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「まず状況を整理する事が大事だと先生は思います」
鷹嘴先生は私と並んでバスの後部座席に座りながら、ぽつりとそう呟きました。
それには私も同意見でしたので「そうですね」とぼんやりと返事をしました。
窓の外からは絶えず獣の呻き声のようなものが聞こえています。
「先生は講堂でのあれそれがとっても面倒だったので一足先にバスに乗っていた訳です。そして朝も早かったのですこーし眠気に負けて前の方の座席で眠っていた訳です」
「概ね同じです。眠ってはいませんでしたが」
「藤堂君、学部のレクに対してその姿勢はどうかと先生は思いますよ」
「鷹嘴先生、その言葉そっくりそのままお返しします」
なぜ私と先生がこの場で居合わせたのか、開始一分も経たずにお互い理解してしまいました。ついでに言うとやはり窓の外からは獣の呻き声のようなものが聞こえています。
「藤堂君、あまり言いたくはありませんがこれはパニック映画等で噂に名高い、ゾンビーというものではないだろうかと先生は思うのですがその辺どうですか」
「鷹嘴先生、『ゾンビー』ではなく『ゾンビ』ですなんで語尾伸ばしたんですか。そうですね、正確な所は全く分かりませんがどう見ても噂に名高いゾンビのようです」
「申し訳ない、あまり詳しくないのです。先生が分かる事と言ったらあれらに噛まれたら一巻の終わりという事ぐらいでしょうか」
「ごめんなさい先生、実は私もそれくらいの知識しか持っていないんです」
思わず二人同時に唸ってしまいました。
そういった物の知識に乏しい私達にこれから一体何が出来ると言うのでしょうか。
映画も小説も、漫画だってその類のジャンルは読んだ事がありません。
仕方がないのです、人間自分の興味の持てる内容じゃないと手を付け難いものなのです。
あとほんとに窓の外からの呻き声がやかましいです、人が思考の海に沈んでいるのですから少しは静かにして欲しいものですね。
「仕方がありませんね、藤堂君。無い知識に関しては補っていくしかないでしょう」
「と、言いますと?」
先を促した時です、突如バスの車内に携帯の受信音が鳴り響きました。
その音に眉を顰めて鷹嘴先生はポケットからスマートフォンを取り出しました。
中々大きな音だったので、私は一応確認の為また窓の外に視線を走らせます。
見たくはありませんが背に腹は代えられません、外を覗くと幸いな事にゾンビのような者達にこの音は聴こえていなかったようで、のそのそうろうろしながらがじがじしているだけでした。
そうこうしている内に先生は通話状態に切り替えたらしく着信音は鳴りやみました。
「はい、鷹嘴です。ああ竹本先生どうも。え? 化け物? 講義室に立て籠もって? ええ、ええ、そうですよねえ。そうそうゾンビーのようなものが。僕ですか? 僕も校門のあたりで取り囲まれちゃって今大ピンチですよ。ええ、一人です。なので生憎助けに行ったりなんかは…―、あ切れた」
だからなんで語尾伸ばすんですか。
いやいや、そうではなくて、今一人って言いました?
校門の辺りで取り囲まれてるって言いました?
「先生、私達二人ですし。ここ校門付近でもない極めて構内に近い位置にありますし。何なら直接的には取り囲まれていませんけど」
分かっています、と先生は通話の一方的に終了したスマートフォンをポケットにしまい込み頬のこけたぼんやりとした顔をこちらに向けました。
「藤堂君、だって嫌じゃないですか助けに来てくれとか言われたら。ここから出なきゃならなくなるし。相手に余計な感情を持たせるよりは今行ける状態じゃないんですよと言った方がお互いの為です」
先生はそう思います、と何の感情も伺えないような表情で堂々と宣言されてしまいました。
割とクズですこのおっさん。
女子学生ごとバスから蹴り出したあたりから薄々気づいてはいましたが先生は中々マイペースな人間のようです。
「話が途中でしたね。藤堂君、これから僕達は当初の予定通り隣町の図書館に行こうと思います」
「この状況でレクですか」
「足りない知識を補うのです」
はて、足りない知識とは先生の言う所の『ゾンビー』ではあるのでしょうが、図書館で知識を補うとはまた面妖な話です。
確かに多少規模のある図書館だという事ですので、ゾンビ物やパニック関係の小説等には事欠かないでしょう。しかしわざわざ隣町の図書館に出向いてまでする事とも思えません。
「そこまで移動というのは危険ではないでしょうか」
率直に意見してみると、先生は頷いて下さいました。
「確かに危険かもしれません。しかしこのままここに居たって危険な事には変わりはない訳です。人間、非日常に身を置くとまともな思考が出来なくなるものですから、これは今日の予定をそのまま行う事で冷静さを保てるならそうしようという悪あがきのようなものです」
一理あるような気もします。しますけども、私には先ほどから一つの疑念が沸いています。
「分かりました、まあ納得する事にしますけど、どうやって行くんですか? まさかこのバスを運転するなんて言わないですよね?」
「え?」
「え?」
「え?」
「え?」
………………………………。
どうやらそのつもりだったようです。
「免許持ってるんですか?」
「普通免許なら勿論先生だって持ってますよ。あ、昔の普通免許って今は中型って言うんでしたっけ」
「え?」
「え?」
「え?」
「え?」
「…………これ大型バスですよ?」
「……あ、」
眩暈がしました。
何をしまったみたいな顔をしているのでしょうかこの人は。
本当に良い大人なのでしょうか、そう言えば鷹嘴先生おいくつなのでしょう。いえそれは今は関係ないですね。
とにかく別の対策を練らなければなりません。
何だかしょんぼりし始めた先生を放って取り敢えず熟考する事にしました。
それにしても外からの呻き声が変わらずやかましいです。
熟考、熟考……やかましいです。何やらドアをバンバンと叩く音もしていますしやたらと元気なゾンビーも居たものですね。しまったゾンビーがうつってる。
まずはそのゾンビーの事も知らなければならないですし、スマートフォンでネットサーフィンしてみるしかないのでしょうか。
…何だかゾンビーの呻き声が大きくなっているような気がします。こんな大声出せるんですね。
今こそ唯一の文明の利器、スマートフォンの出番です。
さっそくお気に入りの巾着からスマートフォンを取り出して画面を表示させようとしましたがなぜか真っ暗なままです。おや電源を落としてしまっていたのでしょうか?
……ゾンビーの大声が必死の様相を見せているような気がしますが今はそれどころではありません。
電源を入れようとボタンを長押ししますがまったくつかないのはどういう事なのでしょうか?
これはもしや、充電が切れている?
………ゾンビーの大声が「ここを開けてくれ」と言ってるような気がしました。
幻聴怖い。