第113話「援護」
迎える5回表。降板が確定した新田はベンチの奥――へとさらに進んだ控室の方までとぼとぼ歩いていく。
「……ちょっと……顔洗ってきます」
新田の細い声を心配する者がほとんどだったが、絹田監督は一切振り返らない。
(大丈夫なのか新田?)
(鷹戸をもう使っちまうのかよ……こないだの試合じゃあ荒れてたし、正直心配だぜ)
ベンチの三年生、芝と坂本はお互いに顔を見合わせて不安を表情で語る。古堂と伊東の二人も、ブルペンへと移動しアップを始めた。
(やっぱり……エースが崩れると、ベンチも心なしか暗い……。これがエースの持つ影響力ってやつなのか)
古堂も少し考えながらボールを投げる。金条はしっかりと捕球しながら考える。
(新田さん自身は……弱っているという感じはあまりなかった。むしろ、強い気持ちを持って投げていた気はする。レイモンドさんに対する初球とか、ナイスボールだったし……。むしろ気持ちが逸りすぎたことによる力みが原因だったのなら……俺にも責任はあるのかもしれないな)
悔しそうに歯を食いしばる金条。小さな声で「ナイスボール」と呟くことしかできなかった。
打席の8番打者、佐々木が柏木のナックルを打ち返すも、引っかけたあたりとなりピッチャーゴロで捌かれてしまう。
「よしっ……」
柏木は嬉しそうににやつく。秋打たれた分の借りは返したつもりらしい。しかし、次の打者を見て顔をゆがめる。
「ああ、そういえば……こいつにも打たれてるんだっけ? 俺のナックル」
柏木の視線の先に立つのは、リリーフ登板が確定した鷹戸。代打という形で打席に立つ。
「……はっ、いっそのこと、代打専門キャラになっちまえばいいのによッ!!」
柏木が笑いながら投げた初球のナックル――は見逃してボール。
(はあ……見るのかよ)
柏木は途端に不機嫌になる。一方の鷹戸も、不機嫌そうに柏木を睨みつけている。
(……性懲りもなくひょろい球を投げやがって)
二球目のナックル――、制球が利かず、インコース甘い所をセンター返しにしてヒットにする鷹戸。
「すげえなあいつ……」
「なにげにバッティングの“センス”はチーム一なんじゃねえのか?」
山口と田中は苦笑いしながらベンチに立っていた。
鷹戸がヒットを出したとは言っても、雰囲気は依然として良くない。ベンチもいまいち盛り上がらない中、打席に向かう今宮が……突如大声を出した。
「新田ァ! 聞こえるか!? ベンチの奥で聞け!!」
その大声に、クロ高ベンチはおろか、逆サイドのベンチも驚く。
「お前が投げた分、あとは俺らが打つ! 絶対にホームに還ってくるから、絶対ベンチの一番前で見てろ!!」
今宮の乱暴な大声が、新田に届いているかは定かではない。しかし、明らかにチームはこれで鼓舞された。
「っしゃあいけ今宮!!」
「お前が出たら得点できるッ!」
「1アウトだぞ!!」
「鷹戸、ライナー気を付けろ!!」
ベンチの声掛けが増える中、打席に立つキャプテンの顔は、ただまっすぐと柏木を見つめている。
(……何を……2点差をお前の力だけで覆せると思うなよッ!!)
柏木の初球ナックルを見逃す今宮。しかし外角低めにギリギリ入ってストライクとなる。
「っしゃあ!!」
叫ぶ柏木。並々ならぬ感情らしいことを察した今宮は不敵に笑った。
「……まあ、俺との勝負に躍起になってくれるのはありがてえが、俺が打たなくたって、ウチの打線は点取るぜ?」
その今宮の言葉に、白里は少し考える。
(小技もあるか? 高めにストレート……これでいったん様子を見るぞ)
送られるサインを無視する柏木。ど真ん中にナックルを投げ込む。
(力でねじ伏せるッ……変化球と投球スタイルがミスマッチしすぎじゃねえの!?)
今宮は、流し打ち方向にいなして打ち返した。ライト線ギリギリに打球が転がる。
「う、打ったッ! 連打だ!!」
古堂がブルペンから叫んだ。鷹戸は二塁を蹴って三塁まで向かう。ライト瀬田の送球も良かったものの、鷹戸は三塁ベースまで悠々と滑り込む。
「調子乗って打たれる投手ほど、見てられないものはないな……」
三塁ベース上にて、小さな声でつぶやく鷹戸。三塁手の大槻はその言葉を背後に聞きながら、一言、言った。
「クニヤはそういうやつだ。でも、俺たちはあいつのそういうところに救われてきた部分もある」
(ふん……一応信用はされてるんだな)
不機嫌そうな鷹戸を三塁に、何食わぬ顔で一塁ベースに佇む今宮を一塁に置き、バッターは二番小林。初球のナックルはストライクに入る。ピンチの状況でも、いつも通り投げる柏木の姿は、チームメイトには頼もしく思える。
「こりゃやばいな」
一打席目、二打席目とバッティングの成績は芳しくない小林だったが、二球目――バントの構えをする。走り出す鷹戸。
「ッ!!(スクイズかッ!)」
二球目のナックル。低めに曲がり落ちる難しい球だが、小林はしっかりとボールをバットに当てる。
投手と一塁手の間を転がる打球。鷹戸がホームに滑り込むのを、白里一哉はその目で確認しながらボールを拾う。
(ナックル当てるのは、さすがにあっぱれだわ)
そのまま身を翻し、ベースカバーに入った柏木のグラブにボールを投げ入れ、小林をアウトにした。
「っしゃあ! 一点返したぞ!!」
あまりに平然と行われたプレイに唖然する観客をよそに盛り上がるクロ高ベンチ。監督のサインをしっかりと読み取り、決めた小林は満足そうに返ってきた。
「よしっ……1点差」
「ただ2アウトなのがしんどいな」
田中はヘルメットを今一度しっかりと被りなおしながら打席に向かった。
(流れはこっちに来ている。もう一点返せたら強い……。ランナーは今宮。一本出して同点に追いつくぞ)
そして、盛り上がるベンチに戻ってくる背番号1――エースの姿があった。
「……新田!」
小林が新田に声をかける。
「一点返したぜ。今2アウト二塁」
「……今宮……小林……」
どうやら新田にも、今宮の声は聞こえていたらしい。打席に向かう田中の背中を見ながら、新田は叫んだ。
「頼む!」
短い言葉だったが、田中はゆっくりと聞きながら背中を遠ざけていく。
「任せろ」
彼もまた、短い言葉で返し、左打席に立った。
(そういえば田中はスイッチヒッターか……。この期に及んで左打席……引っ張る気満々じゃねえか)
ライト瀬田に指示を出す白里虎次郎。センターのレイモンドも、少しライト側に寄る。
「……(どうせクニヤはナックルしか投げないだろうし、まあここはクニヤの勝負強さに任せるか)」
白里はグラブを構えずにナックルのサインだけ送った。柏木もそれにこたえるかのようにナックルを投げる。アウトコースギリギリに入ったナックルはストライク。田中は手が出ない。
(わお……いいボールだ)
思わず感心してしまう。しかし、容赦のない柏木のナックルに、二球目で既に追い込まれていた田中。
(やべえ……やたら集まるじゃん……)
どうしても先行してしまうのは悪いイメージ。それを払拭しようと首を振る田中。
(今宮だって打ったんだ。俺だって静の援護しねえと)
三球目――タイミングを外そうと投げられたストレート。田中は振り遅れるも、間一髪当ててファウルにする。
(くっ……三振にしたと思ったッ!!)
悔しいバッテリー。遊び玉の無いスタイルに、クロ高ベンチは焦る。
「柏木のストレートが、あまり走ってなくて助かったな」
「……でも、ストレートを頭に入れながらナックルに対応するのは厳しいよ」
小林と山口の会話を聞きながら、新田は肩を冷やしていた。
(遊……お前なら……行けるはずだ!)
四球目、柏木が投げたのは得意球のナックル。インコースギリギリに食い込むような恐ろしい球だったが、田中は右足を後ろにしっかりと踏み込んだ。
(インは引っ張るというよりも、身体の前でポイントを捉える!)
パン――とバットとタイミングがあったボールは、芯を食ってライナーの打球となる。ライト側に少し寄っていたレイモンドの右側を強く跳ねる打球。今宮は猛スピードで塁間を駆け抜ける。
「!」
しっかりと捕球したレイモンド。さすがの足の速さで後ろには一切打球をそらさない。
「回れ!!」
田中のヒットに沸く間もなく、三塁ベースを蹴り込んだ今宮がホームを狙う。
「刺せ!!」
白里虎次郎の声に、レイモンドは身体が勝手に反応していた。ものすごい勢いで放たれたレーザービームは、誰の予想よりも精密に、高速に――白里虎次郎のミットに届く。既に滑り込もうと態勢を低くしていた今宮は、捕球を完全にした白里の姿が見えた。
(このまま突っ込んだら、アウトか……)
足の回転と同じように、頭も回転していた今宮。至って冷静だった。こちらに身体を向けようとしている白里の右側――ミットを持っていないほうから抜こうとした。
白里の身体のすぐそばまで寄る今宮。タッチしようとグラブを向ける白里。
「アウッ!!」
叫ぶ彼の素手側から、バスケのダックインを彷彿させる動きで抜いていく今宮。彼の背後に回り込み、ベースに手をしっかりと置いた。
「セーフ!! セーフッ!!」
この時点で追いつくクロ高。ヒットを打った田中に賞賛を送るベンチ。
「んだよお前……俺の声聞いてたのか?」
「当たり前だろ……サンキュ」
新田と今宮――エースとキャプテンはハイタッチを交わすのだった。




