第96話「春を目指して」
「……え?」
ぽかんと呆然としていた小泉。突然何を聞かれたのか理解できていない様子だった。
「……」
古堂は顔を朱くしながらもう一度訊いた。
「……真司のこと、どう思う?」
小泉も、二度目でやっと理解できた様子だった。
「大滝君のことね……。うん。最近すごく頑張ってると思う。真面目で努力家だよね」
また視線を大滝に向けた小泉。古堂は胸のもどかしさを抑えながらもう一度訊いた。
「だから、俺が聞きたいのは……その、そういうことじゃなくて……」
「ん? ああ、古堂くんも凄く頑張ってる。というか、一番努力家なのはよくよく考えたらコドーくんだね」
「えっと、そういうんじゃなくて、あいつのこと、かっこいいとか思わないの?」
「……思うよ」
小泉は顔を朱くしながら言った。
「……だって、目標に向かって一途にあんなに頑張れるんだもん。それに、結果まで出しちゃうんだもん。カッコよくないわけないじゃん。みんな、凄くかっこいい……本当に、野球部のマネージャーしてて良かったって、心の底から思えるの」
「……そっか」
結局、話の核心からは少しずれたことしか聞けなかった。でも、小泉の言葉に、古堂はどこかで満足していた。
(……みんな、俺と同じように目標に向かって頑張ってる。マネージャーとして、全力でサポートしてくれる小泉ちゃんもいる。もっと頑張ろう……結局、聞きたいことは全く聞けなかったけど……)
去っていく古堂を見て、小泉は一息ついた様子だった。
(び、びっくりした……古堂くんからその手の話題について聞かれるとは……)
頬に手を添えて、自分の顔の温度を確かめる。冬なのに異常に熱い。外気温との差に驚く。
(古堂くんにまでわかっちゃうほど、私ってわかりやすいのかな……?)
春に花を咲かせる植物たちは、冬の間に根を、下へ下へと伸ばし続ける。
「おら! ラスト一本最後までやり切らんかい!!」
血反吐をはくような思いをしながらも、全力で冬練に取り組むクロ高野球部員たちも、また同じく、春に咲うために、その努力を欠かさない。
「よっしゃ、次のメニュー行くぞ!!」「はい!」
春、夏、勝ちたいという想いと、それぞれが抱える確かな目標のために――
「そういえば、大滝先輩たちも、もうすぐで卒業か」
「なんやかんやで、新チーム移行の時も、お世話になったしな」
今宮と田中は練習終わり、冬の真っ暗な空の下で会話していた。
「……だなあ。俺たちが閑谷さんの球毎日打たせてもらってなかったら江戸川とか高月の球打ててた自信なかったし」
「郷田さんの強肩送球は盗塁練習厳しくさせてたしな」
「……あの先輩たちがいたから甲子園まで行けたんだよな、俺たち」
「俺らもそう言われるような選手にならねえとな」
田中が今宮の胸をとんと叩く。
「だな」
そして、月日が過ぎていき、三月の中旬に入ったころ。とある一つのニュースが飛び込む。
「クロ高の県内推薦、誰が入るか聞いたか?」
林里が部室で嬉しそうに古堂らに問う。古堂らの反応を待たずに話し始める林里。
「森下さんの弟の森下龍と、田中さんの弟の田中塁とあとはキャッチャーの小荒井新太ってやつを入れるらしい!」
「へえ、今年はピッチャー推薦枠に入れてないんだな」
話を聞いた大滝が不思議そうな顔をした。林里はその件に関して、こう答えた。
「ああ、何でも、『絶対にクロ高以外には行かないから』っていう理由で推薦を蹴った変な奴がいるらしい」
「自分の推薦枠の分、他の優秀な奴に明け渡してくれ、ってことか」
伊奈が納得した様子だった。
「まあ、今年の一年生の代は、三年生さんの弟とか多いらしいし、期待できそうじゃない?」
「だな」
本日がその、一年生たちが初めて顔を見せる日であった。
「おはようございます!!」
大きな声と共にグラウンドに入る4人の人影。
「あっ、塁が来るぜ」
田中塁の兄である田中遊が指を刺した。目線の先には、田中そっくりのいがぐり坊主の小柄な男が立っていた。
「田中塁ですっ! 九頭竜中学校出身です。湖畔シニアで1番バッターを務めておりました!」
はきはきとした声でしゃべる一年生。物珍しそうに集まる古堂ら暗黒世代の二年生と、新田ら白銀世代の三年生。その光景を冷静に見ていたひとりの男が自己紹介を続けた。
「ボクは小荒井新太です。吉野中学校野球部で2番キャッチャーをしていました」
静かな声色で話を始めた小荒井の元に駆け寄ってくる明るい声。
「小荒井くん来てたんだ!!」
「こ、小泉先輩!!」
小荒井の静かな声色は、同じ中学の野球部マネをしていた小泉の高い声がやってくるとともに打ち崩された。顔を真っ赤にして急に大きな声になる小荒井。
(わかりやすいなこいつも……)
同じキャッチャーである金条は苦笑いしていた。
「俺は森下龍です。第三中出身。東区シニアでは4番ファーストを務めさせてもらってました」
一人だけ体格も口調も全く違う。自信にあふれた風格。対面した古堂は思わず息を呑む。さすが黄金世代、森下秀の弟だ、と誰もが思った。しかし、もっと凄いオーラを放つ者が一人いた。
「井上将基。吉野中学校出身で、井浜シニアの5番ピッチャーでした」
古堂と大滝は、井上という一年生をみた瞬間に悟る。『絶対にクロ高以外には行かないから』っていう理由で推薦を蹴った変な奴がいるらしい――という林里の言葉を思い出した。
「お前か。クロ高以外には行かないからって言って推薦を蹴ったっていうのは」
「はい」
古堂が井上に問い詰めるようにして聞いたが、井上は全く動じない。
「去年までは初巾か鉄日が最有力候補だったんですよ。でもなんだかオープンスクールで見ても、練習の雰囲気がぴんと来なくて。でも、テレビでクロ高を見た瞬間にびびっときたんですよ」
井上の目には、おそらく、黄金世代や白銀世代の活躍が写っていることだろう。
「暗黒世代の先輩方の目……この人たちとなら、俺はもっと高みを目指せるってね」
井上の言葉からは、暗黒世代を褒めている節が見られた。古堂は拍子抜けする。
「な、なるほど……」
「まあよろしくお願いします。少なくとも俺は、足を引っ張るようなプレイヤーでは無いと思っているので」
去っていく井上ら一年生。それをみて二年生たちはその自信あふれる背中に震撼した。
――そして、同日の同時刻。春の全国高校野球選抜大会が開幕しようとしていた。




