第177話「主導権」
汗が滴る。茶色い土がさらに点々と、さらに濃い色をつけまだら模様となっている。
「……マジかよ」
伊東律斗は帽子を取り、汗を拭う。絶好調だと思っていた初回を忘れるほどの大ホームランに、忘れていた暑さを思い出していた。
「レイモンド! レイモンド!!」
ベンチや観客席が湧いている。同点のホームラン。バックスクリーンへとセンター返しで飛んでいった打球。初巾高校の得点が1となる。
「どんまいっす! 打たれるのは仕方ないですよ!」
金条が駆け寄ってきてボールを素手で伊東のグラブの中に落とす。
「ああ、わかってる……」
「相手はレイモンドさんですもん。追い込んだだけでも伊東さんの評価アップでしょ多分」
(まあ……そうだな)
伊東は一抹の不安を抱えつつも、帽子をかぶりなおした。
ベンチへと戻ってくるレイモンド。全員が駆け寄ってきてハイタッチを求める。
「さすがだな!」
「お前がやっぱり頼りになるよ」
レイモンドはその様子にまんざらでもない様子。しかし、バッターボックスに向かう背中を見たとき、ふと表情を真剣なものに変えた。
(一哉……)
5番の白里一哉が打席に立つ。伊東を見据える目に、闘志が見える。
(やっぱ……このチームは……レイモンドだけだって思われてる……何よりまず……俺たちがそう思ってしまっている。これをなんとかしないと)
伊東のストレートを打ち返す白里。綺麗な流し打ちを見せる。
「おおっ、ライン際ッ!!」
「良い所ッ!」
ベンチは打球を目で追う。クロ高ベンチは、少々焦りも見せていた。
「まずいッ!!」
ライト小林がダッシュして打球を追う。抜ければ長打コース。白里一哉には走力もある。スリーベースヒットすら考えられる。
(初巾で一番乗せちゃダメなのは……白里一哉だったろ!!)
これは……彼らなりの春大会の反省である。小林はライン際めがけてグラブを芝に這わせるように――滑り込んだ。
ザッと土とスパイクが削れあい、芝が掻かれる音がした。
「アウト!!」
打球をしっかりとつかみ、空高く左手を上げた。
「おおっ!!」
「ナイス小林先輩!!」
クロ高ベンチは守備のナイスプレイに沸き上がる。同点弾を打たれた直後だけに、意味の大きなプレイであった。
(よしッ……まだ同点。前半戦も前半戦。戦えてるぞ)
伊東も彼のプレイに勇気づけられる。その後、6番の大槻にヒットを許すも、7番権田、8番柏木を三振に倒し、2回を終えた――
「良いじゃねえか伊東」
今宮がグラブタッチを求める。伊東もそれに応える。少し汗を掻いた顔を綻ばせた。
「今宮さん! 次、ネクストっす!」
「ああ、おう!」
ネクストサークルへと向かっていく今宮。そんな彼は、柏木を見据えていた。
(……あいつのナックル……なんとかしねえとまずいよな……)
ヒットが出ていないわけではない。だが、このままだと間違いなく負ける……そう感じていた今宮。
9番の佐々木が凡退し、今宮に打席が回ってくる。
(さすがに二巡目……)
警戒している。今宮を。
柏木はアウトコースにストレートを丁寧に投げ込む。ストライク。
(徹底的に目を慣れさせない気だ)
二球目――インコースのストレートに手が出ない。ストライク。
「……ふぅ」
息を吐き、構えなおす今宮。バッティンググローブの裏に感じる汗が気持ち悪い。
三球目――カーブがアウトコースに外れる。ボール。
(じれったい……ストライクゾーンに決めて打たせてやりてえくらいだ)
柏木にとっても、1アウトからとはいえ、今宮を相手にするのは前向きになれない。
(1アウトだし、なんなら敬遠しても問題は……)
白里が逃げのサインを出すが、柏木は首を横に振る。
(ありますかあ……)
インコースにナックルの指示を出す。揺れ動く球がコースを突いたら……と思うだけでもぞっとする白里虎次郎。
しかし――今宮はこれを鋭く――確実に打ち返す。タイミングのバッチリ合った打球は、柏木の正面へ――
「ぐっ!」
グラブで弾く柏木。打球が一塁線の方へと転がっていく。ファースト白里一哉と、キャッチャーの白里虎次郎が、カバーに走る。
(ファウルか……!?)
一瞬迷う一哉。しかし弟虎次郎が拾い上げる。
(刺しに行くしかねえッ!!)
ベースカバーに入っていたのは、ピッチャーの柏木。彼のグラブが音を立てる。
「セーフッ! セーフッ!!」
「うおおおッ!!」
今宮がピッチャー強襲のヒットで出塁した。
(3人で終わらないこと……主導権を握るためには……大事なことなんだ)
小林が送りバントを決め、2アウト2塁。この状況で打席に立つ田中遊。
(打たせるわけないでしょ!)
全球ナックルだった。4球目を空振りし、三振する田中。悔しさをにじませながら、打席を後にする。
(くっそ、チャンスだってのに……)
その背中に今宮が話しかける。
「ま、相手もピンチのときにどうすべきか、が良くわかってるってことだ。生半可な攻め方じゃ勝てねえってことだ。ノーアウトからの出塁……多分これが肝になってくると思う」
「先頭打者の意識だな……オーケー」
その回の裏は、伊東のピッチングが冴えわたり、9番錨、1番瀬田、2番山田を凡退させ、三人で終えた。
そして、クロ高の4回目の攻撃――先頭打者の意識を持って挑む大滝だったが、柏木のナックルにボールが当たらず三振し、山口がヒットで出塁するも、後続が続かず、簡単に終わってしまった。
「柏木……お前今日最高だな」
「あざっす!」
レイモンドに声をかけられ、普段は態度の大きな柏木も、どことなく嬉しそうである。
(レイモンドに褒められるときは、まんざらでもねえ顔するんだよな)
虎次郎は、どこか複雑な表情をしていた。
そんなキャッチャー、白里虎次郎から始まる4回裏。
(なんてったってこいつは足も速いし、器用さもある。次がレイモンドってことを考えると絶対に出塁させたくねえバッターだ)
金条の強い警戒心をリードから感じ取る伊東。初球のストレートを置きに行ってしまう。
(もらっ!!)
初球から強くボールを弾き返す白里。
(甘かったか……ッ!?)
伊東がそんなことを考えている間にも、レフト方向に流し打ちで綺麗に飛んでいく打球。佐々木がライン際まで寄って捕球するも、白里は二塁を狙って滑り込む。
「セーフ!」
「よしっ!」
先頭打者、白里虎次郎がツーベースヒットで出塁した。この状況にタイムを取る金条。
「大丈夫ですか」
内野陣も集まる中、金条が伊東に向かって口火を切る。
「……置きにいっちまった」
「まあ、確かに、フォアボールもヒットも変わんないですよ正直。次のレイモンドさんはそれぐらいやばい選手ですから」
「……」
その金条の言葉に黙ってしまう伊東。
「ま、良いんじゃねえの? ピンチな方が燃える性質だろ、伊東」
今宮が言う。
「……おいおい、誰がレイモンドに一方的にボコられる前提で話してるんだよ。抑えるだろ、なあ伊東」
田中が言う。
「……今宮……田中……」
「魅してくれよ。一緒にずっとやってきただろ」
「ここで終わるほど、お前は雑魚じゃねえ」
少し弱気になっていた部分はあったのだろう。今宮と田中の言葉で表情が変わる伊東。
(よしっ……それもそうか……)
きりっと表情の引き締まった伊東。
「悪かった金条。少し弱気になってしまったらしい」
その言葉を受け、金条は自分を省みた。
(あっ……伊東さんを弱気にさせてしまったのって……俺が原因でもあるのかもしれない。投手が弱気にならないようなリードを……無謀とは違うけど、程よく攻めの気持ちを忘れないことが大切。特に……伊東さんみたいな気持ちで持っていけるタイプの投手だったら……)
金条は、うなずいた。
「すみません、レイモンドさんをガチで抑えに行ってもらっても良いですか? この回が最後だって言うぐらいギア上げてほしいっす」
「ふん、お前がそこまで言うってことは、よっぽどなんだな」
「はい」
自信が無いわけではない。現に、春大会の時だって、古堂がレイモンドを抑えたことはある。
(きっと……きっとできる)
金条は伊東を信じることにした。そして、伊東に初球、高めの釣り玉を要求する。
(あなたのストレート……これをまず……見せることが大事)
伊東が初球を投げる。見逃すレイモンド。
(浮き球か……ボール球じゃなければ、ホームランコースだ)
そして、次に金条が要求したのは、高めのフォーク。
(少し甘めに入っても良いです。とにかく、これは、ストライクを余裕持って見逃せるレイモンドさん相手だからこそできるリード……)
伊東のフォークはストライクゾーンにきっちりと入る。これはストライク。見逃すレイモンド。1ストライク1ボールとなる。
(次は低めのフォーク……外してもらって全然いいんで……とにかく視線を落とすことを意識して……)
伊東が投げたフォーク――がしかし、ワンバウンドのボール球になる。
(す……滑ったぁ……)
冷や汗をかく伊東。もし、抜け球で高く浮いてしまったなら、確実に打ち込まれていたであろう。
(次こそ……打たれてもいいんで、思いっきりアウトコースにストレートを!!)
バン……と金条のミットが鳴り響く。見逃したレイモンド。
「ボール!」
審判の判定はボール。歯を食いしばる伊東。
(そりゃ嫌だよな……)
レイモンドは、伊東の様子を見ながら、不敵な笑みを見せる。
(3ボール1ストライク……フォアボールは……できれば避けたい……なんてったって、次だって……白里兄さんじゃあ……)
金条は考える。最善の策を。
(ウチの守備陣に……少し賭けてみるか?)
金条が要求したボールに……伊東は頷く。
(甘い、打てると思わせれたらそれでいい。厳しいコースなら尚よしっ!)
伊東が投げたボール――真っすぐ直球――レイモンドのインコースにノビる。それを……レイモンドは、タイミングをしっかりと取って――打ち返した。




