第6話「古堂黎樹」
ボールを左手でしっかり握り、キャッチャーの金条めがけて投げた。いよいよマウンドに立った古堂。胸の高鳴りを感じて、表情が不思議と綻んでしまう。
(高校生試合デビュー……)
1年にして138kmのストレートを投げると言うのは、大変将来に期待のできるいい投手であるが、時代が時代。年上はみなそれ以上。彼がエースピッチャーとして初めてマウンドにたったのは、中三のときのことだった。そのときはまだ速球一辺倒の投球しかできなかった上に、リードのできるキャッチャーも、采配に優れた監督も、ホームランを量産できるチームメイトもいないような中学だったため、一回戦敗退。そう、この時代の少年野球界は、神童たちの墓場だったのだ。
だからこそ彼は試合に飢えていた。打者との勝負に飢えていた。強い高校に入り、強い選手たちと練習し、試合に出て打者を打ち取りたかった。練習試合とは言え、ここは彼――古堂黎樹の望んだ舞台であった。
「っしゃ行くぞ!」
意気込んで投げた一球目。ストレート。空振り。
「っし!」
ガッツポーズを取る古堂。6番バッターはヘルメットを被り直す。
(さっきのやつよりも速いな……球速差にやられたらまずいぞ)
二球目。シュート。かすった当たりとなりファウル。三球目、四球目はボール。
(ツーツーか……次は厳しめに来たボール球……かな)
配球を読んだ6番バッター。彼はキャッチャー溝口だ。今日の試合、奥田の投球は常に彼のリードによるものだったため、配球を読むことは一人前にできる。
(来た!)
バットを振り抜く溝口。打球は三遊間を抜けた。ヒットとなる。
(とりあえず、打つのが不可能なピッチャーじゃねえ。球速差にやられなければ打てるだろう。鷹戸には数段劣るな)
続いてのバッターによる送りバント。1アウト二塁のピンチを早速招く。
「お願いします!!」
八番バッターが大きな声で叫ぶ。古堂はシュートを投げる。僅かに外に外れ、ボールだった。
(えげつねえシュート投げやがる……)
二球目、ストライクゾーンに入っていたシュート。振り抜く。軽い当たりとなる。
「フライか?」
三塁よりも少し遠くに飛ぶ打球もふらふらと上がって落下点がかえって掴みづらい。
結局レフト佐々木の前と大滝の間に落ちた打球。佐々木が拾い上げているころには既に三塁を回ろうとしていた。
「止まれ溝口!」
三塁コーチが制し、溝口はストップした。
(あのレフトは肩強かったからな……白銀世代と同等かちょっと低いかくらいだよな)
続いてのバッターは奥田。まだ1アウト。ここは外野に運ばれただけでだけで追加点が入ってしまう。ここは何としてでも最悪内野で留めておきたい。しかし、古堂はここで予想だにしていない投球を見せた。
「ストライク! バッターアウト!」
奥田を三振に抑えぬいた。一球目の外角低めのストレート、二球目のシュート、三球目の少し高めのストレートの三球で三振させたのだ。
「おお!」「やるじゃねえか古堂!」
(今日一発も当たってねえ投手三振したぐらいで何を)
鷹戸はその状況を冷静に見ていた。しかし、その状況を一番近くでもっとも冷静に見ていたこの男――金条春利は違った。
(心なしか、球威もキレも増していたような……?)
続いてのバッター。打順は一番に戻る。
(こいつは俊足……出塁というか走塁させたくないな)
一球目のストレート。ノビがあって、体感速度は少し速いだろう。バットを振るのが間に合わない。
(おお、ベンチから見てるより早く感じるわ……)
続いてのシュート。振り抜くが後ろに飛びファウルとなる。
(お、追い込んでる……次は内角にストレート。外外と投げたから少しベースにも身体重ねてる感じするし)
ストレート。全く頭に無かったわけではなかったが、反応がすぐにできるようなものではない。振り抜くより早くキャッチャーミットに収まったボール。三振である。
「に、二者連続三振! 無失点だ!」
ベンチから叫んだ小豆。ベンチに戻ってくる古堂ら。
「ナイスピ古堂!」「お前、あんなに良い球投げられたのかよ!」
古堂の実力を大して知らかった他の1年生たちは大いに喜んだ。
7回ウラ。黒光の攻撃だ。一番林里からの攻撃である。
「っしゃす!」
奥田のスライダーを初球から打った林里。しかし、凡打となる。
「ショート!」
緩く転がってショートの前で止まる。その間にも林里は一塁ベース間を駆け抜ける。
(俺は大滝みたいに打てないし、金条みたいにキャッチャーできないし、伊奈みたいに盛り上げることも佐々木ほどの肩も、ピッチャーたちみたいなあんな球も投げられねえ! 俺の強みは……足だけだ!)
ファーストミットに送球が収まる。巻き上がった砂ぼこりから林里が立ち上がった。
「セーフっ!」
ヘッドスライディングが間一髪間に合い、林里は内野安打となった。
「よしっ! 続ける!」
二番バッター、佐々木も意気込んで打席に立つ。
(そろそろ点やらないと……今まで投げてきた鷹戸、小豆、そして古堂に申し訳ないっ!)
奥田のスライダー。とても曲がる。ストライク。
(当てられるのか……!)
二球目もスライダー。勢いを殺して、転がした。キャッチャー溝口が拾い上げ、二塁へ投げようとするが間に合わない。渋々一塁に投げ、ワンアウト。
(ちっ……)
プロテクターをつけ直し、ため息を吐いて座り直す。続いての打者を見て、更に大きなため息をついた。
大滝真司が打席に立つ。今日は、一本も安打が出ていないが、実力は確かだ。バッテリーも警戒する。
一球目。スライダーを見逃してストライク。二球目、外に吸い込まれていくストレート。放たれた瞬間から縫い目の動きが良く見えた。
(これだ!)
ストレートを打ち返した大滝。打球は真っ直ぐセンターへと飛んでいく。
「よおぉし!」
古堂が嬉しそうに叫んだ。
しかし、またも守備に阻まれる大滝の打球。捕球に成功したセンターは喜びの声を思わず漏らす。
(うお……ラッキー。ライナーじゃなかったらスタンド入ってたよな……)
「マジかよ……やっぱり俺は兄のように打ち分けが……」
続いてのバッター、伊奈は全く打球を当てることなく三振に倒れた。
(畜生……何でチャンスで打てないんだ……)
悔しそうにベンチに戻ると、既に金条はプロテクターをつけ始めていた。何やら古堂と会話をしているようだったが、戻ってくる伊奈に気付き、彼は声をかけた。
「切り替えよう伊奈。お前は守備でも今のところうちの主力なんだからよ」
金条に肩を叩かれ、小さくうなずいた。古堂も投球モードに入っている。伊奈は仕方なく笑った。
(何だよ……あれが負けてるチームの投手の顔かよ)
そう伊奈が評した古堂の表情は、立ち入る者を拒む仁王の如く、目の前の勝負に全身全霊をかけるかのようだった。
8回表、秋江工業の攻撃。二番バッターが打席に立つ。
「お願いします!」
秋江工業の選手たちにとっても、ここは秋大に向けてのアピールの場である。終盤ということもあり、まだめだった活躍ができていない者にとっては気合いが入る場面である。
古堂は一球目。低めにストレートをぶちこんだ。球威は前回に増して、キャッチャーミットに捻り込むように入っていった。
「ストライク!」
主審の声。流れる汗。金条から返球されたボールを握り直す。
(立ち上がりが微妙なだけなのか? めちゃくちゃ良い球の走りじゃないか)
金条も驚いていた。ノビも球威も7回のピッチングに比べて増している。続いての配球は高めのシュート。ぐにゃりと手元で外に逃げていくボールに追い付かず空振る。
(おほっ! エグいなシュート……)
早くも追い込む古堂。早めのテンポで三球目を投げた。
(こいつ次の投球早すぎ――)
三球目、タイミングは合わず、三球三振となった。
(良い球投げてやがる……さっき言ってたあれ、まだ見てないけど投げさせてみるのもありかな……)
金条がサインを送るが、古堂は首を振る。自分から投げられると言っておきながら、自信が無いということに対しては失笑せざるをえない。シュートのサインに変更したところ、古堂も頷いたようだった。
投げた球は左打席に立つ三番バッターの胸元を抉り込む。スイングを誘い、打ち転がした。
「ショート!」
古堂の声と同じくらいの瞬間にボールを拾い上げたショート林里は、一塁に直ぐ様送球した。ばしっ、と伊奈のファーストミットが鳴り響く。
「アウト!」
悔しそうに踵を返す三番バッター。大坂とすれ違い様に呟く。
「お前の前にランナー貯めてやれなくてすまん」
「何言ってるんだ。俺たちは勝ってるんだぜ? 夏の借りは秋本番に返してやれば良い。だが俺はこのバッターから打ち飛ばしてやりたい」
「お前ならできる。頑張れよ大磨」
「ああ」
右打席に立つ大坂大磨。この試合、唯一の出塁率100%の男だ。白銀世代と言われているのも頷ける。
(彼が凄いバッターなのは間違いない。こんな早くに戦えるなんて……)
昂る感情を抑えられぬまま、古堂は一球目を投げた。




