第8話「夏合宿」
練習試合、秋江工業高校に負けたとは雖も、相手の主力は二年生。一年生だけで一点差に終わったというのは、今宮ら先輩を驚かせるのには十分だった。その日の夜の事。
「コドーは投げたの?」
今宮の純粋な興味からなされた質問に、古堂は胸を張って答えた。
「もちろん! 無失点ですよ!? すごくないすか?」
「はいはい……」
「ちょっとひどくないすかそれ……。大滝先輩はすごいと思いますよね!」
「ああ、大坂を三振にしたってのはすごいんじゃないのか?」
浴室では会話をする同ルームメイト三名。そこに、練習試合で活躍した伊奈、2年のピッチャーでエースの新田、そして、元エース、黄金世代のピッチャー閑谷の三人がやってきた。
「新田先輩、閑谷先輩、こんばんは!」
「おっすコドー。今日の練習試合どうだった?」
「のびのびと投げさせてもらいましたよ! 新田先輩に教えてもらったシュート、ずばずば決まりました!」
新田は笑う。その光景を見て狐につままれたような顔をする今宮。
(あいつ、新田の前だと誇らしげにしねえのな……閑谷さんがいるからか?)
「大坂をスローカーブで仕留めたってか? まさかあの雑魚カーブそのまま使ったんじゃねえだろうな?」
「ざ、雑魚カーブって何ですか!!」
新田にいじられ、少しむっとした古堂だった。伊奈はそんな光景を見て腑に落ちない部分がある。
(あいつ、試合中すっげえ集中してたのがウソみたいだ……こんなバカが試合中あんな顔できるのか?)
思い出すのは一塁ベースから見たマウンドの古堂。流れる汗の奥にある表情からうかがえる闘志。煮えたぎる打者との勝負への欲望、打ち取りたいという渇望さえ感じられたのがウソのようだった。
「伊奈も4打席2安打って本当か?」
一人上の空になっていた伊奈に今宮が問う。
「ええ、まあ。チャンスで打ててないので意味無いっすけど。それに、秋江工業のエースは奥田さんじゃないですし」
「ええ!? そうなの!?」
「知らなかったのコドー」
呆れる今宮。大滝は早々に浴室から退出し、閑谷は浴槽に顔を沈めている。
「秋江工業のエースは江戸川凛乃介って言って、俺のライバルさ」
新田が補足して笑う。青ざめる古堂。
「新田先輩のライバルってことは、せせこましい変化球めちゃくちゃ使ってくるんすか?」
「ははは、俺の変化球がせせこましいみたいな言い草だな。もう教えてやらないぞ」
笑顔の中で青筋を浮かべる新田。
「やっぱ、江戸川と当たるとちょっと厳しいか。今の打線だと」
今宮が深刻そうにつぶやいたのを、伊奈はしっかりと聞いており、少し落ち込むのだった。
「へくっしょん!」
食堂のテレビを見ながら練習試合のビデオを眺めていた大滝真司。思わずくしゃみが出る。
「大丈夫か? 今日唯一打点の大滝くんよ、疲れてるんだし寝たら?」
「そんなお前こそ、すごく眠そうな顔をしているぞ」
大滝だけでなく、キャッチャーの金条春利も一緒にいた。
「俺はもともとこういう顔だしいいの……それに、2失点は俺のせいでもあるし」
「そんなこと言ったら俺もことごとくチャンスをつぶしていた。実際俺が打っていたら3点ぐらい入っていたからな。そういう意味では敗因は俺だ」
「投手はすげえ頑張ってたのにな……」
テレビに流れるのは鷹戸遥斗の投球。ばしっと鳴るキャッチャーミットの音を聞いて、途端に左手に感じたしびれを思い出す金条。溜息も漏れた。
(仮に今俺が正捕手になったとして、投手たちの力を引き出せるんだろうか)
翌日、朝練を中止して監督からのミーティングが入る。
「夏休みも近々終わる。9月の第3週が秋大会の一回戦だ。残り三週間、精一杯頑張ること。そして、夏休みが終わった9月の第一週の土日に、スタメン最終選考を兼ねた合宿を行う。合宿先は南地方、鉄日高校近くの合宿場だ」
「鉄日高校近くっすか?」
キャプテン今宮が問いなおす。絹田監督は無言でうなずく。
(ってことは鉄日との練習試合あるんじゃねえのかこれは……)
敵陣近くに乗り込むのもいかがなものかと思うが、練習試合を組んであるのなら自然だ。
「各々しっかり心づもりをしておけ」
「「はい」」
朝から響き渡る大きな返事と、キャプテンの号令で朝のミーティングは終了した。
(合宿か……最終選考とかってわくわくするよな)
そして、夏休み最後の日。厳しい夏の練習もいよいよ終わるのだ。一生懸命に鳴くツクツクボウシが、夏の終わりを知らせている。この汗の量も少しは落ち着くのか、となんだかさみしいような嬉しいような、複雑な感情を抱いていた古堂。
「俺の夏……野球漬けだったなあ」
プールにも海にも行ってない。友達とも遊んでいない。とは言っても友達もみな野球部だった。しかし、思い出されるのは、練習試合のあの光景。白銀世代のバッター、大坂大磨が自分の投球に掠ることすらなく空振りをする。悔しそうで大きなあの背中、沸き立つチームメイト。アウト! と叫んで腕を上げる主審。どれも古堂を興奮させるのには難くない。
(また投げたいな)
投球バカは、夏の終わりを告げるかのように青々と澄む空を見上げて、馳せるのであった。
そして、合宿の日。ベンチ入りメンバー18人が発表された。各々背番号を読み上げられる。
「1番、ピッチャー、新田静。2番、キャッチャー、金条春利」
(おお、金条正捕手じゃねえか)
エースナンバーを新田が背負うことには、何の疑問も不思議も無い古堂だったが、同学年が正捕手ということに、何かしらの誇らしさを感じていたようだ。
「3番、ファースト、伊奈聖也」
「はい!」
伊奈が大きな声をあげて返事をした。練習試合でも活躍していたし、何ら不満はない古堂。裏でファーストの先輩が舌打ちをしているのはおそらく聞こえてはいない。
「4番、セカンド、今宮陽兵。5番、サード、大滝真司」
大滝も選ばれた。唯一の打点を挙げた男なので、これも自然だ。しかし、これもやはり、一部を除く二年生にとっては不満が残るようだった。
「6番、ショート、田中遊。7番、センター、山口寿。8番、ライト、小林翔馬」
実力のある二年生が選ばれていく。今宮、田中、山口は夏もレギュラーだった他、小林はかなり努力して実力を磨き上げていた。
「9番、レフト、佐々木隆」
ここで一年生の佐々木が呼ばれた。続く11番に鷹戸。10番には、二年生投手の伊東。12~17番と1.2年問わず呼ばれていき、残る最後の番号、18。
まだ呼ばれないことに対して焦る古堂を笑うかの如く、小豆は半ばあきらめたような眼で、古堂を見ていた。
(頑張ってくれよコドー。僕の分も)
「18番、ピッチャー、古堂黎樹」
監督に呼ばれ、大きな返事をした古堂。もらった背番号は、誰よりも大きな数字だった。
合宿の内容は、試合前の最終基礎体力作り。試合直前は練習試合や調整などによって、基礎練習をする時間が無くなるからだった。そして、ここ、鉄日高校近くの合宿場には、大きめのグラウンドと、ウエイト場、広い体育館があり、基礎練習をするにはもってこいの場所だったのだ。
(なるほど、わざわざここを選んだのは、ここでの基礎練習鬼畜合宿を行うためだったのか)
苦しそうに笑う今宮キャプテン。すでに午前中のスクワット×50+坂道ダッシュ×10の効果が聞いている。
「乳酸たまりますねこれ」
大滝が涼しい顔で今宮と田中に言う。涼しい顔とは言っても、顔には多量の汗をかき、息も上がっていた。
「でもよ! 9回裏ツーアウトで、一点差を追う状況で、自分は二塁ランナー。負けたら引退! ってなったら足に乳酸が溜まってようが何だろうが走らなきゃならねえだろ? だから乳酸に耐える練習だこれは!」
少し日本語は怪しいが、田中はそう言って大滝に激を入れる。大滝も、田中の言いたいことは理解し、笑う。
「このチーム、特に二年生は如何せんどMが多いですよね」
投手陣はグラウンドにて別メニューを行っていた。スタミナをつけるための一時間耐久走である。監督の鳴らした笛に合わせて時折ダッシュをしなければならないのが鬼畜だ。今声を発したのは古堂。すでに20分が経過しており、他4人の口数が減ってきたときの一言だった。むっとしたのは鷹戸遥斗。お前が言うなと言わんばかりである。
「余裕ぶっこいてると倒れるぞ」
新田が静かに呟く。古堂の言葉には目もくれてない。
ここからさらに25分後、小豆空也がペースについていけず脱落した。
(やべえな……ここでダッシュ入れるのが絹田監督だぞ……)
新田が顔を青ざめさせていると、笛が鳴った。そう、ダッシュの号令である。
「ダッシュ!」
二年生控え投手、伊東の声に合わせて一斉に走り出す4人。小豆はタイミング遅れて一人走り出す。6秒ぐらいダッシュしたところで、再び笛がなり、ジョギングペースに戻す。
「小豆! 残り15分だぜ! がんばろう!!」
ペースが遅れ始める小豆に対して声をかける古堂。小豆は顔をあげ、少し表情を楽にして追いつこうとペースを上げる。
(他人ばかりにかまってると自分が持たなくなるぞ)
鷹戸が心の中で悪態をついている間にも残り時間はどんどん少なくなっていく。残り5分のところで、再び笛が鳴った。
「ダッシュ!」
再び伊東の声に合わせて一斉に走り出す。すでに55分間走っている足は悲鳴を上げそうだ。
(一年間ずっと控えだったからなあ俺……体力やっぱ落ちてるなあ)
新田は心の中で悔しそうにつぶやいた。伊東も同様、控えどころか試合にすら出場していなかったので、そこまで体力はない。
しかし、一年生投手二人は違った。ダッシュの笛がなると、ペースをしっかり上げ、二人とも確実にピッチ、ストライド、両方上がっていたのだった。
(鷹戸……古堂……)
新田と伊東を追い越す二人。お互いににらみ合っているのが見て取れた。
(はは、何が白銀世代だよ。負けてられねえな俺たちも)
新田は伊東と目を合わせ、そんな二人についていくかのようにペースを上げた。
結局、ラスト5分はほとんどダッシュだった。最終的に古堂は一気にペースを崩し、最終的には小豆にまで抜かされるという醜態をさらすことになってしまうのだった。
「だーから言わんこっちゃない。余裕ぶっこいてるとぶっ倒れるって言ったのによ」
新田が笑って古堂の顔をつつく。グラウンドに伏している古堂。反応がない。
「でも、こいつすごいな。ラスト5分、あそこまでペースあげるかよ」
伊東が低い声でつぶやいた。そして鷹戸のほうを見る。
(まあ実際、最後まで古堂と同じペースで走り続けて尚且つ崩れないあいつのほうが何倍もすげえか)
伊東の視線を感じてか、鷹戸は古堂を見ていた視線を逸らす。咳払いすると、新田のほうに詰め寄った。
「新田さん、午後から投球練習ですよね」
「ああ、そうだが」
「ちょっと、コントロール上げたいんで、練習付き合ってもらってもいいですか?」
「ああ、いいぜ」
鷹戸はにやりと笑うと、再び目線を落として倒れている古堂を見下ろすのだった。




