壁の中の幽霊
壁から幽霊が現れるようになったのは、ほんの数日前の事であった。
大学生になり一人暮らしをすることになった雄一は、生活の事も考えて格安アパートに越してきた。
もともとオカルト好きな雄一はあまり綺麗とは言えない、むしろボロが見え隠れするそのアパートに「雰囲気があっていい」と言って暮らしていた。
しかし本当に幽霊に遭遇するとは思っていなかったこともあって、初めて幽霊を見た日、雄一は友人宅へ逃げ込んだのだった。
翌日、幽霊に害がないことを確認すると、その幽霊が何故死んでしまったのか、という好奇心が優先され始めた。
そして今日もまた、日暮れを迎える頃、件の幽霊は雄一の部屋に現れた。
髪は長く顔は隠れている。背丈は、168センチの雄一より5,6センチ程低い。着ている死装束と、華奢な体躯を見る限り女性であることが見て取れた。
「こんばんは幽霊さん。今日もよろしくお願いしますよ」
年が分からないため、雄一は敬語で話しかけていた。彼の言葉に幽霊はうめき声のようなものを二、三個漏らす。
これをコミュニケーションと呼んでいいのか雄一には分からなかった。
しかし初めの頃はただそこに存在しているだけで、何も反応を見せていなかった事を考えると変化はあったと言えるだろう。
「よし、まずはいつも聞いてる質問からです。貴方は何故ここに現れるんですか?」
これまではよくてうめき声を上げるだけだったが今日は違った。
幽霊は、左手に重ねるように置いていた右手をスッと部屋の壁のほうへと伸ばした。
「壁・・・・・・?ここに何かあるんですか?」
雄一は幽霊がいつも壁から現れることも含めて、何かしら秘密があるのではないかと勘繰った。
「まさか壁にしたいがある・・・・・・とか?まさかね・・・・・・」
冗談めかして言った後に幽霊の反応を窺うが特に動きはなかった。差し出されていた右手も元の位置に戻っている。雄一はこれ以上の詮索は無意味と見て次の質問へと移る。
「えっと・・・・・・貴方は何で死んでしまったんですか?」
ここでも不断ならうめき声の筈であったが、幽霊は先ほどと同じ動きで同じ場所を指し示した。
「やっぱりそこに何かあるんですか?せめて頷くとかでいいですから反応を・・・・・・」
雄一が言い終わらぬ内に幽霊は指し示していた手を下げてしまった。当然、頷くなどの反応もなかった。
「駄目・・・・・・か。それじゃあ次の質問を・・・・・・」
それから後はいつもと同じであった。
幽霊は質問に答えようとするのだが雄一には聞き取ることの出来ないうめき声しか届かなかった。
やがて、一定の時間が経つと幽霊は消えてしまった。
「時間か・・・・・・今日の収穫は幽霊が指差した壁くらいか」
溜息混じりに幽霊が指し示していた壁を叩く。中は空洞になっているらしく鈍い音が反響していた。
「ここに何かあるのか?」
確認する術としては壁に穴を開けるくらいしか雄一には思いつかなかった。しかし、不確実な情報であることから行動に移す勇気は持てなかった。
「仕方がない。様子見だな」
結局、雄一は無難な選択肢を取ることしかできないのであった。
それから2週間ほど、幽霊とのやり取りに進展はなかった。
雄一の聞く質問にはうめき声か、あるいは壁を指し示すかしかなかった。
やがて、雄一の中で安全策よりも好奇心の方が大きくなり始めていた。
そして遂に壁に穴をあける決心をしたのである。
「よし!一丁やってやるか!」
昼下がり、雄一はホームセンターで購入してきた長さ50センチ程のハンマーを手に意気込んだ。
アパートの住人が不在であることは確認済みであった。
そうは言っても、二階建て全四部屋の内、二階に雄一と隣人が、一階に空き部屋と大家が住んでいるだけなので確認は容易であった。
「この辺りがいいかな。なるべく小さく・・・・・・穴が広がらないように気をつけよう」
修理業者の下調べもしており、修理代を考えると穴は小さめに抑えるべきであった。
雄一が狙うのは壁の下部である。理由は雄一が這って壁の中に入ることを考えていたからであった。
「いくぞ!」
自身を鼓舞し、両手で持ったハンマーを横に振るう。
ダンボールを殴りつけたような鈍い音と共に壁に穴が穿たれた。
二回、三回と雄一がハンマーを振るい続けると、あっという間に人一人くらい入れてしまうような穴が出来上がった。
開けた穴に雄一は上半身だけ入ってみる。
暗闇で殆ど見えていなかったが、そこが自身の部屋と隣人の部屋の間であることが認識できた。
雄一は自身の開けた穴の向かい側に目を向ける。暗くてボンヤリとしか把握出来なかったが、隣人の部屋の壁があることが窺えた。
一度部屋に戻ると、今度は懐中電灯を手に穴へ完全に入ってしまう。
電気を点け左右を見渡すと右側に置かれていた古ぼけた木箱があることに気づいた。
近づいてみるとそれは4,5歳の子供であればスッポリと収まってしまう位の大きさであることが分かった。
「なんだこれ・・・・・・壁の中にこんなもんがあるなんて・・・・・・」
木箱についていた上蓋を開けようとするが、蓋は何かにつっかえたかのように動かなかった。
懐中電灯で照らし木箱を調べると、蝶番に南京錠が掛けられているのを発見した。
「これを外さないといけないのか・・・・・・ピッキングでも出来ればいいんだけどな・・・・・・」
雄一にはもちろんそんな技術はなかった。彼は少し考えた後、部屋の工具一式を置いている棚からバールを取り出した。
「前の住人があの木箱を残していったんなら開けたって危険はない筈だ・・・・・・!」
そう自身に言い聞かせると木箱の隙間にバールを突っ込み、あらん限りの力を込めた。
木が炸裂する鈍い音と共に錠が外れる。雄一はバールを投げ捨て木箱の上蓋に手を掛けた。
「嘘・・・・・・だろ?」
蓋を開けるとそこには骨が入っていた。
雄一はそれまでの人生で人体の骨なんてものは人体模型のようなレプリカしか見たことがなかった。
今、雄一の目の前にある骨は一見するとそれと大差ないように思えた。しかし、近づき難い不気味さが漂っていた。
「本当にここで殺されたんだ・・・・・・あの幽霊はこれを見つけて欲しくって現れたのか・・・・・・?」
これをどうするべきか、動揺している雄一にはすぐに判断が下せなかった。
「警察・・・・・・? いやでもこれって本物なのか? 誰かが悪戯で置いてる偽者の可能性だって・・・・・・けどこんな凝った悪戯する意味ないし・・・・・・」
骨が本物かを確かめれば真偽がはっきりする話であったが、雄一にはその度胸が今は湧いてこなかった。
雄一は穴から抜け出し、部屋にあったダンボールで開けた穴に蓋をした。
自身の部屋に戻ると緊張の糸が切れたのか、ベットに倒れこんでしまう。
「畜生・・・・・・余計なことしなきゃよかった・・・・・・どうすればいいんだよアレ・・・・・・」
思い出したくもない光景が雄一の中で何度もリプレイされる。
極度の緊張状態からの開放と、現実逃避を始めた雄一は、襲い掛かってきた睡魔に身を任せてしまうのだった。
雄一は悪夢を見ていた。
それは、確かに夢ではあったが、彼にとっては現実なのか夢なのか判断の付かないものであった。
雄一がベットに腰掛けている中、部屋では何かが行われていた。靄が掛かっていたかのその状況がハッキリとしたものになる。
そこには、包丁を手にした何者かが女を刺し殺している場面であった。刺されている若い女は雄一の前に幽霊としてよく似ていた。
雄一は女が何度も刺される様子をただ見ている事しか出来なかった。
刺された女は虚ろな目で雄一を見上げていた。そこに生気が宿っていないことは一目瞭然であった。
雄一はここで殺しがあったことを確信するのであった。
雄一が目を覚ましたのは玄関のチャイムが鳴ったからであった。
同時にドアをノックする音も聞こえてきた。
「すみませーん。隣のものですがいらっしゃいますかー」
再びチャイムが鳴る。
日も傾きかけている薄暗い中、時計を確認すると午後六時を迎える所であった。
寝ぼけたままの脳で雄一は玄関のドアへと向かった。
「はい。何の御用でしょうか?」
扉を開けるとそこには自分と同年代くらいの女性が立っていた。セミロングの髪の毛をポニーテールに纏めた快活そうな印象を受ける人であった。
「こんばんは。隣に住んでいる三井と申します。えっと、大家さんがお昼ごろ買い物帰りにお宅の家で大きな物音を聞いたらしくって。それで確認に来たんですよ」
雄一は覚醒しつつある脳で昼間の出来事を思い出す。そして、例の木箱のことを思い出した。
「あ、ああ! あれですか! ちょっと部屋の片づけをしていたらダンボールの山を崩しちゃって。かなり大きな音はしたんですけど幸い何も壊れたりはしませんでしたよ」
動揺しつつも答える。あれが夢でなかったことを再認識し、冷や汗が背中に流れる。
「そうだったんですね。何もなかったなら良かったです。あ! そうだ!」
雄一が別れの言葉を口にしようとした時、三井が手を叩きそれを制した。
「この前、田舎の実家から野菜が大量に送られてきたんですよ。大家さんにもおすそ分けしたんですがまだ一人じゃ食べきれなくって・・・・・・もしよかったら貰ってくれませんか?」
「そういうことだったら頂きますよ。僕としても助かりますから」
今はこうして普通の会話が出来ることがありがたかった。受け入れ難い現実を少しでも忘れられるようであった。
「えっと、それじゃあ僕が取りに行った方がいいですか?」
「そうですね。結構重いので部屋から持って行ってもらえると助かります」
「分かりました。それなら行きましょう」
二人は、三井の部屋へ向かった。アパートの廊下に出て、数歩行かない内に彼女の部屋に到着した。
「どうぞ。中に入って待ってて下さい。野菜の準備をしますから」
「分かりました」
玄関を通された雄一は言われた通り居間へ向かう。
居間には壁に貼られたポスターや、ピンク、水色を基調とした家具類などが配置されており、華やかな印象を受けた。
自身の暮らしている部屋がいかに殺風景で面白味の無い部屋なのかを思い知らされるようであった。
「いい部屋ですね。けどこれならもっと広い所に引っ越してもいいんじゃないですか?」
「ありがとうございます。でも暮らしているとここでも十分な気がしちゃって」
台所で雄一に背を向ける形で野菜を詰めている三井が笑うのが聞こえてきた。
雄一が異変に気づいたのはその時であった。
三井の部屋に幽霊が現れていたのだ。
雄一は焦りを抑えながら三井に問いかける。
「あの、三井さん。ここ最近、この部屋で何か変わった事なんかありませんか?」
三井の背中がピクリと反応を示した。しかし、雄一に振り向いた彼女の顔は笑顔であった。
「特に何もありませんよ? どうしてですか?」
「いや・・・・・・結構古いアパートですから幽霊とか出たりしないのかなって思って・・・・・・」
「やだなーそんなのいるわけ無いじゃないですかー今まで見たことありませんよ」
そう言うと、再び雄一に背を向けてしまった。
雄一は幽霊に向き直る。三井の話を聞く限り、幽霊は彼女から見えていないのだということを悟った。
幽霊は、左手をスッと伸ばすと、雄一の部屋がある方向の壁を指し示した。そこには横長の衣装箪笥と、その上に動物の絵柄のポスターが貼られていた。
それを見て雄一はある異変に気づく。ポスターが端から端までぴっちりとガムテープで貼られているのだ。さらに、ポスターの中心部は不自然に浮き沈みしているのだ。
雄一は三井の様子を窺った。彼女はまだ野菜を詰めているようであった。
音を立てないように立ち上がると結い位置はポスターの方へと向かった。
ポスターに手を掛け、右下を少し剥がしてみる。すると空気が僅かに漏れてきた。
その向こうには穴が開いていた。
瞬間、物を蹴散らすような音と共に背中に衝撃が走った。腰の辺りに強烈な熱さ、次いで耐え難い痛みが走った。
「あ! ぐうううう!」
雄一は振り向き様に右手を振るった。何かに当たった感触と共に、三井が後ろへ倒れこんだのが分かった。
彼女の手には血の付いた包丁が握られていた。
「あ・・・・・・なんだよそれ・・・・・・一体誰の血・・・・・・」
聞き終わる前に雄一は後ろにふらついた。衣装箪笥に手を掛けようとするが、思いのほか軽く衣装箪笥ごと後ろに倒れこんでしまう。
背中への衝撃に一瞬息が止まる。先ほどまで明るい部屋にいた筈なのに雄一の目には暗い天井しか見えなかった。
体を少し起こすと、破れたポスターと三井の部屋、そしてこちらに包丁を持って歩いてくる三井の姿があった。
「なんで・・・・・・こんなこと・・・・・・」
雄一が右を見ると、そこには例の木箱があった。
「なんではこっちのセリフよ・・・・・・どうして二年も経って気づかれるのよ!」
三井はゆっくりと雄一に近づいてくる。そして、彼の上に跨ると包丁を振り上げた。
「大家さんの『物音を聞いた』って話しを聞いておかしいと思ったの!」
振り下ろされた包丁は雄一の胸に刺さる。
「それで確かめてみたら木箱の錠が壊されてるじゃない!」
二回、三回と刺される。
「探してみたら貴方の部屋側に穴が開いていてそれで分かったのよ!」
何度も何度も刺される。
三井が刺すのを止めた頃には、雄一は虫の息であった。
それでも声にならない声を上げ、手をある方向へ伸ばしていた。
三井はあらぬ方向へ手を伸ばす雄一に疑問を抱き、そちらへ顔を向けたもののそこには何も無かった。
しかし、雄一の目には幽霊の存在が映っていた。彼の目が涙で潤んでいるからだろうか、彼は幽霊がこれまで以上にハッキリとした存在として見えていた。
同時に、幽霊の声がうめき声としてではなく、意味を持ったものとして聞き取れるようになっていた。
幽霊は雄一を見下ろし一言だけ告げた。
「ようやく一緒になれるね」
これが幽霊に魅入られた雄一の耳にした今生で最後の言葉であった。
読了ありがとうございます。
人間の怖さと幽霊の怖さ両方入れてみた欲張りな作品です。
雄一の行動が何かと都合よくバッドエンドへ動いていると思う方もいらっしゃるかもしれません。けど、僕の中で「幽霊に魅入られ、それを受け入れたら(過剰に接触したら)避けられぬ死の運命が待っている」という考えがあるため、雄一を死ぬ方へ死ぬ方へ動かしていました。触らぬ霊に祟りなしですよ。
一応裏設定として、殺された女性の霊は三井と友人であったり、大家が実はその事件に深く関わっていたりと考えていたのですが、突発的なネタでそこまで長編にしてもオチが貧相に見えてしまうので没にしました。
ここまで読んでくれた方に感謝です。
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