第110話「変化球王子」
柏木のナックルボールが山口の手元まで緩く曲がりながらやってくる。ストライクゾーンから外れた球ではあるが、山口も、その変化量にさすがに冷や汗をにじませる。捕手の白里は、嬉しそうな表情で山口を煽る。
「……秋は打てたかもしれませんけど……。まあ今見てわかったっしょ?」
「ふうん……(お前もか)」
その煽った言葉に、逆に安心した様子の山口。二球目のナックルは空振りする。
(バッテリーが揃って自信たっぷりだと……倒し甲斐もあるってもんだよね)
続いて投げられる球もまたナックル。しかし、山口はバットを短く持ってカットする。
「ギリギリまで引き付けて、上手くカットしている……これは長期戦になりそうだから、守備、しっかり張るぞ!!」
ファーストの白里兄が大声で内野を盛り立てる。
投手の柏木は、ずっとナックルを投げ続ける。しかし、粘る山口にしびれを切らしたのか、柏木はストレートを投げようとしていた。わずかに見えた握りで球種を判断した山口は、タイミングを取って左足を浮かせる。
(もらった)
初見ながら、バッチリとタイミングのあったスイング。センター方向に打球がまっすぐ飛んでいく。レイモンドがワンバウンドで捕球するが、山口は悠々と一塁ベースを踏んでいた。
「球速がそんなにないからタイミングを取りやすいんだろ? お前みたいなバッターが一番怖いぜ」
一塁ベースで白里一哉が山口に話しかける。それに対し、山口は糸目をさらに細くして何も返答をしなかった。
結局ヒットが出たのは山口のみで、伊奈と金条の二人が凡退し、二回表が終わった。
「柏木の攻略には骨が折れそうか?」
「そうですね……緩急織り交ぜてストレート投げてくることも増えた気がします。そこが苦戦しそうな点でもあり、ねらい目でもあり……ってところですかね」
監督の言葉に、山口が返す。
(バッティングにおいては、山口が一番信頼できる……こいつのスイングにかけてみるのも悪くはないかもな)
絹田監督は輪を描くチームメイトを見渡す。
(だが、ピッチングにおいてはお前しかいないぞ。新田……)
そして始まる二回裏。先頭打者はレイモンド。ハッ高一の強打者に、全員が固唾を呑む。
(甘い所は間違いなくスタンドインさせる。天才に勝つ方法なんて一つしかない)
新田の表情を見ながら、金条はサインを送る。
(新田先輩……あなたの才能、見せつけてやりましょう!!)
初球のスライダーを見逃すレイモンド。ストライクゾーンギリギリに入ったボールだが、レイモンドは眉尻ひとつ動かさない。
(見逃し方すら一流かよ)
ストライクゾーンギリギリの球ですら、悠々とした表情で見逃している。まるで、そこはいらないとでも言うように。
(余裕ぶってられるのも……今のうちだッ!)
低めに投げ込まれたカーブ。打ち返すレイモンドだが、ボールの下面を擦って、打球は後ろへ。
「キャッチャー!」
ファースト伊奈の叫び声が金条の耳に届くころには、バックネットに強く当たった打球が跳ね返ってきていた。
「おお……さすがはレイモンド。えげつねえ打球だ」
ベンチでは二年生のファースト、芝が冷や汗をかきながら見守っていた。
「……全国の選手たちも目をつけていて、巷では白銀世代最強と謳われているんだとか……」
坂本は大会資料に目を張り付かせながらつぶやく。その横で、古堂も伊東も黙るしかなかった。
しかし、次の新田が投げた球――外に逃げていくシュート。上手く流したレイモンドだったが、打球は切れてファウルグラウンドへ。
「ライト!」
新田やベンチの大声に、ライト小林はフェアゾーンのラインを割って打球を追う。
(届けッ!)
ライト小林が左手を伸ばしたミットの先……硬球がすっぽりと収まる。
「アウト!」
審判の叫び声と共に、レイモンドは打席を後にした。
ネクストバッターサークルに立っていた白里とすれ違うレイモンド。
「やっぱり新田は舐めてられないよな」
「だな」
白里の言葉に、レイモンドは強く頷いた。
(さすがのレイモンドでも、簡単には打たせてくれないか……面白いピッチャーだぜ……新田静)
(新田の一巡目は……おそらく全国に出しても無敵。しかし……二巡目以降、打たれ弱い元々の性分と、現に打たれて負けてきたという経験から、彼本来のピッチングはなかなか出せなくなっている)
監督は新田の先発起用について、思い至る部分があったようだった。しかし
(それでも……お前には1番を背負うエースとして、もっと強くなってもらわなければならない。春大会は踏み台にしてでも……夏、勝つために……)
白里一哉の打席でも、新田は寸分の狂いすら見せないピッチングですぐに打者を追い込む。
(相変わらずチートコントロール……どんな練習をすればこいつは……どれだけ投げ込めば……)
最後に投げたのは、ストレート。三振狙いではなく、凡打狙い。白里は詰まらされ、打球を打ち上げる。
「センター!!」
センター山口は、打球と声にしっかりと反応して難なく捕球する。3アウトになった。
良い流れで三回表を迎えるクロ高だったが、8番佐々木と9番新田は柏木のナックルボールを全く打てずに2アウトになる。そして三人目、打順が回って今宮に戻る。
「早くも二度目だな」
「そっすね」
白里虎次郎は平静を装うが、彼の一打席目を見るからに、次からは見極めてきてもおかしくはない、と踏んでいた。
(2アウトからでも出塁されると怖いが次のバッターはそんなに当たり出てないし、ここは敬遠気味でもいいさ)
虎次郎の逃げの指示に、柏木はかなり不満の様子で答える。
(ふざけんなよデブ。この俺がアホみたいにパカスカ打たれるかよ)
多少の力みが出たボールは、ストライクゾーンに入らない。4球目に投げたストレートを除いてすべてのナックルがボール球となり、今宮を出塁させることになった。
「無駄球を費やしてしまった……と思ってんのかクニヤ」
タイムを取った虎次郎が、柏木に話しかけに行く。
「あ? 俺に逃げ気味の指示を出したのは誰だよデブ」
「まあまあ落ち着けって。お前なら次の打者、絶対に抑えられるんだからよ、少なくとも俺は、大船に乗ったつもりでいるぜ」
彼が持ち場に戻っていくのを見ながら、柏木は不貞腐れた。
(だったら初めから……今宮を抑えさせろよッ!!)
初球からストライクを取り続けるナックルボール。キレのある変化と、揺れ動く球筋に、小林は対応できないまま三振となった。
「いざってときに三振を取れるってのは、凄く助かるよな」
白里一哉が、柏木の肩に手を置いて穏やかな口調で言った。
(だろ? だから早く打線の援護を……)
「だからもう少し肩の力抜いてくれると、俺たちも安心して見ていられる」
その後ろからレイモンドが言った言葉に、柏木はふと立ち止まった。
(……こいつら……何が不満なんだよ……)
続く3回裏、下位打線の二年生三人――錨、権田、柏木――三者連続三振で新田は切り抜けた。
「ナイピっす新田さん!」
「やるじゃねえか」
「……さすがっす」
ベンチでも全員が新田を歓迎する中、歓迎されている新田本人だけは浮かない顔をしていた。
(俺の課題……それはこの後……どうしてもやっぱり……二打席目、三打席目には打たれちまう。どんな強打者でも4割打てたらいい方……なのに俺は……二打席目から打たれている)
「新田さん、何をそんなに気にしてるんですか!」
俯く新田に話しかけるのは、キャッチャーの金条。
「どんなに良いピッチャーでも、打たれるときは打たれます。ましてや相手は白銀世代とか言われている天才バッターたち……最初の一打席をノーヒットに抑えただけでも十分すぎます。それに、相手からしたら……先輩はクロ高のエース……変化球王子の異名を持つ新田静です。ビビらないでかかってくるやつの方が少ないんですから」
「……金条」
「うちには頼れるリリーフも、投球に飢えてる抑えすらいるような状況です。こいつらが思う存分投げられるのは、先輩がエースとしてその背中を……こいつらに見せているからですよ」
「……」
4回表が始まる。田中がナックルを叩いてライナー性の打球を打つが、ショート錨が上手くキャッチしてアウトにする。
「っしゃッ! 先頭切ったぜ!」
叫ぶ錨。柏木は右手をあげて応える。
(こいつには全力注いでもいいよなッ!!)
次の大滝には、全球ナックルで挑む柏木。大滝も、さらにキレを増したナックルの前に、三振に倒れる。
「なんつー球だ……」
「変化球王子とかいう名も、俺がもらって行っていいんじゃね?」
去っていく大滝を嘲笑いつつ、下あごを突き上げながら、次に対峙するバッターを見る柏木。目前に立ちはだかるのは、山口。
(うちのエースを差し置いて変化球王子だなんて……舐めすぎでしょ。まずは顔面から改造した方が……おっと)
いきなり初球、切り込んでくるストレートを見逃す山口。
(なるほどね……一筋縄じゃ行かせないつもりだね)
にやりと笑う柏木を見て、山口も笑うのだった。




