第167話「落とせない試合」
「ナイスボール!」
鷹戸が調整と称して投球練習を行っていた。ボールを捕るのは、正捕手である金条。
「……いいじゃん。調子」
「伊東さんがマツガク戦頑張ってくれたおかげでな」
鷹戸が珍しく感謝をしているらしい。金条のマスクの裏に笑みが見える。
「さすがに昂大戦は投げさせてもらいたいところだ」
熱意のあるストレート。球が走っていて文句は無い。少々暴れ球気味なところが気がかりではあったが、熱意の表れだろうと金条は優しく返球する。
古堂、伊東がそれぞれ、返田、小荒井とキャッチボールをしていた。
「んでだろうな……紅白戦から調子がイマイチ上がってる気がしない……」
不調を訴えるのは古堂。しかし、返田からすればいつもと変わらないストレートのキレなわけで、試合前には何だかんだアドレナリンで最高潮まで持っていく古堂のことをみんな知っているので、あまり深くは考えていなかった。
「緊張しすぎなんじゃないのか、コドー」
伊東が告げる。首をかしげる古堂。
「そりゃ、俺や新田にとっちゃあ最後の大会だが……別にお前らは二年生。まだ来年もある。そんなに気負う必要はない」
「だとしても……」
古堂が言いたいことは、ここにいる他の三人全員がわかっている。
「そのしんどさを背負うのも……俺たち三年生の役目であり、下に任せちゃいけないことの一つでもある」
「でも、そのメンタリティで伊東さんはこないだ凄いピッチングしてたじゃないですか」
「ああ。それはこれまで培ってきた“モノ”があるからな。そこだけはお前たちに負けない自信はあるよ」
伊東の言葉に、素直に尊敬のまなざしを向ける古堂。返田や小荒井も、思わず黙ってしまっていた。
「極論を言えば……怪我したアイツが悪い。例え俺のせいで負けたとしても、鷹戸のせいで負けたとしても、お前のせいで負けたとしても、小豆のせいで負けたとしても、今宮、田中、山口、小林たちのせいで負けたとしても……アイツには誰のことも責める権利は無い」
「……そう……なんですかね」
古堂が少し俯く。
「だからだ」
伊東は続ける。
「だから絶対に落とせない戦いなんだ。俺たちにとって……。このまま負けたら……新田はこの後悔を誰かにぶつける機会を失ってしまうんだ。だから俺は……チームのためにも、新田のためにも……そして、俺のためにも勝つ。って気持ちでやってる」
伊東の熱い言葉の次に放たれた直球は……いつもより速く見えた。
「だから……お前らは……来年の今頃……この時期のプレッシャーに耐えられるよう、伸び伸びやって、経験積んでやるくらいの気持ちでやれ。心構えが3年と2年で違うことぐらい、監督も3年生も百も承知だ。それでも番号もらって……試合出させてもらってる意味、ちょっとは考えろよ」
「はい……」
古堂は伊東の言葉にうなずき、ストレートを投げる。
(やっぱり伊東さんの方がストレート速いよな)
KODAIと書かれたジャージを身にまとい、下は野球部の白いユニフォームを履いて、昂大高校野球部は今日も練習をしていた。
「てっちゃん! へい!」
ショートの男――岩城瞬平がグラブトスしてセカンドの男――鉄沢斗真にボールを渡す。
(ったく、無茶しかしないんだから)
唯一の三年生、鉄沢はそんな後輩ショートの無茶にも応えるように素手でボールをキャッチし、一塁に送球した。ファースト熊野真はこれをしっかり捕球する。
「おお、てっちゃんナイスプレイ!」
「(てっちゃんじゃなくて、そろそろ鉄沢先輩って呼べよな……)ったく……岩城は毎回無茶しやがるなあ」
岩城の無邪気に笑う顔に、困り顔のキャプテン。その様子をホームから眺める、ノッカーをしていたエース、氷室玲也。
「なあゲン、来週のクロ高戦、どうなると思う?」
「さあな……わからんよ」
氷室に問われ、捕手として本塁に座っていた武田玄水が首を傾げた。
「こないだ練習試合をした初巾とやらとどっちが強いんだろうな」
次はセカンド方向に向けてノックを打つ。セカンド鉄沢は難なく捕球し、二塁にカバーリングに入った岩城に向かって身を翻し、送球を行う。
「ナイスてっちゃん!!」
岩城は送球を受け取るが、ベースを踏み忘れたまま一塁に送球をしてしまう。
「あ、馬鹿野郎!!」
鉄沢の怒鳴り声が聞こえたところで、武田は氷室の言葉にようやく答えが出たようだった。
「初巾の方が地力はあるよ絶対に。白銀世代の顔ぶれが見るからに強そうやん」
「確かに……」
「でも、ここ一番での強さは、間違いなくクロ高が上やんね。秋大会とか、それが顕著に表れた感じちゃう?」
「確かに」
氷室はその言葉に納得して三塁に佇むアダム=ダッドリーにノックを打つ。しっかりとボディを入れて受け止めるアダム。思わず氷室も「おお」と感嘆の声を漏らす。
「テッチャーン」
アダムが片言で鉄沢を呼び、二塁へ送球した。スパンと小気味の良い音が鉄沢の内野手用グラブから鳴り響く。
(ったく……アダムまでてっちゃん呼び覚えたか……)
昂大内野レギュラー陣がノックをしている最中、外野手トリオはティーネットに向かってバッティング練習を行っていた。
「……クロ高って強いんかなあ」
レフトの大島剛がぼんやりと呟いた。その横でライトの小坂晋は黙々と打球を放っている。
「なあ……小坂、どう思う?」
「知るか」
ぶっきらぼうに答える小坂。しょげる大島。マネージャーの不憫に思う顔が、大島の目に入り、それがまた大島の悲しさを助長していた。
「……そういえば昴は?」
「……知るか……っつーか……わっかんねえや」
4番センターを担う男――朝地昴。間違いなくこの昂大高校の軸を担う選手で、暗黒世代の二年生である。そんな彼は――部室の鏡の前に上裸で立っていた。
(ほれぼれする肉体美……やはり……野球をやめなくて良かった)
鏡の前でバットを持ちながら構える――その姿をまじまじと見つめる朝地。
(やはり、こうしてみると、構えた瞬間に右の腕に力が入っているのがよくわかる。まったく自己主張の激しい上腕三頭筋だ)
スイング音を1回、2回と部室内に響かせる。
「広背筋は今日も文句なしの出来栄え……大臀筋もしっかりしている。これはクロ高戦も長打間違いなし……だな」
部室の中に、ひとりぶつぶつと鏡を見ながらスイングをする様は異端だが、これでも先日の試合では5打席の4安打であるのだから、文句なしの良いバッターであろう。
(てっちゃんの誘いで高校野球を始めて早1年。ヒムロンとゲンさんと俺以外は軟式上がりの燻り野郎共。でも……俺たちは試している。暗黒世代の強さを今……試している)
また一つ、スイングをしながら朝地はつぶやいた。
「ふん……王座にふんぞり返っている黒鉄大哉。アイツを暗黒世代である俺たちがぶっ潰せば……俺たちの長年の野球人生のリベンジが叶うというわけだ」
その強い意志を感じる言葉と、強い意志を感じるスイング音。部室の中の虚空に響く。
(クロ高をぶっ潰したなら……さすがに初巾も鉄日も福富も黙ってはいられないだろう)
昂大高校――暗黒世代が中心のこのチームにとって、白銀世代を潰すことは……今年が最後のチャンスなのである。
ゆえに、燃えていた。これはまだ、誰も知りえていない情報なのであった――




