第179話「強い意識」
「古堂の強さがわかった気がしたよ」
ベンチで呟くのは、初巾高校本日9番打者の、錨真紀。
「……は、どういうこと」
「……あんだけポンポン三振取られたら、リズム狂う」
「……そんで向こうは調子乗れる、と」
「……確かに、それは良くないな」
権田も錨の意見にうなずく。
「んで、こっちが流れを渡しちまうのが良くない」
白里一哉が呟く。
「俺らが何とかするしかねえんだよ。俺ら自身で」
レイモンドがスパイクの紐を結びなおす。
(……本来なら、2点差つけてこっちが有利なはずなのに……なんだこの……攻撃の時の閉塞感は……)
レイモンドも、何か古堂のピッチングから伝わるものを感じ、焦っていた。
6回。先頭打者の小林が打席に立つ。
「お願いします!」
ナックルを当てる自信は、正直言って無い。
(俺はもっぱらストレート狙い……)
しかし、初球から揺れ落ちる球がどんどん投げられ、3球で追い込まれてしまう。
「1ボール2ストライク!」
審判のカウントを叫ぶ声に、小林は胸の鼓動を抑えるしかない。
(先頭が大事……)
それでもストレートに張り球をする。ボール球でも良いから、タイミングを取って打ち返すしかない。そういう意識で挑んでいた。
「ふんッ!」
柏木が投げたのは――カーブ。引っかけた当たりになる。
(くっ!)
三遊間に緩く跳ねる打球。サード大槻は微妙に届かない。
(くっ!)
(ヨッシーさんは、正面には強いけど、横はあんまり動けない……その分俺がカバーするしかないッ!!)
ショート錨が俊足を生かして打球に追いつく。
(一塁刺すッ!!)
身を翻す錨。その間にも小林は全力疾走で一塁まで駆けていく。
(頼むッ! 間に合え!!)
「セーフ!!」
小林が内野安打を決める。柏木の顔が歪む。
(ちっ……あれくらい刺せよ)
「わりー! 柏木!! 次は決めるから!!」
「おうおう」
錨の声に右手をひらひらさせて答える。
(……ま、次が当たってない3番田中と4番大滝だったら……大丈夫でしょ)
白里虎次郎のサインは、全球ナックルで良い――というもの。柏木は見下すようにそのサインにうなずく。
(当たり前じゃん?)
3番田中は初球のナックルを見逃す。
「ボール!」
(2点差を詰めなきゃいけない状況……ちまちましたことはやってられない)
2球目のナックルは、アウトコースギリギリに滑り込んでくる良い球だった。落ち方も独特で、タイミングが合わせづらい。
(……くっ……春よりかは打てそうな気がするのは……カーブとかストレートで散らしているおかげか?)
3球目――低めに外れたボール球。これはすんでのところでバットを振る手を止めた田中。
(おう……良い球だなオイ)
「田中! 良い選球眼ッ!!」
「でも打ち気大事っすよ!!」
山口と伊奈が叫ぶ。
4球目――高めに入ってくる絶好球だが、タイミングが合わず空振りしてしまう。
(低めは重力に従って落ちてくるから早い。でも、高めはほんとに緩い球って感じで、合わねえ……コースでこれだけスピード違うと……正直やりづらさしか感じねえ……)
「2ストライク2ボール!」
審判の声。
「落ち着いていけ、どうせ次もナックルだ」
三塁ランナーコーチボックスから、新田の声がする。
(どうせ次もナックル――か。確かに、今日俺当たってないし、タイミングだって合わせきれてないもんな……)
(案の定見透かされてるんかい!!)
新田の言葉に対し、半分意地を張るしかない柏木はそれでもナックルを投げる――アウトコースの球だが、田中のバットにギリギリ掠める。
(ぐっ! 合わせてきやがってるッ!)
白里は、ストレートを要求。しかし柏木は首を横に振る。
(馬鹿野郎……今更逃げられるかよ。このバッターは直球つええだろ)
(高めに外せ。見せ球でいいじゃねえか)
それでも柏木は――首を横に振る。
(柏木は……秋大会で負けた後も、春大会で負けた後も、ナックルを極めることにすべてを注いでしまった……だから、ナックルに絶対的自信がある。そのせいか、他の球で振らせることに自信が無い。だからストレートを釣り玉にすることを恐れる。俺の育成ミスかなあ)
根古屋監督はベンチで悲しそうに俯く。
「阿佐間ぁ……柏木って、昨日どんな感じやった?」
「……そうっすね……クロ高との試合を楽しみにしてるって感じでしたよ。春勝ってた分……」
阿佐間の言葉に、根古屋監督はまた腰を落とす。
「……このクリーンナップを、どう抑えるかによって……たぶん変わってくるなあ」
そして、投げられた5球目。柏木が意見を押し通し、ナックルを投げた――打ち返す田中。しかし三塁線を切れる打球。
「ファウル!」
(フルカウントッ!!?)
柏木は薄々気づいていた。ナックルにタイミングが合わせられ始めていると。しかし、それでも彼は曲げない。
(これが……ナックルボールだけが……俺の武器なんだよッ!!)
揺れ落ちる球――もう6球連続で見ている。田中もさすがに、しっかりと右足に力を込めてタイミングを待つことができる。
(待つ意識。振らされて引っかけてたんじゃしゃーねえ)
打球が快音と共にライト線に伸びていく。
「瀬田ぁ!」
柏木の叫び声に反応した瀬田だが、打球はライト線を超えたところで転がる。
「フェア!!」
「翔馬ッ!! 還れるッ!!」
三塁ランナーコーチの新田が、三塁まで走ってきていた小林を回す。瀬田が捕球し、一気にセカンド山田に送球する。その間にも、小林は本塁めがけて最後の直線を駆ける。
瀬田からの送球を受け取る山田。ホームに向かって身を翻した瞬間、田中が二塁ベースを蹴ったのを視界の端に確認できた。
(どっちだ!? 点差もある……刺せる可能性で考えるなら……3つッ!!)
「えっ!?」
「マジかッ!!」
全員がホームに投げると思っていたこの瞬間――三塁ランナーコーチの新田が叫ぶ。
「右に滑れッ!」
身体を大きく使ったジェスチャーを見て、田中は大槻の身体をかわすように滑り込む。山田からの送球を受け取った大槻がランナーの田中にタッチする――
「セーフ!!」
「っしゃああああ!!」
田中がタイムリースリーベースを決めた。ブルペンで投げている古堂は思わず笑う。
「ははっ、すげえや田中さん」
「たりめーだろ!! なっ、新田!!」
「だな」
三塁ランナーコーチの新田も、三塁ベースに誇らしげに立つ田中に笑いかける。
「しゃあ! 1点差ァ! ノーアウト3塁!! せめて同点にしようぜ!!」
田中が叫ぶ。それにつられるように、ベンチやスタンドの声に力が入る。
「大滝ぃいいい! 打てえええ!」
「行けよッ! チャンスチャンスぅ!」
(ちっ……大滝ごときが打てるわけないじゃん?)
柏木は顎をくいっと上げて大滝を見下す。
「タイムお願いします」
ファーストの白里一哉がここでタイムを取る。
「……なんすか、一哉さん」
「……信じていいか、お前のこと」
「えっ」
白里一哉からかけられた言葉に、疑問符を提示する柏木。
「信じるも何も、エースは俺なんだし、別にどうこうできようがないでしょ」
「ショージだっている。何ならレイモンドだって投げられるだろう。それでも……俺たちは、お前が投げるのを信じてバックから見ていていいか?」
「……は、何言ってんすか。だから今更どうこうできることじゃな――」
白里の様子に痺れを切らした柏木は苛立ちを露にしようとしている。それを後ろから右肩を抑えて止めたのは、大槻。
「一哉は優しいから直接言わねえだけだが、俺は言う。俺たちにとっての最後の大会、“今の”お前にエースは任せられない」
「……どういうことですか……」
柏木の表情が真剣になる。ここで、セカンド山田が口を開く。
「多分、監督は……何だかんだ言って一番抑えてる実績があるのがクニヤだし、一番気持ちが強いのがクニヤだから、クニヤをエースにしたんだと思う。だけど……その気持ちの強さって、チームの勝利への気持ちなのかどうなのかってことよ」
「……」
山田の言葉に何も言い返せない柏木。
「悪いな、俺はそこまでお前を縛りたくて言ったんじゃない。ただ……さっきの虎次郎のサインに首振って打たれて、それでもまだ……虎次郎のミットじゃなくてバッターを見てたからさ……つい。うん……そりゃ、勝つためには抑えることが大前提だけど……。もっと後ろを頼ってくれよ」
「……一哉さん……」
「……なんつーか、その……お前VSクロ高打者9人でやってるんじゃないんだしさ。せめて、勝負したいとか、そういう意思だけでも俺たちに教えてくんねえかな? じゃねえと守りづれえし」
白里の言葉に、ゆっくりと、ゆっくりとうなずく柏木。
「すいません……俺……」
「良いよ。エースってのはいつの時代も自己中なもんだ。行き過ぎたところを止めてやるのも、バック――チームの仕事だろ」
タイムを終え、初巾高校全員の表情が切り替わる。
(大滝……確かに、大滝を意識して、ノーアウト3塁っていう状況を完全に忘れてた……そうだよな。このランナーに還られたら……同点か)
ついつい夢中になってしまった自分を恥じた柏木。
(すみません、一哉さん。すみません、吉秀さん。すみません、律さん)
そして、ベンチを一瞥する。
「んで、マジで申し訳ないっス。阿佐間さん」
大滝に初球、ナックルを投げた――




