の材料をなんとか手に入れ家庭料理を振る舞った。

日本の味とは微妙に違う気もしたが、日本食に飢えていた彼にはそれで充分だった。



 ぎこちないけれど、幸せな日々。

パリには幸せな思い出しかなかった。

 あの時までは。

和也と暮らして数ヶ月経った頃、世間を震撼とさせる事件が起きた。

パリを含む数々の観光地に突如、銃撃が降り注いだのだ。

私と和也はアパートにいたので被害はなかったが遠くから聞こえる

サイレンの音や続々と集まるフランス警察に体の震えが止まらなかった。


「真奈、大丈夫だよ。僕がいるから」


 震える私を和也は優しく抱きしめてくれた。

その顔はこわばっていたので、彼も本当は怖かったのだと思う。

それから和也は事件の余波で対応に回らねばならず、多忙の身となった。

本当は一緒にいてほしかったが、仕事だと思うと我慢するしかなかった。

せめて彼が帰ってきたときに、暖かなスープを出してあげよう。

仕事で疲れきった彼を癒してあげたい。

哀しみを漂わせながらも、懸命に立ち上がろうとするセピアの街と共に

私もがんばろう。和也を支えるんだ。

それぐらいしか当時の私にはできなかったが、それでも必死だった。

和也と共に生きるのだ。そう思っていた。


「真奈、悪いけど一度日本に帰国してくれないか?」


 疲れきった顔で帰宅した和也が、スープをすすりながらそっと切り出した。

共に生きたいと思っていたのは、私だけだったのだろうか?


「君の御両親からも『申し訳ないが真奈を一度帰国させてほしい』

と何度も連絡があった。親ならば当然だと思う。

僕達はまだ正式に籍を入れてない。落ち着いたら君を迎えにいくから

日本で待っていてほしい」


 真摯な眼差し。私の身を案じるがゆえの言葉であることは理解できた。

でも気持ちが追いつかなかった。


「いや! 私は和也と一緒にいる。日本には帰らない!」


「真奈、頼むからわがままをいわないでくれ。疲れてるんだ……」


 言われずとも彼が疲れているのは、その顔を見ればわかる。

だから暖かな手料理で癒してあげたかった。

けれど今、彼を苦しめているのは私なのだ。そんなつもりはなかったのに。

深いため息をもらして、うなだれる彼にかけられる言葉はなかった。


「私、日本に一度帰るね。手続きとかもあるものね。

待ってるからきっと迎えにきて。きっとよ」



 涙をこらえながら話す声は震えていたが、自分にはどうにもならなかった。


「真奈、ごめん。ありがとう。必ず迎えにいく。約束する」


 和也はぎゅっと抱きしめてくれた。大好きな和也の温もり。

今度は夫婦としてこの人と共に生きよう。

和也もきっと同じ気持ちだ。だから信じて待とう。



 間もなく私は日本にひとり帰国し、両親の元で暮らした。

帰国して知ったが、父が病で倒れていたのだ。

命に別状はなかったが、後遺症が残った。

そんな状況の中で娘が遠い地にいることに不安を感じて

母が何度も彼に連絡したとしても責められない。

もともと親の了解を得ずにパリに行ってしまったのだから。

 気丈にも仕事に復帰した父を見て、私も派遣社員に戻った。

ブランクがあったのでいい条件ではなかったが、働いて稼ぎを得られれば充分だった。

だって、私は和也を待つのだから。


『仕事はそろそろ落ち着くと思う。もう少し待っていて』


 そのメールを最後に、和也からの連絡は途絶えた。





 隣に座っていたマダムたちの笑い声に、我に返った。

いつのまにか思い出の中に旅立っていたらしい。

温かなショコラは冷えてしまっていた。

和也からの連絡が途絶えて3年が経つ。

 それが何を意味するかは、今の私には理解できる。

彼にとってパリでの別れが、永遠の別れだったということなのだろう。

頭では理解していても、心のほうは納得できていない。

心の整理のために、和也との思い出にけりをつけるために、

私は再びこの街にやってきた。

和也はお洒落なパリジェンヌと結婚しているのかもしれない。

もしそうだとしても、きちんと別れを告げてくれてもいいものなのに。



「和也のバカ……」


 私を見捨てた和也が憎たらしい。でもそれと同じぐらい、恋しい。

一度でいいから、会いたい。彼の笑顔が見たい。

……好き。和也が今でも好き。それが正直な気持ちだった。


「バカは私も一緒か」


 いまだに彼を忘れられない。パリに来れば気持ちに決着をつけられると思ったのに、

ますます懐かしくなっただけ。


「ほんと私って」


 それ以上言葉にならなかった。

溢れる涙をぬぐってなんとか誤魔化そうとする。

美しいパリの街並みを涙で覆ってはいけないと思うから。


「お嬢さん、こちらよろしいですか?」


 うつむく私に声をかける人がいる。

慌てて顔をあげて、「どうぞ」と答えようとした。

声をかけてきたのは男性だった。日本人の。

そして懐かしい顔だった。


「か、和也……?」


 無精ひげが生えてはいるが、たしかに彼だ。


「やっと、見付けたよ。真奈」

「見付けたって。どういうこと? あなたは私と別れたんでしょ?」

「僕にそんなつもりはなかったけど?」


 どういうことなの?


「君ともう一度暮らすために、日本に転属希望を出したんだ。

でもすぐには叶わなくて。そのうちに、人づてに君が結婚したって聞いてさ。

それなら身を引こうと思ったんだ」


 悲しげな顔で語る彼。え、でもちょっと待って。


「私、結婚なんてしてないわ。結婚したのは妹の美奈」

「そう、そうなんだよ。日本に戻って、情報に間違いがあったことに気付いて」


 やっちまった、と言わんばかりに身を縮めている。


「じゃあ、全部勘違いだったの? 私もあなたも」

「そういうことになるかな」


 すぐには信じられなかった。


「もしも、もしもだ。今でも僕のことを想っていてくれたのなら」


 和也は椅子にすとんと座ると、鞄から小さなジュエルケースを出した。

白い小さな小箱はセピア色の街並みによく似合っている。

現れたのはプラチナの指輪だった。


「僕と結婚してほしい」


 私が大好きな真摯な眼差し。ああ、いまでも彼が大好きだ。

気持ちに決着をつけるためにパリに来たのに、まさかプロポーズされるなんて。

私はもう、笑うしかなかった。


「なんで、笑うの? 真奈」

「だってベタすぎて。指輪でプロポーズってのも、直球すぎる台詞も」

「こんな時、気取ったことなんて言えないよ。恥ずかしくて」


 パリの街並みでプロポーズするほうがよっぽと気取っていると思うけれど

それは黙っていよう。だって、私はこんなにも嬉しいのだから。

すぐにでも「はい」と返事をいいたかったけれど、もう少しだけ焦らしてみよう。

だって私はずっと待っていたんだもの。


 セピアの街並みとショコラの香りは私の心に優しく染み込んでいった。





               了

ヒロインもいってますが、ベタな展開ですみません。

読んでいただき、ありがとうございました。

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