第32話「信じる」
13回表に2点を入れたクロ高。そのまま13回裏に入る。秋江工業高校の先頭打者は3番里田。
(2点差……追いつける。俺が打って大磨がホームラン。それで上等だ。それで大場が打って、溝口が打って、みんなみんな打って勝つ……これでいいよな)
初球ストレート。ボール球を打つ里田。ピッチャー返し。トンネルする古堂。
「……しまったっ!!!!」
古堂の背後の二塁ベース。抜けてしまう、と思ったその瞬間――今宮が捕球した。
(ぬおあ……! 何で捕るんだよ、今み――)
里田が全力疾走するも、今宮の送球と伊奈の捕球の前に間に合わず、アウトとなる。
「だぁああ、惜しい!!」「今宮のファインプレーだな……」「あのピッチャー守備苦手だし、ピッチャー返しは有効打だと思ったんだがなあ」
秋江工業を応援するアルプスでは落胆の声。対するクロ高側は盛り上がっていた。
「さすが渋いぜ今宮!」「よっ、守備職人!!」「最高だぜおらおら!!」
そんな両サイドのスタンドを黙らせるほどの大声が、打席から響いてきた。
「うおおおああああああ!!!!」
「!!?」
観客は一斉に打席の方を見る。打席に立っているのは、秋江工業4番、大坂大磨。
「お前からは……まだ一本もヒットすら打てていない。だからこそ……ここでホームラン打ってやる!! 全員見ていろ、こっからの秋江工業の逆転劇!! まずはそこのスコアボードに1って書いてやる!!」
その叫び声は、球場一体に響き渡る大声だった。そして、芯が通った、低く、心にずんと伸し掛る、重い声だった。
(気圧されるなよ古堂。お前はまだ一本も打たれていない。これも事実だ。自信を持って投げよう)
金条は高めに外れるストレートを要求。大坂は見逃す。
(次は外角低めいっぱいのシュート)
古堂は要求通りに投げた。微妙にコントロールの乱れはあるが、しっかりとストライクゾーンに入り、ストライクとなる。
(し、しっかり見てやがるな。2球連続で降ってこないってことは、大坂もすっかりコドーのことを警戒しているんだな)
金条は3球目、内角厳しめのところにストレートを要求した。大きく息を吐いて、古堂が投げた――
(もらった!)
古堂の投げたストレート、少し甘いところに入ってしまう。そこを見逃さなかった大坂が、ボールを上方向に弾き返した。古堂、金条、クロ高内野陣が、同時に空を見上げる。
(しまった!!)
金条は理解した。そして、古堂も……
(今の……甘く投げてしまったところを、見逃さないとかっ!!)
上空高く飛んでいく打球は、無情にも、そのままスタンドに流れるように入っていった。ソロホームランである。
「うっしゃああ!!」
大坂が嬉しそうに叫んだ。秋江工業ベンチは待っていましたと言わんばかりの大歓声を送る。
「やったぜ大磨ァ!!」「何で今まで打てないんだよ!!」「畜生、サイコーすぎる……」
秋江工業ベンチが大盛り上がりする。もちろん、紅葉監督も大きくガッツポーズを取った。
(やはり、お前が4番にいてくれて良かった……)
「続けよ大場!」
「ああ」
大坂大磨に言われ、大場は大きく頷いた。ここで追加点を二点分上げればいい。それにはまず自分が打たなければ始まらない、と言った様子だった。
古堂を心配する金条。
「大丈夫かコドー」
金条の声に、古堂はうつむいたままだった。さすがに心配する様子で肩を叩こうとしたら、彼の口元から笑い声が聞こえてきた。
「ふふふ……やっぱすげえな、白銀世代のホームランバッターとやらは」
古堂は笑っている。金条も釣られて笑い出す。
「ははは……そうだよな。(こいつは……やっぱり馬鹿だ。そして、サイコーだ)」
「っしゃあ! ラスト二人バッチリ抑えていくぜ!!」
「お前しか残ってないんだ。頼むぜ、コドー」
「ああ!!」
金条は清々しい表情でホームに戻る。打席で準備を始める大場と目が合う。
(絶対に打たせはしない)
しかし、大場は三遊間をギリギリ抜けるヒットで出塁した。
「よしっ!!」
一塁ベースから声をあげる大場。伊奈もプレッシャーを感じていた。
「(さすがにありえないだろうけど、溝口さんが一発打つような人だったら試合終わるかもしれないんだよなあ。)古堂!! しっかり守ってこうぜ!」
「ワンアウトだぞ!!」と今宮。
「打たせてこい!!」と田中。
「……取ってやる」と大滝。
続く6番溝口。初球の厳しいシュートを見逃す。2球目のストレートは打ち損じてファウル。追い込まれる。
(このピッチャーの性格的に次もストライクゾーン、そしてラストは――)
スローカーブだった。溝口の読み通り。そしてライト方向に打ち返す。飛んでいく打球。溝口が足を猛回転させて走りだした。
「佐々木!!」
古堂が慌てた様子で叫ぶ。溝口の打球をワンバウンドで捕球した佐々木は、三塁ベースめがけて送球した。既に二塁ベースを蹴っていた大場。もう後には戻れない。
(間に合えええええ!!)
大場がヘッドスライディングした。大滝は捕球にこそ失敗しなかったものの、タッチが間一髪間に合わずセーフになる。
「っしゃ、っしゃああ!!!」
大場、溝口が共に叫んだ。
「っしゃ行こうぜ志島!」
志島が打席に向かう。そこで江戸川が話しかける。
「あいつは9回から投げてる。投球経験多くなさそうだし、スタミナ尽きるのも近いだろう。1点、1点だけでも返せばいい」
「ああ、わかった」
「俺もまだまだ投げられる。軽い気持ちで打ってこいよ」
1アウト1.3塁の大チャンス。長打が出れば逆転もありうる局面に、球場全体が、驚くほど静まり返っていた。
打席に立つ7番バッター、志島圭一郎。ここまで、足を引っ張り続けてきたことを少々後悔していた。紅葉監督には、打席に向かう前、こんなことを言われた。
――お前は今日たったの一安打だ。正直言って今日の結果はお前にとって満足できるものではないだろう。でもお前の毎日の努力を俺は見てきた。俺はお前を信じるぞ。お前のできる全力を注いで来い。
(そうだよな……白銀世代でもない俺がこういう場面でできることなんて限られてる。この投手、投球こそはすげえもんがあるが……守備は上手くない)
志島は初球、古堂のシュートをフルスイングして空振りとなる。
(くっ……やっぱり……全力で打ったって長打が出るようなパワーは俺には無いし、ミート打法で確実に打てる自信もない。でも、江戸川も奥田も、監督も、みんな俺のこと信じてくれた、俺は俺のできることを!!)
2球目のスローカーブ――志島がバントの構えをする。大場、その構えを見て三塁ベースを蹴り、走り出す。スクイズだ。古堂、その構えを見て、全体重を前にかけ、打球を取りに走る。
(何のためのバント処理練習だったんだ!!)
古堂は転がる打球を必死に目で追い、足で追い……その間にも志島、大場は全力でそれぞれの目標点へ向かう。
(これがお前のできる最大限なら、俺らはそれに応えてやらなきゃならねえんだ!!)
大場が走る。古堂、打球をしっかりと見つめ、グローブの中に収める。
(いつまでも、守備が下手なままでは居られない……ここは強豪、クロ高だからな!!)
古堂はそのまま右腕を伸ばして打球の収まったグローブで大場の背中をタッチする。彼がヘッドスライディングに入る前の、一瞬のタイミングだった。
「ファース――」
金条の指示が聞こえるまでもなく、古堂はそのまま身を翻して一塁ベースへと投げた。
強肩から放たれた送球が、一塁ベース向かって投げられる。志島が全力疾走するも、間に合わず、ファースト伊奈が先に捕球した。
(っし! コドーのは痛くないっ!!)
併殺で一気に2アウトし、3アウト――ゲームセットとなる。
「お、終わったのか……」
ホームベースの際で悔しそうに倒れていた大場が呟いた。金条が感慨深そうに、顔のプロテクターを外して立ち上がった。
「……終わった、長い長い試合が……」
送球を終えて、乱れた息を整える古堂の元に、まずサード大滝が駆け寄ってきた。
「お前なら仕留めると信じてたぜコドー!!」
背中を叩かれる古堂。苦笑いしている。何がなんだかわかっていないようだ。
「はは、まさか直前の練習のバント処理がこんな形で効いてくるとはな」
ファースト伊奈が嬉しそうに駆け寄ってきた。今宮、田中もやってくる。
「守備下手くそだったのになあ」「ヒヤヒヤしたぜぇ」
外野手や、ベンチにいた者たちもやってきた。全員が古堂の周りに集まる。騒ぐ輪の中へゆっくり歩いていく鷹戸を呼び止める絹田監督。
「不満か? 鷹戸」
「……いえ、ああいうのはキライなので」
対する秋江工業側ベンチは静まり返った。真っ先に悔しさを露にしたのは、奥田洋太だった。
「くっそ!! 結局……俺が足引っ張っちまったぁ……」
「奥田……」
江戸川が奥田の背中に手を置いた。
「サンキューな。俺が限界まで投げられたのは……エースとしての意地と、お前が後ろで控えているっていう安心感のおかげだ」
江戸川の言葉がよほど嬉しかったのか、奥田の目からは涙が止まらなかった。
「整列だ」
紅葉監督がベンチから選手たちを送り出した。声が震えていた。
整列を終えて両チームがそれぞれの控え室に戻る。チーム全員が涙を流す秋江工業。紅葉監督がミーティング開始の合図をすると同時に円を描くチームメイトたち。
「みんな。強豪校相手によく頑張った……」
彼の言葉に、チームメイト全員が咽び泣く。
「江戸川、よく12回まで投げ抜いてくれた。そして、同点タイムリー、お前を信じて正解だった、大坂も、最後のホームラン、感動したぞ」
江戸川は悔しそうにうつむいている。大坂は無表情のまま、額から流れる汗をぬぐっていた。
「お前らはできる限りのことをやったんだ。誇りに思え。ただ、一つ……敗因を上げるとしたら、相手の方ができることが少し多かっただけだ。志島、お前のあの判断、俺は間違っていなかったと思っている。ただ――相手のピッチャーがしっかり訓練していたこと、そればかりは仕方ない」
全員の表情があからさまに変わっていくのがわかった。
「……秋大会はこれで終わりだ。でも、お前たちの野球人生はまだ終わっていない。春と夏もある。それまでに、クロ高より、テッ高より、ハッ高よりも……できることを増やしていこう。この冬頑張れば、8強、4強は必ず勝てる相手だ。お前たちを見ている限り、それを信じられる」
「はい!!」
秋江工業高校全員、今、敗北を受けて勝利へと切り替えを始めたのだった。
クロ高の控え室。絹田監督が話を始めた。
「今日はよく頑張った。この延長戦、長い試合を勝ち抜いたのは……お前らの日々の鍛錬があったからだ。基礎体力の完成こそが、この試合の勝因だと俺は思っている。この試合の勝利を、次からの自信につなげていけ。そして、ベスト8以上を決める試合、お前たちなら勝ち上がっていけるはずだ。県優勝、夏との連覇を目指せ。そして……全国への切符を目指すんだ!!」
「はい!」
全員が応える。次はキャプテンの今宮からの話だ。
「……今まで俺は、誰にも言ってなかったんだが、勝手に目標を決めていた。それは、全国出場、及び優勝だ。そのためには……鉄日にも、甲子園で負けた明徳高校にも勝てなきゃ
いけない。でも、俺たちなら……きっと勝てる。今日確信した。絶対勝ち上がろう!!」
「っしゃあ!!!」
クロ高全員が叫ぶのだった。
黒光高校 9-8 秋江工業高校。黒光高校、準々決勝進出。




