第170話「キャプテンシー」
三番の熊野は、いつになく意気込んでいた。それを肌で感じ取った金条は、初球、少し外したリードを要求。しかし鷹戸はこれを受けても首を横に振る。
(そうだよな……鷹戸の性格だもんな……仕方ない。ストレートで押そう)
初球――外したストレートをフルスイングする熊野。一塁線方向に鋭い打球――しかしファウル。
「く!」
悔しそうな熊野。しかしファースト伊奈は驚いている。
(いや、やべえだろ……一塁線方向って……右打者にとって流し打ち方向じゃねえか)
(もっと集中だ。タイミングを合わせる練習はいっぱいやってきた。独特のストレート投げるってことも知ってる……)
二球目の沈むジャイロボールも空振りする熊野。追い込む――が、彼の気迫からは追い込まれているという気を感じさせない。
(……鷹戸を信じるか、俺の勘を信じるか……)
鷹戸は繊細な性格ではないが、プライドは高い。逃げて打たれる方がマシと考える自分と、鷹戸の考えを尊重したいと考える自分の狭間に立つ金条。
(どうする……後藤さんだったら……法寺さんだったら……金口だったら……)
ここで一人、思い浮かんだのは、同学年のライバル捕手にも当たる男、迫田茂。
(あいつなら……ピッチャーの力量しか信じない)
鷹戸の一番好きな球……ポップするジャイロボールを高め――これを要求する金条。
(白銀世代じゃないし……めたくそにやられることはない。だから全力で投げろよッ!!)
鷹戸は頷き、思いっきり投げる。唸りながらノビるストレート。強烈な球威と共にソフトボールのライズのように揚力をつけて突き進む白球。
「うらっ!」
熊野のフルスイングとボールがぶつかった。
(!!?)
ファースト伊奈の頭を越える打球。小林がうまく回り込んだこともあり、何とかシングルヒットに抑えることができたが、先頭打者を出塁させてしまった。
(……んだと?)
喜ぶ熊野。ランナーコーチとハイタッチをしながら少し笑っている。
「(これは正解だったのか……?)大丈夫だ鷹戸! 事故だ事故!」
「……(わかってる)」
鷹戸のわかりやすい表情から何となく察した金条。しかし、続くバッターが朝地、アダム、鉄沢と、警戒したいやつらばかりであった。
(参ったな)
ここでの声掛けが鷹戸の調子を左右することは、金条もとっくに知っていた。あえて絹田監督はタイムを取らない。
(金条のキャプテンシーにゆだねたいところだが……鷹戸自身に成長してほしくもある……)
落とせない試合だとはわかりつつも、やはり出過ぎたマネはしたくないと思う絹田監督なのであった。
(どうする? よし……あえてここはお前を信じてみるよ)
金条は何も言わずに座りなおす。
(何も……言わないのか)
鷹戸はその様子を少し気に留めながらも、バッターを迎える。朝地である。
(さっきは広背筋が抉れる思いで打ち返した結果、なんとかレフト前ヒットになった。次はどうだ? そろそろ俺の大臀筋当たりをうならせたいところなんだが……)
ストレートで巧みにコースを突く鷹戸。調子は寧ろ悪くない。
(よしっ、スプリットで一球外してみるか)
ワンバウンドくらいでもいい、と軽い気持ちで低く構える金条。鷹戸は頷く――そして投げる。
(あっ!)
その球は明らかに浮いていた。金条が気づくころには、朝地はしっかりとバットでボールを捉えていた。
(もらいッ!)
右中間奥深くへと打球が飛んでいく。
「翔馬!」
センター山口が叫ぶ。小林はスライディングするが、ボールは取れない。後ろにそれた球を、山口がすぐさまカバーし、三塁を蹴りだした熊野を確認した。
(くそっ、翔馬の肩なら刺せたかもしれなかったのに!)
「想像より……ずっと強いぞ……昂大高校」
ベンチで新田がぼそっと呟く。ちょうどそのとき、熊野がホームへと帰ってきたところだった。
「よっしゃあああああああああ!!」
ベンチから全員が出てきて熊野を迎える。
「いいぞッ!」
「ナイスバッティングだ二人ともぉ!!」
「アダムも続けェ!!」
(そうだ、5番アダムには、強烈な一発がある。本塁打で同点ってことを考えると、敬遠気味に行きたい……)
先ほどわがままを通して打たれたせいもあってか、鷹戸はおとなしく金条の意向に従った。フォアボールで出塁したアダム。どこか退屈そうである。
(勝負してくれたら一点お見舞いしてやったのに)
しかし、振り返るアダムの顔は笑っていた。
(ま、テッチャンにこの場面を任せられるのは正直とても嬉しいことだ)
「……ふう」
鉄沢が打席に立つ。ベンチの声が変わった。
「うおおおてっちゃーん!!」
「決めてくれェ!!」
控えの選手たちもあからさまに盛り上がっていた、
(こういう場面……まかされるのも悪くないかな?)
初球のストレート。アウトコースの球を空振りする。
「いいぞ鷹戸ぉ!!」
「ピンチの時こそアウトコースにしっかり投げ込んでいこう!」
「……(打たれるもんか)」
(丁寧に投げたら、簡単には打たれないよ)
低めにストレートを要求する。バットの下面を擦ったボールが、金条の目前を強く跳ねる。
(ぐっ!)
キャッチャーの面が吹っ飛ぶ。
(タイミング……合わせてやがるじゃん……)
一球外して要求する金条。鷹戸は頷く。
アウトコースに外す球。見逃す鉄沢。
「てっちゃん! いいよ! タイミング取れてるで!」
「テッチャン!! 良い!」
塁上に立つ朝地とアダムの声を聞き、鉄沢は息を吐く。
思い出すのは――中学生の頃。
「鉄沢!」
「はいよッ!!」
鉄松シニアに所属していた鉄沢。元鉄日高校のショート、本田清行と二遊間を組んでいた。
「キヨは本当に手堅い守備でやりやすいよ」
「……それを言うなら、鉄沢もなかなか堅いよね。ちょっと派手なセカンドと組んでみたかったりもするぐらい」
「あー……それはちょっとわかる……いや、わかんないや」
「暗黒世代に面白いショートいたっけなあ」
鉄沢がふと呟くと、本田は首を横に振った。
「暗黒世代はわかんないよ。まだ。俺たちと組めるレベルなのって……二年じゃ沢口ぐらいだけど、あいつも堅実に行きたい的なタイプじゃん?」
「いやー、でもよ、キヨもてっちゃんも一回ちゃんと考えた方が良いぜ? 白銀世代と暗黒世代の差ってやつをよお」
ほかの三年生の言葉に、鉄沢はカチンと来た。
「……おい」
「あ、わりーわりー。てっちゃんは年下の奴らと仲が良いもんな! あいつのことまだかわいがってんの? 熱岡だっけ?」
「熱川な」
「わりーわりー、悪気はねえの」
唇を噛みしめる鉄沢。別に熱川という後輩を馬鹿にされたことを怒っているわけではない。大して努力をしてもいないくせに、自分がたまたま白銀世代と同世代という理由だけで一つ下の暗黒世代をバカにしているのが許せなかった。
「まあまあ鉄沢。気にしても仕方ないって……。アイツだって一応5番レフト……いい選手なのは間違いないし、暗黒世代ももっと焦ってやんないとっていう気持ちは正直俺もある……」
本田の言葉にもうなずける。しかし、それでも鉄沢は納得できなかった。
「熱川!!」
「……あっ、鉄沢先輩……」
「上下関係はやめだ!!」
「えっ……」
「今日からお前は俺のことをてっちゃんでも斗真でも何でもいい! 俺もお前のことを玲也と呼ぶ!」
「……鉄沢先輩……じゃなくて……てっちゃん?」
「ああ。暗黒世代と白銀世代の差なんて大してねえ! お前だって頑張れば柏木だって越えられるし、来年、鉄松シニアを担うエースってしっかりと言ってもらえるようになれるはずだからよ」
「……そうかもしんないすね」
鉄沢の言葉に、熱川玲也――のちの昂大高校のエースとなる男、氷室玲也の心は強く焚きつけられた。
(あんときのてっちゃん……呼び方未だに慣れないけど……鉄沢先輩の言葉があったから……忌々しい中学時代を乗り越え、今がある)
鷹戸が投げたアウトコースに外した4球目――うまく打ち返す。
(引っかけたッ!?)
しかし、一二塁間を抜ける打球。
「!!」
今宮が飛びつくが取れない。綺麗に今宮のグラブを跳ねて抜けていく。
「小林さん!」
ホームから金条が呼ぶ。小林が打球をしっかりと拾い上げるころには、朝地はもう、ホームに還ろうとしていた。
(クソッ!)
さらに1点を返す昂大高校。3-2と1点差まで詰め寄る。なおもノーアウト1.2塁の状況。金条が上手くリードし、守備も上手く助けてなんとか後続をシャットアウトしたクロ高だが、鷹戸には確実に疲れが見えていたのだった。
「良いんだ鷹戸! 追いつかれても突き放せばいい!!」
2番の小林が鷹戸にそう声をかけ、打席へと向かっていく。
「やってやるさ!」
しかし、目前の氷室は、依然としてポーカーフェイスを貫いていた。




