第331話「打つ手無し」
高校野球――甲子園大会では、数々のドラマがこれまでに起きてきた。当然、今大会も、下馬評を覆す勝利、逆転サヨナラ満塁ホームラン、二刀流2年生の活躍、本塁打記録の更新と、枚挙にいとまが無い。当然、熊大熊工も、そうやってドラマを起こしてきた9人である。
住友龍二率いる秀英館高校は、熊本県屈指の名門校。熊大熊工は、決勝戦に至るまでに、アベレージ8得点を取り、かつてないほどの打撃力で次々に熊本県大会を勝ち上がっていった。当然、決勝の秀英館高校では、住友龍二が立ちはだかるが、1年と数ヶ月、ずっと重ねてきた打撃練習および、住友龍二対策が功を奏し、9点取られながらも、10点を取って勝つというこれまでに無い勝ち方をしてきた。当然、その中で、攻撃的走塁や、打順の工夫等、単純な打撃だけで勝ち上がってきたわけではない。三沢から榊への継投も、策のうちの一つである。
そこまで緻密に策を練ることが出来たのも、“白銀世代を倒したい”という思いがあったから。郷間雷羅たち熊大熊工ナインは、熊本県内のシニアチームの中で、黄金世代、白銀世代の台頭により、出場機会に恵まれなかった選手たちが集まったために、ここまで強くなったのである。故に、選抜で明徳高校2年、知多哲也のインタビューを聞いて、熊大熊工ナインに衝撃が走ったのは言うまでも無い。彼らもまた、古堂、大滝、鷹戸ら同様、“暗黒世代”であることを胸にしまいつつ、それでも勝つために一日一日、己が武器を磨き続けてきたのである。
そして迎えた夏の甲子園。秀英館を破ったダークホースとして一躍注目を浴びた熊大熊工はその勢いのまま、白銀世代の岩澤がまとめる石川代表清龍高校を倒し、知廉和歌山高校をも下してベスト8に残った。そして迎える準々決勝では、同じように県内の強豪、選抜準優勝の鉄日を倒し、愛知の修習館、選抜ベスト4の大牧、選抜優勝校の明徳を下した福井県代表黒光高校と対戦し、白銀世代のエース、新田静と勝負することになったのだ。彼を打てば――また、白銀世代を一つ倒してさらに上に――という展開も起こりうるのだ。
しかし、時として――高校野球はそんなドラマを与えない。
「ットライークッ!!」
2番榊時光、スライダー2球を際どいところに決められ、最後はカーブを振らされる形で三振となる。
「ふんッ!!」
3番香田、初球のストレートを打ちに行くが、打たされる形となった打球がショート田中に捌かれ、アウトとなる。2番榊と共に、ゆっくりとベンチに戻ってくる。上位から始まるこの打順かつ、4番郷間に回るこの打順で点が取れないという事実に、熊大熊工ベンチに焦りの色が見える。
「お前がホームラン打てば、同点だ! 頼むぞ!!」
叫ぶのは、1番松本。本日4安打2打点と破竹の勢いで活躍を見せていただけに、悔しさも一入である。
(俺は……鷹戸や古堂から打ったからって調子に乗ってた。クロ高1番……新田静さん。噂や前評判通りの桁外れの実力……)
7.8.9番の中村、木場、石沢の下位打線3人も、松本と同様の感想を抱いていた。新田と対戦した彼らだからこそわかる。そして、“打倒白銀世代”を掲げてきた彼らだからこそわかる。
(新田静は別格だ)
4番郷間との対戦。ベンチでは、絹田監督が古堂と小豆に声をかける。
「古堂、小豆、よく見ておけ……。鷹戸は言わずもがなレフトから目に焼き付けているだろうが……」
絹田監督の視線の先に、新田がいた。古堂と小豆の視線もそちらに向く。
「……お前らは1年後、アイツを目指したら良い。まあ……伊東も良い投手なのは間違いないが……お前らはタイプ的にこういうエースだな」
「こういう……」
「エース……」
鋭いスライダーがインローに決まる。当然、内角際どいところを攻められたので、デッドボールと思った郷間は足を後ろに下げて避けていた。
(くっ……これ……左バッターが詰むと噂の……)
2球目、アウトハイのストレート。金条のリードもノリノリである。郷間はスイングするが、インローからの距離、ボールのスピード、そのどれもが1球目と違いすぎてタイミングが取れず、バットの先に当たる。
「打ち上がった……!」
「いやでも浅い!!」
古堂と小豆が高く打球を見上げていた。落下点には、しっかり前に詰めてきていた鷹戸がいた。落ちてくる打球を、外野手用のグラブでしっかりと捕球し、アウトにする。3アウトで8回の攻撃を終える熊大熊工。郷間はベンチに戻ってきて、マスクをすぐにつけた。
「良いか! 切り替えるぞ!! ここを凌げばまだチャンスはある!!」
「……お、おう!!」
正直、松本が抑えられ、榊が抑えられ、香田が抑えられ、郷間が抑えられた。熊大熊工の打線の要である上位陣がことごとく凡退した姿を見たベンチは、その言葉を素直に受け取れない。
(無理も無いわな。俺はネクストから見てただけだったが、あれはやべえ。特になんだ郷間に投げた初球。曲がりすぎだろ)
5番郡道は畏れていた。彼だけで無い。守備に向かう野手たちも同様だった。
(どうやってあのピッチャーから1点取れって言うんだ。9回あるならまだしも……あと1回で……)
その疑念は、投手にも伝播する。3番田中に対し、失投とも言える甘い球を投げてしまう水落。ライト前ヒットを打たれ、4番大滝にはレフトオーバーの長打を浴び、ノーアウト2.3塁のピンチを招く。
「……」
ここで無言で打席に立つのは鷹戸遥斗。本日既に3安打で敬遠策も考えた郷間だったが、ネクストに立っている6番伊奈、そして続く7番山口を見てすぐにその策を捨てる。
(もともとウチの投手力で、この終盤に点が取れない状況ってのがキツいんだよ)
むしろエース級が一人だけなら、序盤、点を取られながらもなんとかくらいつき、中盤~後半でエースを攻略し、シーソーゲームに持って行って最後に逆転する――それが格上と戦う熊大熊工のやり口だった。しかし、そのエースを攻略するはずの時間が、この試合には無い。点はもう、やれない。
(……行ける)
アウトローにストレートを投げ込む。見逃してストライク。鷹戸の見逃し方を見て、郷間は警戒レベルを一段上げる。
(やっぱこのバッター、クロ高の中でもセンスは図抜けている。今宮さんや山口さんみたいな巧さは無いけど……)
2球目、外した球を要求。見逃してボール。そして、3球目、インコースのボールを要求。要求よりやや浮いた球だが、インハイにボールが投げ込まれた。
(ふんッ!!)
素直なスイングで打ち返す。インハイの球を前のポイントで捉えた。打球はサード頭上――サード木場が手を伸ばすが、届かない。ショート榊は足がもつれて追い切れない。レフト前に打球が落ちる。
ホームを踏む田中。大滝も太い足を思いっきり前に伸ばし、三塁を回った。
(3点差はヤバいッ!!)
レフト郡道が打球を拾い上げ、そのままホームに向かって送球する。「滑れッ!!」と三塁ランナーコーチの坂本が叫ぶ。大滝はその声を背に受け、ホームに向かってまっすぐ滑り込んだ。
「セーフ!」
11点目を上げるクロ高。この8回裏に3点差をつけた。そして未だ攻略の糸口が見えない新田静の存在。クロ高の勝利がぐっと近づいていた。8回裏を凌ぎきった熊大熊工だったが、残された攻撃は、あと一回。
5番郡道から攻撃が始まるが、2球目をセカンドゴロに倒す。6番千葉、7番中村それぞれが三振に倒れ、試合終了――
「ナイスピッチングでした、新田さん」
「ナイスリードだ、金条」
熊能大学附属熊本工業高校 8-11 黒光高校
黒光高校、準決勝進出。
「うおおおおおッ!!」
ベンチから選手がぞろぞろと走ってくる。ついに、鉄日高校に並ぶ、夏の甲子園、県勢ベストの記録に達した。
「整列しよう……」
今宮が新田の肩に手を置いた。
「わりぃな。また頼っちまった」
「今宮、お前は野手だからあんまりわかんないかもしれないけど……エースはこうやって成長するんだよ」
新田の言葉に「フッ」と笑う今宮。そのまま整列し、挨拶をした。
校歌を聴きながら、晴やかな顔を見せるクロ高の面々。向かいに並ぶ熊大熊工の者たちは、誰一人として俯くこと無く、涙を流すことも無く、その姿をじっと見ていた。
「あれがエースだ、ってのを見せつけられちまったな」
三沢がぼそっと呟く。郷間にだけ聞こえる声で。
「ああ」
郷間はあきれ顔で肩をすくめた。それに対し、三沢は笑う。
「でもな、良い夢見させてもらったぜ、郷間」
「……ははっ、なに言ってんだ馬鹿」
郷間は三沢の肩に手を置き、ぐっと肩を組んだ。
「俺らは2年でこんだけやれた。最後の甲子園はこんなもんじゃねえって、見せつけてやろう」
それはチームのほとんどに聞こえる声で、ほかの選手たちも、その言葉を聞いて力強く頷いた。
観客席にいた秀英館高校の住友は頭を抱える。
「うわー。熊大熊工負けたか。俺らも甲子園行ってたらベスト8行けたかもしれないってことだよな」
「そう甘くねえって」
伊馬がすかさず突っ込む。新キャプテンの服副は顎に手を添えた。
「……クソッ」
「そうだな、ゾエ。お前はアイツらと来年もやり合わなくちゃ行けないもんな」
「あんな良い試合見せられたら、悔しくなりますよ。プロ注の新田静とも戦えて、より成長しやがった……」
副キャプテンを務める田口陸朗も同じように苦い表情をしている。
「投手陣も一皮剥ける可能性がある以上、バッターも油断できんなあ」
クロ高は抽選の結果、爽実とは反対のブロックになった。つまり、準決勝の相手は、次の明正学園VS桐陽学園の勝者か、東南大附属VS龍宮高校の勝者となる。
「金条! インタビュー、お前だって。あと鷹戸! 新田も!」
今宮がいつもの調子でインタビューに呼ばれる人を呼ぶ。
「あ、はい!」
「金条か珍しいな」
田中が一言。「まあ、そりゃ……3人の投手をリードしたのはすごいっしょ」と伊奈。
「確かにそうだな」
納得する田中を横に、一人悔しさをにじませる男が一人――ぐっと、彼の左腕に血管が浮き出ていた。