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冬将軍

かつてのわしは、激怒した。必ずや邪智暴虐の人を取り除かねばならぬと!


今までたくさんの人を殺してきた。世間は暴君と言う。

しかし、何もわしとて乱心により人を虐殺しているわけではない。確固たる意志があるのだ。

殺しこそ王の役目、という、氷よりも硬い意志が。


わしがこの考えを持つようになったのは、そうだ、ちょうど1年前……雨の多かった年の出来事が原因である。

その時、私は正義に憧れる若き王であった。今は一気に老けてしまったが、それでも昔は皆がこの人に頼れば大丈夫、と判断するほど頼もしく見える、眼瞼な若者であったのだ。

しかし、思い期待は重荷である。ある日、疲れ果ててしまったわしは職務を放棄し街へ繰り出した。

ちょうどその頃この国に訪れていた妹婿の顔を見てみたかったのだ。彼らの泊まる宿を探し、喧騒の中を彷徨った。賑やかな人の匂いが鼻を掠めていた。


「……えーっと、ここか?……しかし、ずいぶん……」


そこは思ったより早く見つかった。


妹婿は、財政の危機に瀕した貧しい国の王子である。しかし、腐っても王族。貧しくとも少しは金があるだろう、と思っていた。しかし。……それは、大いに間違っていた。

他国の王族だというからきらびやかな人々を想像していたが、其奴達は町民よりみすぼらしかった。使用人も二人しかいなく、しかもその中の一人はまだ小さな幼女であった。その幼女を哀れなほどこき使い、それでやっと王族としての体面を保っているように見えた。しかも、幼女をいじめることで劣等感を晴らしているようで、度々幼女を鞭で打っていた。

その様子に、宿の主人も困っているようだ。


わしはその幼女があまりにも哀れに見えて、買い出し中にそっと声をかけ、労わることにした。

夕暮れの商店街を真剣な顔で覗き込む少女に、後ろから声をかける。


「君、鞭の傷は大丈夫か?」

「はいっ!?……えっと、お兄さん、どなたですか?」

「知っても面白くなんてないさ……君の様子が心配でね。見たんだ、君が鞭に打たれている所を!」

「あら、大丈夫ですよ?みんなの役に立てれば私は嬉しいんです!」


話せば話すほど、その子は純粋で、まっすぐで、献身に満ちた良い子だった。ラリーと言うらしい。

気があって、すぐに仲良くなった。わしはその子に癒しを求めることにした。実際にそれは大当たりだった。救われたと言ってもいいほどだった。

その子に会いに、時間を見つけては会いに行き、話す。それだけで疲れが癒えていくのを感じていた。

唯一の問題は、鞭の傷の痛々しさだったが、止めようとしては止めなくて良いです、と言われていた。

なぜか?ある時、話しているとラリーがこんなことを言った。


「あの人だって、悪気があるわけじゃないです。ただ、ダメだって、痛いって、知らないだけなんです」

「……どういうことだい?」

「人は、みんな相手の気持ちになって、ごめんなさいって思えば、止めるものなんです」

「……?」

「人はみんな、いい人なんです!」


不思議な子だと思った。しかし、どこか納得する自分がいた。きっと、無邪気なその目で世界を見ると、この世界はこのように映るのだろう。世界は多面的、このような世界も存在するのだ。この子は悪の定義が皆と違う。罪を憎んで人を憎まず、を体現しているような幼女だ。


私は、仲良くなるにつれ、彼女が天使か何かではないか、と考えるようになった。あまりにも清らかな笑顔には、引き込まれる物があったから。あまりにも清らかな笑顔には、心が救われるものがあったから。わしは、妹婿の結婚を取りやめ、ラリーを引き取ることを考え始めていた。


しかし、ある日の事。その日はラリーの誕生日で、会おうね、とひと月前から約束をしていた。

しかし、いくら待っても約束の場所に来ない。


黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出した。


いてもたってもいられずにラリーの働く妹婿の宿に走る。


それが、全ての始まりだった。


宿に行くと妹婿は留守だったが、もう一人の使用人は私をラリーの元へ案内した。


ラリーは、宿の、使用人用の部屋のベットで寝込んでいた。

駆け寄ると、ラリーの様子がおかしかった。とても衰弱していたのだ。


「どうした?大丈夫か?」


わしは繰り返した。いつもの明るい声さえ帰ってこなかったのだ!

彼女はもう声さえ立てられないほど窶れていたのだ。限界だった。

彼女はわしが来たと分かると、儚く閉じられた瞳をゆっくりと明けて笑顔を作ろうした。

しかし、唇は引きつり、歪んだ、泣きそうな顔になるのみであった。なぜ、こんなことに!


「お兄さん……私は……大丈夫です」


彼女は掠れ、声とも言えないような声を絞り出した。高すぎるその声は、彼女の喉が体が、そう、全てが限界に近づいていることを何よりも鮮明に語っている。


「この頃……どうしてでしょうか、あまり体が動かなくて。怠けてしまいそうです」


血の気の失せた瞼をそっと閉じ、ひどく悲しそうに言った。

しかし、その幼い顔には少しの血の気もない。わしは悲しみと衝撃のもたらす衝動のまま、その哀れな、冷たい両手を握りしめた。

そういえば、このひと月ほど彼女と面と向かって会話してこなかった。ちらり、と垣間見た彼女の姿はいつも壁にすがって歩き、死神のような響きの咳をしていた。ただの風邪だと思った、どうしてあのとき声をかけなかったのか……。


後悔は遅かった。今はもう、咳をする力も彼女には残っていないのだ。

娘が手を握り返そうと力を込める、がその力はあまりにも弱かった。ただカクカクと僅かに擦れるだけだった。


「ねぇ……私、頑張ったんですよ」

「ああ」

「窓も拭いたし、埃ははたきました。床だって、そりゃもう丁寧に履いたんですよ……」

「ああ、ああ!」

「でも、どうしてか足がどんどん動かなくなってしまうの」

「……ラリー」

「もうついに動けなくなってしまったの。私、丈夫が取り柄なのに……」

「わかった、もういい」


《窓なんて、わしが拭く。埃だって、床だって、なんだって掃除してやる。君が元気になるのなら、なんだってしてやれる!》


そんなことを言おうとしても、言えなかった。彼女はもう元気になどならないとわかってしまったから。

彼女の声にはすでに、生気の片鱗も残っていないから。彼女は、きっと、もう直ぐ━━


「ラリー!何をしている!?」


突然、バタンと大きな音を立て扉が開いた。見れば、あの邪智暴虐な妹婿が立っていた。

顔を真っ赤にさせて、唇をわなわな震わせている。嘗てないほど怒っているようだ。


「客がいるのに、なぜベットで寝ている?いや、それより、なぜ仕事を怠けているんだ!」

「サルギウス」


わしが必死に絞り出した小さな声は聞こえなかったようだ。彼は続ける。


「私に恥をかかせるな!今すぐクビにしてやってもいいんだぞ!?ほら、さっさと起きろ!」


つかつかと近づくと、彼女の痩せ細った腕を引っ張り、軽い体をぐっと持ちあげた。


「いけません、ご主人様……お願いです、あと少し待ってください」


彼は、彼女が死んでも後悔さえしないのだろう。躊躇いもせずその哀れな体を床に投げ捨てた。


「ラリー!」


慌ててその体に飛びつくと、そっと、できる限り優しく、その身を起こす。持ち上げたその体の余りの軽さに驚いた。


「男!お前は何者だ?そんな下賤に情けをかけるな!……待て、今此鞭で……」


彼はそんなことを言いつつ、ゴゾゴゾと懐を探り、ピシリと長い一本鞭を構えた。


「おいラリー!早く立て!早くやらねば鞭で打つぞ!」

「……ごめんなさい……もう、立てません……」


彼女が悲しそうに言うが早いが、わしは彼の手から鞭をひったくった。彼は驚いて、何をする!と言い……それでも私が返さないことを理解すると、苛立ちまぎれにすぐにラリーを蹴っ飛ばした!


「下らないことを抜かすな!早く立て!」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」


うわごとのように彼女は繰り返した。その体を持ち上げ、そっとベットに戻してやる。

やめてくれ、もう言わないでくれ……まだ、死なないでくれ。君が死んだら、私はきっとこいつを許すことなどできない。頼む、思わせてくれ、信じさせてくれ……人は、いいもの、優しいものなのだと。


しかし、願いは、届かなかった。


「お兄さん……」

「あああああああああああああ!」


掠れた声を残して、彼女は死んだ。あの光景は目からいつまでも離れない。黒き疑惑の雲と共に、わしは無限の涙を流していた。


そして、冷たくなった体を抱きしめながら、確信したのだ。


人が優しいなど、いいものだとか、そんなものは下らない幻想だと。信実など、空虚な妄想なのだと。愛と誠の力など、沢の流れにも負ける微力なるものなのだと。


他人を蹴落とさねば生きられない、愚かで罪深き生き物こそが人間なのだ。汚い欲にまみれ、この汚れなき天使さえも蹴り落とさねば生きられない、この生き物こそが!人など、信実など、もう二度と信じない。彼女はそんな過ちの犠牲となったのだ。嗚呼、救いたまえ、愚かなる過ちを!


生きれば生きるほど罪を重ねるこの哀れな生き物が救われることを、君は願った。

私は、それを叶えよう。せめてもの弔いに、君の願いを叶えよう。それしか私はできないのなら、救って救って救おうではないか!


━━━━そう、ここは、殺しで救われる世界。


彼女は、その身をもって教えてくれた。生き物は、死ねば消えることを。

それこそが、救い。神の慈悲。胸を張り断言しよう。殺しこそが、真の救いであり、正義なのだと!


「ふははっ、ふはははっ、ふはははははははははは!」


わしが最初に救ったものは、彼女が願った通り、あの妹婿だった。


それから三日も経たないうちに、息子を救った。生まれてきてしまった哀れな子供を、愛しい我が愛息子を、最上の幸福へと導いたのだ。

妹も救った。あの清らかで、内気で、愛らしい我が愛しき妹にも、最上の幸福を教えてやったのだ。

姪も、妻も、臣下も、救った。大切なものを、真っ先に幸せにするために。

民も救った。平等なる救いを与えるために。


永遠に眠れ、哀れなる生き物。


救った、救った。愛するものを、大切なものを、守るべきものを、救い続けた。そう、君の願ったように。

わしは、悪を清める勇者であった。わしは、孤独なる正義であった。一人の命を摘み取る度に、私は己に酔っていた。


全てが眠る冬の世界で、わしは地に落ち、命を奪う刃となった。


「おお!神よ!この罪を清め給え!ふはははははは!」


全ての命が摘み取られた冬の荒野で、私はいつまでも一人で笑っていた。

わしの高笑いがあの日の豪雨の中響き、つららとともに地に落ちた。


そんなわしを焼き殺さんと今日も、灼熱の太陽がジリジリと王宮を見つめている。


□■□■□■□■□■□■ □■□■□■□■□■□■ □■□■□■□■□■□■ 


そんなある日、メロスという若者が王宮にやってきた。


なんでも、わしが人を殺すのを止めに来たらしい。

若者はかつての自分に似ていて腹が立った。哀れな勘違いをしているのだ。

救おうとすると、彼は妹の結婚式に出させてくれ、と言い出した。面白いので、わざと意地の悪い試練を出した。妹の結婚式に出させてやる代わりに友人を置いて行け、と言ったのだ。

わしは、彼がここに戻らないことを確信していた。それで、勘違いをしていた若者に、その身をもって真理を教えてやろうと考えたのだ。


勇んで出て行く若人は、あまりにも自分に似ていてわしは不機嫌になった。

怒りを覚まそうと庭に出ると、従者の一人と客らしい石工が言い争っていた。


「我が師匠が助かるわけがない!あの卑劣な王はどんな手を使ってもメロスを間に合わせなくする!」

「私の主人に卑劣とはなんです!どこにそんな確証があるというのですか!」

「私は見たのだ、5年前の、『悲劇の始まり』を!」

「『悲劇の始まり』?」

「王が妹婿を処刑したことだ。巷ではそう言われている……はっ、知らんのか」

「それがどうしたというのです!」

「開き直るな!その時、お前の主人はどうしたと思う?」

「?」

「笑ったんだよ!死んでゆく妹婿を見て、笑ったんだ!気持ちよさそうにな!そんなやつが性格が悪くないわけがないだろう!」

「あなたの考えは短絡的なんです!この愚か者!そうやって考えることを諦めるから間違うんですよ!」


従者は女性であった。確か、ジェルヴェーズとか言ったはずだ。女性のため口が強いのだろう、石工はすごすごと去っていった。

わしは、それを聞いて、メロスが遅くなることを願った。信じられていても、どんな手を使っても。卑劣、卑劣ではないは問題ではない。

わしは何か、もっと恐ろしいもののために、山賊に命令を下した。


初夏、満天の星である。


□■□■□■□■□■□■ □■□■□■□■□■□■ □■□■□■□■□■□■ 


紅の夕日が虹色に散り、夜の闇に染まってゆく。嗚呼、もう直ぐ日没だ。

メロスはまだ来ない。当たり前だ。きっと、もう二度とここにはやってこないだろう。山賊が成功しても、失敗しても……

それに別に悲しみなどは感じない。何故ならば、人は愚かで罪深いとわかっているからだ。


だから、殺した、殺した。


愛するものを、大切なものを、守るべきものを、殺し続けた。君も、それを願っていた?

わしは、悪を清める勇者であった。わしは、孤独なる正義であった。一人の命を摘み取る度に、私は己に酔っていた。


それならば、今頰を伝う雫は何だろう。

まるで凍ったつららが解けるようにポタリポタリ、と頰を滑り落ちてゆく、これは、何だ。


「王よ、涙を拭いなさい」


ふと、後ろから従者の声がした。ジェルヴェーズだ。彼女は続ける。


「春が、現れたのです。そんなみっともない面でどうするのですか」

「わし、は」


もう人ではない。あの時、人を殺して笑ったあの時から、冬のつららとなったのだ。太陽と相慣れなることなどできやしないだろう。私はこのまま、これからも、いつまでも一人で命を摘み取り続けるのだ!


「あの時、笑ってしまった……」


何故か鼻がツーンと痛くて、のどに息が詰まる。それでも必死に言った言葉は、懺悔するようにも聞こえた。


━━━━メロスは、わしに似ていた。そう、かつての自分に。もしかしたらわしは、裏切られることを願っていたのだろうか。どんなことをしても、きっと追いつく、友情という信実に。


わしは、願っていたのだろうか。メロスという若者が、いや、かつての自分が、わしを巣食った邪智暴虐の呪い、その何か恐ろしいものを殺し、わしを救う。時が、戻ることを━━━━


「大丈夫ですよ!あの時泣いていなくても、今、こんなにも涙を流しているではないですか」


ジェルヴェーズは、優しく、とても優しく儂に囁いた。

その瞬間、群衆の中から、嗄れて掠れた声が響く。……メロスが、ここにやって来たの、か?


群衆の中から、ボロボロで、薄汚れた、一人の男が磔台に登り上げた。メロスだ!


「なぜ、彼が戻ってきた」


自らが死ぬというのに、友のために、ここに戻ってきたのか?

他人を蹴落とすことでしか生きられない愚かで罪深い人間が?

信実は、空虚な妄想では無かったのか?


汚れなき信実は、この世界に存在したのか?人間がそれを持つことは、許されていたのか?


━━━━私は願っていた。メロスという若者がわしを裏切ることに。太陽が春が来るたび冬を裏切る様に。

メロスが、なんだか恐ろしいもの、そう、信実のために走り、呪いを殺すことを、願っていたのだろう。冬は、終わった。


「さあ王よ!思いの丈を明かしなさい!」


暖かな手が、私の背中を押した。私は歔欷の中、静かに二人に近づいた。

愛するものを、大切なものを、守るべきものを、守り通した。君も、それを願っていた。彼は、悪を清める勇者であった。わしは、孤独なる魔王であった。一人の命を摘み取る度に、彼は私に怒っていた。

メロスは、正義そのものだった。


そして、勇者は、太陽の勇者は━━━━


永遠の冬の、呪いは溶けた。まるで冷たい氷が溶ける様に。

砕かれたつららのはもう戻らない。わしは、太陽と相慣れよう。真の勇者に、今こそ救われるのだ。

私の頰は、太陽の熱に赤くなっているだろう。


「お前らの仲間の一人にしてほしい」


━━━━孤独の魔王さえも打砕く。


メロスにマントを捧げた少女は、ラリーに少し似ていた。

日没の闇の中、笑いあう我らを朧月が優しく、優しく照らしていた。


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